白亜の記憶 ― 1


「ユリウス、かくれんぼをしましょう!」


 そういった彼女の笑顔の輝きを今でも覚えている。リーラは病弱な子だったけれど、その身に不自由などありはしないように振舞うのが常であった。普通に笑って、普通に遊んで、普通に日々を過ごすというのが、彼女にとっては特別な事であるのは、幼い僕にも伝わる所だった。

 どこで覚えて来たのか。おそらくは彼女の好く所である本からなのだろうけれど。鬼ごっこや木登り、他にも色々と村の子供達がするような少々やんちゃな遊びを見つけては僕を誘い屋敷の中を駆け回った。その度に執事長やメイド長に窘められるのだったけれど、遊びたい盛りであり、それまでに同世代の友人のいなかったであろうリーラが止まる事はなかった。

 やがてそんなやりとりも日常と化してきたその日、いつもと同じように溌溂とした笑顔で手を差し伸べてきたから、僕もその手をとる以外の選択肢はなかった。例えばそれが彼女の言う所の『ファッションショー』であったならできる限りの抵抗をした訳だけれども、かくれんぼであるならば、ほとほと外に出る事のない僕ら2人にとっては最高の遊びになる事は分かり切った事だった。


「私がかくれるから、ユリウスは探してね。10かぞえて!」

「えっと……10だとすぐ見つけてしまうと思うけど」

「じゃあ30! かべにおでこを当てて、めをとじて、数えるのよ!」

「うん」


 背を向けてすぐ、数え始める間もなく背後から小さな足音が去って行く。思い立ったが吉日というか、居ても立っても居られないというか、リーラにはそういうきらいがあった。それが彼女の背負わされたものによるものなのか、生来の性質なのかはまだはかりかねているのだけれど。


「いーち、にーぃ、さーん」


 言われたとおりに壁に額をあずけ、目を閉じて数を数える。足音はどうやら廊下を出て左に向かっていったようで、さてどこから探していこうか。メイドさんたちに出会って場所を聞くのはルール違反だろうか、すぐに見つけてしまったら機嫌を損ねるだろうか。とそんな事を考えていた。


「さんじゅう」


 ようやっと数え終わって、同時に振り向くと扉はきちんと閉められていた。貴族の令嬢であるからか、そういう所はきちんとしている。扉が開いてる部屋から探そう、なんて甘い考えは通用しないらしい。やっぱりかぞえるのは10で丁度良かったかもしれない。なんて思ったけれど、後の祭りだった。

 息を吐いて、気合を入れる。療養のためという名目で彼女に与えられた屋敷は、本家と比べれば貧相なのかもしれないが、幼少の数年を町で育った僕からしてみればひどく広い。屋敷内の構造を覚えるだけで、1か月はかかったのは記憶に新しい。庭まで含めればもっとかかった。つまり、生まれて間もない時からこの地で育った彼女と僕の間には、地の利という点では天と地ほどの差があるという事だ。

 さて、彼女が行きそうな所はどこだろうか。


 まず彼女の部屋に来た。最初こそ入るのにためらいをもったものだけれど、日々連れられていれば抵抗はなくなった。もはや半ば自分の部屋のような気さえする。……少し言い過ぎたかもしれない。

 ベッドシーツを捲る。綺麗に手入れされたぬいぐるみたちがぎゅうぎゅうと詰まっていた。

 ソファの背を覗き込む。塵一つない床があるだけだった。

 バルコニーに出てみる。綺麗な庭がよく見えた。

 クローゼットを開けてみる。目がつぶれてしまいそうなくらいきらきらした服がずらりと並んでいる。……あまりここにはいたくない。

 分かったのは、どうやら彼女はこの部屋には戻っていないらしいと言う事。


 気を取り直して次にいく。食堂に厨房、僕の部屋。執事長の執務室……は、さすがに来ないだろうから開けないでおいた。

 どこにもいない。

 少し焦りが混じる。だって、かくれんぼなんて彼女ははじめてするはずで、町にいたころ何度もやった僕が全然見つけられなかったとなれば、ちょっと格好がつかない気がした。

 応接間に、客間、それから僕の部屋。

 どこにもいない。形跡すらない。入れ違いになったのだろうかと最初に探した彼女の部屋に行ってみたけど、やっぱり帰ってきた様子はない。

 あと探していないのはどこだろうか。廊下をゆっくりと歩いていると、ちょうど日が中天にのぼりかけていた。

 とうとうマズい。

 お昼ご飯までには見つけなければ、完全に僕の負けになってしまうし、何より皆が心配してしまうだろう。少し視線を下げて気づく。もしかしたら。



「リーラ、どこにいるの、リーラ!」


 彼女の部屋から見える庭園。その中でもやっぱり一番目立つのは薔薇で、半ば迷路のように薔薇の生け垣が張り巡らされている。子供の僕たちからすれば少し背が高いのもあって、かくれるには悪く無さそうだ。

 ひとつひとつ、影を潰すように丹念に覗き込んでいく。姿は見えない。


「あ」


 土にのこる、小さな足跡。

 たどるように 一歩ずつ。ちいさな高揚。探すうち、足が早まっていく。

 かさり、と葉が揺れる音がきこえた。


「リーラ 見つけ」


 角を曲がって最初に見えたのは、倒れた彼女の真っ白な足だった。




 メイドさんたちが囲む中、主治医の先生にみてもらって、

 結果としては、大した事はなかった。

 生垣の中で日を浴びながらじっとしている内に、眩暈がして倒れてしまったらしい。

 ちょうど庭師が他の場所を手入れしている時間で、誰も気づけなかった。


「ユリウスのせいじゃないわ」


 頭まで被っていたシーツをすこしずらして、目を合わせた彼女は言った。



 そのたった1回を最後に、リーラがかくれんぼをしようと言う事はなかった。




 

 覚えたての下手な字で書かれた古い日記を読んで

 そんな事もあったな、と思う。

 彼女は天真爛漫で、けれども基本的に、人に迷惑や心配をかけることは好まない。

 そうであるなら女装云々、というのもいい加減にやめて欲しい所だが、

 我儘を言える存在であるというのは、少し嬉しくもある。


 彼女に残された時間はもう少ないのだと、最近よく思い知らされる。

 忘れたくて忘れていようとしていたものも、すぐ近くまで来てしまえば見る他ない。


 リーラが死んでしまったら、自分はどうなるのだろうか。

 本家からは忌み嫌われているし、他の親族にしてもそうなのだから、どうせロクな末路は辿らないのだろう。

 

 それでも良いのかもしれない。

 自分の人生において、幼い頃から鏡のようにあった彼女がいなくなるというのは

 半身を失うのと同義であるだろう。

 その存在の大きさは見えづらいけれど

 リーラという存在がいなくなってしまった自分の姿を、僕は想像できないのだから。


 音もなく日記を閉じ、本棚の奥ふかくへと戻す。彼女に見られたくない事だけは、こうやって別で書き、かくしてきた。


 彼女にとって、自分は何者なのだろうか。

 自分にとって、彼女は何者なのだろうか。


 ぼんやりと靄がかった思考は、同じように奥底へとしまい込んだ。

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