(3)神に愛された天使がいたんです

「壺から出たんだな、アスモダイ」

 それに、と魔王は笑う。

「ルシファー。まだ口が利けたのか。とっくに眠ったと思ったぞ」


「寝ていたよ。でもアスモダイが起こしてくれたんだ」

 朗らかに言うルシファーに魔王は目を細めた。

「だろうな。地が揺れた。お前が目覚めたからだろう」


 ふふっと笑うルシファー。頬に小さなえくぼができる。長いまつ毛が風に揺れるように動くが、ここで風が吹いている様子はない。


「ねぇ、魔王。それともウリエルって呼ぼうか。あなたも僕に賛成してくれるでしょうね。味方だと思ってるんだけど」


「味方だと」

 気色ばむ魔王に、ルシファーは子供のように無邪気な笑顔を見せる。

「うん。だって、あなたも僕と同じように堕ちた天使でしょう」

 ――だから、

「いっしょに神を倒そう。僕たちで新たな世界を創ろうよ」


 しん、と静まり返る。

 そして、クククと笑う音。


「なにがおかしいのさ、ウリエル。僕は本気だよ」

「そうか。しかしわたしを誘うのは間違っているよ。そこの――」

 腕をあげてアスモダイを示す。

「――おっさんなら騙せるかもしれないがな。わたしは君の提案に何の魅力も感じない。いいから大人しくまた眠るんだ」


 ――ああ。

 ルシファーがため息をついた。


「罪もないのに翼を失った大天使よ。それでも神が怖いのか」


「そのようだな。ルシファー、わたしの名は消された。しかし、君のように反逆を企てようなどとは思わないのだよ」


 かつては剣の紋章を印として使っていた四大天使ウリエル。

 しかし、ある時突然、堕天使の烙印を押された。


 ――なぜなのです、神よ。


 悲しかった。泣いた。もう二度と飛べなくなった。

 傲慢、不遜。ウリエルは目立ち過ぎたのか。

 訳は知らない。

 ただ、もう天使ではなくなった。


「それでも恨みに支配されるほど、弱くはないのでね」


 天使だろうと悪魔だろうと関係ない。

 わたしはわたしだ。

 その誇りは失わない。どんなことがあっても。


「君は嫉妬から反逆の罪を犯した」


 ルシファーは誰よりも神に愛されていた。

 そう、

 彼は思っていたのだ。


 しかし、違った。

 神の愛は人間に向かった。


 そう、ルシファーは思ったのだ。


「君は罪深い。しかし、その姿は留めている。その訳が分かるか」


 分からないはずがないだろう。

 天使も悪魔も、人間によって滅ぼされることない。

 その命は永遠で、神と共に存在する。


 しかし、神はもちろん、同族同士が討ち合えば死ぬ。

 天使が悪魔を、悪魔が天使を、打ち負かすことも可能だ。

 二つは同族であるから。


 だから、ルシファーが天の宮に軍勢を率いて現れたとき、天使たちは戦い、多くの悪魔を滅ぼした。


 ウリエルも戦った。あの炎の剣を使って、彼女は勇猛に敵を倒した。

 ばさり、ばさりと斬った。恨みがましいあの目は忘れない。

 それでも、斬った。

 自分は神の使い、大天使ウリエルだから。


 戦いは神が勝利した。

 多くの天使や悪魔が犠牲になった。

 総大将だったルシファーも、神が滅ぼすだろうと思った。


 だがルシファーは地獄ゲヘナに囚われただけだった。


 ミカエルが彼を鎖でつないだ。場所は魔界の最下層である第9圏コキュートス。その後、ミカエルは最下層全体を氷で覆い、ルシファーの半身をも氷で閉ざした。


 なぜ、ルシファーはまだ存在しているのか。

 その訳を、彼自身か理解できないはずがない。なのに。


「僕はね」

 ――と、彼は暗い目をして笑う。

「神を殺して王になる」


 もう二度と、誰にも支配されないように。

 体も心も、僕は、自由だ。


 神の創造物の中で唯一、自発的に悪意から反乱を起こしたのは、

 ――ルシファー。彼、一人だけだ。

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