(12)伝説魔王さまは討伐されました

「じゃ、じゃあ、斬るぞ」


 勇者の声は震えている。大丈夫かよ。前王はぐっと息を止め、耳を澄ました。

 デビーの「魔王さま……」と案じる声がする。


「俺は」

 大きく息を吸い込む。

「自分の世界に、帰りたいんだぁぁぁ」


 叫び声と共にぶんと空を切る音と風圧を感じた。剣を振り上げたのだろう。

 来るぞ。前王は体に力を入れる。

 と、その瞬間、左肩がヒリヒリとした。

 それから、いっきにバターを切るように右の脇腹までスパッと刃が走る。


 痛みは……、地味にある。


 だが、思ったほど痛くはない。どうやら、聖剣との相性は危惧したほど悪くないようで、強めの静電気に触れた程度の痛みだ。それでも、さらさらと体が砂になって崩れていくのを前王は感じた。こうして、勇者に討伐された魔王は姿を消すらしい。


 なるほど。初めての経験。案外、面白い。

 前王は思わず笑みをこぼす。

 しかし。


「消えた……」

「わーん、魔王さまが消えちゃったよ」


 聖剣を鞘にしまうのも忘れたかのように、呆然と立ち尽くす勇者。

 その横ではデビーが幼子のように声を上げて泣いている。


 ああ、なるほど。前王は目の前の光景をのんきに観察した。

 霊魂のような存在になっているだけで、姿はないが、すべて見えるし、すべて聞こえる。


 さて、復活はどうやるんだっけ。

 頭を絞る。なにせ、初めての経験なので。


「大勇者殿。それで願いは叶いそうですかな」


 宰相が言った。その顔はいまだに半笑いで、これまでのやりとり全般を面白がっているらしい。

 声をかけられた大勇者はハッとした顔をすると、剣を鞘に戻し、両手をまじまじと見つめた。


「これで元の世界に……」


 辛かった日々を思い出したのか、勇者は涙声になる。

 くっと歯を食いしばって目元をぬぐう。帰れる、やっとうちへ帰れるんだ。


 それから……

 気まずい時間が容赦なく降りそそぐ。

 勇者はデビーの冷え冷えとした視線に耐えかねて叫んだ。


「俺、戻れないんですけど!」

 ガーンとのけぞり、頭を抱える。

「なんでだよ。伝説の魔王でもダメなのか。どうすりゃ、いいんだよ」


「なんですって。じゃあ、魔王さまは斬られ損じゃないですか」

「はっはっはっ。やはり噂は眉唾ですな」


 愉快げに笑う宰相。ぽかぽかと大勇者に殴りかかるデビー。

 大勇者はというとショックで放心している。前王はやれやれと首を振る。


「まぁ、いい経験だったな。思ったほど苦労はない」

「あっ、もう復活なさったんですね!」

 前王の姿に気づいたデビーがパッと笑顔になる。

「魔王さまーっ」


 がばっと飛びつく。

 ぐりぐりと胸に顔を押し付けるデビーの背を、前王は優しくなでてやる。


「さすが伝説の魔王さまですね。復活もお早い」


 宰相の言葉に前王はにやりとした。


「うむ。ハァッと気合入れたら体が戻ったぞ。これなら余興で倒されてやるのも悪くないな」


「嫌です、嫌です。デビーは怖かったんですから、もう二度と消えないで下さい」

「そうか。ま、心配するな」


 前王がぽんぽんと頭を軽く叩いてやると、デビーは顔をあげてにっこりした。

 目の端には涙の粒がついている。本当に恐ろしい思いをしたようだ。

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