ぶよぶよ雲幽霊

 死んで何年たったかもう忘れてしまった。なぜ自分が死んだかも、どうしてこの世に未練があるのかも、自分の名前すらも。肉体時代とは違って精神によってしか自分と外界を区別できないのでぼーっとしていると自分が外気に溶けだしてしまい、輪郭が段々あやふやになっていく。私より長くこの世にとどまっている夫からするとそんなのは序の口で、長く幽霊をやっていると目的が無くなり、自分を溶けだすままにしておくと心の奥のほうにある塊みたいなものだけが残って木霊になるそうだ。ああなるとただ浮かぶとか揺れるとか存在していること自体に快を感じ始めるらしくて、それは嫌だなと思う。

 今の私はずっと行動を共にしてきた夫といることに幸せを感じていて、それ以上はまだいらないのだ。現世の私はどんな人生を送ったのかは忘れたがどうせろくでもなかったから化けて出たんだろうし、禄でもない人間に次のチャンスが与えられるとも思えない。つまりできるだけ現状維持で進んでいくのが一番いい。

 そこで夫にどうやれば流出を遅く出来るか聞くと何かに執着を持つといいというので国道8号線沿いにあるコンビニ前で私が見える人間をただひたすらに待つ。別にその辺の適当なのについていっても構わないんだけど出来れば慣れてる人の方がいい。そして私は車道で踊っていた私をチラ見してきた関根ちゃんについていく。

 関根ちゃんは私を無視した。たいして珍しいことでもないけれど、ユマサーマン顔負けのツイストを無視されてすこしプライドが傷つけられたので執着してやろうと思った。

 室内の空気は淀んでいた。枕やカーテンは黴つき、放置されたゴミが四次元的腐臭を放ち、炊飯器の中には蚕の繭のような白いふわふわが満ちている。部屋の淀みは物理的なものだけではないことはすぐにわかる。まあ精神がアレだからこんな部屋になるのだとも言え、そういう意味では私がここに来たのも必然的なものだったのかもしれない。関根ちゃんはゴリゴリのっらぃょリスカしよ。。。系メンヘラだった。ツイッターで毒を吐きまくり、それでも人との繋がりを断ち切れるほど強くはなれず、親に甘え、しかし感謝はせず、日々をただ老けるためだけに浪費していた。もちろん自殺未遂も沢山しているようだ。風呂場にコレクションのように並ぶ剃刀の根元は青銅色に錆びついている。

 最初はかまってもらうために試行錯誤してみたが、どうもそれほど霊感が強い方ではなく、ぼんやりとしか見えていないようで変顔しても踊っても無反応で、私は部屋の隅に張り付いたままなんとなく日々を鞣していく。

 関根ちゃんは大したイベントも無いまま限りある人生を永遠に続く毎日に変換して死ぬまで生きると思っていた。それが「オシ」とかいう人が死んでさくっと自殺する。風呂場で浴びた血が私の内側に侵入し、腐った空気が、穢れた空気と埃とを核にした血液の雲にする。そしてそのまま水分を大量にふくんだぶよぶよの重量で動けなくなる。現状を維持したまま私は何にも執着することなく空間に溶けていく。

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