れんごうかいのにじゅうなな


 なんとなく、いつもより早い時間に目が覚めた。ベッドの上で目覚まし時計と睨み合い、時計を戻して寝返りを打った。せっかく早起きできたのだからなにか別なことをしよう、と思う反面、そんな気力がどこにもないことを少しずつ実感し、なかなか動けない。

「……シドウさんを、探しに行かなきゃ」

 とりあえず言葉を口に出すと、そうだな、探さないと、という気分になってくる。何度か寝返りを打ってから、ゆっくり体を起こして伸びをすると、じわじわと頭が覚醒していくのを感じた。

 今日は日曜日。学校は休み。俺は行方のしれない兄貴分を探しにいく。



「おはよ!」

 ビルの隙間から差し込んできた光の眩しさに寝返りを打っていると、隣から元気な声が聞こえてきた。思わず急いで目を開けて、声の主を確認すると、一気に昨日の記憶が戻ってくる。俺と違って、すっかり目覚め切っている爽やかな顔で笑っている男は、再度俺にひらひらと片手を振った。

「おはよ、シドウ!」

「ああ……おはよう、キタツキ……」

 キタツキは昨日かけていた似合わないサングラスはつけていない。その分幼い顔はしているけど、笑顔は太陽の光をあびて、キラッキラ。やっぱこいつ、モテそうだなと思った。

「早くから起きてたのか」

 しっかりと目覚めているキタツキを見ながら言うと、ああ、と笑いながら返される。

「早く目が覚めちって」

「そうか。悪い、寝てて……」

「いや、いい寝顔だったぜ、ホラ」

 そういうとキタツキは俺にスマホの画面を見せてきた。映っているのは、だらしない格好の、間抜けな顔で寝ている俺。頭が沸騰しそうなくらい熱くなる。思わずキタツキのスマホに手を伸ばすが、遠ざけられて、届かない。

「け、消してくれ……」

「へへ、思い出だよ、思い出。ってゆーか、研究、そう、研究のためだ。許してくれよな」

「うう……」

 そのままキタツキはスマホを手元に戻してしまう。俺は火照ったほおを手で仰ぎながら、今のですっかり目覚めてしまった体を起こした。

「それで、今日は何するんだ?」

 興味津々で聞いてくるキタツキ。俺はすぐには答えられなかった。役作りのために不良を学びたい、などと言われても、何を案内すればいいのか、それどころか何かに巻き込んでしまったら危険だ。一緒にいるだけでいいと言うからOKしてしまったが……俺と一緒にいるだけで本当にいいんだろうか。迷いつつも、特にない、と答えると、キタツキは頷いた。

「なるほどな。特に目的があるってわけじゃないんだな。メモメモ」

 そう言いながら本当にキタツキは小さな手帳を取り出し、何やらメモしている。一体何がキタツキにとって重要なのか、俺には理解できないと悟った。

 キタツキのメモを待って、それじゃ、と俺は切り出した。

「腹、減ってるだろ」

「おう、ペコペコ」

「飯、食いに行くか」

 普段ならまだ寝てる時間の俺は、なんとなくふわふわとした感覚を持ったまま、キタツキに時間を聞いて、行く場所を考えた。歩き始めてから、キタツキはポケットからサングラスを取り出して、かけていたが、相変わらず似合わなかった。日差しが苦手なのかもしれない。

 キタツキに時間を聞くと、朝の九時。もうすぐ店の開き始める時間だろう。



「いただきます」

 午前九時。朝ごはんはベーコンエッグにトースト、レタス。決して豪華ではなく、質素でもない。部屋には、ゆっくりした朝にお似合いの、静かなジャズが流れている。ろくでもない情報ばかり流すテレビなんかとは比較にならないくらい、美しい朝を彩ってくれる。

 隣に座る金髪の彼もいただきますと唱えて、パンの上にレタスとベーコンエッグを乗せ、半分に折り込んで、サンドイッチにして口に運ぶ。うん、ワタリ、これうまいよ、と言いながらも、視線は反対の手に持ったスマホに釘付けだ。

「……あのさぁ、その、最近無理し過ぎじゃないかな」

 顔色悪いし、と付け加えると、カズシちゃんは笑った。その笑顔も疲れている。

「俺のせいだもん……レンゴウカイが今みたいになっちまったの。俺がもっとちゃんと舵取りできてりゃ、こんなことにはならなかったんだ」

「そ、そんなことないよ。だってほら……カズシちゃんはいろいろ、頑張ったよ」

「頑張るだけで、結果がこれじゃ、意味ねえんだよなぁ。世の中、結果。結果が全てなんだよ。な」

 返しに何と言葉を紡げばいいのかわからなくて、ボクは口を噤んだ。しばらく言葉のないまま、落ち着いた軽快な音楽を背景に、パンを齧る音だけが居間に響いていた。

 自治警察のリーダー、アサギリセイラ亡き後、事実上自治警察は崩壊した。それと同時に、今まで自治警察が維持していた治安は悪化、当然、今まで自治警察が守っていたものは崩壊していくと思われた。

 それを止めよう、と言ったのが我々レンゴウカイのリーダー、シドウちゃんだった。そしてその傍で最も案を出し、協力し、考えたのはカズシちゃん。レンゴウカイをみるみる増員させ、そのまま自治警察の代わりになるかと思ったのもつかの間、その幻想は下の方から崩れて行った。人を選ばずに入れ、統率が上手く取れていなかったせいで、リーダーの顔も知らないような奴がいたり、ただ悪ぶりたいだけの奴が入ったりするような、ボロボロなチームになってしまったのだ。今では、「レンゴウカイ」という名前だけが一人歩きをしているようなもの。いまから意図的にどうにかするのも、もう難しいのかもしれない。

 ……せめて、リーダーがシャンとしていたら、右腕であるカズシちゃんがこんなに追い詰められることは無いだろうに。そんな言葉もカズシちゃんを追い詰めることになるだろうから、言わないけれど。そうやってボクは、しばらく顔を見ていない「レンゴウカイのリーダー」のことを思い浮かべた。

 ここのところ、シドウちゃんは家に帰ってこない。カズシちゃん曰く、探してるのに情報も全くないらしい。シドウちゃんが情報屋の目をくぐる様な頭を使ってるようには思えない。ただどこかで寝てるだけならいいけれど、何かあったんじゃ……という気が頭から離れない。きっと、カズシちゃんもそうなのだ。だからこんなに、気を立てているのだろう。

 とはいえ、何かあったら何かあったで情報が掴めないはずもないのだろうから、まだ慌てることもないのかもしれないけれど。

「……ねえ、外に出てみない?」

「あ?」

 ボクが話しかけると、カズシちゃんは一瞬動きを止めて、こちらを見た。目が合って、ボクは微笑む。

「外。最近根詰めてるでしょ?気晴らしも大事だよ。ね、デート、付き合って。オンナノコの誘いは断るもんじゃないよ」

「女の子って……はぁ、わかった。行くよ、行きゃいいんだろ」

 彼はだるそうに言って、残りのパンを口に押し込んだ。ボクも、準備してくるね、と言って風呂場に向かった。

 やや柔らかくしていたメイクを上塗りして、濃くしていく。鏡に映っているのは、あの憧れた女の子とおそろいの、水色の髪に水色の瞳をしたゴスロリ。女にしては骨格がはっきりしすぎているし、身長は高く、胸元はすっとしている。……でも、これがボクなんだ。そう自分に言い聞かせて、大きく息を吸った。

 アイラインをキツく引いて、リップを真っ赤に塗り直す。戦闘準備完了、と心の中で唱えると、ボクはデートの相手の元へと向かった。

 行先はどこでもよかった。ただなんとなく、いつも行かない場所へ彼を連れていけば、いい気晴らしをしてあげられるかもしれない、と思った。ただそれだけだった。



「うわ、また派手にやってんな」

 唖然としている俺の横で、キタツキはまた何やらメモをしていた。道路を挟んで俺達の向こう側では、金属バットやパイプを抱えたチンピラ然とした男達が、コンビニを荒らしているところだった。

 ガラスは割れ、中から好きなだけものを盗んでいく様子を、俺達は行き交う車の合間からただ見ていた。キタツキは少し間を置いてから、俺に視線を移した。

「あれ、レンゴウカイだろ。さっき大声で話してんの聞こえた。お前もあーゆうことすんの?」

 俺は全力で首を横に振った。……でも、それ以上何かを言うことは無かった。キタツキも、何かを聞いてくることはなく、やべー、やべーと言いながら、不良がコンビニを荒らす様子を見ていた。

 俺達は、荒らされたコンビニへは向かわずに、そばを素通りしていった。……ふと、振り返る。「レンゴウカイ」とやらはもうとっくにどこかへ行ってしまった。そこには荒らされたコンビニがあるだけだった。しばらくしてから、割れたガラスを、店員が集め始めていた。

 なんとも言えない気持ちになりながら、俺は振り返り、キタツキと一緒に、また歩き始めた。


 飯代はキタツキが出すと言った。俺はマクドで遠慮なくビッグマックをLセットにした。その程度でいいのかよ、と笑ってキタツキはまた何かメモしていた。俺はLサイズのポテトを見て幸せな気持ちになった。

「マクド来たの久しぶりだわ。久々に食うとうめーよな」

 揚げたてのポテトを口に運びながら頷いた。キタツキはチーズバーガーのセットを頼んでいた。

 店内は昼前ということもあってか、少しずつ人が増えていっているところだった。俺達は二階席の、ちょうど空いていた部屋の中央公園付近の席に腰をかけた。ちょうど同じことを考えていたのだろうか、席空いててよかったな、とキタツキが笑った。

「どこか行きたい場所、あるのか。俺がわかる場所なら案内するけど」

 俺が提案すると、キタツキはニコニコしながらピースをする。

「俺はお前と居られるだけでハッピー。勉強になるからお前の行きたい場所に連れてってくれ」

「……そうか」

 二人でポテトを口に放り込んでいたところで、俺たちの席に影が下りた。顔を上げると、目つきの悪い、チャラチャラとした見た目の二人組の男が、それぞれ自分のトレーを持って立っていた。背はそれほど高くはなく、中古ショップで漁ったような洋服を着て、口元には気味の悪い笑みを浮かべ、俺たち二人を見下ろしている。キタツキは二人組を見上げてから、俺を見て首を傾げた。俺はただ、何も言わずに二人組を見上げていた。一人はパーカー、一人はTシャツ、と心の中で区別した。

「席、空いてねーんだわ」

 突然、パーカーが言った。なるほど、見渡せば、さっきまでやっと空いていた席はすっかり埋まってしまっている。俺は小さく、そうか、と頷いた。俺のその反応が気に食わなかったのだろう、パーカーはやや腹を立てたようだった。

「俺たち、レンゴウカイなんだよね」

 そう言ったのは、Tシャツだった。片手を俺たちの座っている席に置いて、やや睨みをきかせている。キタツキは男を見、俺を見た。俺もまた、キタツキを見て、不良二人組を見た。……どうするべきなのかを、ない頭で必死に考える。ここで争うべきでないことだけは、はっきりとわかった。

「……行こう、キタツキ」

「え、あ、シドウ」

 俺は食べかけのハンバーガーを置いたまま、その場を離れていった。すれ違いざまに、満足気な「レンゴウカイ」の男の顔が見えた。


「いいのかよ、アレ」

 マクドの階段を降りながら、キタツキが俺の左腕を掴んだ。振り向くと、不満げなキタツキの顔があった。

「お前だってレンゴウカイだろ。いいのかよ。あんなん、調子乗るだけじゃねーか」

「……いいんだよ、あれで」

 俺はキタツキの手を軽く払うようにして、先に階段を降りていく。二人並べない、狭い階段。

「……お前、全然いいって顔、してねーじゃん!」

 キタツキの声を背中に受け流しながら、俺は静かに唇を噛んでいた。

 黒い、レースの多いゴスロリのボクの隣を歩くのは、迷彩柄のパーカーに、黒のヴィンテージジーンズのカズシちゃん。帽子を深く被っていて、表情はよく見えないけれど、なんだか足取りが重たそうだ。何処へ行くも何も無く、ボクたちはただ、いつも行かないような場所へ、と目的もなく歩いていた。いつも行く場所にいたって、カズシちゃんに荒れたレンゴウカイを見せてしまって、かえって落ち込ませるだけだろうとも思ったから。

「ねえ、お腹空かない?お昼食べる?そこ、ハンバーガーあるけど」

「ああ……いいよ」

 それは拒否の「いいよ」なのか、了承の「いいよ」なのか、はっきりしない発音だったが、勝手に了承だと解釈して、ボクはカズシちゃんの手を取ってマクドナルドの入口へ向かった。この時間は混んでいるだろうから、最悪、買って近くで公園でも探そうかな、なんて考えていた。そのとき、カズシちゃんが顔を上げた。

「……シドウ」

「え?」

「いや、シドウじゃん、アレ」

 聞き間違いかと思ったが、カズシちゃんが指さす先には、確かに最近見なかったシドウちゃんがいた。急ぎ足でマクドナルドから出ていき、そのまま人混みに紛れていってしまう。ボクらはしばらくぽかんとしていたが、慌ててシドウちゃんの背中を追いかけて走った。

 どこを探しても見つからなかったのに、こんなところにいたのだ。カズシちゃんの目の色が明らかに変わったのを確認して、ここで見失う訳には行かないと固く誓った。



 しばらく、俺とキタツキの間には微妙な空気が流れていた。はじめ、黙って歩いていると、歩幅の狭いキタツキを置いていってしまう形になっていて、慌ててゆっくり歩き始めた。やがて、キタツキはまた屈託のない笑顔であちこち指さし、俺にあれはなに、これはなにと話しかけてきた。俺は安心して、わかる限りで答えていく。

 人通りは多かった。俺達はぶつからないようにして歩いていたが、途中でキタツキが誰かにぶつかった。悪い、とキタツキが謝った先は、運の悪いことに、明らかにガラの悪そうな男の三人組だった。ニット帽を被った男、パーカーのフードを被った男、短髪で両耳に大きなリングのピアスをつけた男。背の小さいキタツキを馬鹿にするように見下ろして、真っ先に胸ぐらを掴んだ。

「おいチビ、どこ見て歩いてんだ?」

 ヤバい、と思う前に体が動いていた。こういうことに慣れていないであろうキタツキの強ばった体を引っ張り、代わりに男の拳を頬に受けた。衝撃で頭がぐらりとする。視界が揺れる。が、たいしたことはない。倒れずに体を持ち直すと、キタツキは目をまん丸にして俺を見つめていた。俺はそのまま、俺を殴ったニット帽の男を見つめた。ニット帽は一瞬俺を驚いた顔で見つめていたが、すぐに笑いだした。

「へぇ、お友達守るなんて優しいなァ〜!!」

 ほかの男二人が続けて笑う。俺は黙って、じっとそのまま男を見つめていた。すると、みるみる男の表情が変わっていく。

「なんだ、その目。気に入らねえな。俺を誰だと思ってんだ?レンゴウカイのマサヤ様だぞ」

 マサヤなんて聞いたことはない。胸ぐらを掴まれ、すこし首が閉まった。相手の方が背が小さいのに、精一杯俺を持ち上げようとしているのがわかる。それが気に食わなかったのか、腹に一発。来る直前に力を入れたから、そんなにダメージはない。

 足を蹴られた。踏まれた。また蹴られる。いつの間にか俺は三人に囲まれていて、殴られるがまま、蹴られるがままになっていた。顔を殴られるのはややきいたが、三人組はあまりケンカ慣れしているわけでもなさそうだった。ダメージの入らない拳。

 ふとキタツキと目が合った。真っ青になって、おろおろとしているのが少し離れたところからでも丸わかりだったが、俺は首を小さく横に振った。

 やがて、無抵抗の俺に飽きたのか、三人組は去っていった。最後に顔に唾を吐かれたのが一番不快だった。道端に座り込んで顔を服の袖で拭っていると、キタツキが恐る恐る寄ってきて、俺の肩に優しく触った。

「ごめん、大丈夫か、ごめん」

 そう言う声は震えていて、俺は大丈夫だと答えた。

「でも、あんなに」

「痛くなかったから」

 そう答えても、キタツキは悲しそうな顔をしたままだった。キタツキはしばらく立ったり座ったり俺の周りを歩いたりしていたが、やがて「ここで待ってろ」と言って、どこかへ走り去って行った。俺が建物の壁に寄りかかって待っていると、息を切らしながら帰ってきたキタツキが持っていたのは、ビニール袋に入った氷だった。

「顔冷やさねえと、腫れちまうだろ!」

 そう言って突然顔に氷を押し付けられる。俺は冷たくて思わず仰け反ったが、ありがとうと言ってそれを受け取った。


 ひとまず一本道を裏手に入ると、散乱しているゴミを見てキタツキが「うわっ、やべ」と声を上げた。構わずに腰を下ろした俺とは違い、腰を下ろす場所のゴミを払ってから、キタツキは腰を下ろした。

「ホントごめん、ケンカ売られたの俺なのにな」

 いいんだ、と言ってもキタツキは納得した顔をしなかった。しばらく口をもごもごとさせ、何か言いたげにしていたキタツキは、やがて「でも、なんで」と口を開いた。

「なんでやり返さなかったんだ、さっき。やられっぱだったじゃねえか……お前もレンゴウカイなんだろ、ケンカとかするんだろ?」

 キタツキの言葉は、一歩一歩、恐る恐る、といった感じだった。俺になにか気を使ったのかもしれない。俺はしばらく黙っていた。

 けれどやがて、ぽつり、ぽつりと、言葉が溢れだしていった。言うつもりのなかった言葉が、次々と出ていく。

「俺は、レンゴウカイのシドウ。……レンゴウカイのリーダー。レンゴウカイを作ったのは俺なんだ」

「お前が……?」

 驚くキタツキに、俺は次々と話し始めた。レンゴウカイを作ったこと。セイラがいなくなったこと。そのあと、セイラの代わりをしようとしたこと。上手くいかなかったこと。いまのレンゴウカイは望んだ姿じゃないこと……。

 最後まで言うと、俺は頭が熱くなってしまっていた。キタツキは黙っていたが、俺が話を終えてから、口を開いた。

「そんなの、いいのかよ、やられっぱなしで!潰していかないと、なくならないだろ、ああいうの」

「……何度もやろうとしたよ。何人もぶん殴った。でも変わらない。悪いやつはどんどん沸いてくる。キリがない。……やっぱり俺なんかには無理だったんだ。ただの不良品の俺には」

 しばらくお互いに喋らなかった。靴の近くのゴミをじっと見つめていた。メントスの包み紙。フリスクの殻。中身は一体、どんな奴が食べて捨てて行ったのだろう。……先に口を開いたのはキタツキだった。

「ちょっとトイレ」

 言うなり、こちらを見もせずに走っていく。そんなに漏れそうだったのかと思いながら待っていると、帰りはケータイを片手に持って、ニコニコしていた。

「さっき、助けてくれただろ。お礼に今夜、世界一のイケメンに会わせてやる」

 キタツキはそう言って笑った。サングラス越しでもわかる甘い笑顔。俺が答えられずにいると、今度は躊躇い無く俺の隣にあぐらをかいて、俺の顔をのぞき込む。

「そいつはな、世界一すげー男だよ。何回も壁にぶちあたって、そのたびに乗り越えてきた。もちろん、一人でじゃない。仲間とな。そういうすげー仲間がいる、だからすげー男なんだよ。……あのなぁ、そいつもやべー状況に何度もぶつかってきた。でもな、何度だって諦めなかった。諦めたら勝てる保証なんかない、でも諦めたら負け確だって知ってんだ」

 キタツキは小さな子に言い聞かせるようにそう言った。視線はどこか遠くに行っている。何かを思い出しているのかもしれない。そうしているうちに、目が合った。「だからな、」とキタツキは俺に人差し指を立てる。

「だから、なんかヒントになるんじゃないかと思うんだ。ヒントにならなかったら、息抜きになったらいいし。ま、なんでもいいよ!な、いいだろ……会うよな?いいよな?」

「……あ、ああ……わ、かった」

「よっしゃ。八時に西中央公園な。人がやべーから、覚悟しとけよ」

「あ?ああ……」

「じゃ、俺、そいつと打ち合わせがあっから。また夜にな!」

「え、あ、ちょっと、キタツキ」

 それだけ言うと、キタツキは振り返らずに走っていってしまう。取り残された俺は、急に嵐でも通り過ぎて行ったような気分になっていた。耳に残ったのは、夜八時に西中央公園というキタツキの言葉。とりあえず、そこへ行ってみるしかないようだった。

 世界一のイケメンとやらに会って、どうすればいいのかなんてわからない。でもまあそれは、会ってから考えても遅くないだろう。

 俺はとりあえず、その場で横になった。先程ニット帽に蹴られたところが、少しだけ傷んだ。


 言われた通りに夜八時に西中央公園を目指した。公園の名前を普段気にしなかったから、コンビニで道を聞いて、行ってみると、それなりに広い、小さな催し物なんかができそうな公園だった。来たことの無い場所だ。遊具は小さな滑り台とブランコが二つ、隅にあるだけ。俺はそのブランコの片方に腰掛けて、キタツキを待った。

 ブランコを軽く揺らしながらぼんやりしていると、ふと視線の端で、遠くに俺に手を振る人がいた。焦点が合うと、キタツキの他に、知らない男が三人いるのが見えた。構えていると、キタツキは「わりー、ちょっと遅れたわ」と言いながら俺のそばに寄った。

 キタツキは、サングラスはかけていなかった。昼間とは服装も異なっていた。シャツに十字架のペンダント、それから小綺麗なジャケット。ふと、キタツキの目線が少し高くなっているような気がしてふと足元を見る。……底増しをしている気がする。

「そんじゃ、行くか」

 そう言うキタツキはなぜだかキラキラしているように見えて、俺は思わず「どこへ?」と聞いた。キタツキは柔らかく笑って、言った。

「世界一のイケメンに会える、特等席にな」

 こいつは何を言ってるんだ、と思いながらも、俺は黙ってキタツキについていった。



 結局その日も、シドウさんは見つからないままだった。集会にも人は集まらなかった。

「ちょっとカイトさん、い~い?」

 集会後に声をかけてきたのはキョウさんだった。取り巻きのような、いつも一緒にいた人たちはいない。集会所の中で、残ったのは俺たち二人だった。

「どうしたんですか、キョウさん」

 レンゴウカイの一員となった今でも、キョウさんを目の前にすると少し緊張する。何かされるのではないか、と考えてしまう自分の考えを、いけないことだと叱咤する。キョウさんは心を入れ替えたのだ。何かあるはずがない。

「まあ、ここじゃなんだからさ。ちょっと、別の場所いかねっすか」

「……いいですよ」

 俺が頷くと、キョウさんは先立って俺の二、三歩先をゆっくり歩き始めた。俺はカバンをもって、その後ろをついていく。

 夜の西地区を歩くことはそんなになかったから、俺は新鮮な気持ちでキョウさんの後ろをついて歩いた。仕事帰りであろう男性や、学校帰りであろう学生たちとすれ違いながら歩いた。

歩いていく人たちから、「ティーンズやばいよ」「ティーンズやばいって」と声が聞こえてきた。ティーンズというのは、幼馴染のミヅキのお兄さんが率いている、かなり人気のバンドのことだろうと雰囲気で思った。ティーンズは今日、なにかするのだったのだろうか。最近、ミヅキのお兄さんどころか、ミヅキにもなかなか会っていないな、と思った。

 俺たちは人の流れに逆らい、だんだん人影のすくないほうへ、ほうへと歩いて行った。



「いまからこの公園中、やべーことになるからな」

 みてろよ、とキタツキが笑った。悪戯をする子供のような笑顔。その周りの三人も、ため息交じりに笑っていた。俺はキタツキに言われるまま、公園の中央に歩いて行った。いつの間にか、公園に楽器や、小さなアンプが設置されている。

「お前はそこから見てろ。俺たちのパワーを感じてくれ」

 よくわからないまま、俺は頷いて、キタツキたちから少し離れたところの大きな木に寄りかかった。キタツキの目の前にはマイクスタンド。ライトはない。薄暗くなってきた中で、四人が楽器を構えるのが見えた。

「こんばんはー!!ティーンズです!!」

 キタツキがマイクに大声を張り上げた。するとすぐ、公園に女子高生らしき影が来て、キタツキたちを確認するなり悲鳴のような声をあげた。

「え!?なんで!ティーンズだ!」

「ティーンズ!本物だよ!?なんで!?」

 キタツキの言うとおりだった。あっという間に公園中は、いや、公園どころか周辺の道路にまで人が押し寄せている。俺は落ち着かずきょろきょろとしていた。ふとキタツキを見れば、満足そうな顔をしている。

「今宵限りのスペシャルシークレットライブ!事務所にも秘密の俺たちのお遊び聞いてってくれよな!!」

 キタツキの掠れがかった綺麗な声に、群衆の黄色い悲鳴が上がる。ドラムの男がカウントを刻んだかと思えば、あふれてきたのは明るく激しいサウンド。腹に響くベースの音。突き刺さるようなとがったギターの音。男でも惚れてしまいそうなキタツキのクリアな歌声。次第に広がる群衆の声援。

 俺はただ、その場を動けずにいた。今まで音楽に特別な興味があったわけではない。が、その音は俺を引き込んだ。振りを知らないのに踊りたくなるような、歌詞を知らないのに歌いたくなるような、キタツキたちの世界に引き込まれてしまっていた。

「Colors、聞いてくれてサンキュー!」

 曲が終わると、キタツキの声に、群衆が呼応する。ライトなんかないのに、キタツキの姿はキラキラ輝いているようで、まぶしかった。

「俺たち、今でこそ名前も知れ渡ってそれなりになったけど、ここまで長かったんだ」

 一瞬、キタツキと目があった気がした。キタツキが喋り始めると、がやがやしていた群衆は合わせたかのように静かになった。みんな、キタツキの声を漏らすまいとして耳をすましているのだ。

「でも、ここにくるまで長かったよ。辛いことも、苦しいことも、たくさんあった。……だけどな、俺たちは乗り越えてきた。仲間がいたから、乗り越えられたんだ」

 キタツキは一瞬間をあけて、大きく息を吸って、言った。

「一人じゃ乗り越えられないことも、仲間と一緒ならなんとかできる!一人じゃ作れない曲も、四人そろえば最強の曲になる!俺はこのサイコーの仲間たちと、これからも走って行くぜ!ついてきてくれよな!」

 イエー、と群衆が声をあげた。

「これで今夜のシークレットライブは終わりだぜ!みんな、じゃあな!」

 キタツキは突然そこまで言い切ると、群衆にかまわずに俺の腕をとって走り出した。とりあえず俺も一緒に走り出す。ふと後ろを見ると、キタツキを追ってくる女たちの姿が見えた。それはもう……群衆で。

「後のことはあいつらに任せたから、俺たちは逃げるぞ!走れ走れ!追いつかれるんじゃねえぞ!」

 俺たちは女たちをまくまで汗だくになって走り続け、路地裏の裏で息を切らしながらうずくまった。


「いやあ、疲れたな」

 そう言って笑うキタツキの笑顔は、相変わらず悪戯っ子のそれだ。俺は自然と背後を気にしつつ頷いた。……もう追ってきてはいないようだ。

「キタツキって……その、ほんとに人気な歌手だったんだな」

「そうだよ!今時俺たちのこと知らないとかありえないって!」

「そ、そうか」

 得意げな顔で頷くキタツキに、俺はほんの少しだけ申し訳なくなったが、キタツキは気を悪くした感じではなかった。

「……で、どうだった、俺らの音は」

「かっこよかった」

 問いかけに素直にこたえると、へへ、とキタツキはまた笑う。そうだろ、最高だろ、と頷きながら、でも、と俺の目をまっすぐ見て言った。

「一人じゃ作れない音だ。俺はあいつらが、仲間がいるからあんなふうに音を紡げる。歌を歌える。みんなあわせてティーンズなんだ。……お前も、そうだろ。一人でレンゴウカイじゃ、ねえんだろ。ほら」

 後ろを指さしたキタツキに、また女が追って来たのかと思い急いで振り向くと……そこにいたのは、なんとなくはっきりとしない態度の、カズシとワタリだった。

「お前、マジで見失うかとおもった……やっと見つけたぜ……」

 カズシがそう言い、ワタリはただ頷いて息を整えていた。俺が何も言えないでいると、キタツキが笑った。それから、真面目な顔になって言う。

「お前、レンゴウカイが暴れてる時、いつも素通りしてたけど、全然いいって顔してなかっただろ。何か言いたそうに、何かしたそうにしてた。でも、何もしてなかった。……ほんとにそれでいいのか」

「……俺は、頑張ろうとした、けど……でも、駄目だった、から」

「じゃあ諦めたのか?……嘘つけ、お前、全然いいって顔してねんだよ」

「でも、俺の力じゃ」

「一人じゃできないことは、仲間と一緒にやるもんだ。……そこの人たち、昼間からシドウのこと追いかけてきてくれてたけど、仲間なんじゃないのか。バラバラじゃできないこと、バラバラな音ではタダの汚い音だけど、それが一つになったとき、はじめて最高のサウンドになる。……俺は、お前たちもきっとそうなんじゃないかって思ったんだ」

 な、と言ってキタツキは笑った。俺とカズシはお互いに顔を見合わせて、口をつぐんだ。やがて、話そうとした時に「あのさあ」と声が被り、俺が黙った。

「……あいつのいう通りだ。俺、いろいろなんとかしようとしたけど、うまくいかなかった。シドウも、レンゴウカイをなんとかしようとしてくれてたんだろ。いまはカイトだって、動いてる。でも、うまくいかなかった。……じゃあ、さ、次は。協力、してみるの、どう」

「……うん」

「お前の考えてることが知りたい。お前のやりたいこと、教えろよ。俺も、一緒に考えるから。そうやって、レンゴウカイ、一つにしていこうぜ」

「……ああ」

「もちろん、ボクもいるからね!」

 そう言って、ワタリは俺とカズシに飛びついてきた。俺はそれを支えながら、キタツキのほうを見れば、ぐっと親指を立てるポーズをしていた。

「……さて、じゃあ俺はそろそろ、帰らなきゃかな。シドウ、一緒にいてくれてサンキュな。お前のおかげでいろんなものが見えた。不良役、ばっちりつかめた気がするぜ。よかったら、ドラマ、放送始まったら見てくれよな」

「……ああ。なあ、キタツキ。……かっこよかったよ」

 去っていくキタツキにそう言うと、男でもコロっと落ちてしまいそうな笑顔で、透明な声で言う。

「当然、俺、世界一のイケメンだからな」

 路地裏に三人残された俺たちは、お互い顔を見合わせて、ぎこちなく笑った。それから、ゆっくりと歩いて、家へと帰っていった。


「あーあ、ティーンズのKITAに会ったんだから、サインくらいもらっとけばよかったなぁ」

 ワタリは少し残念そうにしていた。

「まさかトップアイドル様と一緒にいるなんざ、この俺でもびっくりだったぜ」

 カズシはびっくりびっくり、と繰り返してから、急に俺の頭をわしゃわしゃにした。

「ったく、勝手にどっかいくんじゃねえぞ。心配すっからな。いいな」

「わ、わかった」

「ほんとにわかってんのかねえ、まあいっか」

 話しているうちにカズシのマンションにたどり着き、カズシが鍵をあけて初めにはいり、それからワタリ、俺と続いた。

「おかえり、シドウ」

「おかえりなさい、シドウちゃん」

「……ただいま」

 俺は靴を脱ぎ捨てて、居間へと入っていった。


【れんごうかいのにじゅうなな おわり】

【れんごうかいのにじゅうはち に つづく】

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