れんごうかいのにじゅうに
◆
ケーキを食べながら、みんなで自己紹介をした。
「俺はカズシ。誰もがうらやむパーフェクトイケメン」
「ボクのことはハルカゼちゃんって呼んでね。見た人みんな振り返る理想の美女」
得意げな顔で順番に話す二人は、息ぴったりだと思った。カズシさんが小さく「なにハルカゼって」と笑うと「ハルカゼ、ちゃん!」と言って、机の下で何かの音がした。
「お、まえ、俺、足、怪我」
「だーれが連れてきてあげたと思ってんの。感謝して?」
「絶対キャラ間違ってんぞ……」
青い顔をしてうつむくカズシさんの向かいでは、ヨウジュはそんなやりとりを全く気にせずに、二人に向かって自分を指す。
「俺はヨウジュ。クラスで二人組作ると余っちゃうほどの誰もが嫉妬する愛らしいDK3。頭もいい、顔もいい、家は医者、冷静沈着、相談役に向いてる、高学歴の予定アリ。身長はこれからまだ伸びるつもり。日本中の女子の憧れ」
カズシさんやハルカゼさん……ハルカゼちゃん?二人の自己紹介がかすんでしまうほどの自信のあふれた自己紹介。二人がぽかんとしているのにもかまわず、続けてヨウジュは言う。
「んで、こっちはサクラ。計算ミスは多いけど、素直でいい子で彼女募集中。どう、ネーサン、サクラとかいかが」
ヨウジュ本人の自己紹介に比べてえらく短い俺の紹介には、勝手に勧誘がくっついているし、それは昨日やったくだりじゃないかと思ったが、ハルカゼちゃんはまた楽しそうに笑っている。
「一回フった男は何回来てもだーめ」
「だって。残念だったねサクラ」
「残念だったねサクラちゃん」
「残念だったなサクラ」
昨日に加えてもう一人カズシさんまで加わって、俺のほうをみてニヤニヤしている。もうどうにでもなれという思いであははと笑う。カズシさんが元気になったからだろうか、ハルカゼちゃんの笑顔が柔らかくなっていて、安心する。
「それにしても、カズシさんが運ばれてきたときはびっくりしちゃったけど」
ヨウジュが紅茶を飲みながら言うと、カズシさんの背筋が少し伸びた気がした。
「あれ、まさか知り合いだったの、キミたち。気を使って、ここに運んだんだけど……」
ハルカゼちゃんが言う。気になって俺もヨウジュを見ると、うんうん、と、チーズケーキをフォークで切りながら頷いている。
「なんてったって、俺とカズシさんはね、ついこの前、シド……」
「あーーーー!!そうそう!!ついこの前遊んだんだよなぁ俺とヨウと!!二人でな!!俺ん家泊ってよ!!」
「いや、二人じゃな」
「二人だった!!な!!」
慌てたように笑顔で言うカズシさんと、そんなカズシさんをケーキを食べながらじっと見るヨウジュ。やがて、ヨウジュは、ああ、と頷く。
「そっか、サクラの前だから、シド……」
「わーー!!!!」
「……名前を言ってはいけないあの人の話はしちゃだめなんだね」
「魔法使いみたいに言うな!」
ところどころ聞こえず、何かよくわからなかったが、ヨウジュとカズシさんは仲がいいんだなと改めて感心し、ヨウジュは本当に交友関係が広いなと思った。初対面の俺と数日でここまで距離を詰めていくのだから、ほかの人とだってうまくやっていけるんだろう。あまり人とうまく付き合いができないタイプの俺は、ただ関心するだけだ。俺のほうも、カズシさんやハルカゼちゃんとは、いつもの初対面の俺よりもずっとくだけていられているようなきがして、これもヨウジュが傍にいてくれているおかげだろうか。
「ってかお前ん家、いいテレビあるじゃねーか。つけようぜ」
カズシさんが指したのは、居間の壁際に置いてあるテレビ。濃い紫色の布がかけられているが、一人で見るには大きすぎるものだった。ノリノリでリモコンを探しながら手に取り、テレビをつけようとしたカズシさんを見ながら、ヨウジュは口をもごもごさせながら言う。
「いまつけても、抗争のニュースしかやってないよ。面白くない、面白くない。それより、カズシさんに最前線の話を聞いたほうが」
「あーーーーー!!そうだなそうだな!!面白くねーよなァ!!やめとくか!!」
ヨウジュがもごもごと言うのに被せるようにカズシさんは陽気に笑う。くるっと体の向きを変え、こんな危ないもんはこっちに置いとこうな!とリモコンを戸棚の上に置き、席に戻ってきて、ヨウジュに、それから俺に親指を立てる。とりあえず俺も親指を立てると、ヨウジュも親指を立てて、なんとなく全員でハルカゼちゃんを見ると、少し間があって、親指を立ててくれた。そのままなんとなく、全員で黙って紅茶に口をつける。
「……抗争、か」
ぽつりと口に出すと、ネットニュースや学園の通達で言われた言葉、あらゆる「抗争」に関するものが頭に浮かび、そして……いま行方不明の兄の所在に結びついて、息を飲む。ヨウジュの横顔を見ると、ヨウジュも俺の顔を覗き込んでいた。眼鏡の奥のヨウジュの目は少し大きめで、じっと俺を見ていて、何もかもを見透かされているようで。ドキドキしていると、ほんの少しだけ口元をゆがめて言う。
「シドウさんは無事だよ。いま西にいないから」
「えっ」
そうなのか、と俺が言おうとしたとき、先に声を出したのはカズシさんのほうだった。けどすぐに俺を見て、何もなかったようにケーキに視線を戻す。なんとなくもやもやする気持ちのまま、改めてヨウジュを見れば、大丈夫だよ、と繰り返す。
「……ヨウジュはシドウに会ったんだよね」
「そうだね」
関係のない人がいる場で誰かの名前を出すのは嫌いだったが、それでも、いま聞いておかなければならないと思った。ほかの二人は何も言わない。俺は一間置いて、言う。
「シドウはどこ」
「気になるの?」
「気になるのって言うか、連れ戻さないと」
「え、なんで?」
「え」
なんでって、そりゃ。家出したんだから連れ戻さないと、とぼそぼそと喋ると、ヨウジュは俺の目をじっと見たまま、言う。
「なんで家出したの」
「……そりゃ」
ちょっときつく言っちゃって、と言う自分の声が、だんだん小さくなる。
「サクラこの前言ってたじゃん、外で楽しいならそれでいいかも、って」
「……で、でも」
「でも?」
「……あいつ、どうやってか知らないけど、何日かおきに連絡くれてたんだよ」
「え、シドウさんが」
「……そう、シドウなのに。なんか変だけど、さ、心配かけたくないんだってさ」
そこで何故かヨウジュは一瞬カズシさんの顔を見た。カズシさんは頬杖をつき、食べ終わったケーキの下敷きになっていた紙をフォークでいじっている。
「いま抗争してるし、無事じゃなかったら、って思うんだよ。それに物騒な世の中だし、あいつが一人で無事でいられるわけないよ。早く連れ戻さないと、心配なんだよ……」
どれだけ探しても、あいつの仲間に聞いても見つからなくて、だれも居場所をしらなくて。あの時、ただ俺が八つ当たり気味に怒鳴ったりしたから。ただそのせいで。
「サクラ~くんはさ、そのシドウが無事かどうか心配なの」
カズシさんの声に、俺は曖昧にうなずいた。
「……なんで?」
カズシさんの目にうつる自分の姿を見つめながら、少し悩んで、声にする。
「……兄だから」
家族だから。いま俺がシドウを探し、心配している、その理由にならない理由は、たったそれだけなのだ。
◆
雨が酷くなっていた。陽も落ちて、パフォーマンスに完全に支障が出てしまっている。人数もだいぶ減った。減った、というのは、つまり死んだということだ。
そう、あれだけいた仲間が、次々と。時に躓いてしまい足元を見れば、数日前まで私の前で笑っていた人、だったものだった。そんなことばかり続き、こぼれそうになる涙を振り払いながらも、引き下がるわけにはいかなかった。
そう、私は。リーダーである私が、引き下がるわけにはいかないのだ。私が下がるということは、つまり、そうやって私を信じていた部下を裏切ることに他ならないからだ。
「逃げないんだね、キミは」
「あら、安く見られたものですわね」
雨が酷く、体は冷たくなり、足は震え、顔もぐしゃぐしゃになり、それでも私は目の前の相手を睨みつけていた。気だけは、最後までしっかり持っていたい。それでも、本当は。本当の本当は、いまここですべて投げ出して、命乞いでも何でもして、死にたくない、と醜く喚きたい気持ちでいっぱいだった。
それでも。
「逃げません。私は、リーダーなので」
改めて声に出す。少し間を開けて、目の前の相手が一歩、また一歩と私に近づく。もう手元には、銃はなかった。残っているのは、大腿に仕込んでいるナイフだったが、それで男性に致命傷を負わせられるほどの力が出せるかはわからない。それでも、そっとナイフに手を添える。背中は壁。逃げ場はない。……みんな、どこかで戦っている。醜く悲鳴をあげたり、助けを求めるわけにもいかなかった。
ただ黙って、相手が近づくのを待った。気が付けば、もう、すぐそこだ。相手が手を伸ばす。思わず目をつぶると、濡れた手で、私の頬に張り付いた髪を、耳にかけられた。……意味がわからず、目をあけると、相手は何故か着ている上着を脱ぎ、それを私の肩にかけた。
「……濡れてるから、寒さは凌げないけれど」
「……どういう、おつもり、ですか」
「貴方に敬意を表したいから」
淡々と言う相手の言葉の意味はわからない。だが、戦う意思が弱まっているのだと感じた。……もしかしたら、不意をつけたら、もしかしたら。頭を回転させる。一瞬の隙を。チャンスを逃してはいけない。チャンスを!……相手の右手が、私の左頬に触れ、顎を捕まえた。何をしようとしてる。油断している?殺す前に体でも楽しむつもりだろうか。それならその気にさせて、隙を。相手の手に触れ返し、その目を見上げる。反対の手は、私の肩に触れ、それから下に降りていく……。どんどん冷静になっていくのを感じる。
そのまま顔が近づいた。私もそっと顔を近づける。身長の差はあれど、相手が腰を屈めてくれているので、距離は近い。機はいつだ。キスをするその時だ。もう唇が触れる。私もそっと、ナイフに触れる。そして……。
相手の手が、私の、ナイフに触れているその手首を掴んだ。
「……ごめんね。仕事じゃなければ、騙されて刺されてあげてもいいんだけど、手当が治療費で飛んじゃうから、見逃せない」
言葉を失った。体が動かなくなった。思考の糸が切れてしまっていた。何も考えられず、何もすることができない。そんな私の心中を見抜いているようなまっすぐな目は、どうして、何故かやさしく感じられてしまう。
「……目を閉じて。体の力を抜いて。できるだけ痛みを感じさせたくない」
私の頬に置かれていた手が、優しく私の両目を覆った。大きなその手も冷え切っている。暗くなった視界。……私はそのまま、両目を閉じた。
「遺言なら、伝えてあげるよ。……貴方の見せてくれた凛々しさの礼だ」
「遺言」
そう、遺言を、と相手は繰り返す。何故だか体に力が入らなかった。額に冷たい感触。銃だな、と冷静に考え、本当にここまでか、と思う。諦めてしまうと不思議なもので、いろんな映像が次々と、暗い視界に流れていく。
楽しかった日々。壊れた日常。死ぬ気で生きてきた日々。つらくても耐えた毎日。すべては高橋組への復讐のため。すべては。たくさんの記憶、ハルやマサキや、自治警察のみんなとともに戦った日々のこと。街を守ろうとしていたこと。それほどいろんなことがあったのに。なのに。
何故か最後に頭に浮かんだのは、ジャングルジムの上から見た景色だった。
◆
「いただきます」
翌朝、俺は食卓につき、カイトに合わせて挨拶をして、今日はついていたテレビをぼんやりと眺めていた。俺の隣と向かいでは、いただきますをしろだのしただのしてないだのと、またミヅキとカイトが言い争いをしている。寝起きだからだろうか、あまり気にならなかった。
カイトがつけたのはニュースだった。何かの特番のようで、別の番組を返上してお伝えするとかなんとか、そこそこ美人なアナウンサーは特に興奮する様子もなく読み上げる。
「ああ、抗争、終わったんですね。もっと長引くかと思っていたけど、思ったよりも短かった」
カイトの言葉で、改めて文字を読み直した。自治警察と高橋組の抗争の終了を知らせているのは、目立つような目立たないような赤色とオレンジ色の文字。俺からみたらめちゃめちゃ頭のいい奴とか、めちゃめちゃ偉い奴なんかが、それに対してどうのこうのと自分の意見を述べている。そうか、終わったんだな、と思う傍ら、抗争が終わったら遊びに行こうと言っていたセイラのことを思い出した。公園で遊んでいた時のキラキラした目。次は、どこへ連れて行ったら喜んでくれるだろうか。
「そうしたら、またレンゴウカイのみなさんに連絡しておかないといけませんね。活動の拠点、元に戻さないと。みなさんだいたいこっちにいらっしゃるでしょうから」
「……そうか、そうだな」
「俺、やっておきますね」
「ああ……」
任せてください、とほほ笑むカイトは頼もしい反面、なんだか胸にはざらついた感情が残る。白飯を口に入れて、そのまま全部、胃の中へ押し込んでしまう。
「……え、アサギリセイラ死んだんですか」
隣でミヅキが、口をもごもごさせながら言った。その顔を見れば、しっかりと眉間に皺が刻まれている。思わずカイトを見ると、カイトはテレビを見ながらぽかんと口を開けたままにしている。
俺もゆっくりとテレビを見た。中継、自治警察ビル。たくさんの記者に囲まれた見覚えのある建物。その入り口で興奮気味に喋るリポーター、押し寄せる人を入れさせまいとしている自治警察の男女は、やや押されながらも精いっぱい手を広げている。
『アサギリセイラさんが亡くなったというのは本当ですか!』
なくなった、という言葉はあまりにも聞きなれなくて、しばらくは意味がわからない。噛んでいた白飯がなかなか飲み込めず、ただひたすらに、噛んでいた。
『これからの自治警察はどうされるおつもりですか!』
『すみませんが、後日皆様に向けたお話はしますので…』
『リーダーはどうなるんですか!』
いくら止めても、記者は興奮気味に成員に詰め寄っていく。面白がっているのだろうか。見ている側としては、とても笑える光景ではない。
それよりも、何よりも、何度も繰り返されている言葉が、俺にはなかなか理解ができなくて。
『お前ら!!お嬢様を笑い者にしやがって!!』
詰め寄る記者を蹴飛ばし、胸倉をつかみ、噛みつかんばかりに怒鳴って出てきたのは、ぼさぼさの髪の、目を真っ赤にした、ハルだ。
『おじょうさ、セイラ様はお疲れっス!さっさとどっか行け!』
泣きながら怒鳴るハルに驚きつつも、記者はより面白いネタを見つけたと言わんばかりにカメラを構える。そんな様子にさらに苛立ったんだろうか、ハルは飛び掛からんばかりの格好だが、それを軽く持ち上げ、捕まえたのは、大男だった。自治警察のマサキ。マサキの登場に、記者の一団の空気が変わる。
マサキは喚くハルを片手で担ぎながら、もう片方の手で、足元のアスファルトを思い切り殴った。……すごい音がして、地面にへこみができる。静まり返った記者の集団に、咳ばらいを一つ、それからマサキは見回して、一言。
『本日はお引き取り下さい。詳細については後日会見を行います。質問も何もかも、その時にお受けいたします。……よろしいですか』
よくない、なんて言うやつはいないまま、テレビのリポーターも「それでは現場でした……」と言いながら画面からいなくなっていく。やがて映像はスタジオに戻されたが、しばらくは何だか微妙な空気が漂っていた。
「……アサギリセイラさんが」
カイトの声も、顔も、明らかにショックを受けている。そういえばカイトはセイラのことを尊敬していたな、と思った。人のためにと身を削っていたセイラは、確かにカイトと似ているような気もする。
「やっとあの女くたばってくれたんだ。これでリョウガさんの邪魔がいなくなりましたね」
隣でため息交じりに言うミヅキのほうは、せいせいしたと言わんばかりで、カイトはそんなミヅキを見て、ただ音を出さずに口をぱくぱくさせていたが、一度口を閉じてから、やがてまた口を開いた。
「お前、人が、一人死んだんだぞ。いまなんつったよ」
死んだ。カイトのその言葉で、何故だかすごく胸が痛い。テレビでは、今回の抗争の発端だとか、目的だとか、場所、犠牲者、期間が非常に短かった、自治警察は焦っていたのではないか、これまでの抗争の結果……などなど、それを他人事のように話し、時に笑い、時にわかったような口をきき、俺はそれを見て、なんだか胸の中がもやついていくのを感じていた。
……いや、そうか。他人事なのか、と思った。今まで街の為に、人のためにと力を尽くしていたセイラなんて、多くの人が知っていても、それはあくまで他人だったのだ。公園に目を輝かせたり、サーティワンの味を選ぶのに時間をかけて表情をころころ変えたり、ほんのひとときの夏休みを楽しみ、そしてそれをすべて捨て、またリーダーとして立ち向かっていったセイラのことなんて、だれも知らないんだ、たぶん。
ミヅキとカイトの言い合いが何か激しくなっているものの、内容を理解するのを頭が拒否していたし、なんだかどうでもよくなっていた。ろくに味がしないまま朝食を食べ終えると、食器を重ねて、流しにおいて、俺はそのまま玄関へと向かう。後ろから何か声が聞こえたものの、振り返ることはなかった。
玄関を出た。扉は勝手に閉まった。歩いていた。昨日、雨が降っていた名残だろう、まだ道路は濡れていて、あちこちに水たまりもあって、時に大きな水たまりに足を突っ込んでしまっても、やはり気にならないまま、ただひたすら歩き、気が付けば俺は走っていて、信号がどうだろうがただ、走って行った。
どれだけ走ったんだろうか。陽が高くなっていた。昨日の雨が嘘のような、夏の日差し。息が切れて、胸が、脇腹が痛くて、足はややふらついて、近くの建物の壁に手をついて、しばらく息を整える。そのままふらふらと、吸い寄せられるように歩いていくと、見覚えのある場所だった。
自治警察ビル。マサキが一度追い払ったものの、あたりは記者でいっぱいだった。ふらふらと近づいてきた俺に、はじめは視線が集中したが、やがてみんな興味をなくしていった。野次馬か、迷って来たか、とでも思われたのかもしれない。それもそうだ、俺の格好はパーカーにジーパン。自治警察とも、高橋組とも見間違えることのない服装だ。関係者だとも思われないだろう。ビルの入り口では、少し強面の自治警察の男が立って、記者を追い払っている。操られているかのように、俺はその入口へと向かっていく。
「いや、それにしてもまさか、あのアサギリセイラがあんな無茶するとはね」
ふと聞こえた言葉に、思わず足を止めた。二人組の記者のようだった。ちりちりに、動物のようなパーマをかけた髭面の男と、頭の薄くなった小太りの男だ。気色悪くにやつきながら、髭面は煙草に火をつけた。
「まあ、いい子だったけど、やっぱ若かったね。もうちょっと、面白いことになると思ったんだけど」
「高橋組に対抗する、だなんてね。いいエンターテイメントだったのにね」
エンターテイメント。意味は何だっただろうか。
「でもこれで自治警察はどうなるんですかね?リーダーが死んで」
「なくならないでしょ。なにせ、街のことなんでもボランティアでしてくれてんだよ。なくなっちゃ困るよな」
「そうそう、リーダーの都合でやめてもらっちゃ困るな」
「勝手に死んだようなもんだからな」
俺は気が付けば、愉快そうに笑い声をあげる二人組の記者の前にいた。二人はぽかんとして俺を見、お互いに顔を見合わせてから、また俺を見た。
「どしたのニーチャン。どこの記者?なんか用?」
聞かれても何も答えない俺に首を傾げながら、髭面が煙草を地面に捨てた。濡れた地面に落ちた吸い殻。ぐりぐりと、髭面の男は靴で潰す。煙草から出た黒い粉が、やや広がる。
「悪いけどさあ、俺らも仕事中だから。用がないなら」
その言葉を最後まで聞くことはなかった。髭面の男はそのまままっすぐ飛んでいき、別の記者に勢いよくぶつかる。ぶつかられた女性記者は悲鳴を上げ、飛びのいて、何が起こったのかと、きょろきょろしている。小太りの男は、俺の突き出た拳を見て、魚のように口を開けたり閉めたりしている。
「な、な、な、何してんだ、お前!」
思い出したようにつかみかかってきた小太りの男の手首を思い切り掴むと、バキッといい音がする。そのまま曲がらないほうに曲げて、腹に蹴りを入れてから、地面にたたきつける。小太りの男は呻きながら、もう動かなかった。
誰かが悲鳴を上げた。また別の男が俺の腕を掴もうとした。それを払って、足を振り上げてハイキック。女はさっさと散っていく。向かってくる男を投げているうちに、だんだんあたりに人もいなくなっていく。さっきまで記者でうごめいていた自治警察ビル前は、どんどん静かになっていった。潰れてしまった小太りを見ていた立ち上がった髭面は、俺と目が合うと、小さく悲鳴を上げる。逃げようとする髭面を追いかけ、シャツの裾をつかみ、それから首を掴んで、俺のほうを向かせる。威勢よく笑っていた表情は見る影もない。言葉にならない何かを懇願している髭面を引きずって、それから、さっき髭面が捨てた吸い殻が良く見えるように、頭を地面すれすれに振り下ろす。
「……セイラの街にゴミを捨てるな。拾っていけ」
手を離した。髭面は恐る恐る俺を見上げるが、すぐに悲鳴をあげながら吸い殻を拾う。それから逃げようとするその髪を引っ張って、全部拾え、と怒鳴った。頷いてこぼれた粉も拾い、それから小太りを置いて、さっさと逃げてしまう。……邪魔な小太りは蹴り飛ばすと、壁際まで転がって行った。
大きく息をついた。まだ見ている記者は、少し睨めばどこかへ行ってしまった。もう誰もいない。ビルの入り口を見れば、自治警察の男は俺をじっと見ている。ゆっくりと、なんだか熱く重たい空気をゆっくりと吐き出してから、それでも震えている体は、どうしてなのか、よくわからないまま。
「……レンゴウカイの、シドウ、なんだけど」
「……存じています、今日は何の御用でしょうか」
「……わからない。たぶん、セイラに会いに来た」
もやのかかったような頭で喋る。自治警察の男は一瞬間をおいてから、返す。
「セイラ様は、ただいまいらっしゃいません」
「……いつ帰るんだ」
「……私にも、わかりません」
「……会えないのか」
「……ここでお待ちいただけますか」
わかった、と頷くと、自治警察の男は中へ入っていく。俺はまた、息を吐き出した。吐き出しても吐き出しても、気持ちが収まることはない。時間が長く感じられて、もうこのまま自治警察の男はここへ戻って来ないんじゃないか、と思っていたころ、再びビルのドアが開いた。
そこにいたのは、もともといた強面の男ではない。それよりも大きなシルエット。圧倒される大男。
「よくぞお越しいただきました」
「……マサキ」
名前を呼ぶと、深く頭を下げてから、俺に入り口を手で指した。
「どうぞ、セイラ様……お嬢様がお待ちです」
ああ、と頷いて、入り口をくぐる。そのあとからマサキが入る。閑散としたビルの中。マサキについてエレベーターを昇る。何階へ行ったのかわからない。促されて下りて、案内されるがままに、いつか来たことのある部屋の前へ来た。入り口の両脇に立っている成員の男女は俺に軽く会釈をしてから、マサキにきちんと頭を下げる。それから扉を開けてくれた。
「どうぞ、中へ」
マサキに頷いて、俺は中へ入る。不思議と怖くはなかった。落ち着いていた。誰かのすすり泣く声が聞こえていた。ソファの上に寝かされているのはセイラだろう。顔にはタオルが、体には毛布がかけられているが、ふわふわとした黒髪が、ソファから落ちている。その傍にうずくまるようにして、ハルが泣いていた。入ってきた俺を見て、一瞬目を見開き、それから俺に飛び掛かろうとするのを、マサキが止める。抑えられながらも、ハルは俺を睨みつけながら、泣きながら怒鳴った。
「お前のせいで!お前たちのせいで!お前が協力していれば!お前の仲間のあの男も高橋組で!お前らのせいでセイラさんは死んだ!グルだったんだな!お前らのせいで!」
「……やめろ、ハル。……すみません、連れていきますので」
「なんで!?なんでっスかマサキ!レンゴウカイは自治警察を裏切ったんっスよ!お嬢様を!」
「……どうぞ、ごゆっくり。帰るときには、一度見張りに声をかけてください」
それでは、と言ってマサキは喚くハルを担いで部屋を出ていく。二人の自治警察成員も、部屋から出て、扉が閉まる。
部屋に残されたのは、俺と、セイラだけだ。
「……お疲れ、セイラ」
返事はない。俺はセイラの傍に腰かけた。
「抗争が終わったら、夏休みなんだろ。なあ、どこか行こう。お前が行ったことない場所、たぶんいっぱいあるよ。俺、バイク出すよ。後ろに乗せるよ。風に吹かれんの、意外と気持ちいいよ。お前もきっとハマるよ。どこ行きたい?どこがいい、なあ」
そっとタオルを外した。安らかな顔。額には大きな包帯が巻いてあった。俺といくつも年の変わらない女。すっかり冷たくなっているその頬……。
「……セイラ」
シドウ様、と俺を呼ぶ声が、どうしていま、ちゃんと思い出せないのだろう。
【れんごうかいのにじゅうに おわり】
【れんごうかいのにじゅうさん に つづく】
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