れんごうかいのにじゅういち


「それじゃあ、無事だったんだ」

 ほっとすると同時に、通学カバンが肩を滑り落ち、床で音を立てる。

「当り前、俺が治療したからね」

 看病も俺がしてるからね。無事でないはずがないよ。さらっと言うヨウジュのそんな言葉には、何かをひけらかすようなものも、相手に押し付ける傲慢さもない。ただ、静かに、けれど確かに自信を持っている、そんな感じだった。嫌味もない。そういうものは、俺にも、またはほかの他人にマウントを取りたがるうちの学校の生徒には、あまり見られないものだ。

「意識も戻ったの?」

「うん、一回戻ったんだけど麻酔きれてて、もう一回うって、寝ちゃって。さっきまた起きてた。いまはネーサンがついてるよ。サクラ今日絶対来てくれると思ってたから、ケーキ買い足しといたの。いまから紅茶いれるね。砂糖とミルクはどれくらいいれる?」

「えっと、なんか、甘めで」

「はあい、じゃあサクラは二人、呼んで来てよ。ティータイムしよ、あの二人は病室にいるから」

「ああ、わかった……」

 荷物は俺が預かりますよー、と言いながらヨウジュは俺の荷物を持ち、それから大げさに傾いて、わお、と口を動かした。

「このカバン、何が入ってんの」

「えっと……教科書とか、参考書とか、塾の課題とか……」

「ええ……」

 重たすぎ、サクラ、塾やめちゃいなよ、なんて勝手なことを言いながら、ヨウジュは俺のカバンを部屋の隅に置いて、鼻歌を歌いながらキッチンへ戻っていった。


 三回ノックして、少し間をあけて、扉を開けると、ベッドのそばに腰かけている水色の髪の女性と、ベッドに体を起こしている薄緑色の髪の男性。真っ白で簡素な病室に並んだ、美しい色。昨夜、結局名乗らなかった女性は、俺を見ると軽く微笑んで、ポカンとした顔で俺を見ている薄緑色の髪の男性に、俺を手でさしながら言う。

「彼、昨日、キミを連れて来た時に、一生懸命ボクのこと励ましてくれたの。とってもいい子なんだよ。優しい子、どこかの誰かにそっくりな」

 ね、と俺に微笑みかける女の人に、俺は少し照れて、頭を掻いた。男の人のほうはといえば、何故だか俺をじっとみて、そうだな、と気の抜けた声でしゃべる。

「思ってたよりよく似てんな、マジで……」

「……えっと、お知り合いに、そんな似てましたか、俺」

 やや困惑しつつも、初対面の人間と話のネタがスムーズにできたのをチャンスと捉え、俺はなるだけ自然に、男の人に話しかけた。笑顔、笑顔。学園内ではうまくできないけれど、学園外ではせめて、少し違ったサクラでいたい、と思った。

「んや、気ぃ悪くさせてたら悪いけど」

「いいえ、全然ですよ。えっと、お兄さんと話せる話題が見つかってよかった」

「あ、訂正。コミュ力が全然ちげーわ」

 ニヤ、と笑う男の人の顔から、足まで視線をずらすものの、もう山は去ったようだった。昨日はよく見ていなかったが、口元に黒いリング状のピアスが一つ。そんな知り合いは俺にいなかったから、物珍しくてじっと見てしまうが、相手がピアスを人差し指でなでたので、慌てて視線をそらした。そこで、あ、と思い出し、俺はまた、女の人と男の人の顔を見比べ、それから居間のほうを指さした。

「ヨウジュがまたケーキ……あ、またっていうか、昨日もケーキ食べたんですけど。お兄さんの回復祝いです、たぶん。紅茶入れてくれてるし、よかったらいかがですか。動けますか。俺、持ってきましょうか」

「んや、大丈夫、支えてもらったら歩けると思うから」

「よかった。じゃあ、行きましょう」

 俺は先に扉をあけて、あけたまま腕で抑えていた。背の高い女の人が、男の人の腕を肩にかけて、ゆっくりと支えながら歩く。やっぱりケーキを持ってくるべきだっただろうかと思ったものの、相手がいいと言っているのにこちらから押し付けるのは、あまり良くないだろう。二人が扉をとおってから、俺は扉をしめ、また次に居間の扉をあけようと、ゆっくり二人を追い越す。

「なあ、ありがとな、サクラ」

「いいえ、お気になさらずに」

 優しくほほ笑む薄緑色の髪の男性に微笑み返し、二人が通った扉を閉める。温かい、紅茶の匂いがする。オニーサンとオネーサンはミルクと砂糖いくつ?と聞くヨウジュに、二人がそれぞれ答えていく。テーブルには四人分のティーセットの用意。俺は男の人が席に座るのを手伝って、席につき、ヨウジュが一つずつ置いてくれる紅茶のカップを手にとり、一口ふくんで、あれ、と思い、男の人の顔を見た。相手もまた同じタイミングで俺を見て、に、と笑う。

 ……いや、昨日からヨウジュにはよく名前を呼ばれていた。お姉さんがそれを覚えていたのかもしれないし、やや男性に意識があって、聞こえていただけかもしれないし、よく覚えてないけど、さっき名乗ったかもしれないじゃないか。

 教えたはずのない名前を呼ばれることなんて、あるわけがないのだから。



 今日は昼から自治警察が元気だった。現場でアサギリセイラの姿を見たという部下の報告で、本社で調べものをするばかりではいけなくなってしまい、面倒だなと思いながら現地へ向かっていた。こんな時でも、運転手は自分だ。部下は出払っているし、出払っていない部下は休み。そもそもウチはホワイト企業じゃないんだから、俺の派閥くらいはホワイト派閥でいたい。

 それにしても、まさかボスが出てくるなんて、と思いながら信号待ちをする。それならこっちだってボスに出てほしいところだが、あいにく本日のウチのボスは、俺が出勤したころにはどこかへ出かけてしまっていた。一番近い部下であるにもかかわらず、その行先は告げられていない。まったく奔放で、困ったボスだ。また街をうろついて、何かを拾ってくるのではないか、と、地下で気色悪い趣味に華を咲かせている女を思い出し、ため息をついた。後始末は、いつだって俺の役目になるのに、どうして相談もなくいろんなことをするのだろう。

 そこまで考えて、アクセルを踏みながら、いや、と思い直した。ミラーに映った無茶な運転の二輪車を先に行かせて、俺はゆっくり走る。命を失うかもしれない場所に出向くのだから、せめて行く途中では、絶対的に安全運転でいこうと思っていた。……拾いものをするのは、何もあいつのほうだけではない。人のことばかり責めている資格はない。ぽつ、ぽつ、とフロントガラスに一粒ずつ吸い付いて来る雫をウインカーで取り払いながら、雨だな、と思った。

 あの日も雨が降っていた。俺も一度だけ拾いものをしたことがあった。いつものように、どこかへふらっと消えたボスを探しに、裏路地という裏路地を歩いて探した。部下をつかった人海戦術なんてできる時間ではなかった。それに、あの日は俺も、一人で夜の街を歩くというのを楽しんでいたのかもしれない。結局流れ着いたのは本通りの飲み屋街だったが、それでも目立つ銀色の髪は見つけられなかった。呆れ、一本裏通りの道に入ったとき、足元の何かに躓きそうになり、視線を下ろすと……。

「……やめよう、勤務中だ」

 彼女のことを考えるのは、勤務時間外のみと決めている。やや激しくなった雨の通りを慎重に運転しているうちに、現場へ到着して、更に思考を振り切った。ここが戦場だ。

 地面に転がっている部下を揺り起こすが、これはもう手遅れのようだった。雨だが、傘をさせる状況ではない。スーツのクリーニング代は、今度こそ会社持ちにしてもらえるだろうか。風邪をひいたら労災がおりるんだろうか。握り慣れた銃を手に持ち、前線へと向かっていった。


 戦況は不利ではないが、今までで一番手こずってはいるようだった。リーダーが出てきただけはあるのだろう。ひとまず後ろのほうで死にかけている部下のために、抱えている医者を呼び、集められるだけ負傷した部下を集めておいて、それからまた、すこし前線へと向かった。もう助からないであろう奴らは、あとできちんと集めて供養するために、場所だけ把握しておく。申し訳ないが、いまは彼らにかまっている余裕はなかった。今回は少し犠牲者が多いな、と数字を考えた。今後の処理を思えば、ため息も出てしまう。

 壁に隠れ、隙をついて一発。追い込まれ、足を怪我している部下を狙っていた男の頭を撃ち抜く。ユウキさん、と気の抜けた声を出した部下は、もう戦えないだろう。肩を貸し、少し後ろに下がらせてから、医者を呼んだから、あとは自力で下がってくれ、と指示をする。部下は泣きそうになりながら頷き、這うように去っていく。彼は中卒でウチに入ったはずだがまだ戦闘は何度目か。心細かったのかもしれない。これが終われば、飯にでも連れて行ったほうがいいかもしれない。部下のメンタルケアは、上司の仕事だ。

 転がっている死体の中には、ウチの部下だけでなく、自治警察の制服を着ている者もいた。男女関係ない。撃ち抜かれているだけの者、ナイフでえぐられたような跡のある者。……服の乱れている女性の遺体に上着を被せ、目を閉じさせる。そしてまた、俺がそうせずとも、そうしてある遺体をいくつか見つけ、胸をなでおろす。自分が戦った相手には敬意を払うべきだというのが信条だったし、部下にもそう話していた。それが伝わっているのは喜ばしいことであるし、反面、当然のことであるとも感じていた。あの女の派閥などは、女性の死体に悪戯するような男もいるようだが、そんなやつはウチには入れたくない。

 前線ではさすがに激しい戦闘が行われていた。ゆっくりと、息を、気配を殺して近づいていく。陰で隠れて機を待っている部下の一人と目が合った。頷くと、相手もまた頷いた。これで、現場に俺が来たことは知らせられただろう。一人でも味方が増えれば、それがどんなに無力でも、心強くなれる、そんなものだ。

 吹っ飛んでいく部下を横目で見ながら、面倒な奴がいるな、と思い、様子を伺いつつ、裏に回る。二メートルを超えるナノメマサキという大男がいる。予想通り、部下を殴り飛ばしているのは彼のようだ。表情の感じられない、冷気さえ感じられるその姿。一緒に飲みたいとはあまり思わない。俺はスーツの下から手早く銃を引き抜き、狙いを定め、引き金を引いたところでマサキと目が合う。外した。しまった。相手は銃を撃つではなく、そのまま俺めがけて銃を投げる。かわしたところで、別の方向から飛んできた銃弾が頬をかすめた。

「高橋組のナンバーツー、タカハシユウキね」

 興奮しているのだろう、昂ぶりをはらんだ若い女の声。やや予想をしていたため、やっぱりか、と思いながら立ち上がり、しかし引き金には指をかけたままにした。いつもは小綺麗にしている彼女は、今日は明らかに戦士だった。髪は服の下に入れ、目つきは鋭く、小柄ながらも、そのオーラは揺らいでいない。

「自治警察のボス、アサギリセイラだね」

 名前を名乗り合うのが礼儀なのだろうが、名前を呼ばれたので、呼び返す。俺が呼び捨てにしたことが気にくわなかったのだろうか、彼女の表情がややきつくなった。まだ幼いな、と考えて、いや、やめておこう。対等な立場であるのに、相手を軽んじる材料を探すことは、醜い行いだ。

「今日、抗争を終わらせます、わたくしの手で」

 銃を構えながら、彼女が言う。俺たちが話を始めてから、自然と両者の部下たちはいったん自陣へと引き、上司の指示をいまかいまかと待っている。凛とした、正々堂々とした、その姿。これだけ若く、小さな体で、高橋組に歯向かうだけの一派を作り上げていた。ウチを潰そうとするだけでなく、街の治安を善意で守り、これ以上荒れた街にならないようにと日々奔走していた彼ら彼女らの活躍は、この街で働く者として当然知っている。一般市民から見れば、俺たち高橋組は悪、彼女ら自治警察が正義だろう。そして、正義はどんなドラマでも、映画でも、本でも、たいていの場合、勝つのだ。どれだけ少数でも、矮小な強さでも、意志の強さ、正義を思う心、愛する力、そんなものが悪を上回る。それこそ多くの人が求める結末であり、理想だからだ。

 ……理想、だからだ。

「終わらせる、そうだね、手を引いてくれるのかな」

 投げかけた言葉に、セイラは一瞬ぽかんとし、次第に顔を赤くしていった。怒りの色。

「それはわたくしたちへの侮辱と受け取ってよろしいのかしら。謝るならいまですが」

「いや、侮辱のつもりはないが……キミも人の上に立つ者なら、冷静に状況を判断したほうがいい。自治警察は西地区でそれなりの勢力にはなっているが、高橋組には到底及ばない。……今回だって、組の全派出動させることなく、ウチの派だって全員出勤には及んでいない。今日も、俺は来る予定ではなかった……ところがキミたちは、ほぼ全員毎回出動し、今日に至っては、ボス、およびその側近まで来ているじゃないか。これが勢力差だよ。……キミもここに来るまでに見ただろう。これ以上、部下を犠牲にする必要はないんじゃないか」

 話を黙って聞きながらも、セイラの顔はみるみる赤く、目は潤み、冷静さを欠いていっているのが見て取れる。……ああ、若いな、と思った。若さは確かに武器だ。壁の向こうには希望が必ずあると信じ、壊れない壁はないと信じ、自分はいずれ必ずその壁を乗り越えると信じられる強さ、それが若さだ。

 だが時に、若さは毒となる。銃を構え直す自治警察の構成員、何か言いたげにわずか数秒ボスの顔を見つめていた側近のマサキを見、しかし俺に向ける視線を変えることのないセイラを見、俺もまた、銃を構え直した。俺の動き一つで、こちらもまた、全員が戦闘態勢をとる。

「わたくしたちは、勝ちます。今日、必ず。そして、この抗争を終わらせるの。……貴方も、やり残したことを、あの世で悔いるといいわ」

「……キミは、最後に連絡を取りたい人にはとったかい」

 そこで初めてセイラの表情から怒りの色が消えた。そのあたりを普段歩いているような、遊び歩いているような少女らとなんら変わらない、年頃の娘の顔。なるほど、いつも俺たちに噛みついてきていた小さなボスの素顔を初めて垣間見た気がした。だがしかし、それも本当に一瞬のこと。連絡を取り始めることもなく、その相手への未練を口にするでもない。もう、彼女は言葉を発しなかった。

 話をしている間に並んだそれぞれの成員の数は、数えるまでもなくウチのほうが多い。それでもひるまない自治警察成員それぞれの表情、それからボスの凛々しい姿に、敵として賞賛を送るべきだと考えた。

 敵にとって最高の賞賛とは、手を抜かないことだ。

「じゃあ、抗争を終わらせようか」

 誰かの銃声をスタートの合図として、雨の日の抗争が始まった。



「味うすい」

「健康的だろ」

「あたしだけお肉少なくない?」

「少なくない。均等」

「ねえ、キノコいらない」

「ミネラルを取れ」

「シドウさんあげますよ」

「シドウさんだめですよ」

 話しかけられるたびに、えっと、えっと、と言葉に詰まっている間に、話題はどんどん先へ先へと進んでいく。なら話に参加するのはやめてしまおうかと思ったところで、思い出したように名前を呼ばれてしまうから、慌てて返事を探していると、また話題は次へ行っている。言いかけて言えなかった俺の言葉は、口の中の米粒に吸い込まれて、そのまま胃袋に押し込まれていく。

 ミヅキの話を聞いた後、なんだか気まずいまま時間はすぎ、夕飯時になった。だが、改めて居間に出てきたミヅキは、俺に冷たく当たるでもなんでもない。いつも通りだった。俺のほうが、若干ぎくしゃくしてしまう。

「シドウさん」

「え、あ、あ」

 カイトに名前を呼ばれて慌て、また言葉に詰まっていると、カイトは首を傾げながら、俺の茶碗を指さす。

「ご飯も味噌汁も魚もがめ煮もおかわりありますよ。つぎましょうか」

「あ、あ」

「なんですかそれ、カオナシ?真似うまくないですよ」

「ミヅキ、お前は口にものいれたまま喋るな」

「カイトはアニキヅラしないでよ、うざすぎ」

「シドウさんどれくらいついでいいですか?」

「え、えっと」

「シドウさんなんだから山もりでしょ?そんなことも聞かないとわかんないの?あったま悪いんだから」

「そんなに食べたくない日もあるかもしんないだろ。だいたいお前はいつもそうやって人に聞かないで行動するから」

「あー!出た出た、いつもそうやってって関係ない話持ちだしてくるやつ。女みたいでねちっこくて無理なんだけど」

「何か言われるたびに口答えばっかりのヤツとどっちがいいだろうな、はいシドウさん、普通についじゃいましたけど」

「あ、ありが」

「シドウさん~、あたしの野菜もあげますよ。美少女の皿にはいってた野菜とか、食べたいですよね。食べたいですよね。食べたいですよね?」

「え、っと」

「だから人に押し付けるな。どうせお前はウチに来てないときはろくなもん食べてないんだから」

「もー!お母さんみたいなのやめてよ。そんな口うるさいから彼女できなんじゃないの!?」

「お前が手がかかるから彼女なんか考える暇ないんだよ。それに結婚もできない学生のうちから人と付き合う必要がそもそもないだろ。学生の本分は勉強なんだから」

「はあ~?もう発言が童貞なんですけど。まさかあんたも不能なの」

「は?なんだって?」

「カイトには聞き取れない高度な話してたの。二度は言わないわ」

「なんなんだよ、マジで」

 ため息をつくカイトを見ながら、なんなんだろうな、マジで、と頭の中で思いながら、俺は勝手に振り出しに戻ってしまった食事に手を付けていく。胃袋は振り出しには戻らない。今日はそんなに腹が減っていなかったなと思いかけて、いや、俺はめちゃめちゃ腹が減っていたんだと思い直す。実際、カイトがつくった煮物に焼き魚、豆腐の入った味噌汁はとてもうまかった。気持ちとしては、山のように食いたいところだ。

 食卓に、俺はミヅキの隣の席、カイトは俺の向かいの席。ミヅキとカイトは終始言い合いをしながら、時に俺に会話を投げるだけ投げながら、夕飯を食べている。言葉のドッジボール。俺は球がとれないまま、外野に出たのに引き続き内野から狙われている、そんな気分。あるいは、武器なしでケンカしようって言って集まったのに、バットで袋叩きにされてる気分。ツーリングに行こうと誘われて待ち合わせ場所に行ったら、俺だけ別の場所に行って数時間待ち続けていた時のような……いや、最後のは違うような気もする。

 やがてミヅキは夕飯を……主に野菜をところどころ残し、何も言わずに黙って席を立ち、我が物顔でカイトの部屋へと入っていく。

「おい、ごちそうさまは。食器くらい片付けろ」

 ごちそうさま!という不機嫌な怒鳴り声が扉越しに響いて、それから静かになった居間で、悲しそうにため息をついたカイトは、俺と目が合うと、すいません、と言って笑い、ミヅキの食べ終えた食器を片付けている。ミヅキと言い合いをしていた時のような感じではない。寂しそうな、力のない背中。

「……なんでかな」

 小さなカイトの呟きが居間に響いて、そのまま俺の胸も締め付けられるようだった。カイトは何もわかっていない、と昨日言っていたミヅキも、なんでかと呟くカイトも、とても近い場所で、けれどずっとすれ違っている。

 違うんだ、と言いたいのに、何が違うのか俺にはよくはわからなくて。どういえばいいのだろうか。どんな言葉を言えば、ミヅキに、カイトに、二人の気持ちをきちんと伝えられるだろうか、いや、それよりもまず、ミヅキのことも、カイトのことも、きっと俺にはわかっていなくて。まずはそこからで。

 それよりなにより、俺は、この二人の真ん中にいる俺は、一体どうすれば、何をすればいいんだろう。答えは誰に聞けばいいんだろう。

「……多かったですか。それとも、口にあわなかったですか」

「え、い、いや」

 はっとすると、俺が考え事をしている間に、もう向かいの席にカイトが戻ってきていた。寂しそうな笑顔で言う。俺はうまく出てこない言葉を待たずに首を横に振ると、勢いよく夕飯を口に放り込んでいく。うまいのはマジだからな。勢いよく食べ終わった俺を見て、カイトは少しだけ、ほっとしたような顔をしているように見えた。

「……すいません、気分、悪かったでしょ。言い合いばっかりで」

 カイトも食べ終えて、俺の食器と自分の食器を重ね、流し台へと運んでいく。俺も慌ててついていく。ゆっくりしていてください、と言うカイトに、手伝わせてほしいというと、皿を拭くタオルを一枚渡してくれた。

「……なんか、話、聞けました?ミヅキから」

「……えっと」

 カイトには内緒ですよ、と言っていたミヅキの声がよみがえって何を言おうか迷っていると、カイトは優しく笑う。

「内容はいいです。あいつがシドウさんに話したなら、それでいい」

「……そうなのか?」

「……ですが……お願いがあります」

 流し台に汚れた食器を置き、カイトはまず水で皿をこすってから、一度水を止め、洗剤をスポンジにつけなおして、一つずつ丁寧に洗っていく。すべての食器を洗い終えたところで、また水を流し始め、泡を丁寧に落としていく。綺麗になった皿をカイトは若干ためらいながらも俺に渡し、俺はそれを拭き上げて、ひとまず台所の上に、同じ種類のものを重ねていく。力を入れて、割ってしまわないように気を付けながら。

「図々しいお願いかもしれませんが、これからもずっと、ミヅキを支えてやってほしいんです」

 申し訳なさそうにカイトは言った。

「俺、あいつが気を楽にして関われる相手が俺以外にいないと思ってたんです。だから、俺が支えないとって思ってて。でも、あいつはシドウさんのこと、とても信頼してるようですし……何か話してくれたのなら、ミヅキにとってシドウさんは大きな存在なんだと思います。シドウさんさえよければ、あいつを支えてやってほしい……あいつの隣にいてほしいんです」

 シドウさんさえよければ、ですけれど。と繰り返すカイトに、俺もあいつのそばにいたいけど、と答えると、安心したように笑う。直接会った時にはなかなか言えないようだけど、カイトは本当にミヅキのことを心配して、大切に思っているのだと思った。

「……シドウさんみたいな人だったら、ミヅキの恋人にでもなってくれたらいいな、なんて思ってしまいますね」

「え」

「冗談ですよ。あのおてんばの恋人なんて、なかなか務まらないでしょう」

 ははは、と笑うカイトに、うまく笑えないまま唾を飲み込んだ。

 あたしは貴方に抱いてほしい。

 そう言っていたミヅキの声が、顔が、蘇り、頭が痛くなる。あの時、ミヅキに手を伸ばすのが正解だったんだろうか。言う通りにしていれば、ミヅキは本当に気が楽になったんだろうか。

 ふとカイトの部屋の扉を振り返った。……リョウガさんの一番の女。それが、ミヅキの求める幸せなんだろうか。街を変えてほしい、と言ったのは、何故だったんだろう。それも、リョウガの為なのだろうか。定期的に会えるのが、そうやってリョウガに抱かれることが幸せなのだと、それなら、なんで俺にも同じことを言うんだろう。俺だけでなく、いろんな男に体を売ったり、ナンパしてみたり、男に色目をつかっているんだろう。目的があって街をふらついているのが本当に幸せなのなら、本当に、リョウガのことを思うだけで幸せなのなら。

 どうして、ミヅキは俺の隣で、あんなに悲しい顔をするんだろう。


【れんごうかいのにじゅういち おわり】

【れんごうかいのにじゅうに に つづく】

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