れんごうかいのじゅうはち


 嘘をつくような人間にはなるなよ。

 いつもぼんやりとしていて、一人で生きていけるか不安になるような兄に、今まで口酸っぱくして言っていた言葉が、跳ね返って、自分の頭の中で響く。大きなため息をつくと、隣で漫画雑誌を読んでいた友人は顔を上げ、首を傾げる。慌てて、何でもないよと笑顔を作った。

 自分のやったことは必ず返ってくる。いいことも、悪いことも。


 ヨウジュはいつも唐突だ。昼休み、今日も二人で弁当を並べていたときだった。食べながらやろうとしていた俺の課題のノートを勝手に奪い、中を添削しながら、俺も見慣れた冷凍食品のチーズ入りミニチキンカツを食べながら、言う。

「サクラ、今日暇でしょ」

 でしょ、と言い切るヨウジュの顔には自信がある。突然の申し出にぽかんとしてしまっものの、俺はすぐに首を横に振った。

「今日は帰ったら塾にいかないと」

 そう答えると、ヨウジュはわかりやすく両頬を膨らませた。

「塾と俺、どっちが大事なの?」

「え、なにそれ」

「塾と俺、どっちが教えるのうまい?」

「……ヨウジュかなあ」

「じゃあウチで合宿しよう」

 手を叩き、名案だね、そうしたほうがいいよ、とヨウジュは続け、手を叩いた拍子に少しずれた眼鏡をかけ直した。

「いや、合宿って」

「もうすぐ試験だし、いいでしょ」

 そう言われてみれば、たしかに期末試験が近づいてきている。奨学金を落とさないためには、今回も死ぬ気で頑張らないといけない。既に最近置いていかれている自覚のある範囲で、なんとかできるだろうか、と不安もある。塾で長々と教わるよりも、ヨウジュに一瞬で教わった方が早いことは、ここ数日で、既に気づいていた。

「でもウチ、泊まり、禁止だから」

「俺と塾どっちが大事なの?」

 また両頬を膨らませるヨウジュ。その言葉はさっきから棒読みだ。

「さっきからそれ、なんなの」

「あの女の方がいいのねえ。サクラってば、いつもそうよねえ」

「先生、男の人だけど」

「塾の合宿なら許してくれないの?」

「塾の合宿ってそんな、嘘ついてまで」

「いいじゃん、一日くらい。俺と熱い夜を過ごそうよ」

「なにそれ……」

 そこでチャイムが鳴った。ヨウジュは、いいじゃーん、と言いながら、席に戻っていく。少し離れた、俺よりも後ろの席だ。俺は慌てて食べきれなかった弁当を片付け、授業の教科書を広げた。予習はしたものの、わからないところだらけで、始まった授業でも、俺程度が持つ疑問なんて、ろくに触れずに進んでいってしまう。なんだかつまらなくて、ぼんやりと、教師が板書するチョークの先を見つめる。

 なんとなく心のどこかで、俺の中にあった、友人の家への外泊への憧れが膨れ上がるのを感じていた。もともと人見知りで、けっこう引っ込み思案なこともあり、泊まりに誘ってもらったことすら初めてだった。もう、二度と誘ってもらえるかわからないよな、と思いながらも、親には許してもらえないだろうな、とも思う。でも、塾はこれからも毎晩ある……。

 ぼんやりとしていると、後ろの席から背中をつつかれた。授業をする先生の視線を気にしつつ僅かに後ろを振り向くと、特にふだん、話したことの無い男子生徒から、折りたたまれた小さな紙切れを渡される。首をかしげながら、前を向いてこっそりそれをあけてみる。雑に破かれた、ノートの切れ端。見覚えのある丸いシャーペンの字が、罫線にそわずに並んでいる。

『部活おわったら校門の前ね』

 まだ返事、してないのに。ヨウジュの強引さに呆れていると、何ニヤニヤしてるんだ、と、先生と目が合って、慌てて顔を手で覆った。

 

 家に帰り、着替えや洗面道具に、それからちゃんと勉強道具も準備をして、ドキドキしながら嘘を並べ立てると、既に帰っていた母親は何も疑わずに頷いた。記憶にある中では、親に初めてついた嘘だったかもしれない。頑張るのよ、と背中にかけられた言葉に、胸が傷んだ。

 外はもう薄暗い。家から少し離れた電柱のそばで待っていたヨウジュに手を振ると、ヨウジュも手を振り返す。

「うまくいったね」

「うまく、いったのかはわからないけど」

「うまくいったんだよ」

「そうなのかな」

 なんとなく不安な気持ちになりつつも、ヨウジュに案内されるまま歩いていく。結構歩くけど頑張ってね、と言われたが、体力に自信が無いわけではないので問題ないと答えた。演劇部は文化部と言われるものの、やってることは運動部と同じだ。体力がないとやってられない。

 今まで俺は治安が悪いと言われている西地区の近くへ来ることはほとんどなかったから、たとえば山のように落ちているゴミだとか、壁一面の落書きだとか、柄の悪そうな人達だとか、そういったものにいちいち驚きながら歩いた。けれど恐らく、このあたりの日常では普通のことなのだろう。ヨウジュは特に変わらない様子で、相変わらず抑揚のない喋り方でいろんな話をしているが、その言葉のどれもが俺の耳をそのまま抜けていく。

「ついた。ここだよ」

 足を止めたヨウジュを見てから、俺も歩くのをやめた。ヨウジュの家の外観は、小さく、少し古そうであるものの、ふつうの一軒家だった。入口の門やポストは錆びて汚れており、壁には「和泉医院」と書かれたボロボロの黒い木の板が立てかけてある。そういえばヨウジュの家のことは何も知らなかったな、と思った。ミナヅキの生徒だし、もしかしてすごい豪邸なんかに案内されたらどうしよう、と途中不安にもなったので、家の大きさにはすこしほっとした。

「家、お医者さんなの?」

 医院、という文字を見て、なんとなく口にする。そういえば、まだヨウジュの家のことは何も聞いたことがなかった。けれどヨウジュは、たぶんね、と軽く答えただけだった。

「たぶんね、って」

「ふつーじゃない人のための、ふつーじゃない医者の病院だよ」

「そ、そうなんだ」

 珍しく、ヨウジュはそこからしばらく黙っていた。もしかして、聞いてはいけなかったことだっただろうかと思いながら、俺も黙ってヨウジュのあとに続く。玄関の扉は、油が足りていないと悲鳴をあげていた。

 ただいまあ、と間延びしたヨウジュの声に、返事をする声はなかった。ヨウジュが電気をつけると、外観よりも廊下は長く続いているような気がした。ヨウジュのあとについて、段の高い階段を登っていく。チカチカする明かりを見ながら、「電球買ってくるの忘れたなあ」と、ヨウジュが呟いた。

 

「サクラ、かたいよ」

「え」

 ヨウジュは手元の漫画本を閉じ、眼鏡をかけ直すと、大きく欠伸をしながらカーペットに横になる。手招きされて近づくと、ヨウジュの隣の床をぽんぽんと叩かれる。首を傾げると、もう一度。

「サクラの家みたいに過ごしてよ。ごろごろしよう」

「……カーペットの上で寝転んだりは……家であんまりしない、けど」

「なら訂正、サクラの家よりリラックスしていいよ。というか、ウチの子になっちゃえば。イズミサクラ」

「それはちょっと」

「ほら、はやく、イズミくん」

「イズミくんはそっちじゃん」

 ヨウジュが床を叩くのをやめないので、恐る恐る隣に寝転んでみる。床よりは柔らかいが、ベッドよりは硬い。そういえば、カーペットに横になるのなんて、いつぶりのことだっただろうか。隣に寝転ぶヨウジュは目が合うと、少しだけ口元を緩ませた。

「のんびりしていいよ。今日は親父、いないからね」

「出張で診察、とか?」

「お金払ってオネーチャンと遊ぶとこだと思うよ」

「……キャバクラ、みたいなやつ?」

「ソープだと思うけど。本番まで入れて30000円ポッキリ、って」

「あ、そ、そう」

 ヨウジュは何も気にした様子なく微笑むが、俺はなんだか聞いてはいけなかったことを聞いたような、そんな気分になっていた。慌てて、次の話題を探す。

「あ、えっと、お母さんは」

 ヨウジュは穏やかな顔のまま、緩く首を振る。

「いないよ。俺、母さんの顔知らない勢」

 それを聞いて思わず、ごめん、と目を伏せると、ふふふ、とヨウジュは笑う。

「気にしないでよ。女にだらしないけど、いい親父だから、何も困ってない。医者としては腕は確かだしね」

「やっぱり良いお医者さんなんだ」

「まあ。開いてる時間は気まぐれだけど」

「なにそれ」

「ウチの患者さん、昼間とか平日とか、来る日決まってないの」

「へえ」

「あ、でも、いまはね、繁忙期」

「……それは、お父さんいなくて大丈夫なの?」

「誰か来たら俺がやるからね」

 当たり前のことのように、ヨウジュは言う。

「俺がやる、って」

「腕いいよ、免許ないけどね」

 あはは、と棒読みしたヨウジュを見ながら、冗談だろうか、と少しだけ悩んだ。そのままヨウジュはごろごろと寝返りをうちながら、大きくあくびを一つ。

「でも、たぶん来ないから、ゆっくりしよ」

「そっか」

「サクラ、勉強するなら付き合うよ」

「……うん」

 ごろごろとこっちへ来たりあっちへ行ったりするヨウジュに答えながらも、なんとなく、今日くらいは勉強しなくてもいいんじゃないか、と思っていた。のんびりゆったりと流れているこの時間を早めたくないのかもしれない。初めての友人宅への外泊。初めて仲良くなった友人との時間。いつも余暇の時間をなくして勉強しているんだから、今日くらい……なんて。

 けれど、俺が遮るまでもなく、穏やかな時間は終わってしまった。

 前触れもなく響いたのは、ガンガン、と勢いよく乱暴に扉を叩く音。俺はびっくりして飛び起き、とりあえずヨウジュを見る。寝たままのヨウジュの口は、あ、の形になっていた。のんびりと起き上がり、階段を降りていくヨウジュについていくと、その間にも、何度も扉を叩く音がする。近づいてくると、悲鳴に近い声がした。

「開けて!!オヤジ!!怪我人だよ!!はやく!!死んじゃう〜!!ねえねえ!!死んじゃうよ!!」

 明らかに焦っている、泣き出しそうな誰かの声を聞きながら、ヨウジュは特に急ぐでもなく、俺をみて、ただ両手を合わせる。

「ごめん。来ちゃったね」

「あ、ああ」

「サクラよかったらお手伝い、してくれる?」

「て、てつだい!?」

 一体何の手伝いなのか。構えた俺に、簡単なことだから、と呟いたヨウジュの顔は、もう緩んでいない気がした。

「……できる、ことなら……」

 ヨウジュはガンガンと叩き続けられる扉をゆっくり開けた。俺はいまいち頭が追いつかないまま、扉を開けた先にいる、血塗れのスーツの男性と、それを抱えた泣き顔の女性を見つめていた。

 

「サクラ、言ってたよね」

「え、な、なにを」

 家の奥の部屋は、よく見る小さな診療所のようになっていた。白を基調としたベッドが二つ、カーテン、丸椅子、棚にはよくわからない器具や薬品のようなものがたくさん。隅にある机にはパソコンと、ファイルが何冊も立てかけてある。病院だな、と、当たり前のような感想が出た。

 ヨウジュは血塗れで気を失っている男の人を見ても、その男の人が黄緑色の髪をしていても、何も気にしていない様子で、ただいつもと同じふうで、手元だけは男性の服を脱がし、傷口を拭き、消毒し……俺はあまり傷を直視していられずに、目を背けた。

 その様子を隣で椅子に座り、泣きながら見ているのは、床につきそうな水色の髪の、黒いドレスのような出で立ちの女の人。体格はしっかりしていて、背は高い。履いているブーツの踵も、かなり高い。綺麗でかっこいいタイプの美人だと思った。

「ほら、好きな女性のタイプの話」

 あ、サクラ、そこの箱とって、と言われ、視界の右端のプラケースをとった。中にはなにかの薬品が詰まっているけど、特にラベルもついていないので、俺には何が何だかわからない。ヨウジュはそこから慣れた手つきで瓶を選び、足元にプラケースを置いた。

「サクラの好きな女の子のタイプ、水色の髪でゴスロリ来た背の高い美人さんだったよね」

「は?いや……っていうか、そんな話したっけ」

「ね、そうなんですよ、こいつ、お姉さんみたいな人がタイプだって。出会えたの、運命かもね。ね」

 ヨウジュがそういうと、女性はぽかんとして涙を止める。それを見て、あ、なるほど、と頷いた。ヨウジュはこの人を元気づけようとしているんだろう。それなら、ノらない手はない気がした。

「そ、そうなんですよ。俺、お姉さんみたいな人と付き合いたかった、な、って」

 そういえば俺はアドリブが下手だったな、と思い出したのは、うまく口が回らなかったあとだ。

「……過去形なの」

「あ、いや、今もですよ、もちろん」

 失敗したかな、と思ったものの、涙を止めた女性は微笑んだ。

「ボクのこと口説くには、まだまだだね」

「お、サクラ言ってたよね、一人称がボクだったらなおいいって」

 どんどん勝手に俺の好みの女性に特徴が加わっていくけれど、俺は何も言わずに頷いた。女の人はさらに優しく微笑んだ。

「ふふふ、ありがと。ボクってば魅力的だからなぁ、でも〜ボク、いま、好きな人いるから。ごめんね」

「あーあ、サクラ、残念だったね」

「そう、残念だね、サクラちゃん」

 何故かヨウジュと女の人に慰められるような空気になって、ちょっと恥ずかしくなって頭を掻いた。なんで、と思いつつも、女の人が元気になったのなら良いかと、息をついた。

「ねえ、今日、オヤジいないの、どこいったの」

 それからしばらくして、再び不安そうに、女の人が言った。オヤジというのは、サクラのお父さんのことだろうかと思った。ヨウジュは左手をひらひらさせて答える。

「オヤジいないよ。代わりに俺」

「で、キミは誰なの」

「オヤジのセガレ」

「セガレかあ」

 名前とかじゃなくてそれでいいんだ、と思いつつも、女の人はまだ不安が残っているようで、浮かない顔で、ヨウジュが治療している男の人を見ている。ヨウジュは足の傷口を開いて、何かを……いや、もう、ちょっと、見てられない。俺はあまり、こういうのは得意ではない。

「それで、おねえさんは誰なの」

「……ワケアリなんだけどぉ」

「ボクねーさんかぁ、いい名前だね」

「キミ、ネーミングセンスないね」

 全くその通りだと思ったところで、サクラ、タオル濡らして持ってきて、と言われて、慌ててそばのタオルを持って水道に急ぐ。急がなくていいよ、と後ろから声が聞こえて、走るのをやめて早歩きにする。……どうしても、焦ってしまう。

 傷を見ると、昔、兄が自分を庇って事故に遭い、生死の境をさまよったことを思い出してしまう。何も関わったことがないが、この人はちゃんと助かるんだろうか。ヨウジュにほんとに何か出来るのか。ちゃんとした資格もないのに。医者でないのに。そんなことばかり考えながら、ヨウジュに濡れたタオルを手渡すと、ヨウジュはまっすぐに俺を見上げて言う。

「美人さんの前で怖い顔しないの」

「あっ」

 一度手で顔をおおって、ちらりと指の隙間から女の人の顔を伺ってみる。もう泣いてはいない。指越しに俺と目が合って、泣いた顔のまま、ふふふ、と笑う。

「ホント仲良いんだね、キミたち」

「そう、もう十年来の付き合いだからね」

「いや、 このまえ初めて喋ったじゃん」

「俺たちの十年は普通の人間とは流れ方が違うんだよ。ね。爆速だった、サクラと出会ってからの百年間」

「増えてるし」

 どこか得意げにはなすヨウジュに言葉を返していると、また女の人が笑う。少しずつ緩やかになった空気に、ほっとまた、息を吐く。けれど相変わらず目のやり場には困って、きょろきょろしてしまう。そうこうしていると、ヨウジュと目が合った。

「サクラ、苦手ならねーさんと部屋いってていいよ。俺のお宝本とか探してていいよ。机の下の引き出しだよ」

「いや、べつに、見なくていいよ」

「俺の好みの女、知りたくない?」

「別にどうでもいいよ」

「サクラ、俺に興味無いんだ。悲しい。もう俺、浮気するからね」

「付き合ってないし」

 いいから先戻っててよ、と言うヨウジュは恐らく、俺のこともだし、女の人のことも心配しているのだろうなと思った。迷いつつ女の人を見ると、バッチリ目が合う。行きましょうか、と声をかけると、彼女は不安そうに、治療されている男の人の様子を伺いながら、頷いて、立ち上がる。並ぶと、身長の高さに改めて驚いた。靴の高さも入っているのだろう。

 部屋を出る前にもう一度、治療しているヨウジュを振り返り、それから部屋を出た。

「……大丈夫かな」

 男の人は目を覚ますだろうか。ぽつりと無意識に言葉が飛び出していて、はっとして口に手を当てる。慌てて女の人を見ると、不安そうな顔をしたまま、けれど、大丈夫だよ、と呟くように言う。

「あのオヤジのセガレなら、きっと彼を助けてくれる」

 手を合わせる女の人の姿は、まるで祈りを捧げる修道女のようだと思った。なんとなく、俺も小さく手を合わせた。チカチカと、調子の悪い電球が点滅している。



「レンゴウカイのシドウと一緒にいた男ッスよ、アレは!」

 かなり興奮しているのだろう、ハルは足を治療されながら何度も同じことを繰り返していた。溜息をつきながらも、一日働いて、生きて帰ってきてくれたことへの労いとして、話を遮るようなことはしなかった。ただ、暴れられるのは少し困るので、体はしっかりマサキに抑えてもらっている。

 深夜の自治警察ビルには、私とハルとマサキしかいない。本日の高橋組との抗争では、ハルにリーダーとして行ってもらったものの、被害は甚大で、日が暮れても帰って来ないハルに、もしかするともしかしてしまうのではないかと胸が潰れる思いだったが、怪我はしていたものの、きちんと帰ってきてくれた。ひとまず私には、それだけでも十分だった。

「あいつ、やっぱり高橋組だったッス!変な情なんかかけずに殺しておくべきだったんスよ!しかも、なんなんッスかあの女、あの女!!ま、また、たくさん、たくさん仲間が……」

 その先を言わず俯いたハルの顔は見ずに、足に包帯を巻いてあげる。安静にするのよ、と声をかけて、マサキと二人で部屋を出た。マサキはいま閉めた扉をじっと見つめている。この感情の見えない瞳に、たくさんの優しさが詰まっていることを、私は知っている。

「……大丈夫でしょうか」

「興奮しているあいだは、一人にしてあげたほうがいいでしょう。けれど、ここから出ないように見てあげていてくれるかしら」

「承知致しました」

 返事をして、扉の前に待機したマサキに頭を下げてから、私は自室へと歩いていく。やはり高橋組の関係者だったか、と黄緑色の髪の青年を思う傍ら、シドウ様はそのことをご存知なのかしら、と不安にもなる。知っていれば、関わっている可能性も高くなるし、知らなければ、それはそれで、突然巻き込まれることもありえるからだ。

 抗争には協力しないどころか、しない選択はないのかと私に問いかけた純粋な目をした青年。私といくらも変わらない年齢で、しかし私とは全く違う生き方をしてきた彼には、私には到底持ち合わせるはずがない考え方がある。そして私の考えもまた、彼にとっては理解し難いものなのだろう。

 自室に入り、電気をつけないまま、ソファに寝転んだ。抗争はまだまだ続く。明日はマサキが行ってくれる。今日はたくさんの構成員が死んだ報告を受けた。できる限り死体も回収した。精一杯の弔いをしよう。けれどまた、明日もたくさん人が死ぬだろう。今のところ、高橋組に与えたダメージよりも明らかに自治警察が被っているダメージの方が大きい。このまま戦い続ける意味はあるのだろうか、と一瞬考えた頭を、思い切りソファに打ち付ける。

「……わたくしはリーダー。わたくしが不安になってはいけないのです」

 自分のことを信じて戦ってくれている構成員の心を裏切ることなど、あってはならない。絶対に勝機はある。いまこそ、高橋組の踵を砕くときなのだ、と自分に言い聞かせる。時間をかけていい。出した犠牲に報いるためには、進むしかないのだ。

 それでも震えてしまう体は、私を慕ってくれている彼ら彼女らには、決して見せていけないと思った。たとえ、ハルやマサキでも。

 暗闇の中で目を閉じる。不思議なことに思い出されるのはここ数日のことではない。ずっと昔のことだ。小さな頃、屋敷に住んでいて、両親も健在で、幸せだった毎日。世話係の体の大きい、けれど手先が器用で、優しい男の人。父が途中家に連れてきた、生まれも育ちも何もわからない、青い目の女の人。父の元で働く二人と、休みのたびに遊んでもらっていた時のこと。そして……両親が死に、私の元に残ってくれた二人が、次の主人は貴方だ、と頭を下げた時のこと。

「……ハルもマサキも、自治警察のみんなもこれ以上殺させはしない。これ以上悪を野放しにはしない。両親の仇を取るのです。こんなところで、わたくしが負けてはいけない」

 強い意志をもて、と自分に言い聞かせる。ところが、狭い部屋に反響する自分の声は、弱々しく震えている。こんなことではいけない。こんなことでは……。

「……なんでかしら、ね」

 こんなときに、会いたいな、と頭に浮かんだのは、心優しき不良のリーダーの姿。いま、もしもそばにいてくれたなら。いつか身を呈して救ってくれた彼の真剣な瞳を思い出して、拳を握る。

 抗争を終わらせたら、彼に会いに行こう。今度は彼よりもはやくジャングルジムに登ろう。そして、三段重ねのアイスクリームを食べよう。今度は、きっと、普通の女の子のように出来るはずだ。

 だから、いまは。



 マンションの四階、右から三番目の部屋。インターホンは鳴らさずにカイトは鍵を刺した。そのまま、どうぞ、と扉を開けて待っているカイトに甘えて、先に玄関に入ると、既にミヅキの履いていた靴が散らばっている。流れるようにその靴を、カイトが下駄箱に片付ける。

「どうぞ、何もありませんが、あがってくださいね」

「ああ、ありがとう」

 俺の脱いだ靴も下駄箱にしまって、カイトも家にあがる。とりあえず部屋に入ると、テーブルに椅子が四つ、フローリングには絨毯がしいてあり、テレビがあり、それなりに広い居間だった。きちんとしていて、清潔感がある。ソファにはクッションが二つ置いてあり、ひとつは凹んでいる。……少し構えていたが、親や兄弟のような人は見当たらない。

「ミヅキ、飯は」

 居間から廊下の方へ、少し大きな声でカイトがいうと、どこからか、ナポリタンがいい、と返ってくる。冷蔵庫を見ながらカイトが、ウインナーがないな、と呟く。俺はミヅキの声のした方へ歩いていった。部屋の扉はしまっている。とりあえずノックを二回してみると、しばらくして、部屋の扉があいた。視線のしたの方、ミヅキが「あれ」と首を傾げる。

「シドウさんもカイトん家コースなんですか」

「ああ、なんか、そうなった」

「へえ、いいですよ、今晩あたしとベッド一緒でも」

「俺は床でいい」

「なんでですか。そんなにあたしがいや?」

「いや、そうじゃなくて、俺は床が好きなんだ」

 ちぇ、と口を尖らせるミヅキは、いつの間にか俺の右腕に腕を絡めている。あっちいきましょーというミヅキと一緒に、また居間へ。買い物に行きます、というカイトに、俺達もついていくことにした。

 夜でも東地区は穏やかだった。どこからも激しい物音がする訳ではなく、誰かが争っているわけでなはなく、そのあたりにレンゴウカイの不良が少し増えたみたいだが、特になんてことは無い。すれ違えば頭を下げられるし、俺は片手を上げるだけ。街灯がところどころ切れている。心もとないあかりの下を、俺と、ミヅキと、買い物袋と懐中電灯を持ったカイトの三人で並んで歩く。車やバイクの音もしない。静かな住宅街。

「せっかくシドウさんとミヅキもいますし、少し買い込んでいきましょうか」

 歩きながらぶつぶつと、必要なものを唱えるカイトに、ミヅキは嫌そうな顔をする。

「あたし持たないからね」

「ちょっとは持てよ。夕飯はナポリタン作るから」

「意味わかんない」

「いいよ、俺が持つから」

 ならあたし持たなくていいわね!と、ミヅキはいい顔で笑って先に歩いていく。向かう先にあるのは、意外と大きな、二階建てのスーパー。スーパーマシカク、と描かれた、弱い光に照らされた看板の字が丸い。そんなミヅキの後ろ姿に、カイトは大きくため息をつく。

「だめですよ、あんまり甘やかしちゃ……まあ、久しぶりだし、ちょっとはいいけど」

 美味しいの作ってあげないと、と呟くカイトは、なんだか嬉しそうに見えた。


【れんごうかいのじゅうはち おわり】

【れんごうかいのじゅうきゅう に つづく】

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