れんごうかいのじゅうなな


「タコさんウインナー」

「え」

 突然そう言って口に突っ込まれたものを噛めば、たしかにウインナーの味がしたが、形を見ていない以上は、それがタコの形をしていたかはわからない。俺の口から人差し指を離したヨウジュは少し満足気な顔をしていた。

「これ、スーパーで売ってるやつなんだけど、着色料がすごいんだよね。ほらみて、指が赤くなるの。絶対健康に悪い」

「健康に悪いもの俺に食わせたの」

「大丈夫大丈夫、それくらいで人間死なないから」

「そりゃ死にはしないだろうけど」

 俺の返しにヨウジュが少しだけ笑った気がした。表情は大して変わってないはずだけど、僅かな変化に、俺の方が慣れたのかもしれない。

 長い間ひとりで過ごしていた昼食の時間に、今日は隣で弁当を開くヨウジュがいる。昼飯を食いながらする予定だった開きっぱなしのノートの上に置かれたヨウジュの弁当は、俺の見覚えのある冷凍食品の類も入っていて、なにか親近感を覚えた。

 教室は賑やかで、前や後ろや隣で集まり、みんな楽しそうに話をしていたり、中には読書をしている奴やヘッドホンに夢中な奴もいる。そんな教室の真ん中よりも端の方で、俺たち二人はのんびりと弁当を並べている。

「で、どうなったの」

「なにが?」

 自分で作った卵焼きを頬張りながら聞くと、ヨウジュは変わらない表情のままで、も〜、なんて言う。どこかの誰かの真似でもしたのだろうか、さっぱり伝わらない。

「シドウさん」

 むせて、卵焼きが鼻のあたりに引っかかったような嫌な感覚になり、必死に飲み込んだ。ヨウジュは何も悪びれた様子なく続ける。

「帰ってきた?」

 いや、となんとか答えると、そっかあ、と返ってくる。ヨウジュは興味を失くしたようだったが、俺にとってこの質問は、そっかあ、で終わっていいものではない。

「なんでそんなこと」

「いや、だって抗争が」

「……抗争?」

 そういえば、この学園でも何度か全校放送の類で、ここから何駅も離れた場所には過激な勢力が固まっていて、時折衝突するらしい。俺の家のある北地区と、この学園のある場所にはあまり関係の無い話だった。俺は、そんな話の中に混ざった言葉に疑問を持つ。

「抗争がなにかシドウと関係あるの」

「……タコさんウインナーあげるから許して」

「なにか言いかけたでしょ、ヨウジュはやっぱシドウと会ってるんじゃないの。……ねえ、あいつはいま」

 必死にヨウジュから情報を聞き出そうとしているうちに、ふと見れば俺の弁当箱はほんとうにウインナーだらけになっている。もうほかのおかずは見えない。たくさんのタコが俺を見ている。動きを止めた俺を見てもなおウインナーを俺の弁当に放り込み続けるヨウジュを止めて、俺はさらに質問するのをやめた。

「どんだけウインナー持ってきたの」

「一袋、破っちゃったから全部入れてみたんだけど、俺には多くて」

 だろうね、と言いながらまたひとつ口に放り込む。なるほど、真っ赤な着色料が、舌を少しだけ痛ませる気がするような、そんな。



 あの女はぜってえ殺す!殺す!俺がこの手で絶対に殺す!……これが終わったら。そう思い続けてこんなところまで来てしまったのか、さっさと殺しておけばよかったじゃないか、と、俺を笑う俺がいる気がしたが、んなこと考えてみろよお前、返り討ちにされてるぞ。いや、まだ殺してくれるならマシだろう。生きてる間ずっとあの女の特製の玩具なんかにされちゃ、たまったもんじゃねえ。いままで見せられてきたあの女のコレクションとやらを一瞬思い浮かべて、喉元に嫌な酸っぱさを感じた。

 すっかり握り方を覚えてしまった拳銃は、重たくて無機質で、持っただけで死の匂いがする。なるほど、武器ってのはどうやら、自分が命を奪う存在であるということを理解しているようだった。それが殺人鬼的な解釈なのか、死神的な解釈なのかは、拳銃自身にしかわからないだろう。俺にとっちゃ、どっちも変わんねえ。こいつに撃たれりゃ俺は死ぬし、こいつを撃てば相手が死ぬ。そこに情緒や意味は必要ない。

「……どうしてるかな、あいつは」

 情報屋が情報を得られなくなったら終わりだったが、いま抗争に関わりのない情報に手を出せる余裕のある状況でもない。テキトーなヤツらを使って活動をし続けてはいるものの、巻き込みたくない友人のことを調べることは難しかった。が、まあ、情報が入らないということはなにも起こっていないということか。便りのないのはいい知らせだ。と、何度も自分に言い聞かせる。

 だっていま、そんなこと考えてる場合じゃない。一ブロック後ろで聞こえた銃声に、俺も銃を握り直す。僅かに震える体を壁に打ち付けて、大きく息を吐き出した。

 俺はこんな所で死んでる暇はねえんだ。まだやることが山のようにある。目を閉じて、開けた。音が尖っていく。体が冷え、頭が冴えていくのを感じる。

 僅かにこみ上げた吐き気。乱暴に唾を吐き捨てると、音を立てずに駆け出した。



 俺を挟んで隣に並ぶミヅキとカイトは、しばらく言い合いをしていたが、もう何も言わなくなった。黙ったまま、視線を合わせないまま、俺の左右に立っている。右手に絡んだミヅキの指が時折俺の指を撫でるのがくすぐったくて、不思議な気分になる。

 昼間から集まったレンゴウカイの不良たちは、いつもと変わらない様子でだらだらと廃墟に集まってくる。カイトは人が集まってくるまでじっと立って待っているが、ミヅキは退屈なのか、俺の手で遊んでみたり、腕を絡めてみたり、俺の周りを歩いてみたり、「シドウさん、肩車してくださいよ」なんて張り付いてきたりする。ミヅキの揺れる制服のスカートを見て、首を横に振ると、つまらなさそうにため息をつかれる。……頭が痛くなる。そして思い出したように、ミヅキは、あ!と、俺を指さす。

「そういえば!昨日どこいってたんですか。このあたしをほっといて!夜中出歩いてたでしょ」

 突然向けられた人差し指に、昨日のことを思い出す。ユウキと名乗る男のこと。見ることのなかった抗争の切れ端。……ワタリが生きているかもしれないこと。

「でも、お前は寝てたから」

 たしかに帰った時、寝ぼけてはいたもののミヅキは起きていて、おかえりなさい、と声はかけてくれたけど。ミヅキは少しむっとした顔をする。

「あたしが寝てたんなら、隣で寝ててくださいよ。こんな可愛いのになにが不満なんですか」

「……二人で寝るにはあのソファは狭いだろ」

「そういうことじゃないんですよね。これだからシドウさんは」

 リョウガさんと違うんだから、と聞こえた言葉に、ひんやりとしたものが体を落ちていくのを感じた。この気持ちは何だろう。

 そうこうしているうちに、レンゴウカイの集会が始まる。カイトが一歩前に踏み出して、ノートを開いた。リーダーだ、と、ぼんやりした頭で考えていた。



「暇ならカズヒトの相手してあげたら」

 向かいに座った男はそう言いながらタバコをひとつ取り出す。身なりに似合わぬ細いそれに火をつけると、柔らかく、少し甘い匂いのする煙が広がっていく。

「……悪いけど、ベビーシッターばかりはしていられない」

 視線を逸らしながら言うと、相手は愉快そうに目を細める。

「ユウキが休憩時間に働くなんて、お前らしくないね」

「これはプライベートの調べ物だから、仕方ない」

「プライベート、ねえ。それはヒメのとこの名簿だけれど」

「……プライベートだ」

 ふうん、と言いながら、向かいに座る銀髪の男、リョウガは何がおかしいのかニヤニヤと笑っている。

「何か知ってるのか」

「アラキワタリのことなら、なかったことにしたでしょう」

「何か知ってるな」

「ヒメはいい子だよ」

「……リョウガがそうやって甘やかすから、あの女」

 ドン、と音がして、見ていた資料がずれた。リョウガは何食わぬ顔で膝を定位置に戻す。……俺は咳払いをひとつ。時折人を勝手に拾ってきては俺に押し付けていくくせに、大切にしろという。追加の手当は出ないのに。ナンバーツーにはもっと給料が必要だと俺は昔から主張しているが、まったく認められていない。

「……お前が甘やかすから、ヒメカがわがままになっていくんじゃないのか」

 あの女、を言い換えると、リョウガはまた満足そうに煙を吐き出す。そんな弱い煙草なら吸わなくても変わらないだろうと思うのは、自分が普段吸っているものが、それよりももっときついものだからだろうか。

「……ヒメはいい子だよ」

 リョウガが繰り返す言葉に空返事をしながら資料を捲っていた手を、今度は掴まれる。驚いて、思わず顔を上げる。

「あの子もいいこでしょう?」

 微笑むリョウガ。俺はしばらくして、返事をせずに資料を閉じた。

「……ユウキは一途だね。あんな小さな子に」

 ケラケラと笑う男に背を向けて、資料を片付けたところで、休憩時間も終わりだった。そのまま背広を羽織って、外へ出ていこうとする。

 ……その前に。

「ねえリョウガ、次はいつあの子に会ってあげるんだ」

「……会ったでしょ?一昨日」

 こちらを見ずにさらさらと答える相手に、ため息をつく。

「……リョウガ」

「大丈夫、大丈夫、またすぐあいに行くでしょ。ね?リョウガさん、またアタシに会いに来てくれますよね?」

 何も言わずに部屋を出た。最後のはあの子の真似だろうか。

 俺がヒメカを女呼ばわりしたら怒るのならば、俺もあの子を馬鹿にされたら怒っていいのではないか、と思いはするけれど、実行したことはまだ、一度もない。



『情報屋、いくらほしい?』

 俺のことを情報屋と呼ぶうえで、このケータイに連絡を寄越すのはたった一人だ。マナーモードにし忘れていた着信に慌てて、テキトーに切ろうと思って出た通話は、俺の方から簡単に切れるもんではなかったらしい。高橋組ナンバーツーからの直電。ヤベー。

「そーっすねェ、いまほしいのは金より命の保証っすかね!何しろ俺、いま、戦場なんで!」

『そう、じゃあ掛け直したほうがいい?』

「ハハ、俺がユウキさんに意見できるわけないじゃないですかァ。でもユウキさんが切りたいなら切っていいっすよ」

 転がりながらビルの陰に隠れ、声を潜める。片耳でハンズフリーで会話を続けながら、もう片耳は、近づいてくる敵を探している。銃を握り直す。引き金はぬめぬめと指を滑る。やばいな、と思い、スーツの端で、手についた汗を拭った。

「で、なんっすか。ユウキさんから連絡来るなんて珍しい」

『自分で調べようとしてたけどね、ボスのお咎めが入ったから』

「へえ、何を?」

『アクセルバイトの件を』

 思わず大きな声を出しそうになって口に手を当てる。物陰に気配を感じて、滑り込みながら一発。聞こえた呻き声に、素早く駆けつけて、その頭めがけてもう一発。動かなくなった人間を見て、こみ上げる吐き気を、首を振って堪える。考えない。考えない。これはもう、ニンゲンじゃない。

『……もしもし、大丈夫?』

「…………ウッス、一人ヤったとこっす」

『君、そういう仕事内容じゃなかったと記憶してたけど』

「ハハハ、仕事のデキる男だからなんでも任されちまうんすよ」

『……俺は優秀な情報屋ならウチの派に欲しいといつも思ってるよ』

「はーはっは、俺もそうしたいっすけどね、ヒメさんにやめますなんて言えませんよ、俺のことだーいすきだから、発狂しちまう」

『モテる男は災難だな』

 嬉しくねー同情。もっとフツーの美人にモテたい人生だったが、うまくいかない。

 高橋組の派閥は三つだ。トップのリョウガさんの直属。それから俺をこき使ってる頭のおかしい女のヒメカさんとこ。それから、いまの電話の相手のユウキさんのとこ。ボスの直属もキチガイ女の派閥もうんざりだけど、労働時間内なら命令は絶対なんて派閥も、俺は御免。この男だって、マトモな顔して一本飛んでいるに決まってる。……正直、深く関わりたくはねえ。

「アクセルの件ならもう片ついてるでしょ。………………その、犯人も片した、んでしょ」

『レンゴウカイのシドウは何か知ってたけど』

 聞くと思っていなかった名前に動揺したのか、俺はついに堪えきれず胃の中の物を吐き出した。少し落ち着いたところで、大丈夫?と電話越しに声が聞こえて、不機嫌な咳払いで返す。

「シドウになにかしたんすか」

『時間外に抗争の中に迷い込んできたのを家に送ってあげただけだよ』

「……ありがとうございます」

 何してんだよあいつ、と思いながら声を絞り出した。貸しがあるなら尚更テキトーには扱えない。もう一度、アスファルトに唾を吐く。

『……いくらほしい?』

 いくら、ねえ。どれだけ釣り上げてやろうかと思いながら物陰に隠れる。……人を殺して平気な顔で次のアクションに移れるほど、俺はまだキョージンな男にはなれていないらしい。

「……ワタリはまだ生きてるんすか」

『多分ね』

「そーかァなら残念だけど俺は金なんかよりも今回は……え?生きてる?」

 一瞬聞こえた信じられない言葉に、思わず大きな声を出し、すぐに身を潜めた。大丈夫そうだなと思って息をつくが、頭の中は大混乱。電話の相手は変わらない調子のまま、繰り返す。

『多分生きてるよ。処分前に姿が見当たらなくなっていてね。実は今、静かに俺達も探しているんだけど』

 どこへ行ったのかはまだわからない。でも死体は見つかっていない。と言い終わるその声からは嘘や演技の類を感じない。この人が仕事の話で嘘をつくような人間じゃないのは知ってる。弱みなんか握らず、さっきみたいに金を積んだり条件を付けさせたり、わかりやすい奴だ。だから、きっと、嘘じゃない。

 生きてる、のか、あいつ。そうか。そうなんだ。体中の力が抜けていって、その場にゆっくりと座り込む。ぺたりと地面に手をついて、大きく息を吐いた。

「……俺とユウキさんの一対一の取引なら、喋ってやんないこともねえっすよ」

『また連絡する』

 満足そうな声を最後に通話の切れたケータイを、しばらくぼんやりと見つめていた。



 ぞろぞろと歩いていくと、少しずつ周りは静かになっていき、閑散とした住宅街に着く。このあたりは、前にカズシと一緒に歩いたところだなと思い出す。あの日食べたカツの味が思い出されて、反射的に唾を飲み込んだ。

「二、三週間あれば落ち着くと思いますし、それまでこちらに拠点を移せば良いと思います」

 地図を見ながら言うカイトはなんだか得意げで、ニコニコしている。偉いな、と言いたくなる。避難の発案も誘導も、カイトが引っ張ってやっているから、カイトはすごい。

 俺が今までいたところは西地区。大通りでも怒鳴り声が響き、一本裏に入れば荒れ放題だった街とは違って、今いる東地区は、静かで、けっこう綺麗な場所だなと思った。空は雲ひとつなく、穏やかな青に染まっている。

 東中央公園、と書いてある立て札を見て、ここはキョウたちと野球をした公園だったなと思った。全員で中に集まって、カイトの話を聞く。

「これからしばらくは西地区での抗争を考慮しまして……活動は……」

 だるそうではあるもののちゃんと話を聞く不良たちの姿、前でノートを見ながらはきはきと話し続けるカイト、そして俺の片腕を引っ張ったり、もたれかかったり、俺の周りをくるくると歩き回るミヅキをかわるがわる見ながら、もうこれで何も心配はないんだなと思い、出てきたあくびを噛み殺した。

 ……何も、と思った頭に浮かんだのは、俺をずっと世話してくれていた派手髪の笑顔と、小さいのに俺よりずっと大きな背中で前を向くリーダー。もしかしたら生きているかもしれない空色の春風に、黒縁眼鏡の不思議な話し方をする高校生。……これでよかったんだろうか、と、正体のわからない気持ち悪さが鼻をつく。

「ねえ!どお!したん!です!か!」

「わっ」

 突然強く腕を引っ張られて、驚く。見れば視線のしたの方、ミヅキが不機嫌そうな顔で俺を見上げている。ミヅキとは反対側でカイトも「具合が悪いんですか?」と首を傾げている。気が付けば、あれだけ集まっていた不良たちはどこかへ消えてしまっていた。きょろきょろしていると、また腕を強く引っ張られる。

「もう終わりましたよ!あたしたちもいこ」

 いっそう不機嫌な顔になったミヅキにごめんと一言謝ると、ミヅキは不機嫌な声を出しながら、俺の手をとる。カイトはミヅキと反対側の俺の隣を歩く。

「なあ、どこいくんだ」

「ほんと何も聞いてなかったんですね。なんですか?女のことでも考えてました?」

「いや……」

 それも間違いではないかも、と思い、遅れてしまった返答に、ミヅキの顔が変わっていくのを感じた。あ、と思った時には遅い。

「もう!シドウさんなんか知りませんからね!」

 先行っちゃうから!と走っていってしまったミヅキを、俺は間抜けに口を開けたままみていた。ぽん、と背中を叩かれて、目を向けるとカイトは呆れ顔。

「あれはほっといていいですよ。俺たちも行きましょう」

「行くって、どこへ」

「避難のために仮住居を借りておいたんです。集会所のようなところですが、好きに各自使ってよいことにしました。もしくは、東に知り合いがいるならそこに泊まっても良いですよ。……俺の家もこの辺りですので、よろしければ」

「……ミヅキは?」

「たぶん俺の部屋で横になってると思います」

 本当に都合のいいやつなので、と付け加えてから、すこし呆れたような、けれど楽しそうに笑う。一人増えても構いませんよ、という言葉に俺は頷いて、カイトのあとについて歩く。綺麗に舗装されたコンクリートの道。一つだけ落ちていたビニール袋が風に舞う。

 また知らない道が、当たり前になっていくのだろうか。それとも、そんなに長い間はここにはいないのだろうか。

 いま起こっている抗争というのは、俺の知らないところで始まり、俺が関わらないまま、俺の知らないところで終わるのだろうか。その最期は、いったいどうなっているのだろう。気になるたびに、どきどきと胸のどこかが痛くなるのを感じていた。

 ぴりぴりと、頭の一部が痺れているような感覚。何故だろう、空はこんなにも青いのに。



 精神的肉体的に、ピークはとっくに超えている。ハイってヤツ。いまなら空だって飛べそう。ほら、例えばあの20階建てのビルの屋上から、ぽん、とジャンプすりゃ、そのまま空に吸い込まれていくんじゃねえの?そんなことを考えた頭を何度も振って、しっかりしろと叱咤する。んなことしてみろ、人生オシャカだぞ。……まだ俺は、やるべき事を全部やっていない。胃液吐瀉物死体にまみれた人生なんざ、卒業アルバムに顔向けできない。もっと素敵な人生が俺にはまだ、待ってる、はず。……終わらすのはもうちょい先でいい。

 あたりはもう真っ暗だ。ケータイをみればようやく撤退指示。このあたりの鎮圧は終わったらしい。と言っても、俺がしたことなんて僅か何人かをどーにかしただけだけど。……思い出しそうになった映像を意識の遠くにやる。悪いことなんかしてない。俺は仕事をしただけだ。現場の指示に従う、派遣社員のキホン。直雇用じゃない。心まで高橋組に売るつもりは無い。俺は孤高の情報屋。

 ガラスがバリバリに割れた廃墟ビルの片隅に隠れながら、大きく伸びをした。壁に妙な穴の空いたビル。えらく綺麗に整頓されている様子は、誰かが使っていたのだろうかと思わせる。誰かが溜まり場にでもしてたんだろう。

 俺は、ようやく終わったという安心感で、しばらく動けないままでいた。これから先、こんなことが一体何回繰り返されるんだろう。早く抗争なんか終わらせてくれ。ハタチ超えた……どころか、ミソジ近い連中のケンカになんで俺らが付き合わなきゃいけねえんだよ。なんて思いながら、生きて帰れば入る給料に指を鳴らす気持ちだってある。人間ってのは本当にマヌケだな。

 しかしこれでしばらく俺の出番はおしまいのはず。家に帰って、風呂に入ろう。数日まともに体が洗えていないせいで体中ベタベタで、気持ち悪い。自分がこの街のゴミになったような不快感。俺は一緒にされるのはごめんだ。シドウは大人しくしてるだろうか。聞かなきゃいけねーことがいっぱいあるよな。

 ふらふらとようやく立ち上がる。足を滑らしそうになって、近くの壁に手をついた。疲れ目か、月明かりでは足元がうまく見えない。壁に手を付きながら、スマホで足元を照らしながら、一歩ずつ歩いていく。

 一日気を張っていたせいか、外にいるのに珍しく睡魔に襲われてきていた。肩の荷が降りた気分。反面、なにかの罪の意識が再び襲いかかるが、手持ちの拳銃を投げ捨てて、それも一緒に振り払ったつもりになる。ふう、と息をついた。ひび割れた床に落ちた拳銃を見る。やっぱり俺には不相応なものだ。できることなら、もう一生触りたくない。

 廃墟を出て、辺りを軽く見回す。まあ、もう誰もいないだろうなとは思いつつ。黒くなにかのこびりついた跡が各所にあって、ここで一体何が行われていたのか想像には難くない。考えるな、と脳内で繰り返して、なんとか平静を保つ。大きく息を吐いて、前を向く。

 帰り道への一歩を踏み出した。その踏み出した右足が、何故かうまく地面を蹴れずに、視界が薄汚い空を仰ぐのさえ、なぜだか落ち着いたような、気の抜けたような思考で受け入れてしまっていた。

 痛い、と手を伸ばす。熱くなる体と、痛いくらいに耳に響く自分の心臓の音。触れた右足に、違和感のあるどろりとした感触。それが何なのか、目を凝らしても、うまく飲み込めない。なんだ?これ。夜の闇の中では、黒い何かとしか認識出来ない。が、気がつけば自分の右足から大量にそれが出ている。キョロキョロと周りを見渡すと、一人の女と目が合った。ピンと背を伸ばし、ふわりとした髪をなびかせて、その手に握っているのは拳銃で、そこまでを見て、ようやく俺は自分の状況を把握する。

 あ、俺、撃たれ、た、のか。

 理解した途端に麻痺していた痛みが身体中をつたってきて、誰かの間抜けな悲鳴を聞く。他でもない俺の悲鳴だ。空気の抜ける音と吐き気が混ざって、うまく言葉が出てこない。どうしたらいい、早く逃げなければ、と思うのに、体がうまく動かない。

「やっぱり残ってたッスね。こっそり残ってて正解だったっスよ」

 聞き覚えのある声だ。完全に油断していた俺の負け。間抜けな顔をしてた、自治警察ビルの受付嬢のことを思い出した。……マジかよ。

「お前はハルが殺すッス。そこを動くなッス」

「俺は高橋組の正社員じゃねえッスよ、見逃してくれッス」

「黙れ!!お前の弁明なんか聞かないッス。その制服姿で言い訳は聞かないッス!」

 相手は俺が誰なのかよりも、高橋組の一員ということに注目してるらしかった。カツン、と近づくヒールの音は興奮気味で、向けられた銃口がどこかの光を反射する。あー、こりゃ、もう、ダメかもな。一瞬諦めが浮かんでしまうと、体はいっそう動かなくなる。心が負けを受け入れてしまったのか。すっ、と脳を駆け抜けていった昔の映像が、いまの自分の毎日とはかけ離れていて、眩しく見える。なんてことない、フツーの学生の、フツーの毎日。……ああ、なんでこんなラストなんだろうな。

 明日の朝、惨めに転がる俺の死体はどうなるのだろう。あのお人好しには、俺が死んだことは伝わるのだろうか。なぜだか突然重たくなってきた瞼を、抗わずにゆっくり閉じた。近づいてくるヒールの音に、これが死の音なんだなと思った。体の力が抜ける。……と言うか、そろそろ足だけでなく、体中の感覚がなくなってきて、ふわふわとしている。血が足りなくなってきたんだろう。やっぱもう、たすかんねーか。往生際の悪い生き意地が歯ぎしりをしていた。

 響いた銃声。体が軽くなって、浮いていくのを感じた。さら、と頬を掠むなにかの柔らかな感触。それから。

「人のオトコに手出すなんてサイテー!キミも、オトコなんだからシャキッとしなよ!まったく!」

 ここにいなかったはずの声に驚いてぱっと目を開ける。見れば、やや視線のしたの方で足を抑えているのは、俺に銃を向けていたハルのほうだ。視線の下?そうだ、たしかに浮いている。なんだ?俺、やっぱ死んだのか?

 それよりも、この、声、は。

 やがて誰かに姫抱きにされていることを理解して、その相手を恐る恐る確認する。

「……ふふ、どう?」

「どう、って」

 水色の長い髪と、黒いゴシックロリータと呼ばれる類のスカートと袖を揺らし、悪戯っぽく微笑む瞳は水色で、瞬きする度につけまつ毛が風を起こしそう。足元に目を向ければ、装飾過多のうえにとんでもなく踵が高いブーツ。もう一度相手の顔を見た。俺の目を見て優しく微笑むその顔を、俺は知っている。

「さぁ、はやく病院に行かなくちゃ。じゃあね!バイバイ!」

「あっこら……待つッスよ!」

 その声に足を止めないまま、俺を抱えたまま、バカ高いヒールで軽やかに走る。夜の街を駆け抜ける。えっと、病院、どこだっけ、痛い?大丈夫?なんてかけられる言葉にうまく答えられないまま、意識が遠くなっていく。

 よかった。最後にうかんだのは、そんなシンプルな単語だった。


【れんごうかいのじゅうなな おわり】

【れんごうかいのじゅうはち に つづく】

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