れんごうかいのじゅうよん


「それ、昨日の課題?」

「え、あ、あ、ああ、そう」

 突然話しかけられて驚きつつ頷く。価値観の違うクラスメイト達にうまく馴染めず、教室の隅で縮こまっている毎日だから、いまさら誰かに話しかけられるなんて思ってもいなかった。黒縁の眼鏡をかけ、ネクタイを雑に結んだ、少し髪の長めの男子生徒。確かなにかの委員会をやっていて、よく教卓の前で話すのを一方的に見ていたが、話すのは初めてだ。名前は何だっただろう。名札はつけていない。

「……いつも一緒にいる友達、は?」

 会話を広げようと、彼といつも一緒にいる他クラスの生徒の話を出してみる。そっちのほうも名前を知らないが、生徒会をやっていたはずだ。

「ああ、今日から留学」

「留学」

「アメリカ」

 だから暇なんだよね、と言いながら、俺の課題をひっくり返して、赤ペンをひったくる。あ、と思うまもなく、採点されていく。模範解答を見てる様子はない。本当にわかってるのか、と思いつつ、この学校の生徒ならできるのか、とため息をつく。

「数学ニガテ?」

 バツだらけのノートを見ながら、頷く。計算ミス多いよ、と、間違っている箇所にそれぞれ印をつけられ、自然と声が出た。それと同時に、いつもと同じことを思う。

 俺、なんでこんなに頑張らなきゃいけないんだろう。

 名門と呼ばれる学校に来たくて必死にやった訳では無い。小さな会社を営んでいた両親の大口の客の息子が、たまたまこの学園に通っており、取引が成功して、気を良くして、俺を推薦したのだ。俺は親の会社のために、頭に見合わない課題を今日も無理やりこなす。志望大学だって、親の鼻を高くするために選んだようなもので。

「……なんか、キノシタって、つまんなそうだよね、いつも」

「え」

 いつも、と再度言われて顔を上げると、眼鏡越しに目が合う。不思議そうな顔をしている。

「生きてて楽しい?」

 突然投げつけられた言葉の重量にぐらつく。柔らかくのんびりとした相手がどんな言葉を求めているのかはわからない。何も言えないままの俺に飽きたのか、立ち上がってどこかへ行こうとして、あ、そうだ、と振り向く。

「キノシタって、ヤハラ知ってる?」

「……あ、ああ」

 ずっと学校にも来ていない部活の後輩の名前だった。この学校の中でも群を抜いて頭が良く名は知れていて、なのに授業にも学校にもなかなか顔を出さない不良生徒だったが、悪さをするような奴ではない。部活でも優秀な成績をおさめていたが、部員と揉めて、それから見ていない。

 何を言われるかと構えたが、ふうん、と相手は同じ調子で続ける。

「クロバ、知ってる?」

「……ヤハラの幼馴染の?」

「そうそう」

 それから相手は人差し指をくるくるさせて、口元に指を当て、じゃあさ、と続ける。

「シドウさんって、お兄さんだっけ」

「えっ」

 この学校で兄の名前を出したことなんかほとんどなかった。そんな他愛のない話をする相手もいないからだ。しかも言われたのは、家出中のほうの兄。なんで、何が、と言おうと悩んでいると、そっかそっか、と何かを勝手に納得した様子で相手はもう、去っていく。

「ま、まって、シドウ、あの、兄貴のこと、なにか知ってるの」

 んー?と、のんびり振り向いた相手は、俺の机に小さな赤い包を置いて、手を振る。綺麗な、それだけでもかなり高そうな布地に包まれ、こちらも高級そうなリボンが巻いてある。

「これ、あいつに留学前に渡しそびれちゃったの、代わりにあげる、チョコレート。海外のだけど、おいしいよ」

「いや、そうじゃなくて」

「あ、今度から二人組くむ時俺に声掛けていいよ。俺も余るから。よろしくね、サクラ」

 名前読みにくいのお互い様だね、と笑いながら教室を出ていく相手をしばらく見送って、狐につままれたような気分になる。ノートに目を戻し、ドキリとした。

 模範解答の省略された解説で、さっぱりわからなかったところすべてに、赤ペンで丁寧な解説が付け加えてあり、ノートの端に、猫の落書きと、

【陽樹、読める?積分よりは簡単だよ】

 丸い小さな文字でそう残っていた。それが彼の下の名前だと気づくのに、少し時間がかかった。



 数日経って撒かれた自治警察のビラには、アクセルバイトの大元が高橋組であったことが記載され、情報提供の募集、それから注意を強めるようにとも書いてある。レンゴウカイがこの話を抜けたということも、端に小さく書かれていた。

 ミヅキは興味なさそうにもらったビラを眺め、それから半分に折り、折り目に合わせて別の箇所を折り、紙飛行機を作って投げる。短い金髪と、赤チェックの制服のスカートの端が揺れる。

「カイトが不服そうでしたね」

 緩く長く川の上を飛んでいく紙飛行機の行方を橋の上から眺めながら、俺は頷く。ここ数日のことを考えた。


 ワタリに会って、セイラに会って、次の日集まったレンゴウカイの不良たちに、自治警察と協力するのをやめたと話した。なんだ、女はもういいんっすか〜なんて話しながらさっさと解散していく不良たちの中、カイトは俺の両腕を掴んで、俺を睨んで言った。

「どうしてですか」

「まあ、その、やめた」

「理由が聞けないと納得できませんよ、街をアクセルバイトの脅威から守るために動いていたのではないのですか。正義のチームでしょう、レンゴウカイ」

 言葉に詰まった。俺はただワタリに会いたかっただけで、目的は達成した。この先アクセルバイトを探す必要も感じなくなったし、自治警察と協力関係を続けていれば、高橋組との抗争にも協力しなければならなくなるような気がして。

「……ごめん」

 ワタリの話をしようとは思わなかった。カイトは困ったように、わかりました、と小さく言う。その声は納得していないが。

「……その、ありがとう、カイト、いろいろ」

「いえ、レンゴウカイの一員として当然なので」

 それでも丁寧に頭を下げてから去るカイトと入れ替わりに、俺の腕に引っ付いてきたのはミヅキだった。ない胸に腕が当たるが、何も思わない。

「さっき、ユウキさんから連絡来たんですけど、もうアクセルは追わなくていいんですって。タイミング一緒」

 俺に体重をかけながら、ミヅキの目が俺を射抜く。まん丸の、ガラスみたいな焦げ茶色の目。印刷の荒いカラコン。

「なにか知ってるんですね」

 知っているといえば知っているのだろうか。それとも何もわかってないのだろうか。答えられないでいると、まあいいです、と言ってミヅキは体を離す。

「あたしはどこかの人と違って、善意で追いかけてたわけじゃないですし。頑張ったねって、褒めていただきたかっただけなので」

「……頑張ったな」

「シドウさんにじゃないですよ」

 そう言って笑うミヅキに、俺は困って頭を掻いた。気づけばもう廃墟に残っているのは俺たちだけだ。はい、とミヅキが差し出した手に、無意識に手を重ね、そのまま引っ張られるように歩いていく。

「シドウさんは手繋いでおいてあげないと、寂しがっちゃいますからね」

「……えっと」

「ねえ、あたしがいないとき、寂しかったですか」

 反射的に寂しかった、と答えると、ミヅキは繋いだ手の指を絡める。そうですか、と前を見たまま呟くミヅキの表情はわからない。

「……なあ、ミヅキ」

「なんですか?」

「ミヅキは……その」

 言おうか迷って、一度言葉を切った。足を止めて俺を見上げ、首を傾げるミヅキに、俺は少し間を置いて、言う。

「もうすぐ、抗争が起こる、のかなって」

「……抗争ならいつもしてますけどね、ジチケーと高橋組は」

「いや、そうじゃなくて」

 頭で言葉を探していると、ミヅキのほうから口を開く。

「アクセルの件で激化する可能性もありますね」

「……やっぱりあるのか」

 やっぱり?と首を傾げるミヅキに、俺は何も言わない。しばらくしてミヅキは、ああ、だから、と声を上げる。

「だから手を組むのをやめたんですね?巻き込まれないように」

 俺は答えなかった。そうといえばそうだし、違うといえば違う気もする。結局、今回のことはすべて俺のワガママにレンゴウカイを振り回しただけのような、そんな気がして、なんだか申し訳なくなる。

「……シドウさん、屈んでください」

 ミヅキに言われて、言われるとおりに少し腰を屈めると、もう少し、もう少し、と言われて、ミヅキと目線を合わせる。ミヅキはニコニコしながら、俺の頭を撫でた。

「頑張ったで賞。あたしに頭撫でられるために大金叩く馬鹿ばっかなんですから、無料の喜びを噛み締めてください」

「……あ、ああ」

 よしよし、と撫でられるのが心地よくて、少しだけ目を閉じる。

「……家まで送ってあげますから寝ないでくださいね」

 頬をつねられて目を開けて、またミヅキと手を繋いで歩く。今度は並んで、ミヅキの歩幅に合わせてゆっくりと。

「……抗争かぁ」

 ぽつりと、どこにでもなくミヅキが呟く。

「やだなぁ、また会えなくなっちゃうの」

 その目が誰を映しているのか、少しずつだけど俺にもわかるようになっていた。何故か少し不安になって、きつく指を絡めた。


 紙飛行機が水に落ちて流されていく。それを見届けてから、ミヅキは振り返って手を差し出し、俺はそれを取る。日差しがきつく、湿度も高い、そんな夏の日。夕方には降るかもしれませんね、とミヅキが言う先には、黒雲がゆっくりと近づいてきている。

 アクセルバイトの一件でレンゴウカイという名前はそれなりに広まり、それと同時に知らないやつに絡まれる頻度も増えたし、レンゴウカイを名乗る奴らの顔を少しずつ覚えていった。見かけると、とりあえず手を振るようにした。そしてカイトが丁寧にやってる集会に顔を出すことにした。ケンカを売ってきたから投げ飛ばした奴らも、いつのまにか”レンゴウカイ”になっている。

「リーダーっぽくなってきましたね」

 微笑むミヅキに、俺は黙って首を振った。頭の中にはセイラがいた。リーダーっていうのは、ああいうものだと俺は思う。凛としてかっこよく、誰かのために尽くせる人。俺にはやっぱり向いてない。

「ご褒美にちょっとデートしてあげますよ。どこ行きますか?」

「別にどこでも」

「女の子に行き先選ばさないでくださいよ」

「じゃあ……公園で寝るとか」

「女の子が喜びそうな場所を、女の子に言わせないで察してくれるのがいい男ですよ。ほら、レーゼ行きたいって言ってみてください」

「レーゼってなに」

「なんで知らないんですか」

 いいから来てください、と早足になるミヅキに引っ張られるように歩く。すれ違ったレンゴウカイの奴が、シドウさん女に弱えよな、なんて笑っていた。


 いくつも洋服屋や靴屋や雑貨屋が並び、キラキラとした装飾に、噴水や音楽。広場では子供が遊び、近くにはファーストフード店も並んでいる。案内を見れば、映画館やゲームセンターも入っている。大きなショッピングモール。手に取った案内には、レーゼタウン西、と書いてある。

「レーゼといえばレーゼですよ。常識」

 さあどこから見ましょうか、とミヅキは俺の足元から頭の先までをじろじろ見て、ため息をつく。

「うーん、やっぱそのダサいTシャツにGパンじゃダメですよ」

「これは俺のじゃなくてカズシの」

「あの人センス無いんだから尚更ダメですよ」

 即答されて、頷いた。まずはシドウさんの服から見ましょうよ、と笑うミヅキは制服姿。

「お前こそ、服は」

 ミヅキはにっこり笑って答える。

「なんのためにシドウさん連れてきたと思ってるんですか」

 雨が降る前には帰れそうにないなと思いながら、ミヅキの手を握って人混みを歩いた。兄妹にでも見えるだろうか。姉弟に見えているかもしれない。


 紙袋を両手に二十三個、落としたり失くしたりしないように、定期的に個数を数えながら、ベンチの隣に座るミヅキがクレープを食べ終わるのを待っていた。買い物には満足したらしく、機嫌よく足をぶらぶらさせている。三階の屋内の広場は、濡れた傘を持った奴らで溢れている。雨が降り出しているようだった。

 紙袋のひとつは俺の着てきたカズシの服が入っている。代わりに俺が着ているは、なぜか買ったときから破れている丈の長いTシャツに、なんだかよくわからない輪っかのついた首飾り、それから重たいズボン。靴は履くのに時間が掛かるほど厳重に紐で飾られている。自分じゃ絶対買わないが、気づいたらミヅキが金を払っていた。

 ミヅキはうまそうにクレープを頬張りながら、時折こちらを振り向き、食べていいですよ、と俺の口に近づけては、あ、やっぱダメです、と引っ込める。まあ、ミヅキが楽しそうだからいいかと息をつく。

「前はカイトのせいでデートすっぽかされましたからね」

「……そんなことあったっけ」

「女は根に持ちますよ」

 気をつけてください、と笑うミヅキに頷いた。女は怖い。かといって覚えてるふりをするのも結局怒られるので、素直にしていたほうがいい。

「で、レンゴウカイは次、どうするつもりなんですか」

 追うものがなくなり、特に目的がなくなり、レンゴウカイの最低限のルールとして、人の迷惑にならないようにするということだけは決めた。曖昧なルールだけれど、例えば不良じゃないやつにカツアゲしたり、ホームレス追い回したりしないってこと。それぞれが本当にそれを守っているのかはわからないが。

 けど、それだけ。他になにか目的がある訳でもない。いままでリーダーをやっていたキョウは、一体何を考えて日々過ごしていたのだろう。聞いてみると、バカにしたように笑うだけだった。不良のチームにご立派な理由なんかねえだろ。……そうなのかもしれないけれど。そこまで考えた時、ミヅキがクレープを食べ終えた。

「美味しかった!シドウさん、これから予定あるんですか?」

「いや、なにも」

「そうですか。あたしはバイトなんで、今度取りに行くんでこれ、キャベツくんちに置いといてください。暇なんでしょ」

「ああ……え?」

「それじゃあ、お迎え来ちゃうので!」

「あ、おい、ミヅキ」

 それだけ言い終えると、勝手に走り去っていく。残された大量の紙袋と俺。傘はない。濡らしたら怒りますからね、と声だけが飛んできて、俺は溜息をつき、ガラス越しに止まない雨を眺めていた。


「レンゴウカイのシドウさん」

 声をかけられて、そっちのほうを向く。Tシャツに、ラフなパーカーを羽織った、どこから見ても普通の男。高校生だろうか。黒っぽい四角い眼鏡をかけている。人の顔をあまり覚えられないせいで、顔を見ながら一生懸命、会ったことがあるのかを考えていた。と、相手は音を鳴らさずに手を叩く。

「合ってた。はじめまして」

「ああ」

 初めてだったことに安心し、差し出された手を握り返す。手には華奢な見た目に似合わず、細かい切り傷やマメがいくつもできている。

「レンゴウカイに入りたくて、シドウさん探してたんですよ。レーゼで遊ぶような人だとは思わなかったな。メンバー、まだ募集してます?」

 募集という言葉に違和感を感じながら曖昧に頷くと、よかったと言いながら、紙袋を避けて隣に座った。表情は変わらない。お菓子どうぞ、と言われて渡されたのは、小さな四角い箱。慣れない手触りに、高いものだと感じた。

「これ、シドウさんにもあげようと思って。海外のだから甘めですけど、チョコレート、食べてください。お近づきに」

「ありがとう」

「俺はヨウジュです。でも呼びにくいと思うんで、ヨウでいいです」

「あ、俺はシドウで」

「そのまんま」

 動かなかったヨウのまゆが少しだけ動いた。笑ったのかもしれない。あんまり顔の変わらないやつ。並んでガラスの外を見ながら、ため息をつく。

「雨やまないな」

 そういえばヨウも傘を持っていないと思って声をかける。

「シドウさん、こんなに何を買ったんですか?」

 答えずにヨウは近くに置いた紙袋をひとつずつ持って、首を傾げる。

「いや、それは俺のじゃなくて」

「届けものですか?」

「まあ」

「どこまで?」

「俺が寝泊まりしてるとこ」

 ヨウはうーん、と唸りながらしばらくなにか考え、それから人差し指を立てて言う。

「手伝いますよ。雨だし、タクシーで行きましょうか」

「え、でも金がなくて」

「気にしないでください、バイト代入ったばっかなんで」

 ヨウが紙袋を半分持って立ち上がる。慌てて俺も半分持って、付いていく。そこで、こいつは怪しい奴ではなかっただろうかと、いまさら考えるが、悪いようには見えなくて、そのまま付いていく。

 レーゼの入口に止まっているタクシーにヨウが声をかけて、俺たちは狭い車内に紙袋と一緒に腰掛けた。

「住所どこですか?」

 そういえば、俺はこの街で過ごし始めてから、住所を気にしたことがなかった。わからないと言って近くにあるものを伝えると、ヨウはピンと来たようで、運転手に伝える。

「近くなったら改めて道案内お願いしますね」

「わかった」

 雨に歪む窓ガラス越しの景色はグレーがかっていて、なんだか面白い。人間も、ビルも、何もかもが歪んでいる。いろんな人が歩いていて、自転車や車も走っていて、タクシーから見ているだけでは、そこでなにか争いが起こっていたり、その中の誰かが悲しんでいたり、そんなことはわからない。

 ケンカが強くても、舎弟が多くても、何も偉くなんかないんだよな。



 業績表の四枚だけシールが貼られている荒木渡理の欄には、油性マーカーでバツ印が付けられていた。その下の宮間翔にも、同じようにバツ印。

「キミにはいて欲しかったけどね、ここ数日ですごい業績だったよ」

「んやー、稼がせてもらったんすけど、精神的に合ってなかったみたいっすわ。胃が蜂の巣っす」

「全然そうは見えないけどね、いやでも、キミが体験に来てくれてよかった」

 仕事をやめる手続きをしながら、かれこれ30分、この話を何度繰り返しただろう。有能なやつはこれだから困るよなぁ。いやぁ、俺ってばやっぱすげー奴。心中で軽口を叩きながら、タイミングをはかり、聞きたかった言葉を口にした。

「アラキさんって、どうしたんっすか」

 その名前を聞いて、会社の責任者は首を捻る。

「いや、彼、業績は上がらなかったけど、いつのまにか書類を整えてくれたり、掃除してくれてたり、備品を揃えてくれたり、細かいところに気がついて色々やっててくれたり、影の功労者って感じでね。派手でガサツなやつらばっかだから、助かってたんだよ。欠勤も一度もなかったし。だから、無断欠勤で連絡も取れなくなるなんて、なにかあったとしか思えないんだけどね」

「そうっすか」

「その様子だとキミにも何も伝えてないのか。もうどこかで死んでるのかもな」

 愉快そうに笑う声に笑顔を返せないまま、変な顔のままで黙る。シャレになんねー。ほんとにそのへんで死んでたっておかしくないわけで。

 結局、スカウトにスカウトされ続けるのを断り続け、帰る頃には雨が降っていた。傘なんかない。そのまま濡れて歩く。通りがかった路地で、もう使わないウイッグを投げ捨て、ネクタイを外す。ミヤマショウは死んだ。そろそろ偽名が思いつかなくなってくるよな、と思いながら、染め過ぎて傷んだ髪をバサバサと手で整えた。俺、将来的にハゲそう。そこまで生きてたらの話だけど。

 手についた金髪がかった緑の毛は、先の方が少し黒くなっている。そいやシドウ、今日は何時に帰ってくるんだ。すっかり当たり前になった同居人の存在に、先に帰って風呂用意しておかねーとな、と考える。あいつは傘なんか持たない。そのへんで寝てたら雨が降っても起きないだろう。

 ふと、シドウはワタリのこと、なにか知っているだろうか、と考える。けれどすぐに首を振る。俺が持ってない情報を、あいつが掴んでるなんてそうそうない。あったらたまらない。

 歩きながら、何度かスマホを出してはポケットに入れてを繰り返す。その手段を使ってしまえばわかることだった。ワタリが生きているのか死んでいるのか、今どうなってるのか、それは捕まえた本人に聞けばいい。……なのに、聞けないままでいる。

「……あの女、うっかり殺しちゃった、とかヘーキで言うからな」

 それでも数回深呼吸して、覚悟を決めて、スマホからもう何万回と入力した番号を押す。発信を押すと、呼び出し音がする。雨に濡れながら、知らない店のビルの壁にもたれて、相手が出るのを待つ。

 ガチャ、と出た音がして、もしもし、と声をかけようとしたとき、向こうから届いた電波は、耳が割れそうな金切り声。

『この私の顔に傷をつけて、あの男はどこ!さっさと捕まえなさいよ!』

「待ってください、な、な、なんのはなしすか」

『はぁ!?なにアンタ、こっちから連絡した覚えないよ』

「俺から連絡したっていいじゃないすか、もう何年も一緒に仕事してるでしょ、俺ですオレオレ」

 ようやく俺が誰か理解したらしく、電話の相手は少しだけ落ち着いて、で?、と返す。相変わらず不機嫌だけど。でも、やっぱなんでもいいっす、なんて言える空気でもない。あのぉ、と柔らかく声を出しながら、怒らないでくださいね、と念じながら喋る。

「カレ、どうなりました?」

『なんの話?』

「アクセルの件の〜〜〜……アラキワタリくん」

 ゆっくりと名前を言うと、電話の向こうで何かが割れた音。ケータイの通話口もぶつけたのか、耳が痛くなる雑音に顔をしかめる。

『いまそれどころじゃないよ!あの男、大人しくしてると思ったら、私の……私の顔に!傷つけたのよ』

「……え?」

『あの自治警察の男!許さない!いいからわかったらさっさと連れてきなさいよ何でも屋!』

 結局ワタリの話じゃねーのかよ、と呆れる。

「俺は情報屋ですって」

『変わんないでしょ!?連れてこなかったら今度こそ殺すよ。組の奴ならいくらでも貸したげるから、いいね、さっさと動けノロマクズ』

 勢いよく切れた電話に呆然としつつ、しばらくしてから、大きくため息をつく。

 高橋組の幹部に、自治警察が喧嘩を売った。これは規模の大きい抗争になる。果たしてレンゴウカイは、シドウを守れる組織になっているだろうか。……俺はまた、大事な時にそばに居てやれないな。



「よおシドウ濡れてきただろー風呂入れてっから……」

 玄関を開けると出迎えてくれたカズシは、俺の様子と、後ろにいるもう一人、それから俺たちの持つ大量の紙袋を見て、固まる。いくつか見比べた後、恐る恐る紙袋を指さす。

「それは、なに」

「ミヅキの服」

「あー、なるほど、ミヅキちゃんのか……」

 全然納得していない顔のまま、とりあえずカズシは俺から紙袋を半分受け取って、居間に持っていった。


「ヨウジュ、ヨウでいいです、よろしくカズシさん」

 紙袋だらけになった部屋で、カズシがまだ名乗らないうちにヨウが言う。カズシが何か言おうとすると、その前にカズシの前に、俺にくれたのと同じ、赤い包を渡す。

「レンゴウカイのナンバーツーのカズシさんにも、お近づきにと思って、海外のチョコなんですけどこれは当たりなので」

「……そりゃ、丁寧にどーも」

 カズシは受け取ってポケットに押し込んでから、冷蔵庫の中身と俺たちを見て、唸る。

「三人じゃたりねーから肉追加で買うか」

「あ、いいですよ俺帰るんで」

「せっかくだからヨウも酒でも飲んで話そうぜ」

 行くぞ、と言われて、俺とヨウはカズシについて外へ出る。

「んで、シドウ、お前のそのカッコはどーしたんだよ」

「なんか、ミヅキが」

「貢がれる男、いいねぇ」

 ま、俺のセンスにはかなわないみてーだな、と笑うカズシに、そうだなと頷いた。混ぜる色を間違えたような色のTシャツは、奇抜な薄緑の頭にぴったり。ハイレベルなセンスは俺にはわからない。


 焼肉にするから好きな肉持ってこいよ、と言うカズシの言葉に甘えて、とりあえず牛肉を三パック籠に入れた。カズシをちらっと見ると、値段をみながらブツブツと数字を口にしている。計算してるなと思いながら、もう一パック、投げ入れる。

 スーパー「サンセット」は、以前の騒動が嘘のように、通常営業している。この街では、暴れる奴なんて、いて当たり前なのだろう。カイトの冷静な態度を思い出した。俺も少しずつ、馴染んできている気がする。

「シドウさんたち、お酒はなに飲むんです?」

「俺はなんでも……カズシはちょっと弱いやつ」

「おいおい、お前、俺の酒の強さ知らねーだろ?」

「三パーのやつにしときましょう」

 カズシの押すカートに、上の籠に俺が肉を、下の籠にヨウが酒を入れて、山盛りになったカートをカズシがレジに持っていく。袋は貰えるだけもらって、俺たちは三人で抱えて帰る。帰る頃には雨が止んでいて、閉じた濡れた傘が邪魔だ。

「で、ヨウはなんでレンゴウカイに?」

 カズシは一番軽い肉の袋を二つ。ぶらぶらと俺たちを振り返りながら、後ろ向きに歩いて電柱にぶつかる。

「殺られる前に殺るのがこの世の理だっていうシドウさんの言葉に感銘を受けて」

「わかりやすすぎる嘘つくな」

 すいません、と言うヨウの表情は、やっぱり変わらない。

「シドウさんのこと、そばで知りたかったからです」

 また冗談かと思ったが、俺をじっと、観察するように見ているヨウは、今度こそ本気かもしれない。

「怪しいと思うなら、俺のこと調べてもいいですよ。志望理由は単純に好奇心です。西に住んでるので、シドウさんたちのこと、最近よく耳にしてまして」

 俺の写真が勝手に載せられた自治警察のビラを思い出した。

「有名人になっちゃったよなぁ」

 紙袋と肉と酒だらけになった部屋に腰を下ろしながら、どこにともなくカズシは呟いた。このままじゃ匂いがついちゃいますよ、と言いながら、ヨウはせっせと紙袋を廊下に出していた。


【れんごうかいのじゅうよん おわり】

【れんごうかいのじゅうご に つづく】

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