れんごうかいのじゅうさん


 居場所を得るために死に物狂いで努力をし、世間の羨むような様々なものを手に入れても、居場所はいつだって繕った自分の居場所でしかなく、本音なんて言えるわけもなく、いつだって窮屈で苦しくて。ある日、突発的に大学を飛び出した。高い学費や実家を離れ住まう費用を親に払わせているくせに、なんて親不孝なのだろう。汚れた白衣は川に捨てた。教科書もカバンごと放り投げた。わけもわからなくなって大泣きしていたら、雨が降っていた。そのまま濡れて帰る。部屋に入って大きなくしゃみをしながら、風呂の湯をセットした。

 服を脱ぐのは嫌いだった。どれだけ鏡で見てみても、自分は確かに男性と呼ばれるものの構造をしている。調べてみれば、稀に心身がちぐはぐな性別で生まれてくる個体もいるそうだった。納得し、落胆した。そうか、そうだったのか。手術や整形などは考えなかった。そんなことをしても、俺は完全な女性にはなれない。言葉で表現するには難しい感情に囚われた。同じような仲間に会おうとも思わなかった。会ってどうするんだ。同じ境遇の人に会ったとしても、俺の体が変わる訳では無い。

 風呂から上がり、体を拭いて、お気に入りの黒いワンピースを手に取った。どちらかといえば女っぽい顔をしていたのが唯一の救いで、けれど女物を着たら当然違和感がある。風呂から上がって寝るまでの間でも、自分のためにしっかりとメイクをする。水色の長いウイッグを被って、完了。鏡の前で微笑む。そうやって変身しないと、戦えない。生きることは、ボクにとって戦いだった。

 いつも真似をするのは、何かと戦いながら、輝き、弱いところもあるけれど確かに強い、そんなアニメやゲームの女性達だった。彼女らはボクの憧れで、中でも特に、一昔前に流行ったと言われている、バーチャルアイドルと呼ばれる類の一人の女の子が、ボクの憧れだった。

 彼女のように可愛く、眩しく、男を魅了し、華麗に舞いたい。だからボクはいつも変身すると、彼女が生きていたら、ということを考えていた。食べるものの選択も、着る服やアクセサリーも、何を見て笑うのかも、彼女のことを考えて従った。ボクは彼女になりたかった。彼女になれば、彼女になれる。そうすれば幸せになると、信じて疑わなかったけれど。

「……考えてもみなかったよ」

 生まれて初めて、自分になりたい、と思いながら飲み込んだ原色の四錠が、口の中でぱちぱちと弾ける。


◆ 


 夏の夜は蒸し暑い。来る前に一度カズシの家に寄って、半袖を漁って勝手に借りた。書いてある英語はよくわからないが、描いてあるイラストには、カズシの持っている服の中ではセンスを感じた。虹色にペイントされたヨットと海と女の絵。俺もこういうの描いてみようかな、と少し思う。そういえばもうずっと、絵を描いていない。

 ……ふと、弟のことを思い出した。すっかり忘れていた。怒ってるだろうか。改めて考えないことにする。

 来るかわからない待ち人を待つのは不安だった。しかも残念なことに、俺は時間を確認するものを何も持っていなかった。今が何時か、まだ時間が来ていないのか、もうとっくに一時間すぎているのかもわからない。我ながら間抜けだと思った。

 別れる時、何があるんですか?なんの用事ですか?ついていきます、と言って聞かないミヅキに焦ってしまったが、カイトが夜も遅いからと一緒に引っ張っていってくれた。……どうせミヅキのことだから、どこかでカイトをまいてきてしまうかもなとは思ったが、まだ会っていない。

 夜中の商店街にはシャッターがおり、人の気配はない。ふう、と大きく息を吐いた。代わりに吸った空気は生ぬるくて、体温が上がったような感じさえする。ジメジメとした感触。少し重たい空気。

 初めてあいつに出会った時のことを考えていた。意味のわからないテンションで、ドタバタと連れていかれ、目まぐるしくてわけがわからなかった。俺はそんなあいつの意味のわからなさが、心地よかったのかもしれない。

「動かないでね」

 後ろから抱きつかれるように、腕を抑えられる。片方の腿に突きつけられているのは注射針。覗く袖はスーツのもので、サイズが大きいのか、袖が少し余っている。

「ハルカゼ」

 言われるとおり、動かないまま、アスファルトを見つめながら言う。

「……ちゃんをつけてよ」

 後ろの声が、少し笑った。

「……この、これはなんだ」

「これはね、街で出回ってるアクセルバイトを溶かしたものを入れてる。打ったら急性中毒死するか、酷い依存症になるか、なんにせよ一発でダメになるよ。……動いたらうつからね」

「……ああ」

 力を抜いた。抵抗する意思はなかったし、きっと動かなければハルカゼはうたないだろうと考えていた。

「……まったく、キミってばほんとバカ、あんなとこで叫ぶなんて」

「やっぱりあそこにいたのか」

「リアルタイムでいなくたって情報が回るよ、あんなの、レンゴウカイのシドウが大声でハルカゼって女に呼びかけてたって」

「……でも、おかげでまた会えた」

 背中からため息が聞こえた。

「……なんでボクを探してたの」

「なんでって、また話がしたかっただけだ」

 細い腕が、俺を抱きしめる力を強める。

「自治警察と結託してボクを探してたでしょ」

「……自治警察はアクセルバイトを追ってて、アクセルバイトを追えば、お前にも会えるかなって……それに、セイラが頑張ってるから」

「……ふぅん」

 ハルカゼの声は寂しそうに響く。

「自治警察はアクセルバイトでもう犠牲者を出さないって言って捜査を続けてる。……なあハルカゼ、お前どうしてアクセルバイトを、あの時……というか、その、どうして」

 ぼそぼそとまとまらない言葉で聞く。話し始めてから、自分が何を聞きたいのか悩んでしまう。ハルカゼはしばらく黙ったままでいたが、俺がきちんと言葉を繋げないうちに、淡々と吐き出す。

「……あのね、ボクは多分、今日で終わりだよ」

「え」

 注射器が下ろされた。そのまま反対の腕も俺を離れ、くっついていた体が離れる。……俺は前を向いたまま。空いた隙間に、ぬるい空気が入り込む。

「いい子でちょっとおバカさんのほうのショウちゃんには教えてあげる。ボクはアクセルバイトを作った人だよ」

「え」

「ボクは高橋組のドラッグデザイナーのチームリーダーのひとり。完璧で安全で最強のトリップを約束できるアクセルバイトの研究を先導し、完成したあとに名前を付けたのはこのボク。アラキワタリだよ」

 ふふ、と後ろから聞こえた笑い声は寂しそうだ。

「……ねえ、びっくりした?」

 背中をそっと撫でられる。そうなのか、と呟くと、そうなんだよ、と跳ね返る。時間が止まったようだった。

 つまり、俺がレンゴウカイのシドウとしていまやらなければならないのは、ハルカゼを……ワタリを捕まえることだ。そしてセイラに渡すべきだ。なのに、そうすることができないでいた。

「でもね、高橋組はボクを裏切った」

「……裏切った」

「そう、ボクの大切な薬にちょーっと手を加えて、毒薬にして、ばらまいたんだよ。正規のアクセルバイトなら死んだりなんかしないよ、ほんとだよ、だってボクの子だもの。でも成分はギリギリだった。どのバランスを崩したって殺人兵器になりうるものだったさ。そして晴れてアクセルバイトは兵器になったの」

 殺人兵器です、と言い切ったセイラを思い出した。毒だと思うという言葉も。高橋組を疑っていたセイラと、高橋組のためにアクセルバイトを追っていたというミヅキを同時に思い出す。俺には難しい話だろうか。

「あのね、近々、この街で大きな抗争が起きるよ、きっと」

 ワタリの声は穏やかで、抗争なんてイメージできない。

「自治警察は成員をアクセルバイトに殺されてる。アクセルバイトを辿れば、そのずっと先で必ず高橋組にたどり着く。……ある幹部の名前にね。でも高橋組のリョウガはきっと認めない。大きな抗争になるよ。たくさんの人が死ぬ。……ボクもたぶん、今日で終わりなの。ボクが先に自治警察に捕まったら、ぜーんぶ喋っちゃうからね、それは”彼女”にとっては困ることだからさ」

「……それは」

「ちょっと前から目つけられてたのはわかってた。ボクが消えたのと、アクセルバイトの正規品の残りが消えたのが同じ頃だからね。レシピはボクしか持ってない、彼らは正規品がなければ改良できないの。おバカさんだから。だからね、ボクを探して、アクセルバイトの場所を……ボロを出すのをまってたんだよ、きっと。でも、ボクはもうあの子達を毒薬になんかさせたくない。ボクはあの子達で最高の夢を見て欲しかった。ちゃんと帰ってこれる夢をね。帰ってこれない夢は、ただの悪夢だから」

 優しい声。母親に頭を撫でられていたような昔を思い出した。

「ホントはね、もうキミには会わないことにしてたの!キミがボクを探してるのはアクセルのためじゃないし、ボクはそんな人にはどうしたらいいかわかんないもん。だって、薬絡みじゃなくボクのこと受け入れてくれる人なんて、今までいなかった。きっとこれからもそうだと思うし、最初はキミもボクに会おうとしてるのはアクセルのためだって、思ってたのに、違うなんて狡いよ」

「……ごめん」

「そうだよ、もっともっと謝ってよ。……キミのせいで、もしかしたらキミはボクのことを見てくれるかもしれないって……思っちゃったじゃん、バカ」

 そんなの無理なのに。苦しそうな泣き声。なんて声をかけたら正解だろうか。丸でなくとも、三角が貰えるような言葉が囁けたなら、ワタリはもう泣かなくていいだろうか。

「なあ、動いていいか」

「……いいよ、もう」

 諦めたような声が返る。俺はゆっくり振り向いた。泣きながら俺を見つめているのは、昨晩、集会を行っていた廃墟で俺を起こしてくれた茶髪の男。少し大きなスーツを着て、似合わないネクタイをゆるくしめて、グシャグシャの顔で俺を見て笑う。

「ごめんね、俺、女の子じゃないんだ」

 ごめんね、と繰り返す声は、かぼそく、自信の無い、少しだけ低い。俺は何も言わなかった。

「……えへへ、体も女の子に生まれたかったなぁ」

 そうしたら、最後にキミにキスしてもらえたのに。

 泣きながら笑った相手に一歩近づいて、頭を撫で、手を滑らせて顎を掴んだ。目を丸くする相手の反応を待たないまま、体を引き寄せる。

 腕の中で身をこわばらせる相手の背を撫でながら、隙間なく唇を重ねた。離し、また重ねる。やがて力を抜いたワタリの体をまた引き寄せて、同じようにする。細くて折れそうな体は確かに男のものだなと思った。けれど……。

 甘くて舌の痺れるような味がした。人口の味。この味を俺は知っている。アクセルバイト。端に残る薬の欠片を舌に受け取って、噛む。ほんの少しだけ、あの時見た世界を思い出す。やがて唇を離すと、ははは、と泣き顔で笑うワタリ。

「ノーメイクな上にシラフじゃキミに会えなくて」

 最後の子だったんだ。ごめんね、もうキミにあげる分はないよ。残念でしょ。泣きながら笑うその顔を、俺は綺麗だと思った。髪色も目の色も目の高さも声の高さも違うけれど、そこにいるのは確かに、俺があの日会った、ずっと探していた人。

「……ねえ、ありがとう」

「え」

「……お願い聞いてくれて、ありがとう」

「……そんなんじゃない」

「なあにそれ。もしかして、キミってそっちなの」

「……どっちでもないけど、俺はいま、お前とキスしたかった、それだけ」

「……そっか」

 キミにはどうでもいいのかもね、こんなこと。優しい顔で笑うワタリ。改めて俺の胸に顔を埋めるその背を撫でる。しばらくして、ワタリのほうから体を離した。もう泣いてない。しゃんとした、覚悟を決めた顔。

「……俺はもう行くよ」

「……どこに」

 そのまま消えてしまいそうな不安がよぎり、言葉が口をついて出た。

「どこでもないところだよ」

 ワタリは笑って言った。何も言えないままの俺の唇に、軽く触れるだけのキスをする。

「泣かないで、きっとまたキミに会いに来るよ、だから」

 その時まで生きていてね。

 俺の横を通り過ぎていくワタリを引き止めなかった。育った場所も知らず、普段なにをしてるのかもわからず、薬のことだって、俺にはよく理解ができなかった。けれど。

 それでも確かに大切だった。難しいことなんか何もなくたって、たった一瞬出会っただけの存在だったって、俺に危害を加えたことがあったって、俺はたぶん、ワタリが好きだった。そしてそれは、恋愛とも友情とも違うものだったと思う。頭の悪い俺には、この気持ちの名前はわからない。

 ふわふわとした甘いような苦いようなグレーの気持ちが消えないまま、気づけば目から涙が溢れていた。馬鹿にもわかることがある。もしかしたら、もう二度と、ワタリには会えないかもしれないってこと。落ちて行く生ぬるい粒がアスファルトに吸い込まれて、すぐに乾いていく。そうやって、明日には俺がここで泣いていたことなんて誰も知らない。ワタリがここにいたことも消えてしまうのだろう。

 きっとまたキミに会いに来るよ、だから。

 頭の中で繰り返された声を聞いて、袖口で涙を拭った。そういえば、こうして泣いたのはいつぶりの事だっただろうか。



「お待たせショウくん」

 背中で探していた相手の声がして、俺は死ぬほど驚いた。思わず銃を構えたが、微笑んで「もうなにもないよ」と両手をあげる。

「なにも」

 思わず繰り返すと、また俺に一歩近づきながら笑う。

「そう、何も。……アクセルバイトも何も」

「気づいてたのか」

 引き金に指を添えた。足を撃てば動けなくなる。銃声なんて珍しくもない。誰が見に来るとも思わない。気にする事は何も無い。なのに。

 撃てないまま震える手に、ワタリが両手を重ねた。……細い優しい手。体の震えが少しずつ収まって、息が楽になるような気がした。

「さあ、俺を連れて行って」

「えっ」

 微笑んでワタリは繰り返した。

「俺を連れていかないと、キミがヒメカさんに痛い目に合わされるでしょ?」

 知ってるのか、その声は音にならない。

「いいよ。もうどこを探してもアクセルバイトなんかないから。俺をいくら痛めつけても、何も出ない。安心して?」

「……でも」

「きっと、これからの高橋組と自治警察の抗争にはレンゴウカイも巻き込まれるよ。だからキミはそこで、シドウくんを支えてあげて、レンゴウカイのナンバーツーさん」

「……お前、どこまで知ってるんだ」

 取り繕うのを忘れていた。ただ優しく微笑む無抵抗の相手に、刃物を振り回すキチガイ女以上の恐怖を感じていた。優しく、確実に、相手は俺のパーソナルスペースを侵食していく。ヤバい。怖い。考えるなと思っているのに、シドウのことまで言われて、思考が引っ張られる。

 こいつは俺がアリマカズシであることを知っている。レンゴウカイに在籍していることも知っている。シドウとの関係も知っているし、シドウのことも知っている。考える前に口が動いていた。

「何が欲しいんだ、持ってるもんならやる、金でも情報でも、嘘じゃない!俺は、俺が持ってる情報はマジだぜ、なんたって、あのヒメさんイチオシの情報屋だからな!だから、だからシドウはさ、あいつには」

「いいよ、大丈夫」

 ワタリが俺の目元に手を添える。気づかないうちに泣いていた。怖かった。気づけば俺はワタリの胸に頭を預け、抱きしめられていた。なんだこれ。そう思いつつも、拳銃を握った手から力が抜けていく。

「頭が良さそうで、何故かいつも不安そうなほうのショウくん。キミは嘘つきだったけれど、全部が嘘じゃなかったって俺は思うんだ。少なくともあの夜は、本当のショウくんだったって。……ねえ、あのカクテルはね、ほんとは優しいキミのために作ったカクテルだよ。キミの名前を冠したお酒」

 のみ口に塩のまぶされた緑色の綺麗なカクテルを思い出した。柔らかく広がる果実の甘さ。そこに入り込むペパーミントの匂い。ワタリは俺の頭を撫でながら、言う。聞いたことのない優しい声。

「さあ、俺を連れて行って」

 動けない俺の腕に、ワタリがそっと手を添えた。操られるように、ポケットの中のスマホを取り出した。指紋認証で開いた画面には、初期設定のままのホーム。通話のアイコンをタップする。

 連絡先に登録しなくても、指が覚えている。発信がタップできない俺に代わり、細長い人差し指がそれを押す。すぐにあの女の声がする。

『カズシくぅん、やっぱアナタいい子だわ。さすがわたしのお気に入り』

 電話をすぐに切って吐いた。俺の背中をさするワタリは、優しく微笑んだまま。その目が少しとろんとしているのを見て、あー、そうか、というシンプルな絶望を感じた。

 ワタリが俺のこと分かってなかったんじゃなくて、俺がワタリのことをわかってなかったってワケ。遅すぎる後悔も虚しく、四方を足音に囲まれる。慌てて立ち上がり、俺は無言でワタリに背を向ける。なだれ込む黒いマスクの集団に紛れて、俺は迷路のような小路を抜けていく。

 頭の中で、初めて業績シールのついたワタリの嬉しそうな顔がリフレインして、俺は空に向かって銃をぶん投げた。後ろの方で硬い音がする。言葉にならない雄叫びをあげて、俺は走り出した。……今までずっと抑え込んでいた感情が次々に溢れて、止まらなくなっていくのが恐ろしくて、どんどんスピードをあげる。けど、気づいてしまう。

 どんだけはやく走っても、あのアクセルバイトのスピードには叶わない。純正のアクセルバイトなら、きっと素敵な夢が見られたんだろう。



「どういうことですの、シドウ様」

 夜中だというのにばっちりと化粧をし、背筋を伸ばし制服にシワひとつないその姿を見て、街の人が慕う理由がわかった気がした。やっぱりリーダーはしゃんとしてて、頭が良くて、カッコイイやつがいい。俺なんかは一番向かないタイプ。そんなことを考えながら、セイラに答える。

「レンゴウカイは、アクセルバイトと”ハルカゼ”を追うのをやめる」

 俺はもうすっかり自治警察にも顔なじみになっていて、夜中の受付の成員も俺を真っ直ぐにセイラの部屋に通した。俺とセイラ、向き合う形で中央のソファに座り、机には二人分の紅茶。甘いハーブティー。

 俺の言葉にセイラが答えないあいだに、もう一度紅茶を口に含んだ。紅茶が少し冷めていて、飲みやすい。火傷するのを気にしなくていい。

「なぜですか」

 恐る恐る顔を上げた。セイラは笑ってない。けれど、怒ってもないようだ。黒いビー玉みたいな目に、俺が写っている。

「シドウ様もハルカゼという人を探してましたし、レンゴウカイだけよりも我々と手を組んだ方が良いはずです。こちらも、アクセルバイトをなんとかしたいですし、シドウ様だって身をもってお分かりでしょう?あれは危険な薬物です、放っておけない」

「……そうかもしんないけど」

「けど、なんですか」

 考えたけど、うまい言葉は見つからないままだった。セイラはしばらくして……紅茶を飲んで、カップを皿に置く。

「わかりました。自治警察とレンゴウカイとの協力は今日でおしまいです。ですが、お分かりですわね?」

「えっと……なにが」

「我々は今後レンゴウカイと手を組むことはありません」

 そのきつい言い方に、一瞬怯んで、ゆっくり頷く。それから小さく、ごめん、と言った。

 あ、冷たい、と思った。頭から掛けられたのは、セイラの冷めた紅茶だった。俺を見下ろすその目は、怒っているようにも、悲しそうにも見えて。またごめん、と繰り返すと、今度はカップを投げられる。セイラのカップが俺に当たって割れる。左目の近くで、じわじわとした痛みがする。

「……あなたは誰かがまた死んでも、気になさらないのね」

 もっと優しい方だと思ったわ。出て行ってくださいまし。それだけ言うと、セイラは俺に背を向けて、机に戻ってしまう。

「……なあ、セイラ」

 答えないままファイルを整理する背中に言う。

「高橋組と抗争なんかするな」

 ぴたり、とセイラの手が止まる。俺はワタリの言葉を思い出しながら言う。

「そうしたら、お前が助けたかったよりも、きっと多くの人間が死ぬ。だから」

「それは、わたくしが考えることです」

 静かな凛とした声。終わりの合図のように感じた。何の終わりなのかは、よくわからないが、胸の奥が痛む。

「……その、いろいろ、ありがとう」

 もたついた礼を言いながら、俺は部屋を出る。受付で顔の怪我を聞かれたが、何も言わずに謝った。明日、レンゴウカイの奴らにも言わなきゃいけないと思うと、少し気分が沈んだ。リーダーなんか向いてない。眠気と頭痛に襲われながら、まとわりつく空気をよけて歩いた。


「おかえり」

 扉を開けると声がした。答える前に安心がこみ上げて、眠気が吹き飛ぶ。俺は靴を脱ぎ散らかして部屋に入る。久しぶりに見る鮮やかな緑色が目に飛び込んだ。

「カズシ」

 名前を呼ぶと、右手をひらひらさせてこたえる。ダメージだらけのTシャツにダメージジーンズで、どこでやられてきたんだと言いたくなるような格好。俺のシャツを見ると、指さして、それいいだろ、と笑う。これだけな、と笑うと、なんだよそれ、と、また笑う。

「どーしたんだよ、それ」

 セイラのカップで切ったところを指さすカズシに、何でもないと答えた。

「まあいいけど。なあ、飯食った?」

「食った……けど」

「腹減ってる?」

「うん」

「じゃあ〜さ、ちょっと付き合えよ」

 帰ってきたばかりの家に戸締りをして、二人で並んで歩く。酔っぱらいや不良や色んなものが歩いている中に紛れていく。ケンカしてる奴らもいれば、道の真ん中でお互いの体を触りあってるカップルもいる。何時かわからないが、夜もだいぶ更けてるだろう。人に流されそうになってカズシの腕をつかむ。そのまま知らない道を歩くカズシについていく。

「じゃーん、到着」

 カズシが足を止めたのは、飲み屋街の入り組んだ道の端にあった。周りのギラギラとしたネオンに圧倒されてなかなか目立たないが、小さな看板に、ピンクや紫のライトが控えめに光っている。看板には、チェリー。カタカナなら俺でも読める。カズシに続いて入口をくぐると、勢いよく頭をぶつけて、頭を抑えながら、すこし屈んで歩く。

 廊下を抜けた先に、店の入口があって、カズシは躊躇うことなくガラス扉を開ける。少し広めの店内。暗めの照明。バーなんて来たことがなくて、緊張する。カズシは慣れているようで、俺を手招きして、カウンターの席に腰掛ける。他に客はいない。俺もカズシの隣に座る。

 カウンターには、制服を着た男が一人。俺とカズシを見て、ニコリともしないまま、黙って皿を一枚。フライドポテトとサラダ。二人分の箸がついていて、俺たちはつまみ始めた。ポテトは出来たてなのか、ホクホクしていてうまい。

「たまにゃ焼肉じゃなくて、こんなんもいーだろ」

 いつもより抑えた声でカズシが笑う。そのうちに、俺たちにひとつずつ、グラスが出された。水。一気に飲み干す。その間に店員は、背後にある山のように積まれた瓶の中から、器用に目当てのものをとっていく。酒を作る様子を眺めながら、緑色の酒もこの世に存在するんだなと考えていた。

「なあ、シドウ」

 カズシも同じように、その工程を眺めている。……なんとなく、寂しそうに見えた。

「探してた奴には会えたか?」

 やっぱり知っていたんだなと思った。俺は頷く。そうか、と微笑むカズシは、やっぱり寂しそうだ。

「……悪い、カズシ」

「え」

「お前がいない時、お前のこと悪く思って」

 思わず謝ると、カズシは一瞬ぽかんとしてから、笑う。

「それ、俺に言わなきゃわかんねーじゃん、なんで言ったんだよ」

「でも、その」

「いいよ。何も出来なかったもんな、俺」

 何も出来なかったもんなぁ、俺。カズシは繰り返した。

「……あのさぁ、シドウ」

 カラン、と、カズシの口をつけてない水のグラスで、氷が音を立てた。

「や、なんでもねーや。しばらくレンゴウカイに参加出来なくて悪かった。マミヤにイヤミ言われてそー」

「言ってた」

「やっぱりなぁ」

 トン、と、俺とカズシの眼の前にグラスが置かれる。足のある、オシャレなグラスの淵には、粒の大きななにかが一周ついていて、照明の光でキラキラ光っている。気になって人差し指でとって舐めると、塩だった。綺麗な緑色をした液の中には、なにかの実。馴染みの無いオシャレな酒に戸惑っていると、カズシが飲め飲めと勧めてくる。

「冷たいうちに飲むんだよ、こーゆーのは、ほらいっき」

「そうなのか」

 口に広がる甘さとミントの香り。隣を見ると、カズシが空のグラスを置きながら、静かに言う。

「この酒、俺、一番好きなんだ」

「……へえ」

 カズシのことがまた少し知れたような気がして嬉しくなって、俺はこの酒のことを覚えていようと思った。


【れんごうかいのじゅうさん おわり】

【れんごうかいのじゅうよん に つづく】

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