れんごうかいのじゅうに


 些細なきっかけから、人は崩れていく。いじめられていた、なんて言えば納得する人もいるかもしれないが、ただなんとなく、という人間だっているだろう。そもそも、崩れた、壊れた、堕ちた、というのはどこからのことを言うのだろう。誰がその規定を決めたんだろう。

 誰かの決めた規定に従い、誰かの決めた価値観で、幸せや喜びも誰かの杓子ではかり、人生を終える頃には、誰の人生を生きたのかさえわからなくなっている。

 世界はそういうものだ、人生とは理不尽なものだと言いながらも、裏側では自分になりたい、自分でいたいと悲鳴をあげるが、裏側にいるどれが「自分」なのかもわからずに、その音を黙って飲み込む。

 俺もそうだ。人の目を気にし、自分では声をあげられないまま、勇気もないのに自分を捨てることは出来ない。何を言われるのか怖くて意見を言うことも出来ない。……でも。

 自分でなければ言えるのだ。

 少しずつ肌の色が変わる柔らかなクリーム。頬を彩るキラキラした粉。目の色の変わる不思議なレンズ。くるりと上がったまつげは、瞬きするたびに音がしそう。色とりどりのアイシャドウで目元を彩り、弱気な目尻はライナーで尖らせて。憧れた彼女のように、唇を真っ赤に染めて。そう、彼女のように、彼女のように……。

 丁寧にブラッシングした長い水色のウイッグを手で優しく整えて、すっと被る。前髪を整え、横やうしろを整えて、鏡を見て、微笑む。そこにはもう、自信のなさそうな頼りないブスな男なんていない。憧れ焦がれた女の子がそこにはいる。ボクは俺ではなくなったのだ。俺はどこにもいなくなった。

「ボクが世界で一番可愛いよ」

 大好きな女の子が、目の前で笑っている。



 ゆったりとした夢心地の中、シャワーの音を聞いた。誰かいるのか、とぼんやり思う。カズシが帰ってきたのか、と考えて、目を開ける。壁掛け時計を見れば、午前八時を回るところだ。まだレンゴウカイの集合には早い時間。俺はすっかりベッドになっているソファから降りて、風呂を見に行った。

「カズシ、帰ってきたのか」

 風呂場の扉をノックして声をかける。数日いないとは言っていたものの、久しぶりに会えると思うと嬉しくなったのだ。カラカラと音を立ててあいた風呂場のドアから覗いたのは、不機嫌な金髪だった。

「キャベツくんじゃなくて悪かったですね」

 何も言わずに急いで扉をしめて、さっさとソファに戻って横になる。裸のミヅキなんか見ていない。俺はちょっと夢を見てただけだ。やましいことなど何も無い。誰かに言い訳をして、目を閉じた。


「人の裸見て逃げるの、酷くないですか?」

 文句を言うミヅキに、まじまじと見るわけにもいかないし、と言い訳をする。そういえば、いつ上がり込んでいたのだろう。昨日、鍵を閉め忘れていたのだろうか。制服姿なところを見ると、またバイトでもしていたのだろうか。ミヅキはニコニコ笑って言う。

「嬢としては、まじまじ見られた方がいいですけどね、お金取れるし。あ、シドウさんはタダでもいいですよ?」

「俺は金ないし、そーゆーのいいから」

「……シドウさんって、ちゃんとこっちですよね?それとも童貞」

「それは違う」

 ふーん、と興味無さそうに、ミヅキは向かいに座ってサンドイッチを頬張っている。シドウさんにもあげますよ、と、同じ種類のコンビニのサンドイッチを渡される。礼を言って、俺も食べる。少し辛子のきいたマヨネーズとハムが合っていて、うまい。

 俺は冷蔵庫から牛乳をとってきて、二つ分のグラスについで、ひとつをミヅキに渡し、もう一つに口をつける。今日初めて飲む水分。少しもたっとした感触が喉に残り、お茶をまず飲むべきだったなと思った。

「で、なんでレンゴウカイがアクセル追ってるんですか」

「……知ってたのか」

「当たり前ですよ、あんだけ盛大にやってりゃ」

 シドウさんの顔写真、ばらまかれてますよ。いいんですか、と言うミヅキが持っているのは、俺がこの前拾い上げたチラシだった。なんだか恥ずかしくなって、頭を掻く。すっかり有名人ですよ、と言われて、やっぱりそうなのかと、微妙な気持ちになる。

「……実はですね」

 しばらく間をおいて、ミヅキは声と眉を潜めながら言う。

「あたしもアクセルバイト追ってんですよ」

 今度こそ牛乳を吹き出した。呆れたミヅキがタオルを取ってくれて、掃除する。綺麗にしおえてから、改めて驚く。

「意外ですか?」

「意外、っていうか」

「自治警察になに吹き込まれたか知りませんけど、広がりつつあるアクセルバイトの被害に、高橋組も黙ってないわけです」

「……高橋組も」

 頷くミヅキ。ほんとは内緒ですけどね、といいながら、俺の隣に来て、少し顔を近づけて話す。

「ねえ、情報交換しませんか。あたしが知ったことは教えてあげます。だから、シドウさんが掴んだ情報も教えてください」

「……でも」

「これをさっさとなんとかできないと、あたしがリョウガさんに捨てられちゃう」

 リョウガの名前を呼ぶ時に少しうっとりしたように言うミヅキは、あまり見たことがない顔をする。理由はともあれ、セイラの真剣な顔も思い出し、俺たちに必要なのは一刻も早くアクセルバイトというものを突き止め、捕まえることなのだと思い直す。

「……俺たちはあんまり収穫ないけど」

「あたしだって、あんまないですよ」

 あまり身にならない情報交換をした後、ミヅキはどこかへ連絡をとり、今日からはレンゴウカイについて捜査を手伝います、と言う。ああ、それから、とミヅキは俺の頬に軽くキスをして、離れる。どう反応したものかわからずミヅキを見る。

「ねえ、あたしがいなくて寂しかったですか?」

 悪戯っぽい笑顔。ああ、とぎこちなく答えると、なんですかそれ、と明らかに不機嫌になるミヅキ。

 言ってしまえばミヅキよりも、ハルカゼのことで頭がいっぱいだった、なんてことは言わないでおいた。それと同時に、昨日の男のことを思い出す。あいつは、ハルカゼと何か関係があるんだろうか。

 ……カズシはやっぱり帰ってこなかったな、と、少しだけ寂しくなった。


 この二人の関係のことをすっかり忘れてたなと思いつつ、ミヅキとカイトに挟まれた微妙な空気にため息をつく。

「どこいってたんだよ、また学校も行かずに」

「いいじゃんどこでも」

「よくないだろ。シドウさんの手伝いもしてねえし」

「いまからするの、わかんない?」

「いままでしてない、だろ、大事なのはそっちだすり替えるな」

「ま、まあ落ち着いて」

 睨み合い、わかりやすくそっぽを向いた二人の真ん中に入り、また大きくため息をついた。

「で、シドウさん、自治警察に何の用ですか」

「自治警察さんとレンゴウカイはいま協力してるから」

「カイトには聞いてないんだって!」

「シドウさんにわざわざこんなこと答えさすのかよ」

「いや、ほら、カイトの言う通りだから……」

 頭が痛い。どうしてこんなに仲が悪いんだと思い、さらにお互いに別に嫌ってるわけではないのにと思い、首を傾げる。俺にはわからない複雑なものがあるんだろうか。

「子守は大変ですわね」

 自治警察のビルに入ると、珍しく受付にセイラがいた。ふわりとした黒髪を綺麗に巻き、自然に流している。黒いスーツにぴったりの深い青のストールを軽く肩にかけ、出した耳には控えめな青い石がくっついている。

 セイラの態度にミヅキはわかりやすく機嫌を悪くするが、カイトはしっかりと頭を下げる。それにセイラもきちんと挨拶を返す。俺が軽く右手をあげると、セイラも真似をして、反対の手を振った。と、ミヅキに足を踏まれて、唇を噛む。

 セイラに呼ばれて来た、名前のわからない自治警察の女が代わりに受付に入り、俺たちはエレベーターで会議室へ。知らないスーツの男から、四人分の紅茶が運ばれてきて、それぞれが手に取る。俺は少しひりつく舌のことを思い出し、しばらく手をつけなかった。

「昨晩、中毒者三名を捕獲、その中に一人、ぼそぼそとずっと話し続けている男性がいました。話しかけても返事はありませんでしたが、確かにその中から……タカハシ、という名前を聞きました」

 なにかのファイルを開きながら言うセイラに、俺の右側に座ったミヅキが勢いよく立ち上がる。

「ほら、こうやってこじつけようとして!」

 セイラは穏やかに笑いながら、まあ座ってくださいまし、とソファを指す。反対側でカイトが手を伸ばそうとするのを遮り、俺は控えめにミヅキの制服のすそを引っ張る。ミヅキは俺のことを睨みながら、足を組んで座る。

「落ち着いて、高橋組のお嬢さん。まだ何も言ってないわ」

 高橋組のお嬢さん、と、カイトが声を出さずに口でなぞった。ミヅキは否定しない。

「言おうとしてることはわかってるわよ」

「もちろんこちらも、全てをタカハシリョウガの責任にはしようとは思っていません、ですが」

 一間置いて、セイラは俺を見つめて言う。

「この件に、高橋組のどなたかが関わっているという可能性は非常に高い」

「……でも、タカハシなんて苗字はそんなに珍しくはないですよね」

 控えめに言うのはカイト。それに対しセイラは、ファイルの別のページを開き、何かを取り出す。数枚の写真。あ、と声をあげたのはミヅキだった。それぞれ誰かの体の各部が撮影されている写真だが、どこにも同じマークが入っている。

「これは、高橋組のタトゥーです。昨晩の三名には、皆このタトゥーが彫ってありました。……高橋組のどなたかが先導していると見て、間違いはないのではないかしら」

 ちら、とセイラがミヅキを見る。ミヅキは写真を見たまま黙っている。丸くまとまっていても迫力のある虎の咆哮の入れ墨。そんなに大きなものではない。腹や腰、背中、足の裏といったところに彫っているのを見るに、人に見せるものではないのだろう。

「……ミヅキさん、何かご存知かしら?」

 名指しで言うセイラに、ミヅキは何もないとだけ答える。ちらちらとミヅキを不安そうに見ながらも、カイトは何も言わない。

「……シドウ様からは、他になにかあったかしら?」

 カイトのほうを見ると、レンゴウカイでいままで得た情報をノートからいくつか出してはくれるが、自治警察のものに比べると、有力とは思えないものばかりだった。恐らくは欠片ほども役に立っていないだろう。

 結局俺は少し迷って、昨晩会った男のことは言わないまま、セイラとのミーティングを終えた。ビルを出て、今度は目をそらし何も話さなくなった二人を両脇に抱え、とりあえず飯でも食おうと歩き出した。


 僅かな期待を持って訪れたのは、以前カズシが働いていたファミレスだった。が、見渡してみてもカズシはいないらしい。恐る恐る店員に聞いてみると、しばらくはシフト入ってませんよと言われて、大人しく席につく。

「どこいったんでしょうね、カズシさん」

「畑に埋まってんじゃないの?」

「失礼なこと言うな」

 言い合いには口を出さずに水を飲んだ。机に置くと、カラン、と氷が揺れる。カイトはスマートフォンを扱いながら、まだ進展はないようですねと呟く。あちこち連絡を取り、まとめ、その繰りかえし。俺よりもカイトはずっと働いている。

 ウェイトレスが注文を聞きに来て、同じものをうっかり頼んで揉めはじめたミヅキとカイトをおさえつつ、俺はドリンクバーを三人分取りに行く。どれがいいのか聞きそびれて、バラバラにしようかと思ったが、取り合いになった方が面倒だったので、同じものにした。

「……ミヅキ、お前高橋組と関わってるのか」

 カイトが手元の画面を見ながら言う。ミヅキは答えない。まだ料理の並ばない机に不穏な空気が漂う。

「……なんで答えないんだよ。最近のお前はいっつもそうだ、何も話さない」

「……カイト、いまは」

「すみませんけど、シドウさんには関係の無い話です、口を挟まないでください」

 時折カイトはこうやって、突き放すような言い方をする。少し傷つくが、ミヅキとカイトは俺が出会う前よりも前から出会っていたのなら、俺にわからない関係があっても仕方の無いことだし、俺はそれに口を出すべきではないのだろう。

 ……それでも、俯いたままのミヅキのことは放っておけないと思ってしまう。

「俺も、カズシも、ミヅキも、カイトも、レンゴウカイ。いまはそれでいい、ってことにしてくれないか。仲間なら、きっと話せる時に話してくれる……いまミヅキは話したくなさそうだから……俺は聞かない、でもいつか話してくれるよな」

 ミヅキは目を丸くして……それから、頷いた。それを見て、カイトは戸惑ったようにしばらく呻いていたが、やがて頷いた。

「……ちゃんと話せよ、今度。あともう危ないことには首突っ込むな」

「わかってるよ」

 少し柔らかくなった空気にほっとして、ひとつ大きなあくびをした。

 

「見つかりませんね、女の人」

 飽きてしまったのか、ミヅキは途中で俺の足元に座り込んだ。寄りかかるミヅキの髪の毛が少しくすぐったい。カイトに怒られないかとヒヤヒヤしたが、遠くの方までビラを配りに行っている後ろ姿を見て、ほっと息をつく。

「……思うんですが、そのひと、またシドウさんに会いに来ますよ、自分から」

「え」

「シドウさんの名前は少し前から有名ですし、こと裏社会の人間なら第三勢力の噂は聞いてるはずです。それも……もし、もしもですけど、高橋組の成員だとすれば尚更ですよ。情報が回るのははやいです。そんなシドウさんをピンポイントで狙ってきた人が、一度の失敗で諦めるとは思えません」

「……つまり」

「今度はちゃんと殺しにくると思いますよ。勝手に一人でどっか行かないでくださいね」

 あなたに勝手に死なれては困るので、と付け加えたミヅキが微笑む。それを聞いてどんな顔をすれば正解なのかわからず、俺はとりあえず首をかしげておいた。

 目の前を見る。人通りの多い大通りの歩行者用通路は方向を変えるのが大変なほど人が行き交っているが、レンゴウカイの呼び声に振り向くやつはわずか。それどころか、レンゴウカイが集まっていることを聞きつけて、ケンカを売りに来る不良が何組も。俺も今日、何人投げ飛ばしたのかわからない。

 シめた不良からもアクセルバイトの有力な情報は手に入らなかった。レンゴウカイの中からも、成果も見えず報酬もないことに疲れた声が出始めていた。少しずつ、俺は焦り始めていたのかもしれない。頭の中には、俺なりに考えた末にたどり着いた結論が一つ。バカの特権は、やる前から悩まないことだ。やって後悔することのほうが多いけど、悩んでも答えの出ない俺達には、悩む時間なんて無駄だ。

 戻ってきたカイトにミヅキを渡すと、少し散歩がしたいと言って、俺は一人で一本裏道に入っていった。また一本、もう一本、確かこっちだと思いながら、記憶を頼りに歩いていく。

 一定の場所まで来ると、空気が変わるのがわかった。これ以上行ってはいけないライン。ゴミや落書きの量が増え、なんだか不穏な空気が漂い、なんの匂いなのかわからない、嫌な匂いがする。……幸い、まだ夜ではない。陽がある。

 顔を上げるな、目を合わせるな、と言われたあの梅雨の夜のことを思い出す。ここから先は高橋組の領土だと。先導するカズシはいない。俺は息を飲み込んで、一歩踏み出した。

 

 道端には、目付きが普通でない若者が座り込み、何事かブツブツ呟いている。目が合うと、前触れもなく殴りかかってきて、思わず反射的に突き飛ばす。……壁に強く体を打ち付けたようで、静かになる。反対側にも数名同じようなやつがいるが、俺と目を合わそうとはしなかった。

 飲み屋やスナック、風俗のような店が並ぶが、まだ開店時間ではないために静かだ。人は多くはない。地べたに寝転がり酒を飲む男、笑顔で手を振るいかにもあやしい男、黒いマスクを付けた小さな子供らは走り回り、次はオレがリョウガさんやる!なんて言っている。

「何しに来たの?レンゴウカイのシドウ」

 名前を呼ばれて息を飲み込む。後ろにいたのは、さっき手を振っていた男。身なりは綺麗とは呼べないが、表情は柔らかい。薄茶色のくせっけが跳ねている。

「……俺のこと、知ってるんだな」

「舐めてもらっちゃ困るよ、いまじゃお前の顔しらないと商売できない、レンゴウカイのリーダー」

「有名人になったんだな、俺」

「なっちまってるよ、おかげで金が入る、ありがたやぁ」

 ニコニコしたまま手を合わせる男。

「……お前、色々知ってそうだな」

「お、なに、知りたいことがあるの?」

 男は楽しそうにクツクツと音を立てる。変わった笑い方だ。それから手を開き、俺に見せる。

「……えっと?」

「情報が欲しいんだろ、これくらいもらわないと」

 当然、というふうに、パーのまま俺に突きつけられた手に、俺はまた首を傾げた。相手はため息をつく。

「五万」

「え」

「払えないならいいや、さよならシドウ」

 さよなら、と、驚くほど簡単に男は進路を変え、またさらに細い道に消えていく。引き止めることも出来ず、その背を見送る。思い立ってポケットを漁ったが、虚しくも一銭も入っていなかった。

「へえ、あれがシドウか」

 声がして振り向くと、また数名の男が俺を見て笑っている。

「なんだか思ったより頼りないな」

「あのマミヤさんを一発でのしたって言うけど」

「いまなら天下取れるかもよ」

「いいよ俺は、高橋組様の下にいるから」

「もちろん俺もだよ、天下の高橋組やめてレンゴウカイなんてガキのチームに入ったってなんの恩恵もないからな」

 はっとしてまた振り向いた。窓が勢いよく閉まる。左右を見れば、俺を見ている奴もいれば、目をそらす奴もいる。どこからか名前を呼ばれる気がする。振り向いても誰もいない。

 気味が悪いと思った。しばらくそれが続き、呼吸が荒くなり、動悸が激しくなり、緊張からか、汗が頬を伝っていく。俺は見られていた。観察されている。俺のことを誰もが知っていた。昼間食べた肉が上がってきそうなのを抑える。……それでも、目的を果たすまでは帰れない。

 目を閉じて、大きく息を吸う。俺の思いついた悪あがきだった。それでも俺はどうしても、あいつに会って話さなきゃいけないと思っていた。ハルカゼ、そう名乗ったあの女に。

「おいいるか!いや、いるかわかんないけど!ハルカゼ!おまえの名前はハルカゼじゃないかもしれないけど、お前がハルカゼって言ってたからそう呼ばせてくれ!お前、俺の名前知ってたよな!なんで俺にクスリ飲ませに来たんだ!お前は俺のこと知ってるかも知んないけど、俺はお前のこと全然知らない!知りたい!なあ、いくら呼びかけてもお前は来ないけど、ほんとはどっかで見てるんだろ?俺は今日これから、一人でお前と会ったあの場所に行く!夜中の零時!絶対に一人で!だから、会いに来てくれ!少しでいい、お前と話がしたいんだ!」

 大声で叫ぶと、周りで話をしていた奴らは口を閉じ、いったい俺が何をし始めたのかとぽかんとしていた。構わず俺は叫んだ。窓が空いて、裸の女がこちらを見て、すぐ閉めた。それもどうでもよかった。すべて言い終えると、俺は元の道を帰り始める。

 振り返らない。目を合わせない。さっさと元来た道を引き返す。境目を飛び越えて、元の演説場所に帰った時には、腕を組んだミヅキが仁王立ちして待っていた。

「どこまで散歩に行ってたんですか」

「……ちょっと、空まで」

「冗談いうなら面白いこといえるようになってからにしてください」

 そう言ってミヅキはため息をつく。あ、シドウさん、とカイトも駆け寄ってきて、いつから参加していたのかキョウたちも集まり、俺にわざわざ声をかけ、また同じように女探しとアクセルバイトの情報提供を求める。

 時間が経つにつれて、心臓の音が激しくなっていく。今夜、ハルカゼは来るだろうか。聞いていただろうか。今になって、届くかわからないのに叫び続けたことが、少しだけ恥ずかしくなって俯くと、隣でミヅキが首を傾げていた。



「ワタリさん、このあと空いてます?酒のお礼に今度は俺の行きつけ紹介しようと思うんすけど」

 バッチリ満点の笑顔で誘いをかけたのに、返答がない。数秒待っても、返事がない。完璧な笑顔をぱっと解いて、見てみれば、なんだかぼんやりとしているセンパイ。

「ワタリさんどーしたんっすか?業績上がってるし悩みなんかないっしょ」

 アクセル絡みでなにか動きがあったんだろうか、と思いつつ、もうわざわざ情報が引き出す必要もなくなったけどな、と思考を遠ざける。ワタリはなんとなく呻き声を返しただけで、ろくに返答はしなかった。俺はほっといて女に声をかけに行く。Irisの名刺にこっそり私用のケータイの一つの番号書いて渡す。ウインクすると、ビジネススマイルで返される。うーん、イキリホストじゃ相手にしてくんねーか。さっさと全部終わらせて、胸のでかいねーちゃんとヤりてえ気分。

 そう、全部終わらせて。

 ワタリはとりあえずまた女に声をかけ始めているものの、覇気がなくて全然ダメだ。これなら連れていくのは簡単そうだなと思いつつ、もしもの時のために発信機も盗聴器も取付済み。逃げられたってかまやしない。

 ……でも、やっぱりひとつだけ気がかりがあった。

「わったりさーん」

「わわっ」

 耳元で声をかけると、わかりやすく驚く。耳を抑えながら振り向く姿に女かよと心中で毒を吐きつつ、ちょいちょい、と手招きをして、建物の壁の隙間に入る。ついてきたワタリが首を傾げる。そういえばもう、ワタリは俺と自然に目を合わせるようになっていた。

「ワタリさんって、レンゴウカイのシドウさん、知ってます?」

「……ああ、知ってるよ、新しいリーダーの人でしょ」

 思ったよりも反応が薄い。

「え?その程度っすか?その割には演説見た時、じっと見てましたけど」

 突っ込んでみるが、ワタリの返す微笑みには違和感がない。

「いや、なんか彼、友達に似ててさ。キミと同じ名前の、いるんだけどね」

「……へえ、そうなんだ」

 あ、それだけなんすよぉ、すいませーん、と道路に出てから、ワタリと別れて息をつく。

 そうか、知り合いじゃないのか。なら遠慮しないでいいな、と思い、スマホを開き、今夜の計画を再確認する。もちろん背後には注意。

 せっかちなオバサ……オネーサンのために、俺は今日ワタリを捕まえるつもりでいた。大元のアクセルバイトの所在は掴めないままだが、まああの拷問大好き女にかかれば、ワタリもそのうち吐くだろう。俺の仕事は、あの女にワタリを渡せば終わり。これでしばらく吐き気ともおサラバだなと思いながら、スマホをポケットにしまう。

 気がかりは、もしシドウの知り合いだったらということだった。ここ数日のシドウの動きには注目できていない。ほかの情報を扱うので手一杯だった。俺の知らないところで知り合いになっている可能性もゼロではなかったが、そうか、よかった。ほっと息をつき、明日にはレンゴウカイに帰れるなと、自分でも驚くくらい嬉しくなる。

 そういえばシドウは女を探してるんだっけ、と演説を思い出す。道に落ちてたビラも見た。自治警察と結託するのは癪だが、今回の件にシドウだけで首突っ込むよりはいいだろうが、女ひとりくらい、俺が見つけてやってもいいなと考える。そーゆーのに興味なさそうで心配だったけど、なんだ、やっぱあいつも男じゃん。

 ……俺が帰ったら、シドウは喜んでくれるだろうか。期待してしまう心を抑えることはできなかった。

 大きく息を吸いこんで、切り替える。遠足は帰るまでが遠足。仕事は計画が終わるまでが仕事だ。時計を見る。PM11:37。……もういい時間だな、と思い、ワタリを探す。

 ワタリさーん、そろそろ切り上げて飯食いに行きませんかー。

 だが、どこを探してもワタリはいない。

「……まあ、こんなこともあると思ってたよ」

 自分が怪しまれている可能性もあったし、そうでなくともここ数日俺にかかりきりでろくに「シゴト」ができてないだろう。ここらでなにかアクションがあってもおかしくはなかった。スマホの改造アプリを開いて、イヤホンをつけ、発信機の場所を確認し、盗聴を開始する。

 ……つもりだった。

「マジか」

 どうやらワタリは俺が思っている以上に曲者だったのかもしれない。何一つ反応のない画面のレーダーと、かさりとも言わないイヤホンの音。それは既に仕掛けた発信機も盗聴器も壊されていたことを示している。

 浮かれていた気分が沈み、最悪の結果を思い描いて、こみあげた吐き気に、お前とはもうしばらく仲良くしねーとなんねーみたい、と手を振ってみるが、相手はただ喉を侵食していくだけだった。


【れんごうかいのじゅうに おわり】

【れんごうかいのじゅうさん に つづく】

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