れんごうかいのじゅういち
◆
生き物というのは雄と雌が交尾をし、命をつくって、次の代に繋いでいく。遥か昔、それこそ地球が出来た頃にはあっただろう、当たり前で暗黙のルール。知らなくたって知っている。生まれた時から知っている。
その長い長い習慣の証明として、男は女に恋をするし、女は男に恋をする。何を考えていても男は薄着の女の胸元を見れば性的に興奮し、女は顔や体の良い男を見ればモノにしたいと考えるのだ。……はたしてそこで本当に種を作るかは、現在の人間においては重要ではないかもしれないけれど。
そのどちらからもずれた三者、いわゆる俺たちは、当たり前に回り続ける生命の繰り返しの中に入れない。少し離れたところから彼ら彼女らを見つめ、また彼ら彼女らに見下され、嘲られ、笑われ、なんとか息をしているだけだ。
欠陥品だ、と、今日も自分の体を見て思った。胸元に手を当てる。どうしてここにはないのだろう。絶対に、ここにはあるはずなのに、とその胸の奥を撫でた。
◆
結局その夜、ハルカゼが見つかることは無かった。俺は酷くがっかりしたが、キョウやカイトは「こんなものだと思っていた」と、けっこう冷めた様子だった。まあ、こんなに簡単に見つかるようなやつでもなさそうだな、と、ハルカゼの悪戯好きな笑顔を思い出した。
自治警察もまた、一般市民に対してアクセルバイトと、それからハルカゼと名乗った女についての情報提供を求めた。また、自治警察に協力する組織として、レンゴウカイというチームの名前が世間に知らしめられた。街中で拾った新聞の端に、俺の名前と顔も出ていて、なんだか全身がむずかゆくなって、丁寧に元の場所に置いていく。
翌日も、翌々日も同じように昼夜レンゴウカイと自治警察は、もちろん俺達も、西地区を駆け回ったのだが、収穫はまるでない。アクセルバイトの中毒者も、末端の末端、ろくに情報を持っていない奴しか見つからなかったようだった。俺、カイト、キョウの三人は自治警察の本部の一室を借りて、構成員たちと一緒に寝泊まりしていた。
「……お疲れでしょう、それをお飲みになって。カモミールティーです、体にいいのよ」
そう言ってカップを差し出すセイラの顔も疲れている。自治警察本部、セイラの部屋で、一対一で机を挟んで座る。セイラが紅茶を飲む姿は、いつか美術館で見た女性の絵を思い出す。俺も真似して口をつけたが、熱くて舌を火傷した。慌てて息を吹きかけて冷ます。
「協力して、情報も共有していますが、なかなか進展はないようね、お互いに」
「……そうみたいだな」
「なにか変わったこと、あったかしら?」
「俺が人前で話すのは少し上手くなったと思う」
セイラはニコリとも笑わない。俺は頭を掻いた。
「……ご友人は帰ってきたのかしら」
ミヅキとカズシには、まだ会っていなかった。俺が家に……カズシの家に帰れていないこともあるだろうが、カイトのケータイにもなにか連絡が入った様子はなかった。カズシなんかは特に、俺達が動けばすぐ関わってきそうなのにな、と思った。同時に、傷だらけでボロボロになって帰ってきたカズシのことを思い出し、体に冷たいものを感じる。……無事、だろうか。こちらから連絡を取る手段を持っていないことを、少し後悔した。
「……ねえ、シドウ様」
声をかけられて我に返る。見れば、カップの中身をじっと見ているセイラの姿。……なんとなく、さっきより気の抜けているような……自治警察の構成員の前には見せないような顔だなと思った。同級生の女子を思い出す。
「このご時世、薬物をやっている学生なんて珍しくない……その中でうっかり死に至る者がいたとしても、本当は目くじら立てることではないのです。シドウ様も、何度か経験はおありでしょう。わたくしもその経験が皆無なわけではありません。……いまの違法薬物は娯楽の一つです」
「いや、俺はこの前のが初めてだったけど……」
「……もちろん体に良いものではありませんし、しないにこしたことはありませんよ。煙草も薬物も危険な遊びも、我々が厳しく取り締まっているのは、オーバーヒートすることのないようにするためです」
なるほど、と頷く。セイラはまだ顔をあげない。
「……現在出回っているアクセルバイトは、それらのような、玩具、または嗜好品として作られているものではないような気がするのです」
「つまり」
「薬物、ではなく、毒、として街に撒かれている、そう感じます。そして……同じようなことが、約十年ほど前にも、この街で起こっていました。……今回の件は、あまりにもその事件と似ている、わたくしはそう感じるのです」
味のしない舌で紅茶をひと口流し込む。セイラも同じように口をつける。しばらくお互いに黙っていたが、やがて「シドウ様」とセイラが口を開いた。
「かならず、かならず犯人を暴きましょう。この件、ほうっておくわけにはいきません。犯人がどこの誰であろうとも……もう誰かが死ぬのは懲り懲りです」
それは完璧なお嬢様の姿でも、リーダーの姿でもない。それでも、頼りない俺の姿とは違う。何かを強く願う、優しい人の姿。……その瞳には、ここにはいない誰かが映っているような気がした。
「……かならず」
噛み締めるように繰り返すセイラに俺も頷く。少し冷めた紅茶を飲み干すと、体の芯の方がぎゅっと握られる感覚がした。
その日もろくに成果はあがらないまま、俺たちは一度、家に帰ることにした。一時解散。自治警察は交代で続けるようだったが、レンゴウカイは一日休みを挟むことになった。元々ただのガラの悪いやつらの集団に、正義感や義務感だけで何日も動き続けられるやつはいない。
集会場となった廃墟から、ワイワイ言いながら去っていく不良たちを見送り、カイトは俺に深く頭を下げて帰っていった。残されたのは俺とキョウ。なにか話そうとして、何を話せばいいのかわからず、とりあえず、お疲れ、と声をかけた。キョウは俺をちらっと見る。
「カズシは?」
分からないと答えると、へえ、と吐き捨てるように言う。
「えらそーなこと言ってまとめあげてたくせに、肝心な時はいねえ。らしい、よな。役たたずのパシリ」
「え」
キョウの明らかに攻撃的な言葉に、頭がぐらつく。
「あれ、シドウさん、もしかしてあいつに聞いてないんだ。意外」
「聞いてないって、何を」
「長い事あいつには俺らのパシリさしてたんすよねぇ。でも、約束の時間には来ないし、目的のブツは持ってこないし、喧嘩は弱いしで役に立たなくて。の割には目立つ頭してチョーシ乗ってたんで、よくサンドバッグにしてたんすよ」
何も言えなかった。そういえばずっと前にゲーセンでカズシがキョウを見た時、同じように攻撃的だったかもしれない。
「だからシドウさんも、あんまりあいつのことアテにしないほうがいいっすよ。アテにしてアテにして、どうせ肝心な時にはあいつは来ねえんすから」
じゃ、と言ってキョウは去っていく。その背中には何も言えなかった。
カズシのことを言われて悔しいのに、一言も反論はできなかった。……少し思ってしまったからだ。カズシはいま、こうして俺達が一生懸命やっている時には、きっと帰ってこないと。全てがうまく行き始めてから、またいつものように、すべて知っている風に合流してくるんだろうなと。
一人の廃墟で、俺は壁に頭を打ち付けた。拳を固く握って、壁を殴った。ものすごい音がして壁に大きなヒビが入って驚き、一瞬思考が止まる。自分が割と力の強いほうだったのを思い出して、仕切り直す。……もう一度、もう一度、また一度、何度も壁に頭を打ち付けた。頭が痛くなり、クラクラしてきてから、その場に座り込んだ。
大きく息を吐き出した。膝を抱えて、その上に頭を載せて、目を閉じて、ようやく口を動かす。
「……カズシはそんなやつじゃない」
言いたかったのに言えなかった言葉。出てくるのが遅すぎる。俺はいつもそうだ、とため息をついた。じわじわ頭が痛み始めてきて、少し呻いた。
◆
「キミってすごいね、ショウくん」
Irisのオフィスは小さなビルの三階にちんまりと腰を下ろしている。壁には原始的に、今月の業績が名前と丸シールで表されている。一番下、新入りであるこの俺、ミヤマショウの業績が、トップと並んでいることは、視覚的にすぐわかる。
隣でほわほわと微笑むワタリのところには、青いシールが四枚ついているだけだった。ノルマがあるわけでもないという、スカウトにしてはなんだか緩いところではあったが、それにしても成績が悪すぎるよなと思った。よくクビにならない。
「今日はお休みして、飲みに行こうよ。俺の奢り」
「えっマジすか!」
こんな成績悪いのにその金はどこから来るんすか?と言いかけるのを飲み込み、満点の笑顔。顔をのぞき込むも、ワタリは相変わらず絶対に目を合わせない。俊敏なコミュ障のキング。
数日前、なぜかシドウの演説に立ち会ってしまった時はヒヤリとしたが、やっぱり仕事しよう、と急に手のひらを返したワタリと共に、その日は女に声をかけまくった。あまりにもワタリが見ていられなくてコツを教えてみると、その日のうちに四人には名刺を受け取ってもらえていた。本人も出来ると思っていなかったような顔をしていたが、その後その四人全員から連絡も来て。まあ、ワタリの業績シールの四枚分は俺の手柄でもあるってワケ。奢られる資格も当然あるよな。
スナック街を並んで歩く。飲みに行くサラリーマンやらろくでもなさそーな男やらいかにも水商売してますって女やらで、この時間はごった返している。立ち止まると後ろから睨まれそう。
「なんだか、お仕事以外でみる景色は新鮮だね」
へへへ、と笑いながら振り向くワタリが人にぶつかりそうになって、俺は思わず首元を掴んで方向を変えさせる。何故か照れた様にわらうワタリに、前向いてくださいよォと言いながら誘導する。手のかかるやつ。少しシドウを連想する。
店についた時の第一印象は、ワタリには似合わねー店だってこと。低い扉の上に取り付けられたボックス型の小さな看板は、紫色やキツいピンクのライトが控えめにくっついてる。黒い文字で書いてある、チェリーってのが店の名前だろうが、あまりにも目立っていない。目立つ必要が無い店なんだろうなと思った。身内とか、クチコミで広がる意図だとか、隠れ家的な。それこそ、組織の隠れ家だったりして。
「ここ、よく一人でくるんだけど、お酒はおいしいし、出してくれる料理もおいしいんだよ。ショウくんにも食べて欲しくて」
入ろう、と言われてついていく。頭を打たないか気になる程の天井をしばらく抜けて扉を開くと、思ったよりも広い部屋に出た。店内照明は薄暗く、足元に注意をして歩かなきゃいけない。カウンターにはバーテン服を着た男が一人。若くはないが、年齢が特定できそうにはない。他に客はいない。小さなテーブル席も二つあったが、ワタリはカウンターの丸椅子に腰掛けた。俺もその隣に座る。
男が無言で差し出したグラスに入っているのは無色透明の液体。まず鼻を近づけて、それから少し口に含んで舌で調べる。……水だ。横目で隣を見ると、ワタリは一気にグラスを空にした。喉乾いてたんだ、とこっちを見て笑うワタリは、最初に会った時よりも俺を警戒していないように見えた。
「何飲む?お酒強い?」
「イヤァ、それがダメなんすよ、俺、酒はそこそこ」
「そうなんだ。意外。てっきりショウくんはお酒好きなのかと思ってた」
「好きなんすけどねぇ」
こんなところで酔いつぶれては何が起こるかわからないからな、と心中で呟く。改めて控えめに、飲む?と聞かれたので、まあ一杯だけ、と答える。なんでもいいっすよ。酒にあまり好みがないのは本当だった。酒も煙草も薬も、どれもコミュニケーションツールであり、娯楽であり、ストレス発散方法だった。そこに好みだのなんだのはない。しいていえば、女にモテるといいなって話。男の楽しみなんてそんなもんだろ?
ワタリが二人分の酒を注文して、すぐに葉野菜のサラダとポテトフライ、枝豆なんかが出される。いつ用意してたんだよと言いたくなるが、ポテトを食うと、揚げたてなことがわかる。ワタリは普段のコミュ障さが嘘のようにバーテンと視線を交わす。なるほど、行きつけの店だって言うことには違いないのだろう。
いったいどうして行きつけなのかはグレーだけどな、と思いながら、差し出されたグラスを受け取る。背の高いグラス。カクテルにはあまり詳しくない。色はない。飲んでみる。柑橘系のさっぱりとした甘みが口の中に広がり、すぐ消える。飲みやすい酒だと思ったが、すぐに頭にのぼった緩やかな熱に、気をつけて飲まないとと思い直す。ふと視線を 感じる。ワタリが俺をじっと見ていた。
「うまいっすね」
「えへへ、よかった」
微笑むワタリと目が合った。さらに微笑むワタリ。俺はワタリの中の一定のラインを超えたのかもしれない、と思った。……都合がいい。
「……ねえ、ショウくん」
出されたサラダをつまみながら、なんっすかと答える。
「どうしてキミはIrisに来たの?」
最もな疑問。でも、それがワタリから飛び込んできたことに、俺は死ぬほど驚いた。いや、別に普通の話題のはずなのに、どうしてこんなに驚いてしまったのか、俺もわからないけれど。間があいてしまった俺に何を思ったのかワタリは一言謝った。
「いや、フツーに稼げるってことで、いいなって思っただけっすよ」
「……Irisはそんなに評判もないし、大きなところでもないし、履歴書の持ち込みだったって聞いたし」
「いや……業界詳しくなかったし、どこでもよかったんすよ、正直、マンガとかで見て、いいなって」
「そっか」
「そうっす」
また口に含んだ酒が甘い。ふと隣を見ると、もうグラスは空になっていた。顔色一つ変わらないワタリ。こいつ、酒強いのかよ。参ったな、と思いつつも、追いつくように一気にグラスの中身を飲み干す。一瞬ぐらりと視界が揺れたものの、なんとか持ち直す。そんな俺を見て、ワタリが少し微笑んだ。
「まだ飲める?」
「……飲めますよ、ちょっとなら」
「そっか。じゃあ、作ってあげるよ。どんなのがいい?」
「へ」
言ってる意味がわからずワタリを見ると、椅子を降り、カウンターの中に入っていく。いや、そんなの、出禁になるレベルの事案だろ、と慌てたが、バーテンは何も気にしていないどころか、ワタリに場所を譲った。いつものことなんだろうか。
「あんまり強くないのがいいよね」
「そ……うすね」
「嫌いなものある?」
「いや……」
「何色が好き?」
「えっと……緑すかね」
「そっか、ちょっと待っててね」
カウンターの中にいるワタリは普段の頼りないワタリとはまるで違っていた。テキパキとした動きで山のような酒瓶からお目当てのものを取り出してきて、測る器具だろうか、銀色の小さなステンレスの容器にいれ、振り、それをまた大きめのグラスに入れる。スカウトの仕事してる時なんかよりも、ずっと楽しそうで軽やか。
お待たせ、と目の前に静かにおかれたのは、透き通る深い緑色の液体の入ったグラス。淵には塩がついていて、宝石のように粒がキラキラと輝いている。中には何の実だろうか、果物が入っているようだ。
「どうぞ、冷たいうちに」
言われて、俺は躊躇いつつも口をつけた。飲む前にふと、ワタリはアクセルの売人で、俺はそれを追いかけていたのだということを思い出し、手を止める。俺の目的に気づかれ、なにか仕込まれていてもおかしくないわけ。なのに……さっきまでの楽しそうな、真剣なワタリの姿が偽物ではないような気がして、俺はそのままグラスに口をつけた。
口に広がるのはミントの風味と、少し甘いような、すっぱいような、不思議な味わい。そこに淵についている塩の甘さ辛さが加わって、説明しづらい味だったが、おいしいと思った。覚悟していたほど度数は高くないらしく、一気に飲んでもあまりくらつかない。
「……うまい、っすね」
ありがとうございます、とグラスを返すと、ワタリはへへへと笑って、今度は最初のグラスに入った無色透明の液体を差し出す。手を出さないままでいると、水だよ、と笑われて、頷いてひと口のんだ。確かに水だ。
ワタリは隣の席に戻ってきて、自分の酒を飲む。ワタリは俺よりもかなり早いペースで飲んでいたが、顔に出ることは無かった。
それからどれくらいいたのだろう。気づけばワタリに肩を叩かれて、行こうか、と微笑まれた。まだ自分で歩ける程度だったが、ワタリは俺の腕を掴んで店を出た。そんなに飲んでいないと思っていたが、緊張が解けたのか、かなり酔っていた。
「あのお店、ずっと通ってたんだ。カクテルの作り方を教わり始めたのはね、通い始めて三年たったときから」
もう外にはろくに人間はいない。明け方か、と思った。働いてたわけじゃないんだけど、と笑うワタリ。
「スカウトじゃなくてバーテンやってるほうがいいんじゃないっすか?」
素朴な疑問だった。どうしてこいつは売人なんかしてんだろ、と働かない頭でぼんやり考えた。ワタリはしばらくしてから、答える。
「俺は世界から弾かれているからさ」
「……なにいってんすか」
「ふふ、なんでもないよ」
何言ってんだこいつ。もう一度心中で繰り返した。ワタリはそれ以上言わなかった。結局その言葉の意味はよくわからないまま、俺たちはIrisの事務所の前まで戻ってきた。
「長い時間付き合わせてごめんね、キミとのめて楽しかったよ」
「ごちそーさまでした」
「ううん、また明日、お仕事頑張ろうね」
「はーい、ワタリさんこそ気をつけて」
ワタリが見えなくなるまで手を振って、力なく下ろす。まるで実感がなく、わかれた途端にすうっと酔いが覚めていくと、もしかして今までのことは夢でなかったかと思うほどだった。
と、ケータイの耳障りなバイブレーション。何度か咳払いして声を調整してから、出たくない心に鞭打って、電話をとった。
「……はい」
『ねえ、何手間取ってるの?』
わがままな女のキィキィした声。人生で俺が最も嫌いなものの一つ。最も嫌いなもの、は一つなんかじゃおさまんねーよな。
「どうしたんすか、こんな夜ふけに。お肌に悪いですよ」
『うるさいねえ。そんなことより自分の仕事のできなさを反省してみたら?まだアクセルは回収できてないの?』
「……そー、ですね」
アラキワタリとはコンタクトしてるんですけど、なかなかボロを出さなくて、と笑いながら話す。相手はわかりやすくため息をつく。
『早く何とかしてよ。今日も自治警察からウチに何故か文句がきてんの、さっさと彼捕まえとかないと、先に捕まったら何話すかわかんないじゃない?』
「そりゃあ……」
自治警察はやっぱカンがいいのかね、それとも突き止められてんのかね、と思ったが、言わない。
『はやくしないとリョウガに見つかっちゃうでしょ。さっさとクスリは回収して、アラキワタリはこっち連れてきなよ。玩具にするから』
「まー落ち着いてくださいよ。いまワタリ捕まえたってワタリしか出ません。元を引きずらないと」
『まあなんでもいいけど、明日にはなんとかしてよね』
「えっ!?いや無理」
『じゃ、おやすみーカズシくぅん、頼りにしてるわよォ』
語尾にハートマークをつけて、一方的に電話が切れる。勘弁してくれ。緊張でこみ上げた吐き気を飲み込むと、嫌な酸味が広がる。
頭の中で、ワタリが痛めつけられてる映像が浮かんだ。同時に、頼りないスカウトマンのワタリも、敏腕バーテンダーのワタリも浮かんだ。……シドウを眺めるワタリの姿も。
「……あー、わっかんねえな」
手当たり次第に連絡をつけ、情報を集めさせることにするが、明日には間に合わないだろう。間に合わないなら、電話の主がとる手段は一つだろう。
「……シドウはワタリのこと知ってんのかね」
いつからこんなお人好しになっちまったんだっけ、俺。自分の甘さに大きくため息をついた。
◆
あの、大丈夫ですか、あの、あの。揺さぶられると同時に声が聞こえた。知らない声のような、いや、知っている声だ。この声は誰だっけ。夢見心地の中、空色の女が頭に浮かんだ。
「ハルカゼ?」
ぱっと目を開けて見れば、驚いた顔で俺を覗き込むのは若い男。頼りなさそうな、気の弱そうな顔で、短い茶髪の髪は流行りのものではない。一瞬探していた女と見間違ったが、違う人だった。
「えっ、と、ハルカゼ、って」
「……ああ、いや、悪い、探してる人に似てる気がして、一瞬」
間違ったことを謝ると、いや、と相手は首を振る。それから、無事でよかったよ、とぎこちなく笑った。……目は合わない。目を合わせるのが得意ではないやつなのかもしれない。
廃墟の中はすっかり夜になっていた。ここが夜だから、全体的に夜なんだろう。間抜けなことを考えながら、相手を見るが、レンゴウカイにはこんなやつはいなかったような気がした。
「えっと、体調が悪いとかじゃ、ないんだよね、えっと」
「俺はシド……あ、いや、ショウ。ショウにしといて。ちょっとくらくらして、寝てただけ」
慌てて名乗り直した偽名はハルカゼにもらった名前だ。相手は少しきょとんとしてから、頷く。
「……そ、そっか。ショウくん、体調、良いなら良いけど」
「大丈夫。……ありがとう」
心配ないと答えると、そのまま相手は黙って、俺も黙った。……やがて、相手の方が、そういえば、と口を開いた。
「キミ、最近その、人探しで演説してる人、だよね」
「……そうだけど」
「その、どうしてその人を探しているのか、聞いてみてもいい?」
「……いや、なんていうか、また話がしたいだけなんだ」
言うと、相手は首をかしげて、しばらくしてから、また言う。
「でも、キミを傷つけ、殺しかけた女だよ」
「……そうだけど」
「憎くないの?」
「そうだなぁ」
頭を掻いて、答える。
「俺は別に怒ってないし、生きてるし、ただハルカゼにまた会って……友達になりたいのかも」
「……とも、だち」
繰り返す相手に頷いた。
「強引だったけど悪いやつじゃないと思うんだ。きっと、仲良くなれる、その、友達に」
相手はしばらく黙っていた。俺も黙っていた。やがて相手は俯いたまま、言う。
「キミだって、ボクのことを知ったら、どう思うかわかんないよ」
その声を聞いてはっとする。気がついた時には、相手は走っていってしまった。どこかで聞いた声だったような気がしたが、いったいどこで聞いたのだろうか。男と会ったのは初めてだったはずだ。
……そういえば、殺されかけたことなんて、俺は話していなかったのに、どうして知っていたんだろう。
◆
友達、甘い響きが胸の中に残って離れない。部屋に戻って急いで布団に潜り、かたかた震えながら、俺は小さな黒い袋を取り出し、破る。中には暗闇でも色のついていることのわかる錠剤が四つ。口に放り込んで、ガリガリと噛むと、人口の苦味が口いっぱいに広がった。少しして、飛んでいくような感覚に身を任せ、その先で彼のことを思い出して、泣いた。
ここまで逃げおおせたけれど、じきにあの人には見つかってしまうだろう。そう、わかったわ、で許されることでは到底ないだろう。命の保証もないかもしれない。激しい頭痛、馬鹿みたいに騒ぐ心臓を抑える。このまま死んでしまえたらとも思うが、そんなことはない。明日は絶対に来る……激しい苦痛とともに。このクスリは、きちんと戻ってこれるものだから。
「ショウくんってばとってもいい子だ。いい子すぎて、無理だよ。二人とも」
業績優秀だけどどこか悩み事や隠し事のありそうな後輩と、殺されかけても自分と友達でいたいなんていうお人好しの支配者。ほんの少しだけ、彼らは自分のことをわかってくれるのではないか、なんて考えるが、すぐにその考えを払う。この街で裏のない人間なんていない。もしかすると、二人ともアクセルを追っているのかもしれない、と、手をきつく握った。
「……アクセルバイトはボクの子だ、誰にも汚させない」
ぼろぼろと涙を寝具に落としながら目を閉じる。ひとしきり飛んで、すっかり汚されたその名前を悼んで泣いた。
大切なものを守ることも出来ないくらいなら、いっそこのまま目が覚めなくなればいいのに。叶わない願いが、火照った頭にこだましていく。どこにも居場所のなくなった自分と、どこにも居場所のなくなった薬。ボク達は似ているね、と笑うと、誰かも笑ったような気がしたが、これが幻覚であることは自分が一番知っている。
【れんごうかいのじゅういち おわり】
【れんごうかいのじゅうに に つづく】
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