れんごうかいのじゅう
空は気まぐれだけど、優しいときも機嫌の悪い時も、いつも俺たちの上にある。その下、同じ空色の髪を揺らし、振り向く可愛らしい衣装の女がいた。こちらを振り返り、同じ空色の瞳で俺を捉え、俺に微笑む。胸が焼かれるような、突かれるような、そんな気分になる。
「ハルカゼ!」
思わず手を伸ばす。が、すぐに体中が酷い痛みに襲われて、俺は呻き声をあげながら転がった。落ち着いて目を開けると、灰色の壁、無機質な天井。手を下ろすと、柔らかい布団。荒い息を整えながら、痛みに耐えつつ首を回す。……会議室のような部屋。来たことがある場所だと思った。
「春風?もう夏っスよ!春は終わったっス!春風が吹いてるのはお前の頭の中だけっスよ!この万年春男!」
怒鳴りながら俺の顔を覗き込んで来たのは茶髪の女。髪はボサボサ、目は腫れ顔は疲れている。自治警察のハルだった。
「……あ!そうじゃないっス!お嬢様!お嬢様~目が覚めたっスよ~!!」
ぱん、と手を叩いて、ハルは勢いよく部屋を飛び出していく。扉が乱暴に締まる。振動と音で頭が痛くなり、俺は低く呻いた。体全体が痛くて、少しでも動かすのが怠い。何かを考えるのも億劫だ。
カツカツと響く足音が耳障りで、布団に潜る。意味も無く頭に血が上り、俺はもしかして今にでも暴れ出すのではないか……と、怖くなって震えた。そうしていると、布団越しに優しく頭を撫でられる。
「はるかぜ……」
反射的に呟いた。激しく頭が傷んだ。そのまま、暖かな重みに包まれる。誰かに抱きしめられている、と感じて、安心して目を閉じる。
「……目が覚めてよかった」
誰かの泣きそうな声を聞いて、意識が遠のいていった。
◇
「アラキワタリ、Iris所属のスカウトですね」
ぱら、と差し出された写真に写っているのは、どうにもぱっとしない青年。イケメンってわけでもなく、可愛らしいってわけでもなく。更には写真からでも伝わる自信のなさ。
「成績がワーストってのも頷けるなぁ」
小さな薄暗いバーの隅で、冴えない男が二人向かい合って飲みながら笑っている、くらいに周りは思ってるだろう。
夜の街の女は強いやつばっかだ。いや、違う。強くなきゃ生きていけないし、生きていくやつは強くなる。……そんな女を次々とノせて店に送り込むスカウトというのは、真面目にすりゃ上手くいくってもんでもない。先はキャバからヘルスまで、自分の利益のために女を売るわけだ。弱々しいスカウトなんざ、見向きもされないだろうな。
「で、ほんとにこいつがアクセルばらまいてんのか?」
口元の黒いマスクをなおしながら、低い声で言う。本当ですよ!と相手が差し出したのは、三センチ四方ほどの黒い小さな袋。警戒しつつ受け取り、手で触る。……ラムネ大の大きさの粒が入っているのがわかる。
「アクセル使用者の大半はIrisが仕切ってる店へ出入りがあったことがわかりまして、嬢や黒服、スカウトたちを張ってたんですよ。……そしたら一個、ぽろっと落としましてね」
得意げに語るのは、ぼろぼろの汚い上着を着た、汚い若い男。……俺よりは年上だろうなと思った。でも、この街での生き方を間違った奴だ。もう上がれない。こいつはきっと、一生誰かに媚びへつらって生きていくだろう。今だって俺にへこへこしてるのだ。
「……まあ、ただのガキにしちゃ上出来だな」
他には?としつこく押していくが、もう何も絞れなさそうだ。俺は厚みのある封筒をひとつ、目の前に投げてやる。エサに飛びつくように、男は封筒の中身を確認して涎を垂らす。勢いよく立ち上がろうとした男を止めて、顔を寄せ、ニッコリ笑う。
「それはおまえら全員の分。……んで、こっちはお前の分」
もうひとつ、同じ厚みの封筒を投げてやる。男は目をギラギラさせて、さらに涎を垂らす。……きたねえなぁ。何度も頭を下げる男。
「これからも俺らは高橋組さんの言うとおり何でもしますんで!」
おう、と手を振ると深く礼をして即回れ右。駆け足よーいドン。俺はマスクを少しだけずらして、ずっと飲んでなかった水に口をつけた。
高橋組さんの言うとおり、ねえ。
マスクを戻して、「収穫」を綺麗にファイルに入れて、カバンになおす。黒いスーツに黒いマスク。髪はイマドキのホストみたいなダッサイ茶金。今の俺はどっから見ても”高橋組の人間”だ。さっきの金も高橋組のもの。
お前は高橋組なのか。
首を振って、誰かの声を振り払う。嫌なタイミングで思い出した。疑うことを知らない能天気で純粋な馬鹿。この街を生きるには綺麗すぎる青年。リーダーにはおよそ不向きな男。
そして、俺の。
「……バーカ、何考えてんだ」
形のないものになど騙されない。騙すのはいつだって俺だ。……後悔なんかしていないし、これからもしない、予定。
◇
ビビッド色の小さな錠剤をゆっくりとぬるい水に溶かし、注射器で腕に打つ。
「ねえ、やろうよ」
散らかった狭い部屋に立ち込める甘い匂いに頭が痛くなる。渡された注射器を受け取り、抵抗なく腕に刺す……真似をした。相手をちらりと伺う。お先にラリってる馬鹿はもうこちらを見ていない。そのまま服の上に液体をすべて落とした。
「やったよ」
注射器を放り投げると、男は満足そうにのしかかってくる。……使用者から悪臭がするわけではないようだ。
満足そうな男にされるがまま。……下手くそ。でも盛り上がってるフリして、こっそりリードしてやる。恥ずかしがって顔を背ける仕草をしながら、部屋を見回してほかの手がかりを探す。突然体勢を変えられて驚いたが、男に背を向ける形になり、より部屋を調べやすくなった。
いいかい、必ず何か見つけておいで。ちゃんとオシゴトできたら、何でも欲しいものをあげるからね。
愛しい人の声と手の熱を思い出す。気高く、カリスマがあって、カッコよくて、誰のものにもならないような……あの人のためにもきちんと頑張らないといけない。
「ねえ、どう?そろそろきた?」
何が?と言いかけて慌てて口を閉じる。クスリの話か。スピード感の後にくる痛みがいいとかなんとかだっけ。よくわからなくて、テキトーに「ヤバいね」と返す。相手は満足したらしい。便利な若者言葉。そのまま興味がある風を装う。
「ねえ、これ、どこで買えるの?」
「買わなくていいよ、フウカちゃんには俺が買ってあげるからね。だから明日も来てね?」
「え、でも、わたしも自分で買ってみたいよ、ねえ、いいでしょう?お願い」
男に向き合って、首に手を回す。甘えた声を出しながら相手を見上げる。おねがい、と何度も囁く。相手はニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべるだけだ。"圏外"に確定。
「フウカちゃんってクスリやるんだね?」
「ううん初めてよ、だからいま、とっても不思議な気持ち」
「本当?女の子はすぐ嘘つくからね」
「つかないよ、ねえ、体でわかるでしょ?」
「気に入った?」
「うん、とっても」
にこにこしながら、効いてるクスリに酔った風にしながら、感じてる風にしながら……あたしってば、なんて女優なのかしら。
「ねえ、どこで手に入れたの?」
もう一度聞く。……すると男は笑い出した。
「ねえフウカちゃんって、なんでアクセルのこと調べてるの?」
「えっ」
ドキリとした時には遅い。腕にチクリとしたものを感じた。抵抗する間もなく液体が押し込まれてくる。背中に冷たいものが走る。
「や、やめ」
やめて。言おうとした口を汚い手で塞がれて、床で抑え込まれる。そのうちに、なんだか力が入らなくなっていく。体中の感度が上がる。感情の押さえがきかなくなっていくのを感じる。
「せっかくだもの、楽しまなくちゃ。ね。もったいないよ、高いのに」
まだまだいっぱいあるからね、と笑顔で圏外が囁いた。
◇
「アクセルバイトは殺人兵器です」
ベッドの脇に腰掛けた白いワンピースの女はきっぱりと言った。よく通る声がいまは耳障りだ。顔をしかめると、はっとしてセイラは声を低くした。
「……アクセルバイトによる中毒と見られる死亡者が、ここ最近増えているのよ」
シボウシャ。ぼそぼそと繰り返してみる。硬い響きだと思った。うまく意味が飲み込めない。セイラは悲しそうに俺の顔を覗き込んで、俺の顔にかかっていた前髪を払った。
「まだこんな状態の貴方に話すべきことではなかったかしら……ごめんなさい」
いや、と低く呻いた。
「……うちの成員もアクセルバイトで死んだのです。もうこれは放って置いていいことじゃない……あとで話を聞かせてくださるかしら」
わかった、と声を絞ると、ありがとう、と微笑んで、セイラは出ていく。わかった、とはいったものの、昨日までの記憶はすべて曖昧で、靄がかかっているようだ。
覚えているのは、空みたいな女のこと。ハルカゼ。名前を繰り返すと、言い様のない切なさが胸をかすめた。
◇
よろしくね、と挨拶をした男はややうつむき加減に笑った。頼りねえ顔!目を合わせようとすると絶妙に逸らす。およそ対人には向いてない奴。
「ボクはアラキワタリ。ワタリって呼んでね。……キミ、スカウトは初めてなんだっけ」
えへへ、と躊躇いがちに右手を差し出すワタリの手に手を重ねて、俺はにっこり笑って返す。
「そーなんっすよ!よろしくっすワタリさん!」
テーマはウェイ系イキリホスト。フレッシュさと血の気の多さなら天下一品って新人。……ケンカはたぶん、よえーけど。気崩したダサいグレーストライプのスーツと、めちゃくちゃ立ってる金髪。我ながら完璧な擬態。
ワタリはそんな俺を見てニコニコと笑う。……写真も名前も調べと一致してはいるものの、ホントにこいつがアクセル捌いてんのか?人は見かけによらねーな、と俺は首を傾げる。と、ワタリと目が合って、なんっすか!と笑顔で叫ぶ。
「いや、名前聞いてなかったなあ、と思って……Irisに入ったってことは、これからずっと一緒に仕事するんだもんね。なんて呼べばいい?」
こいつワーストの成績でこれからもずっと働き続けるつもりなのかよ。内心笑いながらも、俺は用意してた名前を元気いっぱいに返す。偽名と身分証は仕事ごとに用意するのが常識だ。
「ミヤマショウっす!ショウって呼んでくださいね!」
ショウ、と聞いたワタリの顔が一瞬固まったのを、見逃したりなんかしなかった。
◇
「調べましたが、コスキャバMELODYには、ハルカゼという嬢はいないそうです」
思わずいきなり首を動かして、激痛に顔を顰めた。隣に座っているセイラが、すっと背中を撫でてくれる。改めてゆっくりと正面を向くと、大男も俺をまっすぐ見ていた。
自治警察のビルの最上階、いつか通されたのと同じ部屋だろう。ここで何らかの争いがあった形跡は一切ない。むしろ、真新しい赤い絨毯や飾ってある絵や鉢など、より豪華になっている気もした。
「登録だけでなく、体験も?」
セイラも驚いてマサキを見る。マサキは同じように頷くだけだった。セイラは俺の顔を覗き込んで言う。
「あなたにアクセルバイトを飲ませた女性とのお話、嘘偽りはありませんこと?」
「お、覚えてる限りは話した、嘘はついてない……」
慌てて首を振る。セイラの大きな瞳が俺を覗く。しばらく見つめあって、はぁ、とセイラはため息をついた。
「……ハルカゼという女だけでなく、店ぐるみの可能性も高いのでしたね。何か出ましたか?」
「いえ、それが何も……」
「MELODYの後ろはどこ?」
「風間組です」
「アタマと連絡取ってちょうだい……聞きたいことがあるわ」
「……何と」
「出たらわたくしに代わってくださいまし」
マサキは頭を下げてから部屋を出ていく。勢いよく扉を開けたが、閉めるときは気を使ってくれていた。……縦にも横にもでかくて、入口を抜けるのは大変そうに見えた。
二人きりになった部屋で、セイラは俺と向き合った。両手で俺の両頬を包む。
「……なんで、そんな顔を」
セイラの顔が泣きそうに見えて、俺は慌てた。セイラはしばらく何も言わなかったが、やがて消えそうな声で呟く。
「西商店街の入口で倒れている貴方を見つけた時、もう目が覚めないのではないかと思ったわ」
セイラの話では、俺は明け方近くに西商店街の入口に、ぼろぼろになって倒れていたらしかった。服が剥ぎ取られていたわけではなかったようだが、そっとポケットに手を突っ込むと、金は綺麗になくなっていた。
「ねえ、レンゴウカイもアクセルバイトを追っているの?」
セイラの問いに、俺は首を横に振りかけて、止めた。カズシもミヅキもいなくなった。二人ともいなくなる前に、アクセルバイトの話をしていった。馬鹿にでも、二人が無関係でないことは想像出来た。
「レンゴウカイは、別に何も活動してない、けど」
「……けど?」
「ミヅキとカズシは、無関係じゃないかもしれない」
言うと、セイラは何やら難しい顔でしばらく黙っていた。やがて。
「少なくとも、あの少女の方は関わっているようよ」
と、俺の目の前に何枚か写真を置いた。それぞれ別の男と、同じ小さな女が写っている。ミヅキ、と口を動かすと、セイラは頷いた。俺はそれから最後の写真を見て、息を呑む。
大きな黒いマスクにスーツ、短髪の男。見覚えがある。……ずっと前、黒いボックス車に乗せられた時、運転をしていた男だった。高橋組。
「……彼女は高橋組とはいったいどういう関係なのかしら。ご存知?」
俺は黙って首を振った。高橋組と関わらないでくださいね、とミヅキの声を思い出した。
しばらくお互いに黙っていたが、やがてセイラが口を開いた。
「手を組みませんか」
「え」
「自治警察とレンゴウカイで手を組んで、アクセルバイトを終わらせるのよ。動ける人数は多いほどいいわ。シドウ様はアクセルバイトの名を付けたと言う女性にも会っている……これはとても重要な手がかりです。我々の集めた情報やルートと協力すれば、きっと元が辿れる」
セイラはまっすぐに俺を見つめて言う。
「これ以上死亡者を出すわけには行かないのよ」
シボウシャ。現実味のない言葉なのに、どうしてこんなに胸が痛むんだろうか。
俺は少し悩んでから、差し出されたセイラの右手をとった。頭の中は、とりあえず何かしないとという気持ちと、何をすればいいんだという不安と、何が出来るんだろうという不安。でも、困ってる人を助けろと、弟の声がして。
「あ、セイラ」
ふらふらと不格好に立ち上がり、部屋を出ていく前にセイラを振り向く。歩くのを支えようとしてくれるのを片手で断って言う。
「助けてくれてありがとう」
当然ですわ、とセイラが優しく微笑んだ。
「友人の家に泊まると話してきましたので、三日くらいは大丈夫ですよ」
そう言ってカイトは笑う。俺はまず頭を下げた。ファーストフード店の机に思い切り頭をぶつける。
「どうしたんですか」
驚くカイトが何か言う前に、俺は今までのことを話し始めた。あれから、ミヅキとカズシが消えたこと。ハルカゼのこと。アクセルのこと。自治警察に助けられたこと。そして、レンゴウカイを動かしたいけど、どうすればいいのかわからないこと。
「レンゴウカイは確かに人数多いけど、俺はその大半を知らないし……どう頼めばいいのかわからないし……なあカイト、馬鹿な俺にはこのあとどうすりゃいいかわからないんだ。お前の力を貸してくれ」
顔を上げると、カイトはすぐに頷いた。
「もちろん手伝いますよ、俺も……レンゴウカイも」
にこ、と笑うカイトに、俺はしばらくして「でも」と付け加える。
「レンゴウカイなんて名前ついただけで、俺たちはまだ一緒に何もしたことがないだろ。そう簡単に協力してもらえるのか」
カイトは俺を見て、優しく微笑む。
「……大丈夫ですよ」
立ち上がるカイトのあとを俺は慌てて追う。余ったポテトをきちんと包んで持ち帰るカイトは、やっぱりカイトだ。
どうぞ、と言って手渡されたのは拡声器。持ち手のボタンを押すと、耳に痛い音が辺りに響いた。
薄暗い廃ビル。壁は落書きだらけ、ヒビだらけ。俺はカイトにやや支えられながら、ビルの中に足を踏み入れた。驚いた事に廃ビルの中は、思っていたよりもずっと綺麗だったどころか、掃除が行き届いているという感じで、椅子や座布団などが用意されている。
「……なあ、ここは一体」
時間が経つにつれてひとり、またひとりと集まってくる不良たち。入ってくると、必ず俺と、それからカイトに挨拶をして、椅子に座ったり床に座ったり。そうして、一時間もしないうちに部屋は不良でいっぱいになった。そのほとんどが知らない奴だったが、キョウの姿を見て、ようやく俺は軽く手を振った。キョウは軽く会釈しただけだ。
「急にお呼び立てしてすみません」
集まった不良に、カイトは丁寧に頭を下げた。驚いたことに、不良たちもそれなりに頭を下げ返す。
「いつもなら集会は明日の夜の予定でしたが、今回はシドウさんからレンゴウカイ各位へお願いがあるということでしたので、皆さんを早くお呼びしました。集まってくださりありがとうございます」
集会。ぽかんとしたまま繰り返すと、カイトは得意げに笑って小声で言う。
「不良の心得の本の二二七ページに、不良は集会をすべしと書いてあったので、勝手ながら俺がみなさんを定期的に集めて交流していたんです。お役に立てたでしょうか」
交流。優等生のカイトと不良たちが、いったいどうやって意思の疎通を図ったのだろう。
ちら、と不良たちに目を移すと、やる気のない顔をしつつも黙ってこちらを見つめ、俺が話し始めるのを待っている。……カイトが陰で努力してくれていなければ、こうやって人が集まることもなかったのかもしれない、と思った。
『あ……』
話そうとしてキーンと耳に痛い音が響く。仕切り直して、俺はもう一度話し始める。
『俺はレンゴウカイのリーダーとか言われてるけど、お前らのことよくわかってなくて。別にどうしたいとも思ってなくて。でも、いまは、協力してほしいことがある。いきなりで悪いけど』
一息つくと、どこかから「早く言えよ!」とイライラした声が飛んでくる。俺は頷いて、続ける。
『自治警察と協力して、アクセルバイトという薬を追うのを手伝って欲しい。……それから』
自治警察、と少しざわついた中で、俺は悩みながらも付け加えた。
『ハルカゼっていう女を探してほしい』
なんだよ、シドウさん女に逃げられたのかよ、と起こった笑いに、俺は少し間を置いて、首を傾げた。
『よくわからないけど、俺はもう一度ハルカゼに会わなきゃいけない気がするんだ。話をしないと。だから、頼む』
ざわざわとした空気の中、俺とカイトは顔を見合わせる。と、パンパンと手を叩く音が響いた。見ると、広間の一番奥に立っていた男だった。キョウだった。
「てめえら、リーダーの決定に色々言ってんじゃねーぞ。リーダーが黒といえば黒、白といえば白、やると決めたらやるんだ。わかったら片っ端からアクセルバイトとハルカゼの情報仕入れてこい!なにか分かったらカイトさんに連絡忘れんじゃねーぞ!シドウさんケータイ持ってねえからな」
キョウの声で、静まり返った不良たちが慌てて外へ飛び出していく。あっという間に空になった部屋のなか、俺はぽかんとキョウを見つめていた。キョウは俺を見て呆れたように笑う。
「こんぐらいやんねーとダメっすよ。情けねえなぁ。……んじゃ、俺達も行きますよ」
「え」
「女探しに行くんでしょ、クスリはその後でいいだろ、行きましょーよ」
そう言うと、キョウは先に歩いていってしまう。カイトはその後ろ姿に頭を下げていた。
「……俺の言葉はなかなか届かないけど、キョウさんがああやっていつもまとめてくださるんです。すごい人ですね」
カイトはそう言って微笑む。
不良の常識を学び、不良の定期集会を企画運営する真面目な不良と、呆れながらもそれを補佐する少し前まで街の不良のトップだった男と、間抜け面で不良たちに頭を下げる名ばかりの新リーダー。
なんだか不格好だけど、これが俺たちらしくていいのかもしれない。
そうやって、レンゴウカイの初めての活動が始まった。
◆
あの圏外が今まで人生で経験してきた怖いことや辛いことと、今日経験する怖いことや辛いことは、果たして天秤にかけられるかしら。なんてぼんやり考えてながら、シャワーを浴びていた。
肌がボロボロ。睡眠が足りてないのかもしれないし、栄養が足りてないのかもしれないし、働きすぎかもしれない。でも若いからきっと、すぐよくなる。それだけがあたしの武器だ。ほかの女がどう足掻いても手に入れられないもの。若さ。
髪の水気を飛ばして風呂場を出る。用意してあったふわふわのタオルで体を包んでいく。これまた用意してあった薄い水色のワンピースに足を通す。背中のファスナーをあげると、体にピッタリのサイズだった。
「大丈夫?」
「……大丈夫ですか?」
少し疲れた顔の短い髪の男性を見上げた。小さく頷いて、ソファのとなりをあけてくれる。一つ小さく礼をして座って、そっともたれ掛かると、支えてくれる。……温かくて、大きな手。何があっても守ってくれるという安心感。
「絞ってみたけど何も出なかった。お疲れ様」
「そうですか」
"五番以内"。ユウキさんもまた、わたしの首元に頭を凭れる。……そっと頭を撫でた。穏やかな数十秒。
「キミにこんなことを頼むのは気が進まなかったんだけど」
かすれた声で言うユウキさんに、大丈夫ですよと答える。
「だってあたしがナンパした男、前後でアクセルに引っかかってるやつばっかじゃないですか。見る目あるんですよ多分。適任ですよ」
「……外で売り、してるのかってリョウガが気にしてたけど。何のためにMARRYに入れたのか、って」
「……うまく誤魔化してくださいよ、大丈夫、ちょっと退屈だったから小遣い稼ぎしてただけです」
「……自分を大事にしなよ」
ぼそりと小さく言ってから、ユウキさんはもう一度、大丈夫?と聞く。今度はあははと笑って流した。
アクセルのことを探ろうとテキトーに相手していた男にアクセルを打たれたのは数時間ほど前。ただ、外で何人かガードが待機してくれていたので、異変を感じてすぐ助けに来てくれた。高橋組渾身の対アクセルの薬の効き目は抜群、なんとか酷くならずに収まりはした。さすが高橋組のドラッグデザイナー。……それでも、違和感は完全になくなったわけではない。
ユウキさんの手があたしの髪を梳く。目を閉じて身を任せる。それ以上何があるわけでもない。ただ、それだけ。お互いの存在を、一部屋で認識してるだけだった。
なんだか似ているな、と思った。シドウさんは無事かしら。一、と頭に浮かびかけて、一番はリョウガさんだけなのだと首を振る。
「あのね、ユウキさん」
あたしはリョウガさんのためなら何でもしますから。そこまで言ったあたしに、わかってる、とユウキさんは頷いた。
「キミの大切なものは守ってあげる」
俺が……いや、リョウガが。うん、と頷いて、ユウキさんに体重を預けた。
誰にも理解できないような世界で生きているあたしにも、愛してくれてる人がいる。だから、愛してくれる人のために生きるんだ。
と、その時、初期のままの着信音が響いた。一秒とたたずにユウキさんが自分のスマートフォンを取り出し、はい、と出る。それから、ユウキさんは不思議そうな顔をして電話を切った。あたしと目が合うと、
「街がレンゴウカイって名乗る奴らだらけになってるって」
と言い残して、部屋を出ていった。あたしも慌てて、ふらつきながらユウキさんのあとについて駆けていった。
◆
「いや、ワタリさぁん!そりゃないっスよ!今からがかきいれ時でしょ~!?」
い、いや、あのね、えっと、と慌てる頼りなそうな青年を笑顔で追い詰めていく。ほらほら、早くボロを出しちまえよ!と思いつつ。
なんというか、一日一緒にいたものの、こいつがアクセルを捌いているというか、関わっているという確証すら掴めなかったわけで。まあ、一日目なんて、こんなもんだろうな、とは思っていたが。
残業終わりで今から飲み屋を探すサラリーマンがいっぱいうろつく裏通り。街には派手な衣装に過度な露出をした女があちこちに。スーツをチャラめに気崩した俺と、スーツに着られているワタリ。ウェイ系と地味メンのでこぼこな二人組で、目を光らせて可愛い女の子を探す。
Irisというスカウト会社はそんなに大きなところではないらしく、ほかのスカウト会社の縄張りに触れないかビクビクしながら声をかけて回る。未経験初心者の俺が十人に名刺を渡した頃、ワタリはまだ一人にも声をかけられずにわたわたしていた。
そんな調子でちょっと、と手招きするもんだからどーしたのかと思えば、別の仕事があるからここを任せていいかと言う。
「だいたい、別の仕事ってなんすか。Iris副業オーケーなんすか?」
「……いや、ええと」
口をもごもごと動かし視線を下に向けるワタリに、アクセル関連ではないかと考える。なら、二択だ。一緒に行くか、行かせないか。それからどうするかを見よう。もしくは、盗聴器発信機をつけるか。
「……ともかくワタリさん、俺はまだ初日ですし、一人にされると」
困るんですよね!と言いかけて……やめた。
ワタリもぽかんとして、そっちの方を見つめている。激しかった人通りも流れを緩やかにして、その方向を見つめていた。
『あー!!てすてす』
キィン!と耳障りなハウリング。裏通りの一角に勝手にセットされたちいさな台、その上に立って、声の主は拡声器を下ろして、その隣に人を立たせて、拡声器を持たせた。そこそこ背の高い、そこそこガタイのいい、ぼんやりとした平和ボケした顔の青年。
何か耳打ちされてから、男は拡声器を持って、一度周囲を見回してから、声を張る。
『こんばんは!俺はレンゴウカイのシドウ……だけど……人を探してるんだ。ハルカゼ。もしここにいたら出てきて欲しい。俺はただ、もう一度お前と話がしたいだけで、何も怒ってないから』
いや、何やってんだよシドウ。裏通りの誰もがシドウを見ていた。シドウの傍らにはキョウとカイト。え、いや、お前ら何やってるんだよ。カイト、お前門限は。あまりの衝撃に何も出来ずにいたが、はっとして俺はワタリを見た。ワタリもシドウを見ていた。
「ショウちゃん……」
ワタリが小さく呟いた。その目は何故か潤んでいた。それがなんの感情なのか、その情報は持っていなかった。
【れんごうかいのじゅう おわり】
【れんごうかいのじゅういち に つづく】
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