れんごうかいのきゅう

 何かの割れる音。何かの倒れる音。パニックになる人たち。轟く悲鳴と怒号。人の波に揉まれながら、呆然と立ち尽くす俺。なんだか目の前の出来事が、遠い場所でのことのように思えて、俺は無関係だなとすら思ってしまっている。

「こっちです!」

 カイトに腕を引かれて、俺は流されるままに走った。一瞬置いていきかけた買い物カゴとカバンも持ったまま走る。人や足に当たって、時々痛い。人の波に逆らうように、カイトは走る。……いったい何が起こったんだろう。俺は一度足を止め、振り向きかけた。

「振り向いちゃダメです!」

 カイトの声。前を向いて走る。スーパーの関係者用入口に入り込むと、カイトは奥の部屋まで走り、ダンボールだらけの倉庫の奥の壁に背をつけて俺をしゃがませた。目の前がダンボールで埋まる。銃声が響き、物が飛んできたのはその直後のことだった。

「珍しいですね、こんな所で騒動が起きるなんて」

 ちらりとカイトの表情を伺うと、特に慌てているわけではなさそうだった。

「……慣れてるな」

 言うと、カイトは隣で微笑む。

「このご時世、何も起こらないとは思えませんから、何かが起こった時に対処できるようにしておこうと思ってます」

 それでもたぶん、死ぬ時は死にますよ。

 付け加えられたのは、淡々とした言葉。ミヅキでもセイラでもカズシでもなく、カイトもそんなことを言うんだと思うと、なぜだか体の裏を冷たいものが落ちていくような感覚がした。

「……何が起きたんだ?」

「わかりませんけど、何が起きたか確かめに行って巻き込まれるのはオススメできませんね」

 そこでまた銃声。音が近づいてきた様子はないが、騒動は大きくなったようだ。

「……いまのうちに帰った方がいいんじゃないのか?」

「……従業員出入口はスーパーの入口の近くにあります。騒動が起きているらしいのはレジの近く、つまりは入口の近くのはずです。……あまりオススメしません」

「そうか」

 よくわからないが、カイトの言う通りにすれば安心かと思った。しばらく間が開いて、カイトは「それに」とまた付け加える。

「ここなら、直に自治警察の方々が来てくださいますよ」

 思いっきりむせた。

「……自治警察って」

「ご存知ないですか?非公式ではありますが、昔警察がやっていた治安の維持を代わってやってくださってる組織です」

 すごい方々なんですよ、とやさしく話すカイトに、俺は言葉を飲み込んだ。前に、街頭で演説していた自治警察のことを思い出した。

 ……セイラはやっぱ、悪い奴ではないみたいだ。

「……それなら、安心だな」

「はい。……でも寝ちゃダメですよ」

「……ああ」

 大きなあくびを一つして、俺はカイトのカバンの傷だらけのロゴを手のひらでなぞった。

 それから程なくして、大きな音と共に、表からは何も聞こえなくなった。

 

 恐る恐るカイトと二人で外へ出ると「待つっス!」と声で制される。なんだか聞き覚えのある声だと思えば、相手も俺を見て固まる。受付で居眠りしていた時とは異なり、紺色に銀色の模様をあしらった制服らしいものに帽子、手には……拳銃を一つ。ふわふわとした明るい茶髪は、球状に一つにまとめている。

「お前!キノシタシドウじゃないっスか!!この前はよくも!!」

 俺に向かって勢いよく拳銃を構えたハルに、焦ってカイトを見る。カイトは事態が飲み込めていないらしく「ま、まってください!俺たちは一般市民です!」と俺の前に踏み出す。

「なんっスかその少年は?善良な市民を誑かしたんっスか?この前お前達が高橋組を呼んだせいでうちの本部は」

「呼んだ?別に俺は何も……」

「黙るっス!お嬢様をコケにした恨みは……」

「そのへんにしておけ」

 目の前に影が降り、俺たちは同時に上を見上げた。軽々しくハルを片腕で抱えあげて肩に担ぐのは、俺よりも背が高い……いや、背が高いというよりかなりでかい大男。冷たい色を帯びた瞳が、無感情にこちらを見下ろしている。

 ぞくりとして、嫌な記憶を思い出す。こいつには、前に路地裏でミヅキといたときに会ったことがあったが、とてもじゃないが良い印象はなかった。

「離すっス!マサキ!離すっスよ!!」

 頭の上から降ってくるハルの声は少し遠い。一歩後ろへ下がると、その感情の見えない瞳が俺を捉えて、離す。カイトの方も見て、口を開く。

「自治警察の統括をしてるナノメマサキ。あそこにうちの成員がいる。怪我の有無と、名前と、今回見聞きしたことをすべて話してほしい」

「あ、ああ……なあ、いったい」

「薬物中毒者が暴れていた、それだけだ」

 騒ぐハルを連れていったマサキと名乗った大男の背中をみながら突っ立っていると、カイトに手を引かれて自治警察のところへ行く。怪我はありませんか、と優しく手を引く彼らに悪い印象などあるはずなかった。

 結局、コンビニで軽く惣菜を揃えて、カイトは門限だからと途中で別れた。カズシは大丈夫だろうかと考えながら、やや早足で家に向かう。

 

 おかえりなさい、と俺を出迎えたのは、眉間に皺を寄せ腕を組んでソファに座っている金髪の少女。とりあえずただいまと返して、買ってきた惣菜を机に置いた。が、しばらくして俺はミヅキを見て首をかしげた。

「なんでここにいるんだ?」

「嫌ですね、シドウさんに会いたくなったに決まってるじゃないですか」

 棒読みでスラスラと返し、ミヅキはわざとらしい笑顔。思い出してカズシの部屋をノックしようとすると止められた。

「キャベツくんなら寝てますから。具合悪いんですって」

 ミヅキが付いててくれたのかとひと安心。俺は大人しく夕飯を食べることにする。

「ミヅキ、お前、夕飯は」

「いらないです。いいですよ、食べてください」

「そうか」

 しばらくの間、俺が食べる様子をミヅキはずっと黙って見ていた。やがて食べ終わって箸を置くと、ミヅキはふうと息をひとつはいて、言った。

「しばらく会えなくなりますから、探さないでください……言っておかないと探しに来そうですからね」

「……そうか」

 喉の奥に冷たいものの刺さったような感覚。体温が冷えていくような。

「別に、嫌いになったとかじゃないですからね」

「……うん」

「……それと、もう一つあるんですけど」

 ミヅキはしばらく悩んでから続けた。

「高橋組に関わっていこうとしないでください……自治警察はこの街だけの小さな組織ですけど、高橋組はそうではないですし、ほかの数ある組織の上に成立ってる組織です。……怖い目に遭いますから、絶対ですよ、会ったら関わらないで逃げてくださいね」

 悩みながら、表情を変えながら話すミヅキの言葉を噛み砕きながら、俺は別の人の声を思い出していた。

 ミヅキと関わるなと言った狐目の男。

「……ミヅキ、お前は高橋組なのか?」

 そっと両頬を手で包まれる。ミヅキは何かを言おうと口を動かすが、その先を言わなかった。やがて。

「その話は次にあった時にしてあげますから」

 小さな手が首から胸を滑り落ちて離れた。ミヅキは優しく笑って、それではと出ていこうとする。俺はいつの間にかミヅキの腕を掴んでいた。

「どこへ」

 ミヅキは悪戯っぽく笑って言う。

「男のとこですよ」

 俺は何も言えないまま、その後ろ姿を見送った。

 

「帰ってたんだな」

 シャワーを浴びて一息ついていると、カズシが部屋から出てきた。いつもと同じヘラヘラとした顔。大丈夫なのかと聞くと、右手を軽くあげて答える。風呂入るかと聞くと、残念そうに首を横に振った。

 俺と机を挟んでカズシは床に座った。手には包帯。先が赤黒く汚れていて、なんだか嫌な感じがして、目を背ける。

「ミヅキちゃんは」

「……男のとこ」

「へえ」

「……大丈夫か」

「大丈夫じゃねーよ。怪我人なんだから優しくしてくれ。マジで痛いからな!」

 大丈夫そうだなと安心して一息つく。それからカズシは「で、」と切り出した。

「シドウってクスリの経験は?」

「くすり?」

「ないよな」

「風邪薬とか」

「そーゆーのじゃないんだ」

 言って、カズシはポケットから何かを取り出して机の上に置く。小さなカプセル、まるく綺麗な色をした錠剤、絵の描いてあるお菓子のようなもの、それから淡い色をした粉薬のようなもの……ざっと10種は超えている。

「これは全部いわゆるドラッグってやつ。お前の知ってるような健康を守るためのものじゃなくて、その時気持ちよくなるためだけに使われる、そのためだけに作られる。エゴの塊だな」

 触ってみ、と持たされる。ただ薬を触っているだけなのに、なんだか良くないことをしているようで、弟に怒られそうで、何とも落ち着かない気分になる。

「でもやりすぎると体も精神もぶっ壊す。こいつらはそーゆー代物。タバコや酒みたいなもんだ」

 薬物中毒者が。スーパーでの騒動を思い出す。

「……なんで持ってるんだ」

「イマドキ、安いエクスタシーくらいガキでもやってんぞ」

 まあ、やれとは言わねーけどなぁと言いながら、カズシは俺の手の上のものを回収していった。一つ一つ名前と使い方、効果に副作用を教えてくれる。そのたびに俺は頷く。なんでこんなことを教わっているのだろうと思っていると、カズシの片付けが終わった。

「んでここからはナイショの話なんだけどさぁ」

 口に人差し指を当てながら、カズシは楽しそうに言う。

「いま、アクセルバイトってのが出回ってるらしい。通称アクセル」

「アクセル」

「そ。聞いたことあるか?」

「いや」

 初めて聞く名前だった。なんだか悪いことをしているような、でも気になるような、そんな気分で続きを促す。

「そーか。いやぁ、俺もよく知らねえんだけどな、流行ってるらしい。なかなかすげーけど、危ねぇやつ」

「……そうなのか」

 そうなんだよ。カズシの返事で会話が途切れる。なんとも物足りない間。

「なあ、カズシ」

「ん」

「なんでその話をしたんだ?」

 カズシはにやにや笑い始める。

「いいや、別に」

 じゃ、怪我人はくたくたなんで!と言い残してまた部屋に戻っていく。その足取りはもうだいぶしっかりしている。

 アクセルバイト。得体の知れない名前が耳から離れない。

 

 翌朝目が覚めると、居間の机の上に書き置きが残してあった。「何日かいねーねけど探すなよ!金はこれ使え」そばにおいてある封筒を開くと、万札の束が一つ。思わず一度落としてしまう。いったいあいつはどこからこんな大金を出してくるんだろう。

 しばらく会えません、何日かいねーけど。探すなよ、ミヅキとカズシの声が頭の中で再生される。残された俺は一人。家にいても仕方が無いかと外へ出ると、ギラついた光に肌を焼かれて、パーカーのフードを被った。ふと、カズシがフードを被っていけと言ってたなと思い出す。

 俺の知らないどこかでは俺は有名人になったかもしれないが、今日俺の隣には誰もいない。

 

 あてもなく歩いたことのない道を選んで歩いた。金は札束から万札を二枚だけ抜いてポケットに入れてきていた。喉が渇いたから水を買って、腹が減ったからハンバーガーを食べた。歩く度にちゃりちゃりと音を立てるのは増えた小銭だ。

 やがて仕事帰りの会社員たちが周りを歩き始めた。ふと後ろを振り返るが、ここがどこなのかわからなくなっていた。足を止めると次々に人にぶつかり睨まれて、俺はなんとか建物の壁によって、立ち止まった。みんな違う方向に向かってぶつからないように歩いていく。

 カラフルな門には「西商店街へようこそ」。商店街の入口らしかったが、みんなここを抜け道にしているようだ。なんとなく俺も流れに乗って、商店街の中へと入っていく。

 呼び込みの声。これが安いあれが安い、出来立てだよ、にーちゃんどうだい。人の流れに止まることも出来ず、俺は賑やかな人々を横目に商店街を進んでいく。ふと足元を見ると可愛らしい魚の絵が描いてあって、少し楽しくなった。

「アッごめんなさい!」

 どん、と勢いよくぶつかられてよろめく。大丈夫ですか、と声をかけられて平気だと答える。申し訳なさそうな女の顔が俺の顔を覗いていた。

 瞳も髪もお揃いの水色。空みたいだと思った。服は肩とへそと足を出した、わざと破ったような服。ジーンズのミニスカートは短く、あまり意味をなしてないように見える。

「ケガ!ケガはないですか?」

「ああ、大丈夫」

「あ!折れてる!」

「え?」

 女は泣きそうな声になりながら大声で叫ぶ。……何を言ってるんだ?

「たいへーん!折れてる!」

 周囲の視線がすべてこちらに向く。なんだこれは。俺は驚いて女の腕を振り解こうとするが、振り解けない。華奢な見た目に反したものすごい力。

「折れてるわよね!」

「いや腕は折れてない」

「折れたわよね!折れたね!折れちゃった!折っちゃったー!うええん!」

 泣き出した女。ちらりと周りを伺うと、驚いてこちらを見るやつら。不審な顔で俺を見る奴ら。傍から見ると完全に俺は女を泣かせている状態だった。

「えっと、いや、あの」

「折れたでしょ……?ぐすっ」

「折れてな」

「うわああん!!」

「わかったわかった!折れた!俺の腕は折れた」

「もっと大きい声で言って!」

「俺の腕は!折れた!」

 言われるがままに叫ぶ。自分でも何を言ってるのかさっぱりだ。もう周りは見たくない。俺が叫ぶと、女は瞬きをひとつ、涙を引っ込めてにこっと笑う。

「それは仕方ないなあ!ボクが介抱してあげないとぉ!」

 しょうがないなあしょうがないなあ!とニコニコ楽しそうに歌いながら、女は俺を引っ張りながら走り出す。ぐいっと予想外に引っ張られてバランスを崩しかけながらも、それについていく。

「怪我人だよ怪我人!ボクは病院に連れてってあげてるの!道開けて~!!」

 強引にサラリーマンや学生を突き飛ばしながら女は突き進む。俺は引きずられながらなんとか足を前に出す。周囲の奴らは間抜け面で俺たちを眺めている。でもきっと、俺の方がずっと間抜けな顔をしてるだろうなと思った。

 商店街を、来た道と反対に抜ける。知らない通りをさらに何本も走って、裏路地を抜けて、さらにどこかわからなくなったころ、割と綺麗な細い裏通りで、ようやく女は足を止めた。女の足元をチラリと見て驚く。かなり高めのかなり細いヒール。こんなものであれだけはやく走ってたのか?

 足を止めて俺を振り返った女の目線は俺よりも高い。あれだけ走ったというのに、息もあがっていない。俺はぜえぜえと懸命に呼吸をする。

 女は俺に微笑み、周囲を確認し、それからまた俺に微笑んで……突然コンクリートの上で土下座した。

「おねがぁいっ!!ドーハンしてほしいんだよ!!!!」

 ごつん、と勢いよくコンクリートに頭を打つ音がした。俺はどうしたらいいのかわからず、ただただ地面に頭をつける女を上から眺めていた。

「今日!ドーハンもシメーもないと!ボクは終わりなんだァ~!!」

「いや、あの」

「一日遊べるだけのカネならツケてあげるよぉ!なんならボクが出してあげたっていいよ!ねぇ!人を助けると思ってさぁ~!」

 わああん!と土下座したまま泣き出す女。コンクリートが涙で濡れていく。俺は反射的に「わかった!わかったから!」と叫んでいた。……途端、女は静かになり、しばらくすると涙などなかったような笑顔で俺を見上げる。

「えへへ、よろしいのかしら?」

「よろしいのかしらって言われても」

「いいのね!やった~!」

 もうついていけない、と思った。女は素早く立ち上がり、くるりと回って気がつけば俺の右腕に絡みついている。女の方が背が高いのに、女は俺に寄りかかって歩く。何を言う気力もなく、俺は女に合わせて歩く。

「ボクのことはハルカゼちゃん♡って呼んでね」

「ハルカゼ…それがお前の名前なんだな」

「ハ・ル・カ・ゼ・ちゃん!馬鹿なの?」

「……ハルカゼちゃん」

「そう!素直な子は好きよ。あとでチューしてあげるね。……オニーサンは?お名前」

「あ、俺は……」

 名前を教えるな!カズシの声が頭で響いた。知らない人について行くなよと弟の声も聞こえる。えっと、と思わず立ち止まった俺を、ハルカゼはじろじろと見る。

「……ワケありなら、偽名くらい予め考えといてよね。ボク困っちゃうよ」

 迷惑そうに言ってから、ハルカゼは右手の人差し指を頬に当て、うーん、と言いながら俺の周りをくるくるまわり、正面に来て微笑んだ。

「じゃあ今日のキミはショウね。ショウ。わかった?」

「ショウ?」

「じゃ、行こうかショウくん」

「あ、ああ、ちょっと」

 ハルカゼの腕をふり解けないまま、俺は半ば引きずられながら歩いていく。

 

 いらっしゃいませとニコニコ微笑む胡散臭そうな男を抜けて、次々に頭を下げたり手を振ったりしてくる色とりどりの髪、衣装の女達。暖かなオレンジ色の光を反射して、天井にはシャンデリアが煌めく。

「……なんだこれ」

 どーぞ!とハルカゼに座らされたのは、ふわふわとしたような、それでいて沈みすぎない最高のソファ。ガラス張りの机の上に、ハルカゼは笑顔で水を置いた。促されて、一杯口に含む。

「キャバははじめて?」

 聞かれて頷くと、ハルカゼはへぇ、と興味無さそうな声を出した。なんたって、こんなところへ来て、弟に……と考えて、俺は頭を数度振った。

「難しく考えないで、キミはボクのことがだーいすき!って感じでお酒飲んでればいいよ」

「……難しくないか?俺はお前のこと何も」

「そんなことナイナイ!お酒作ってあげるよ。何がいい?」

「……いや今日は……未成年だし」

「飲んだことないの?」

「あるけど」

「じゃあ問題ナイナイ」

 ハルカゼはニコニコしながら日本酒の瓶を取り、コップに注いで氷を入れる。

「男は黙ってロックだよ」

 礼を言ってひとくち飲む。飲みやすい酒だと思った。

 店内はキラキラと輝いていて眩しい。あちこちで一人、また二人三人と女を傍にあれやこれやと楽しそうに喋っている男達。スーツを着た普通の奴に、私服だけど普通ではない雰囲気をまとったヤツら。俺みたいな若い男はいない。

「ショウくん、アニメとか見ないの?特別サービスでボク、無料で着替えてきてあげようか?何がいい?」

「……どういうことだ?」

「ここMELODYは見ての通りコスキャバだもん。お客さんのだーいすきなキャラになりきってあげるの!……ボクのカッコ見て何も思わなかったの?フツー地毛、水色にする?これもカツラだよ。知らない?」

「髪の毛緑の男なら知ってるけど……その、キャラクター?は知らない」

「ハァ、ボカロ知らない人生って、人生の十割は損してるよ」

 頭を抱えるジェスチャーをしたハルカゼ。水色の髪の毛に水色のカラコン。店に着いて、着替えてきた服は黒い布のフリルだらけのもの。なるほど、アニメのキャラクターに見えなくも、ない。俺はあまりそういうのには興味が無いけれど。

「あのさ、俺はその、あんまり詳しくないんだけど。同伴がどうとかって、大丈夫になったのか」

 気になっていたことを聞いてみる。ハルカゼはニコニコしながら両手でピース。

「ショウくんのおかげで大丈夫だよ!これでまたしばらく凌げるし……危なくなったらショウくん使って自演すればイイしね!」

「え」

「ね!……ショウくん、そろそろフード脱いだら?」

 ハルカゼが座る位置を一歩詰めて、俺のフードを脱がせた。思っていたより大きな手が肌に触れた。ハルカゼは俺の顔をまじまじと見て、小さく、あ、と呟いた。

「ショウくんってあんまりイケメンじゃないね」

 最近こんなことばっかり言われる気がする。でもどっちかというとカワイイから好きよ!ショウちゃんって呼ぶね!ニコニコ笑うハルカゼに釣られて、俺もとりあえず笑っておいた。

 

 突然パッと店内の電気が消えたかと思うと、ピンクや水色、黄色、黄緑……原色の光がぼんやりと煌めく。どこからか甘い匂いが漂ってくる気がした。慌てて見回すと、みんな楽しそうに女と寄り添っている。……ハルカゼも、俺に腕を回す。

「サービスタイムなの」

 えへへ、とハルカゼが耳元で笑った。……息がかかって、くすぐったい。

 ねえ、今日まだいれる?これからサイコーに楽しくなるよ。ねえ、もうちょっとでいいんだけど。近くなるハルカゼの声。

「いや、俺は……もう……」

「ダーイジョウブだよ。ちゃあんとボクが面倒見てあげるから」

 揺らぐ視界でハルカゼが笑う。あれ、と自分の手を見てみるが、焦点が定まらない。そんなに飲んだのか?ハルカゼに言われるまま、俺は何を何杯飲んだんだろう。うまく思い出せない。

 ふと顔を上げると、黒服の男達がそれぞれの机に行き、何かを配っているようだった。俺のところにも一人来て、ハルカゼが代わりに受け取る。小さな黒い袋。俺に見せて、ニコニコと笑う。

「ショウちゃんついてるなあ。コレ、まだカンタンに手に入らないんだよ?」

 ハルカゼは俺の肩に頭を預けて、袋を開ける。中から出てきたのは、小さなカラフルな粒。赤に青、黄色に緑。四粒。ラムネ菓子みたいだ。

「……チューしてあげるって言ったもんね」

 ハルカゼは四粒とも口の中に放り込む。俺はただぽかんとそれを見つめていた。そっと顎に、頬にハルカゼの手が触れた。そのまま引き寄せられ、ハルカゼの唇が触れる。

 甘い。

 甘いのに舌が痺れるような味がした。人口の味。ハルカゼの舌とともに、口の中にさっきの粒が転がり込む。コロコロとハルカゼが舌先で転がす。……なんだかとても心地良い。

 目を開けているのが辛くなって、そっと目を閉じた。体に力が入らなくなって、ソファにもたれ掛かると、ハルカゼがそのまま俺を横倒しにする。長いキス。やがてハルカゼは顔を離す。

「イイコだから飲み込んでね」

 顎をそっと引き上げられて、俺は溶けきっていない粒を飲み込んだ。体が熱い。ハルカゼの重みを感じて、懸命に目を開ける。……優しく頭を撫でられて、また目が閉じそうになる。

「イイコだよ。イイコ。……イイコのシドウちゃんだ」

 うん。小さく返事をする。頭を、頬を、首筋を流れていくハルカゼの手の温度が、心地良い。

「どお?大丈夫?……気持ちよくない?イイよね?」

「……うん」

「素直な子はカワイイよ」

「うん……」

 ハルカゼが耳元で囁く。舌先が耳を這って、俺は驚いて小さく声を上げた。慌てて口を閉じると、ハルカゼはクスクスと笑う。

「イマどんな感じ?」

「……ぼーっとしてる」

「気持ちイイ?」

「……うん」

「苦しい?」

「ううん……」

 パーカーの下に潜り込んだハルカゼの手を振り払おうとしたいのに、なにも体が動かない。……まあいいか、とも思った。ハルカゼの笑顔が、囁く声が、強く俺に入り込んでいく。

「……クスリ、なにがすき?」

「……いや、なにも、したこと、は」

「初めてだったの」

 じゃあもう、ほかのじゃダメになっちゃうよ。これじゃなきゃあ。視界がぐるぐると回り始めて、ハルカゼ、どこいったんだよ、と慌てて手を伸ばすと、指が絡む感覚。なにもちゃんと見えなくなって怖くなるのに、耳元で大丈夫と囁かれて、そうか大丈夫か、と、俺もまた指を絡める。

「そうやってだんだんはやくなってね、食べられちゃうの」

「たべ……られ……る」

「そうだよ。ボクが名前つけたの。カッコイイでしょ?どんどん加速して……バク!って喰われちゃう~ってカンジなの。……アクセルバイト。ねえ、いい名前でしょ?」

 どこかで聞いた名前だと思ったが、なにも頭が働かない。そうだな、いい名前だと笑うと、ハルカゼもニコニコ笑う。俺が笑うとハルカゼが笑うのか。嬉しくなって俺はまた笑う。

 イイコだね。何度も頭を撫でられて、体を伝うハルカゼの手が心地よくて。俺は近づいたハルカゼにしがみつくようにキスをした。爆発しそうなくらいうるさい心臓と上がった体温。感じたことのない感覚。カワイイなあと笑うハルカゼの声が愛しい。やがて訪れたのは何かが突き抜けるような感覚。痛いのに、苦しいのに、気持ちよくてたまらない。

「ホントはね~、水に溶かして腕に打つんだよ。チクチクって。でもそのままの方がずーっとイイよ。だからねえ、特別だよ」

「とくべつ」

「シドウちゃんはね、ボクの特別」

「とくべつ……」

「シドウちゃん、ボクのことすき?」

「うん……」

「カーワイイね。オッサンなんか相手にするよりずっとカワイイ。ボクもシドウちゃん、だーいすきだよ」

「……あれ、はるかぜ」

 ちゃんをつけなよ、と微笑む顔はすぐ側だ。ハルカゼの首に腕を回しながら、強くなった飛ぶような感覚に耐えながら、やっと声を出す。

「おれ、なまえ、いつ」

 ニコニコと微笑むハルカゼを見ながら、突然の身を焼かれるような感覚に俺は鈍く声を上げた。無数の小さな何かに噛みつかれるような感覚。ハルカゼにしがみついて名前を呼ぶ。嫌だ、怖い、やめて、助けて。嫌なのに気持ちよくて、怖いのにもっと欲しくなる。頭が割れそうに痛くて、自分でもよくわからない声を上げ続ける。

 はるかぜ、と何度も名前を呼んだ。痛みに遠のく意識の中で、ハルカゼの優しい声が笑う。

「ゴメンね、最初から知ってたの」


【れんごうかいのきゅう おわり】

【れんごうかいのじゅう に つづく】

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