れんごうかいのなな

  時計を気にしながら、用意を進める。身だしなみを整えて、鏡の前でチェック。人に不快感を与えないようにしっかりと。……髪の癖はいくらとかしてもなおらないけれど。

 カバンの中身を確認して、時計をまた確認した。忘れ物はないか。まだ確認する時間がある。もう一度、もう一度……そんなことをしてる間にもう家を出る時間になっていて、慌ててカバンを持った。今日も重たい。

 行ってらっしゃい、の声を受けて、返事を返しながら靴を履く。硬くつるつるだったローファーは、いまではすっかり柔らかく、傷だらけになっていた。

 高校に入学した時のことを思い出す。桜の散る中、新しい制服に身を包み、幼馴染と歩いた知らない道を。

 あいつの靴はまだ綺麗なままかもしれないな、と、幼馴染を想った。

「靴ボロボロですね」

 言われてから靴を見た。確かに泥のかわいた後や、ほかの何かよく分からないものがこびり付いたような跡がある。綺麗とは言えない。カズシが俺の靴を靴箱に入れてくれないのはこのせいかと思った。

 今日は朝起きた時からカズシはいなかった。おそらくバイトに行ったのだろう。ここ数日、あまりカズシにあっていない。むしろ今までバイトをサボりすぎていたのかもしれない。

 なんとなく今日は公園に来なきゃいけない気がしていたから来てみると、ミヅキがベンチに座っていたので、隣に腰掛けたのだった。

「新しいの欲しくないんですか?」

 隣でミヅキが足をブラつかせながら言う。光を受けて煌めいているのは薄い桃色のハイヒール。俺の視線に気づくとミヅキは得意げに「買わせたばっかりなんです、これ、いいでしょ」と言う。

「買わせた」

「はい、男に」

「……そうか」

 笑顔で答えるミヅキに、相変わらずだなと思った。

「買ってあげますよ、靴」

「いや、いいよ」

 そんなに欲しいわけでもないから、と返すと、足をぴたりと止めて不機嫌そうだ。少し悩んで、じゃあ買ってくれと言うと、顔が明るくなった。

「しょーがないですね、金なしシドウさんに靴を買ってあげます」

 ベンチから立ち上がったミヅキは、俺が立ち上がらないうちに俺の腕に抱きついた。しっかりと自分の腕を絡めてから、俺を見上げて笑う。

「無料であたしとデートできるなんて光栄ですね」

 そうかもな、とテキトーな相槌を打ちながら、なぜ公園へ来たのか考えていた。きっと大事な何かのはずなのに、いったい何だっただろうか。悩みながら、ミヅキの歩くままについていく。

「ごめんな付き合わせて、練習あったんじゃないのか」

 まとめたプリントをトントンと整えながら、先輩は申し訳なさそうに俺を見る。大丈夫ですよ、俺が悪いんですし、と答えながら、俺も手元でプリントを整えて先輩に渡した。少し見回す。もう落ちているものはないみたいだ。

 今日は授業が半日だから、帰りが早かった。もう学校は部活ムードに変わっている。俺は今日は練習を休ませてもらって、人と会う約束をしていた。それですこし急いでいて、その、前を見ていなかった。

 何かというと、先ほど廊下でうっかりぶつかってしまい、先輩の持っていたプリントが散らばってしまったのを拾うのを手伝っていたのだ。

 先輩とは特別に知り合いだったわけではなかった。間接的になら、演劇部に所属している幼馴染が話をしていたのを聞いたことはある。

 散らばってしまった公演のチラシには、知らないタイトルが載っていた。人数が少ないからろくなものができないとか、幼馴染が言っていた気がする。そんなこと言うくせに、あいつはもうずっと学校へ来ていない。

「ヤハラは元気なのか」

 カバンを背負い直していると唐突に幼馴染の名前を呼ばれて驚いた。先輩は笑いながら「いつも一緒にいたもんな、話は聞いてたよ」と言う。俺は返答に詰まり、とりあえず笑ってみた。

 それでは失礼しますと頭を下げて歩き始めた時、「あ、ちょっと」と再び声をかけられた。慌てて振り向くと、スマートフォンの画面を見せられる。表示されているのは男性の写真だ。

「もし家の近くでこんな馬鹿そうなやつ見たら、悪いけど知らせてほしい」

 はぁ、と頷きよく写真を確認する。楽しそうな笑顔で、美しい空の絵画の隣に写っている男性。体つきはがっしりとしていて、前髪は邪魔だったのだろうか、雑に輪ゴムで結んであった。絵の具だらけの服に、手も絵の具まみれ。

「あの、この人は」

 質問をかえした。先輩はスマートフォンを手元に戻し、苦笑いしながら答える。

「うちの家族なんだけど、ちょっと、行方不明で。連絡寄越してきたけど、なんか悪いことに巻き込まれてんじゃないかって、心配でな」

 こんな時代だし、探してるんだけどさっぱりだから、と付け加えて笑う。よく見ると、目の下にはひどいクマ、顔もなんだか疲れているように見えた。

「……あの、連絡先交換しませんか。何か情報があればお知らせします」

 考える前に言っていた。先輩はありがとうと言って少し笑った。携帯電話を持ってきていないというと、笑いながら先輩はメモ紙を渡してくれた。

 キノシタサクラ先輩。……何も言わずに、名前と連絡先の書かれたメモを大切にしまった。

 俺はもう一度ぶつかったことを謝って、連絡先の礼を言って、その場を離れた。待ち合わせには遅れないようにしないといけない。

 ただ、見て見ぬ振りはできないと思った。

 何回かゼロの数を数え直したが、片手以上のゼロに理解が追いつかなくて、やめた。足にピッタリとそい、歩きやすく、何も履いていないような心地になる高級靴。なんだか落ち着かない。

「どうですか、これ、履きやすいですか、これにしますか」

 聞かれて首をかしげた。俺みたいな庶民には高級品は合わないのかもしれない。やめておくと答えると、ミヅキは不満そうに口を尖らせた。

「さっきからアレはやだコレはやだって、じゃあどれがいいんです?せっかくいい靴勧めてるのに」

「……悪い」

 元の靴に履き替えて、その安心感に包まれる。これと同じ靴がいいと言うと、そんなんでいいんですかと呆れた顔。ミヅキはすぐに俺の腕を引っ張って、今度こそ庶民向けの靴屋に入る。見慣れた金額にほっと息をつく。

 結局今履いているものとあまりかわらない黒いスニーカーを買ってもらった。ミヅキは用意していたらしい封筒から万札を出し、返ってきた金を見て何だか不満げだ。でもなんていうかまあ、俺はこれがいいわけだし、と言いながら、新しい靴に履き替えた。古いものは処分してくださいとミヅキが店員に押し付けていた。

「これで立派なリーダーですね、シドウさん。靴が汚い男はカッコ悪いんですよ」

「そういうものなのか」

「そういうものです」

「ありがとう」

 いえいえ、とミヅキは得意げな笑顔。靴屋を出てしばらく街を歩く。平日の昼間。昼飯休憩なのか、人通りは多い。

「学校、行ってないのか」

「よくそんなブーメラン投げられますね」

「……そうだな」

 そんな会話をしながら歩く。そのうちに、見覚えのある制服を着た生徒達があちこちに見えた。楽しそうに話しながら、通学カバンを手に歩いていく。隣を見ても、ミヅキは気にした様子はない。

「……いいのか?」

 俺が声をかけて、ようやくミヅキは気づいたようだった。今日、午前授業だったんですね、気のない声で呟く。俺はすれ違う見知らぬ男子生徒を目で追いながら、頭を掻いた。

 ……あれ?

 その時頭に一人の顔が浮かぶ。一週間後。俺は一生懸命日付を思いだしながら指を折って数えた。

「それよりシドウさん、このあと暇なんですか?もしよければ」

 ミヅキに答える前に、進路を変えて走り出した。

 

 公園につくと、相変わらず何故かベンチに座らずに姿勢よく待っていた制服姿の男子高校生を見つけてとりあえず片手をあげた。怒られるかとひやひやしながら近づいたが、俺を見ると笑顔で軽く頭を下げる。今日も元気に髪がはねている。

「こんにちはシドウさん。お久しぶりです」

「……待たせたか?」

「いえ、よく考えれば待ち合わせの時間は指定していませんでしたので、こちらのミスでした」

 怒られなくてすこしほっとしたので、カイトをベンチに座るように促した。その隣に俺も腰掛ける。カイトは足元に重そうなカバンを二つ下ろした。大変そうだなと思った。

「……えっと、なんだっけか」

 カイトと待ち合わせをしていた。すっぽかしたらきっと怒られる。それしか考えていなかったが、そもそもの目的を忘れていた。カイトはカバンからスポーツドリンクを取り出して俺に渡す。

「それ、飲んでいいですよ。買ったけど口つけてないんです。走ってきてくださったようですけど、忙しかったんですか?」

 礼を言ってペットボトルに口をつけた。しばらくして落ち着いてから、すこし出かけていたと答えた。

「それじゃあ、先週話していた通りですけど……ミヅキのことでなにか」

 先週のことを思い出そうとした。色々ありすぎてよくわからなくなっていたが、そう言えばカイトはミヅキを探していて……

 見ればカイトは言葉を止めたまま、なぜかぽかんとしていた。視線の先を見ると、高いヒールのまま器用に走ってきたミヅキの姿が見えた。

「まったく、靴買わせといてどっか行っちゃうなんて酷くないですか?こんな可愛い子を……」

 そこでミヅキも言葉を止める。俺の隣を見たまま、動かない。

「……ミヅキ」

 もう一度名前を繰り返したカイトに、ミヅキは一歩下がり、向きを変え。……走り出す。

「シドウさん!捕まえてください!」

「えっ」

「はやく!」

 カイトの声にドキッとしてとりあえず走ってミヅキの腕をつかむ。俺の腕を振り払おうとするうちに追いついたカイトに腕を掴まれ、ミヅキは足を止めた。

「お前、今までどこいってたんだよ!」

 ミヅキが声に反応するのと同じように俺もびくりとする。厳しい顔で怒鳴るカイトが、なんだか弟に見えたのだ。

「ま、待ってくれ、言い訳があるから、きっと」

 慌てて間に入る。ミヅキとカイト、両方の手を掴んだまま、カイトに真剣な顔で見られ、ミヅキは俯いたまま顔をあげない。

 晴れた空の下、夏の日差しを浴びる昼間の公園の空気が重たい。

 

「まあ、落ち着けよ……」

 こういうのが得意なのはきっとカズシだと思ったから、カズシの言い方を真似てみようとするが、なんとも重たい空気に自信がなくなって、語尾に力がなくなる。

 とりあえずなんとか二人をなだめながら手近なファミレスに入ることは出来た。昼時は過ぎており、人はまばらだ。通された4人掛けの席の窓際に二人を向かい合わせて、俺はミヅキの隣に座った。女の店員が水を出してメニューをくれて、下がる。メニューを渡すと、カイトはありがとうございますと小さく言った。

「何にしますか、シドウさん」

「えっと」

 答え損ねた俺より先に、カイトはミヅキにメニューを見せる。ミヅキは顔をあげないままだ。

「ミヅキはハンバーグにライスか?」

「勝手に決めないでよ、そんなん子どもっぽいじゃん」

「子どもだからいいだろ別に」

「子どもじゃないって」

 カイトとミヅキの明らかに喧嘩腰のやりとりにヒヤヒヤしながらも、何をどうすればいいのか全くわからない。とりあえず「じゃあ俺ハンバーグで」と会話に入る。そうですか、とカイトが返事した。ミヅキはカイトではなく俺を見て「わたしも同じのにします」と答える。……息が詰まりそうだ。

 カイトが呼び鈴を鳴らす。その子気味良い音も空気の重さにすぐに消えた。お伺いしますよと現れた店員を見上げると、相手と同時に声を上げた。

「シドウじゃん、あ、ミヅキちゃんにこの前の舎弟も」

「カズシ、お前、バイトいくつやってるんだ」

 さあいくつだろうな?と笑いながら注文を聞くのは、ファミレスの制服に帽子をかぶったカズシ。くすんだ赤の制服に、薄黄緑色の髪が映えている。

 ミヅキもカイトもお互いではなくカズシに注文を言っていく。

「んでお前は?ステーキか?」

「ああ、ハンバーグ」

 答えた俺にカズシは何故か首を傾げた。

「ハンバーグで会計してやるからステーキ食っとけよ、な、ステーキな!」

「え?いや」

「まーかせろって」

 勝手なことを言ってカズシは去っていく。……あいつ、よくクビにならないよな。

「……ハンバーグ食べたかったら半分かえっこしてあげますよ」

 ミヅキが隣で小さく呟いた。いや、別に、そーゆーわけでもないんだ。

 

 それから料理が来るまでの間に、店内は、一言も話さずに外を見続けるカイトと、隣で俯いたまま髪の毛を人差し指でくるくるといじるミヅキ、そしてオロオロしている俺の三人になっていった。

「お待たせしましたー」

 よそ行きの声で料理を運んできたのもカズシ。だがいつの間にか制服ではなくパーカーにヴィンテージジーンズという格好になっている。料理を並べ終えて、そして誰も座っていないカイトの隣にもステーキを置いて、そこに自分が座る。

「そんじゃ熱いうちに食おうぜー」

「仕事は」

「お前が来たのに働いてられっかよ」

 ニコニコして手を合わせるカズシに釣られて、俺達もみんな手を合わせた。カイトのいただきますの声。ミヅキはさっさと食べ始めてしまう。俺は伝票の「ハンバーグ」の字を見ながら、出されたステーキに手をつけた。

「うめえだろ、な」

 柔らかい肉をゆっくりたべながら俺は頷いた。……これはうまい。

「ほらミヅキちゃんも、ハンバーグうまいっしょ、うちのけっこうイケルでしょ」

「キャベツくんの店にしてはなかなかだとは思うわ」

「だからキャベツじゃねーって」

 箸でハンバーグを少しずつ口に運ぶミヅキは満足そうだ。

「カイトも、なかなかうまいっしょ、海鮮丼」

「はい……貴方が作ったわけではないのに嬉しそうですね」

「そりゃあ、ここが好きで働いてるからな。認めて貰えるのは嬉しいもん」

「そうですか」

 カイトもなんとなく満足気な顔だ。ほっとしてカズシを見ると、カズシは肉を口に運びながら軽くウインクした。……全部わかっていて助けてくれたんだろうかと思った。それからカズシは俺を指さして、ちらちらとミヅキたちの方を見る。なるほど、ここから先は俺がやるべきだということかもしれない。

「……その、カイト」

 恐る恐る声をかける。カイトは口を動かし、しっかりと飲み込んでから「なんですか」と答える。

「……いや、その、ミヅキのことだけど」

 ミヅキがぴたりと動きを止めた。緊張しているようだった。さっきのカイトを思い出す。……なんとなく気持ちはわかる。

「……話していただけるんですか、ミヅキと一緒にいた経緯を」

 カイトはミヅキを見ずにこちらを見る。俺は少し悩んだ。全部話すわけには行かないし、でも全部はなさなくてはカイトはきっと信じない。俺な頷きかけ……

「チームに入ったからさ」

 思わずむせた。俺の向かいで、カイトの隣でカズシが得意げに説明を始める。なんだかミヅキもぽかんとしている。

「もう俺ら、名も無き不良集団じゃなくなったんだ。高橋組や自治警察と並ぶ第三勢力、レンゴウカイ!シドウがリーダーで俺はその副リーダー、ミヅキちゃんもうちの子になったの、だからいつも一緒なわけよ。オーケー?」

「……理解が追いつかないんですけど」

 カイトは一呼吸おいて、ニヤニヤしているカズシに嫌そうに返す。

「ミヅキは不良の一員になったってことですか」

 いや、悪い意味ではないんですけどと申し訳なさそうに付け加えるカイトの視線は俺に向いている。が、なにか答える前にカズシがペラペラと喋る。

「俺たちは良い不良だよ」

「矛盾してませんか?」

「スローガンはみんなを笑顔に、街を綺麗に、だ。きっとこれからなんか、ほら、掃除とかするんだ、たぶん。なぁシドウ?」

「……たぶん?」

「………悪くないですね」

 カイトの反応が変わったのを見て、カズシがにやっと笑った。

「それで、具体的には今現在何をされてるのですか?」

「メンバー集めだな、人数少ないと何も活動できねーだろ。だからいま、そのへんの不良に声掛けて回って、レンゴウカイのメンバー増やして、俺は名簿作ってんだ。なぁ?」

 そう言って俺にウインクする。そうなのか?と言い掛けた俺の足をミヅキのヒールが思い切り踏んだ。呻き声を飲み込む。ちらと横を見ると、ミヅキは何か言いたげな目でこちらをじっと睨んでいる。

「……そうだな、そのへんはカズシに任せてるけど」

 カイトは水を飲んでから、へえ、と相槌を打つ。なんとなく、マイナスイメージは拭えたらしかった。「……ということは」とカイトは久しぶりにミヅキを見た。ミヅキも躊躇いがちに視線を合わせる。

「……シドウさんのとこで頑張ってるのか」

「まあ、そんなとこよ」

 ミヅキはそう言って、ハンバーグの最後の一切れを口に入れる。

「……家は」

「……帰ってないよ」

「心配してたぞ、キタさん」

「……」

「学校も単位が」

「わかってるよ」

 わかってるけど。口をもごもごさせながら俯いたミヅキを見て、カイトも黙る。かける言葉は何一つ浮かばない。とりあえず、水に口をつける。小さくなった氷が喉を抜けていく。

「心配ならお前もレンゴウカイ入れよ」

 なぁ、と同意を求められて、思わず咳き込む。ミヅキもぽかんとしてカズシを見ている。カイトも。

「レンゴウカイに入れば、少なくとも会いたい時には会いにこれるだろ?ミヅキちゃんのことわざわざ探さなくても良くなるぜ」

「……ですが、悪いことをしていないとしても不良活動というのは俺は……それに……」

「……めんどくせえなぁ」

 カイトが箸を置いた一瞬をついて、カズシがカイトの制服の襟に手をかけた。考える間もなく、カイトのボタンが一つ、飛んだ。……カイトはぽかんとしたまま、自分の襟元を触っている。ミヅキが「ちょっと!」と怒鳴るも、カズシは気にした様子はない。

「窮屈だろ、それ。ちょっと外してみるのも悪くねーよ」

 俺と目が合う。……何も意図の読めない顔だった。

 なんだか変わってしまった場の空気に耐えられなくなり、俺は「ごちそうさま」とはっきりと言った。


「悪かったな」

 襟元をまだ気にしているカイトに言うと、いいですよとカイトは笑う。

「シドウさんがやったことじゃないですし」

 明らかにカズシには怒っている。

 結局あのあと店をでて、ミヅキはもう時間だからとさっさとどこかへ消えてしまい、カズシも、じゃあな、とどこかへ消えてしまい、残ったのは俺とカイトで、とりあえずカイトを家の近くまで送っていくことにしたのだった。

 案内してくれるカイトについていくと、以前カズシと夜、二人で話をしていた、ブランコと滑り台しかない小さな公園についた。

「……少し話をしませんか」

 カイトの言葉に俺は頷いて、隣合わせのブランコに座る。細かな揺れが心地よい。

「レンゴウカイ、俺も入れてください」

「そうか……え?」

 思わず驚いてカイトを見ると、いたって真面目な顔。

「……お前の苦手な、その、不良集団なんだけど」

「心配ですので」

「……別に入らなくても、またミヅキ捕まえればきっと」

「いえ、シドウさんが」

 心配です、と言った瞳は俺をまっすぐ見ている。ぽかんとしていると、カイトは何かを迷ったようにあっちを見たりこっちを見たり。それから左右を確認して、声をひそめて言う。

「あの緑髪の男、良くないと思うんですよ」

 カズシのことか、と思った。

「悪い、でもなんていうか、あいつは悪い奴じゃないから……たぶんバイトで気がたってて……ボタンは弁償するから……」

「あ、いえ、そうではないんです」

「?」

「……俺が初めてシドウさんに会ったとき、知らない人にシドウさんのことを教えてもらいましたと言いましたよね。前回家に上がらせて頂いた時にも少し思ってたんですが、今日見てやっぱりそうだと思いました。……なんだか髪色とかは違った気もするんですが、あの人がシドウさんのことつけてて、シドウさんのこと教えてくれた人、だと思います。不確定要素だらけなのに、こんなこと言って、すみませんが」

「……はあ」

 自分でも間抜けだと思う声が出た。カズシが俺をつけていた?何のために。そんな意味の無いことをするようなやつではないと思う。……確かに何でもお見通しのようなそんな感じはあるけれど。でもそれはきっと、勘が良いからだと。

「……それでも、なんだか危ない気がしたので、シドウさんにあまり関わって欲しくないな、と」

 すみません、と付け加えるカイトに、別にいいからと返す。

「でも本当に、気をつけてくださいね」

「……わかった、気にはしておく」

「……それから、もう一つ、あるんですけど」

 カイトは言って、カバンの中から財布を取り出し、その中から一枚のメモ紙を取り出して、俺の手に握らせる。ゆっくり開いて、中を見て、固まった。

「……その、先輩には、まだ何も言っていないのですが。シドウさんのお兄さん、でしょうか」

 見慣れた字で、知っている番号とメールアドレスが書いてある。

「……いや、その」

 弟だ、と思った。サクラ。見つけたら連絡をください、というのは、カイトへ向けたメモなのだろう。

「見せていただいた写真がシドウさんのようでしたし、姓も同じでしたから……」

 俺を真っ直ぐに見て言うカイトにメモ紙を握らせ返す。それから、カズシの言っていたことを思い出す。連絡したとか、知り合いだとか、なんかそんなことを言っていた気がした。

「……連絡ならした」

「でも」

「大丈夫、らしいし」

「らしいって」

「カズシが言ってたから」

 言うと、カイトはメモ紙を大切そうに財布にしまいなおしながら、またカズシさんですか、と呟く。

「カズシさんとシドウさんはどんな関係ですか」

「俺たちは友達だし、カズシはナンバーツーで働いてくれてる」

「いつからの知り合いですか」

「……ちょっと前」

「あの人が何をしてる人なのか、知ってるんですか?」

「それは」

 街のことをなんでも知っているようなカズシ。俺がいつ何してたかも知ってるカズシ。ミヅキに会わせてくれたカズシ。自治警察や高橋組のところでも頼りになったカズシ。ナンバーツーとして頼りになるカズシ。この一週間ほどでレンゴウカイを名乗る奴が増えたのも、きっとカズシのおかげで。

「……フリーターだと思う」

「思う、ってことは、違うかもしれないんですか」

「……でも、どこにも属してないって言うし」

「そんなに根拠がないのに、どうして信じられるんですか」

 胸の奥が冷えていく感覚がした。というよりも、頭から氷水をかけられたような気分だ。言い返したいのに、あいつは悪い奴じゃないって言おうとすればするほど、確かにその、根拠なんて何もないのかもしれない。考えるほど、怖くなっていく。

 俺が何も言えないまま、しばらく時間が過ぎた。

「……すいません、言い過ぎました」

 カイトは立ち上がり、カバンを持つ。それからこっちを振り向く。

「ですが、キノシタ先輩に連絡を取って家へ帰ることをおすすめします。なんだか嫌な予感がします。シドウさんには助けていただいたこともありますし、危ないことになってほしくありません。……もちろん俺はミヅキにも家に帰ってほしい。俺の知らない世界がどんなものかはわかりませんが、少なくとも大切な人達には、危ない目に遭ってほしくありません。……レンゴウカイ、俺も入れておいてくださいね。それで、何かあれば呼んでください。些細なことでも、話、聞きますから。……くれぐれもあの男には気をつけてください」

 ひとしきり話し終えて、カイトは丁寧に気をつけ・礼をして歩いていく。残された俺は、軽く揺れるブランコの上でぼんやりとしていた。


「こんなとこにいたのか」

 声をかけられるまで、日が落ちていたことに気がついていなかったらしい。街灯の明かりに照らされた薄緑色の髪が目立っている。カズシはカイトが座っていたブランコに勢いよく腰掛ける。

「よぉ、どうだったよ勧誘は」

「……カイトも入るって」

「よっしゃ、人数増えたな。こーゆーのは多いだけ有利だからな」

 笑顔で何やらスマホで操作をしているカズシを横目に、俺は、なぁ、と声をかけた。なんだよ、と返ってくる言葉はいつも通りだ。

「……お前のことが知りたい」

 カズシはぴたりと動きを止めた。真面目な顔でこっちを見る。

「どうしたよ、急に。何が知りたい?……何か言われたか?」

 俺は何も言わなかった。何を言えばいいのかもわからなかった。しばらくしても返事のない俺から視線を外して、カズシはスマホをいじっていた。

「……"お前は"俺のことどうおもってんの」

 やがてカズシが言った。思わずカズシを見た。その顔は真剣だ。

「お前が俺になにか疑問を感じたならぶつけてくれよ。……ダチっつったろ?答えらんねーことは答えねーけどさ、誰かになにか言われたからってのはお前らしくないんじゃない」

「……そうかな」

「ああ」

「……スマホで今何やってる」

「レンゴウカイの掲示板の更新。クロバカイトを名簿に入れてる」

「……そうか」

 ほれ、とカズシは俺にスマホの画面を見せてくる。なるほど確かに、言っている通り。

「……んで他は?」

 頭に浮かんだことを聞くかどうか迷って、迷って。恐る恐るカズシを見ると、カズシも俺を見ている。

「……お前は俺の味方なのか」

 やっと言葉にする。不安で仕方なかった。息が苦しくて仕方がなかった。やっと出た言葉も、拒絶されるんじゃないかと思って怖くなる。カズシは大きくため息をついた。

 ……それから、突然立ち上がると、少し屈んで俺を抱きしめる。

 なにがどうなってるのかさっぱり分からないまま、カズシの腕の中、頭を撫でられる。

「お前はこの街で生きていくには柔らかすぎるんだよなぁ。よしよーし。怖かったなぁ」

「……俺はガキじゃないぞ」

「よしよーし」

 勢いよく頭をグシャグシャにされる。カズシの体温が心地よくて、少し眠くなる。

「……俺にはやらなきゃいけないことがあんだよ。ちょうどいいし、お前のこと利用してやろうと思って近づいたんだ。これ、マジだぜ」

 子守唄のような心地よい優しい声で、カズシは続ける。

「なのにさ、お前、ほんっと馬鹿じゃん?……テキトーに利用してポイっ、とか、今さら出来ねーよ」

 だから、とカズシは続けた。

「お前も、俺を捨てないでくれ」

 か細い声だった。わかった、と返した。

 体を離す。カズシの不安そうな顔なんか見たことなかったな、と思った。グシャグシャにされた頭を手櫛で調えながら、言う。

「……帰ろう」

 カズシが頷いた。ブランコをおりて、二人で夜道を歩き出す。街灯や店の明かりに照らされて、二人分の影が並ぶ。

「……俺、ゲイじゃねーからな」

「俺も相手は女がいいな」

 間の空いた軽口を返しながら、俺たちの家へ続く道を歩く。……今はまだ、こいつを信じていたい、と、俺は思った。


【れんごうかいのなな おわり】

【れんごうかいのはち に つづく】

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