れんごうかいのよん

 報告を受け、映像を見て、たしかに彼だと確信した。いつか、自らのことを顧みず、出会って間もない私のことを助けようとしてくれた青年だ。背が高く、がっしりとしているが、ぼんやりとした青年。

 でも、彼と一緒にいるのは……。

 場所は裏の風俗街。映像は途中で切れているものの、このまま行けばどこへ着くのか知らないほど無知ではない。手を引く男性は見たことがないが、迷いのない足取り、もしかして高橋組の人間なのではないか。

「連れていかれたのかしら……それとも」

 彼に言おうと思って以前言えなかったこと。出会う前も、出会ってからも、手に入れた様々な情報と噂。その中には、たしかに”素質”があった。

「如何がなさいますか、お嬢様」

「……署長と呼びなさいと何度も言ったはずです」

 私は手元に届けられた彼の写真、尾行のデータ、交友関係の調査……それらを眺めながら、頭を低くしている大柄な男……私の一番の部下に言った。

「この青年…キノシタシドウを連れてきなさい」

 「なーんか冷たくねえ?」

 言われて、意識とは反して体が動く。できるだけ動揺していないふうを装って、不満げに頬を膨らます相手を見る。というか、意識的に睨む。きっとそのほうがバレない。

「…しょうがないだろ、き、昨日、大変だったんだから」

 嘘はバレる。だから、嘘はつかないことにした。嘘にならないように、言葉を選ぶ。大変だったのは本当だ。

「あー、また飲みすぎちまったもんなぁ。なぁ、悪かったって。今日バイトだし土産貰ってくるから許せよー」

 睨むふりをしてカズシの表情を伺うが、カズシはヘラヘラしながら両手を合わせてこちらにウインクしているだけだった。はぁ、とためいきをつく。呆れた、というような仕草だが、実際は、うまくやり過ごせたことで、安心して詰まっていたものを吐き出したという感じだ。

 今日はちゃんと朝に目が覚めた。というか、ちゃんと眠れなかったのだ。理由はもうわかるだろ。昨晩、カズシの荷物の中身を見てしまってから眠れなかったのだ。

 あまり荷物を持たない、綺麗好きで物をそもそも持たないカズシが、いつも大事に身につけていたカバンの中身……それは、山のようなスマホにガラケー、PHS。だからといって何かを連想した訳では無いが、見てはいけなかったであろうことは馬鹿な俺にも理解出来た。……少なくとも俺なら、人に見られたいとは思わないものだろう。ただの収集癖だっていうなら別かもしれないが…。

「ってなわけで俺今日バイトだからさ」

 カズシはというと、もう俺の様子は気にしていない。スマホを……いつも使っているスマホをいじりながら、カズシは続ける。

「自由に遊びに行っていいぜ。でも、ちーっと気をつけとけよな」

「……気をつける?」

 ピンと来ず、カズシに首を傾げると、カズシはなんとも言わず、うーんと唸った。

「俺のバイト先はさ、四丁目の交差点の近くにあるファミマだから、なんかあったら来いよな」

「四丁目?」

「ゲーセンの近くの公園のそばだな」

 カズシはなんとなくいつもよりも上の空に見えた。珍しいなと思った途端、頭の隅に「それと大量のスマホは関係あるんだろうか」と浮かんだので、俺は頭をぐしゃぐしゃと掻いた。カズシはちらりとこちらを横目で確認しただけだった。

 しばらくしてカズシは家を出る直前にもう一度、気をつけろよなと俺に言った。気をつけろ。何に?カズシは何も言わないまま、「やっべーバイト遅刻じゃねーか!」と家を飛び出していった。忙しないなあと思いながら、今日は一体何をしようかと考えていた。

 

「ここで待ってれば来ると思ってたんですよ」

 公園に行くと、先客がいた。寝心地の良い芝生の上には、胡座をかいた制服の少女。……下着が見えそうだな、と目をそらす。なんとなく。

「えっと……おはよう、ミヅキ」

「オハヨーゴザイマス、シドウさん」

「…どうしたんだ?」

「どうもこうも、会いに来てあげたんですよ」

 当たり前でしょ、と呆れたよう付け加えるミヅキになんと返したものか悩んでいると、ミヅキは芝生の自分の隣の所を手で叩いた。俺は素直にそこに座る。今日も心地よい芝だと思った。

「ってゆーかシドウさん、ケータイ持ってないの不便すぎなんですよ」

 ミヅキは自分のスマホを弄りながら言う。そういえば前電話をかけた時もカズシのスマホを借りたな……と思い、昨日のことを思い出して、頭を振った。

「…どうしたんですか?」

 不審がって聞くミヅキに、俺は少し悩んで、聞いてみる。

「……たとえば、だけど」

「その出だしだとたとえ話じゃなさそうですけど」

「……山みたいにスマホとかガラケーとか持ってたら、何に使うと思う?」

 恐る恐る聞いてみると、ミヅキはうーんとしばらく唸ってから

「あたしもいくつか持ってるんですけど、まあ仕事用とか、用途分けて使ってるんじゃないですかね」

 と答える。ミヅキの仕事といえば、風俗だろうか。ちらりと顔を伺うと

「あたしのバイト、一つじゃないんですよ。でもまあなんか、全部似たようなやつなんですけど」

 と付け加えた。なるほど。仕事ごとに変えてるのだろうか。そう思いながらも、似たような仕事をまだやってるのか、とも思った。…なぜだか少し頭が痛くなる。

 ミヅキの考えで行けば、カズシも仕事ごとに使うものを変えているということになる。たしかに、聞いただけでも仕事は二種類しているらしい。もっとしていてもおかしくないが、あの数は……。

「…それか、使い捨てなら足がつかないようにするためですね」

「あし?」

「詐欺師とかよくやるでしょ、番号が使い捨てで、危なくなったら捨てちゃえるんです。トカゲのしっぽ切るみたいに」

 なるほど、と頷いて、そしたらカズシは……と考えて、また頭が痛くなる。うーんと唸ると、ミヅキは眉間にシワを寄せて俺を見上げる。

「シドウさん、さっきから何悩んでるんですか?」

「……いや、ずっと、その、とある奴のことが気になって気になって……」

「へえ、もしかしてそれ、恋ですよ。お相手は誰ですか?当たって砕けてください」

「それは絶対違う」

 俺は相手は女がいい。ミヅキはふうんと興味の無いような声を出して、足を動かして体育座りの格好になった。俺はとりあえずもう、カズシのことを考えるのはやめようと思った。そう思ったのも、今日何度目かはわからないが。…きっといつかわかることだ。

 ふと空を見上げた。少し雲が残っているものの、晴れた空だ。鮮やかな、写真のような空……。

 穏やかで平和で、のんびりとした空気を肺いっぱいに吸い込んだ、その時の事だ。

 聞きなれない、乾いた音が辺りに響く。

「伏せてください」

 ミヅキに飛びかかられて、俺たちは芝生の上を転がった。何が起きたのかうまく理解出来ていなかった。ぽかんとしていると、ミヅキは真面目な顔であたりの様子を伺っている。ふと見ると、周りの人たちも慌てていたり、どこかへ走っていっていたりと様々だ。

「なあ、何が」

 ミヅキは勢いよく立ち上がり、俺に手を差し出す。その手を掴んで、そのまま走るミヅキについていく。

「銃声が聞こえたらどうすればいいのか知らないんですか」

「銃声って」

 マジかよ、と心の中でためいきをつく。…ほんとのところ、まだまだ頭が追いついていない。


 ぜえはあと息を切らすミヅキの背中を擦りながら、腰を下ろす。といっても、ゴミだらけの路地裏に尻をつける気にも慣れず、中腰のまま止まる。

 ミヅキに手を引かれるまま、公園を出て、大通りをしばらく行き、そこでまた銃声と思われる音が何回か響いた。街は何も慌ててはいなかった。ミヅキも慌ててはいなかった。慌てているのは俺だけのように思えた。

 何本か目の細い路地に入り、それからまたいくつか角を曲がった。どう来たのかはよく覚えていないが、ミヅキがゆっくりと歩き始め、足を止めたのがここだった。相変わらず路地はゴミだらけ。どこへ行っても汚い街だと思った。

「はぁ、ほんと、シドウさん、あなた、いつか、死にますよ」

 汗だくのミヅキに言われ、そうかもしれないなと思った。危険を感じる能力みたいなものが、俺には全くないかもしれないし、どう動けばいいのかもわからない。一人で昼寝していなくてよかったなとしみじみ思った。永遠に眠り続けるって言うのも心地よさそうではあるが…。

「よくあることなのか?」

「…シドウさんって、ケースにでも入れて育てられてたんですか?」

「…えっと、悪い」

 何だか怒られた気になって、反射的に謝る。ミヅキは大きなため息をついて「もういいですよ」と言った。息を整えて、どこか遠くを見ながら言う。

「高橋組と自治警察の抗争については誰かに聞きましたか」

 そういえばカズシがそんな話をしていたなと思い、「少し」と返事をする。ミヅキは頷いて続ける。

「高橋組はこのあたりのいわゆる”裏”を占めてる一番大きな組織です。んで、元々のケーサツってものが今の時代、なんっの仕事もしてくれないもんで、名乗りを上げたのが自治警察です。危ないことから一般人を守るってのを掲げてますけど、目的は高橋組の解体って言われてます。何かと理由をつけてはこうやって、白昼さなかに銃をぶっぱなしたりするんですよね」

 はぁ、とためいきをつくミヅキは、なんとなく自治警察に良い印象は持っていなさそうだ。自治警察、と考えて、セイラのことを思いだした。

「特に最近では、高橋組が質の悪い薬を一般人に流してるとかいって攻めて来ますけど、そんなこと、リョウガさんは絶対にしませんし…」

 もごもごと口を動かしながら、ミヅキはそこで言葉を切った。なるほどな、と返したが、別になにもなるほどしていない。

 また遠くの方で銃声がした。ミヅキはそっと俺の手を握り「大丈夫ですよ」と呟く。ふと見ると、まったく自覚はなかったのに、俺の手は少し震えていた。ミヅキの手の体温を感じて、少しずつ収まっていく。ああ、眠たいな、と思った。

「ほんとは今日、お礼に甘いものでも奢ってあげようと思ってたんですけどね…」

 これじゃ今日は店に行けませんね。ミヅキの声を聞きながら、俺は少しずつ眠気に襲われていく。

「……っほんとに、どこでも寝るのやめてくださいよね……心配になるなぁ」

 柔らかい感触が、頬を撫でた。


 俺は絵を描いていた。青を塗って、塗って、なのに、画面は黒くなるだけだった。どれだけ焦っても、空がかけない。どんどん暗くなっていく。

 それでも必死で青を塗ろうとしていると、ふと、後ろに誰かいることに気がついた。振り返ると、弟が腕を組んで立っている。

「無駄だ」

 弟は言った。

「どれだけ頑張ったって、黒に何混ぜたって黒だろ」

 ほら、と弟が俺の手元を指さす。手を見ると、自分の手についた色も、持っていたバケツの中身も、次第に黒くなっていく。

 飲み込まれる。

 恐ろしくて、俺は叫んだ。

 

「うるさいですよ」

 ごつ、と良い音がした。僅かな痛み。ぱち、と目を開けると、ミヅキが手を抑えて蹲っている。大丈夫かと聞くと、涙目で睨まれる。

「バカで石頭とか…」

「あー…?悪かった…?」

 よく分からないけど謝っておく。ミヅキは腰を上げ、スカートの尻を叩いて、俺に立つように促した。気がつけば、路地裏に差し込む光がオレンジがかっている。

「もう大丈夫っぽいんで、いきましょ」

「そうなのか?」

「大通りで働いてる知り合いにラインで聞きました」

 もう手を引くこともなく、ミヅキはすたすたと歩いていく。慌ててその後を追う。追いついて、並んで歩く。

「それじゃーようやく、どっかいきますか」

 何処がいいですか?と俺を見上げるミヅキに、どこでも構わないと答える。ミヅキは「それじゃあ……」と何か言いかけて、足を止める。俺もとりあえず足を止めて、ミヅキが見ている方を見て、改めて見た。

 でかいな、というのが、最初の感想だった。二メートルくらいありそうな男だ。すごい筋肉。背広が今にもはじけ飛びそうだと思った。男は無表情のまま、一歩、また一歩とこちらへ近づき、それから深々と体を折った。

「キノシタシドウさんですね」

 はぁ、と頭をかく。だから、なんでこの街の奴らはみんな俺のことを知ってるんだ。進もうとした俺を腕で制して、ミヅキが一歩前に出た。

「悪いけど、どちら様かしら。この人、誰だかわかってる?要件によってはアンタは街中からボコボコよ」

 男を睨みつけながらミヅキが言う。何言ってんだとヒヤヒヤしながら、男とミヅキの面白いくらいの体格差に心細くなる。男はといえば、ミヅキのことを見もしない……目に入っていないのかもしれない。まっすぐ俺を見たまま、頷く。

「署長の命令でね………少し一緒に来てほしいのですよ」

 手を差し出す大男。「ちょっと!」と近寄ろうとしたミヅキを、軽々と突き飛ばす。驚いて俺はミヅキを受け止める。腕の中で、ミヅキもぽかんとしていた。俺はミヅキを抱いたまま、男を睨みつけた。

「ちょっとこれは、ないんじゃないか」

「すみませんが、あなた以外に何かをしてはいけないという命令は受けていませんので」

 低い声で、まるでロボットのように喋る。感情のない瞳と目が合う。ぞくりと寒気が走る。……気味が悪い。

「さあ」

 手を差し出す大男にくるりと背を向けて、俺はミヅキを抱えて走り出した。

「し、シドウさん!」

「次、どっちだ!?」

 右です!と答えるミヅキを抱え直して、俺は後ろを見ずに走った。大男はすぐ後ろにいて、俺たちをボコボコにしてしまうんじゃないだろうかと怖かった。

 やがて大通りに出て、後ろを見たが、大男は見えなかった。息を切らしながらミヅキを地面に下ろす。ミヅキも何度か路地の方を見て、頷いていた。

「なんだったんだろ、アレ…シドウさん、また何かしたんですか?」

 眉間にシワを寄せるミヅキに、俺は首を勢いよく振る。とんでもない。

 二人でとりあえず歩き始め、元の公園に戻ってきた。荒れた様子はないなと思ったが、所々に散らばっている銃弾と思しきものが、今日ここで何があったのかを物語っている。ベンチに二人で腰掛けると、同時にため息をついた。

「…でもアレ、きっとまた追いかけてきますよ」

 ミヅキはベンチの上で体操座りしていた。そうだな、と答えながら足を下ろさせた。ミヅキはぽかんとこちらを見る。

「……下着見えるだろ」

「スパッツ履いてますよ」

「そーゆーことじゃない」

「…意外とシドウさんってアレですね」

 大人しく足を下ろしながら、ミヅキは首をかしげていた。俺もなんとなく頭を掻いた。そのとき。

「よお、おふたりさん」

 声に、一斉に顔を上げた。ひらひらと手を振りながら近づいてきたのは薄緑色の頭。

「カズシ」

 俺が呼ぶと、カズシは俺の隣に腰掛ける。それから、あーつかれた!と声を上げた。ミヅキはなんとも言えない顔でカズシを見ている。

 カズシはミヅキに手を振ってから、俺に「ほい」とペットボトルを手渡した。スポーツドリンク。勢いよく半分ほど飲んでから、隣を見て、ミヅキに渡した。ミヅキも残りを飲み干す。

「売れ残り貰おうと思ってたやつ売れ残らなくてさぁ。スポドリくすねてきたわ」

「くすねたってお前……」

「どーせ万引きで何十本なくなるんだし?従業員が取るなんて思わねーだろよ」

「まあそうでしょうね」

 ミヅキとカズシを交互にちらちらと見て、ここはこういうのが常識なのかと思った。二人とも当たり前という顔をしている。地元では、物を盗るのは多少なりとも「悪いこと」だったんだが…。

「んで、どーしたんだよお前。フルマラソン走ってきたみたいな顔してたけど」

 俺の顔を見ながらカズシは言う。俺が何から説明を始めたものか悩んでいると、ミヅキが代わりに口を開く。

「抗争に巻き込まれかけて、避難してたのよ。そしたら、大男に襲われそうになった。シドウさん狙いの。」

「へえー……大男ねぇ」

 カズシは髪を指でくるくると弄びながら言う。

「知ってるのか?」

「さあ?それにしてもさすが、シドウさん、だな。早速各方面から狙われだしたようで」

 少し楽しそうに笑いながら、カズシは言う。そのカズシを見て、ミヅキは少しムッとした顔をした。

「こっちは命懸けで逃げてきてんのよ。ヘラヘラしないでくれる」

「あーわり。ちょっと面白かったんだ」

「こっちは面白くない!」

 イライラするミヅキをなんとか宥めて、俺は改めてさっきの大男のことを思い出そうとしていた。

「そういえば……署長、とか言ってたな」

 ぼんやりと夕焼けの空を見ながら呟く。

「………そりゃお前、ちとメンドーなもんに狙われてんなぁ」

 苦笑いをするカズシに、俺もミヅキも首をかしげた。カズシは少し難しい顔をしながら言う。

「署長ってのは、自治警察の上の方が、トップ呼ぶ時の呼び方だ。つまりお前を狙ってるのは、自治警察のトップ、アサギリセイラってことだ」

 ふわふわとした黒髪の少女を思い出す。

「……セイラが俺を狙ってる??」

 驚いて返すと、たぶんな、とカズシはテキトーな返事をする。その隣でミヅキは

「シドウさん、アサギリセイラと知り合いなんですか?」

 と不審そうな顔で言う。しまったか、と少し思ったが、まあまあ、と答えた。ミヅキがまた口を開きかけた時「まあまあ」とカズシが言う。

「知り合いだろうが知り合いじゃなかろうが、手荒な手段で連れていこうとしてるのは確かだろ。あんまりいい気はしねーよな」

 カズシはベンチから立ち上がると、背伸びをして「よし」と一言。

「こっちから会いに行くか、アサギリセイラに」

 カズシが笑うと、ミヅキの眉毛が釣り上がる。なるほど、それはシンプルでわかりやすい。

 

 自治警察、と書かれた木製の立て看板が入口に飾られているのは、ひび割れ一つなく綺麗に白く塗られた細いビル。五階建てくらいだろうか、意外にも小さな建物だった。

「大人しく顔出せば、向こうも手荒な真似できなくなるだろ。なんたって天下の自治警察、事務所を訪ねてきた”善良な一般人”に手を出すわけないよな」

 なるほど、と頷いた。ミヅキもなるほど、と納得しない顔で頷いている。

「どうする?中、入ってみるか」

 カズシは既に入口に向かいながら、とりあえずといったふうに聞く。俺は慌てて付いていく。俺の少し後ろを、ミヅキも小走りでついてくる。入口の自動ドアが静かに開き、そのまま遠慮なく入るカズシの隣を、少し音を立てないようにしながら歩く。

 中は外観通り、広くはなかった。部屋の四隅には観葉植物が置かれ、部屋の奥にはエレベーターが見える。壁際には顔の部分だけが空いているカウンターがあって、茶髪の女が一人座っている。……こくこくと居眠りをしているようだが。女のそばに置いてある受付という文字を見て、カズシが苦笑いする。

「おじょーさん、起きて起きて!来客だぞー?」

 ペシペシと女の頭を叩きながら、カズシは大きな声でゆっくりと言う。女はうめき声を上げてから、眠そうな顔でカズシを見上げ、それから俺たちを順番に見て。

 またカウンターに突っ伏した。

「………もしもーし、俺たち自治警察のセイラさんにお話があって来たんだけど」

 カズシが呆れ気味でもう一度そう言った時だった。女がパッと顔を上げた。眠そうだけど、必死で目を開けているという様子だが、カズシを上から下までじろじろ見て、俺たちのことも見て、寝ぼけたままの声で話す。

「お嬢様になんの御用っスか」

「……お嬢様?」

「え?ああ?ああ、違った、セイラさん、セイラさんに何か用ですか」

 首をかしげながらだるそうに言い直す女に、俺も首をかしげながら返す。

「セイラに話があって来た」

 俺がセイラと口にした途端、女の表情が変わる。

「なっに呼び捨てにしてるんスか?アンタ、セイラさんがどんなお方か知らないんっスか?様をつけろ様を!」

「あ、わ、わるい…」

 早口でまくし立てられ、俺がひるんでいると、まあまあとカズシが女を宥める。

「その素晴らしいセイラ様のダチだぞそいつは。あんまり失礼しないほうがいいぜ」

「まさか、こんな汚い身なりの……」

「ダチどころか命の恩人だぞ俺たちは。口の利き方に気をつけろ」

 少しイライラしたようにカズシは言う。……自分の服を汚い身なり呼ばわりされたことに腹が立ったのかもしれない。というかいつのまにかミヅキとカズシもセイラの命の恩人になっている。

 目の前の女はなにかに心当たりがあったようで「え?いや、でも……」とひとしきり悩んだ後、俺を不安そうに眺めながら言う。

「もしかして、キノシタシドウさんっスかね?」

 俺は頷く。その途端、女がカウンターに勢いよく手をついた。驚いて一歩下がる。今までぼーっとしてたミヅキも、驚いて女を見た。

「……思ってたよりイケメンじゃないっス………………」

 絞り出すようにそう言われ、俺はとりあえず、悪いなとまた謝った。それを見てカズシがケラケラと笑う。ミヅキは「はぁ?」とでも言いたげな顔だ。目の前の女は「まあ、それはもういいっス」と言って、背筋を正し、真面目な顔をつく……ろうとしたような顔で

「お嬢様の恩人に失礼しました。ついてきてください」

 と、カウンターを出て歩き出す。俺たちは後についてエレベーターに乗る。

 それからしばらくして、女は「お嬢様じゃなくて、セイラさんだった!」と、言い直した。ちらと見ると、胸の下に札がついている。ハル。カタカナでかいてある。それが名前だろうか。スーツに臙脂色のスカーフを首に巻いていて、スカーフには「自治警察」と刺繍がしてある。

 五階でエレベーターが止まり、ハルを先頭にフロアに降りる。ピカピカの床。無駄なものの置かれていない白い通路。カツカツとハルのヒールの音が響く。その後ろを俺たちはついていく。狭いフロアだった。窓から見える景色は高い。街がまるでおもちゃのように見える。

 フロアの角まで来て、ハルは立ち止まって、振り返った。やや不安そうな顔で、俺たちに聞く。

「ほんとーにセイラさんの知り合いなんスよね?」

「……あんた、確認もしないで来たの…」

「あったりまえじゃねーか」

 やや呆れた様子のミヅキを遮るようにカズシが平然と嘘をつく。ハルと目が合ったので、俺も頷いた。ハルは不安そうな顔をしながら、扉を三回ノックする。はい、と、聞き覚えのある声が返ってくる。ハルの後ろについて部屋に入った。

 小さな部屋。無駄なものは何も置いていないというような整理された感覚。部屋の中心には机と向かい合わせのソファが用意されている。その奥に、少し立派な机があり、そこに一人の少女が座り、優雅にティーカップに口をつけている。その様子を見ながら俺はぼんやりと、良い絵だな、と思った。黒い清潔そうなワンピースに身を包み、ふわふわとした黒髪を一つに束ねている。

 相手はまずハルを見、それから俺を見ると、柔らかく微笑んだ。ティーカップを置き、立ち上がる。ハルは背筋を伸ばしてから、お客様ですセイラ様、と一言。

「ありがとうハル……出来ればお通しする前に教えて欲しかったのだけれど」

「あっ……す、すみませんおじょ」

「いいわ、下がって頂戴」

 お嬢様、を遮って、セイラはハルを手で促す。ハルは一度深く礼をしてから、部屋を出る。セイラは俺たちの顔を一人ずつみて、口元を隠してクスクスと笑う。

「素晴らしい偶然ね。シドウ様、いまちょうど私の部下に貴方を探してくるようにお願いしていたところでしたのよ」

「っ、偶然ってあんたっ」

 言いかけたミヅキの口はカズシが塞ぐ。セイラに促されるまま、俺たちは三人でソファに座る。少し深く尻が沈んだ。

「んで?なんでシドウのこと探してたんだよ、自治警察様のトップ様が」

 様を二度つけて、カズシが言う。セイラはカズシを上から下まで何度か眺めてから、ふふ、と笑う。まるで何かを確かめているようだと思った。

「わたくし、以前シドウ様に命を救われてから、まだお礼が言えてなかったの。改めてお礼を言わせてください…危ないところをありがとうございました」

 綺麗に礼をするセイラにやや見とれながらも、別にいいと返す。

「……礼が大男に襲われることなの、やってらんない」

 不安そうなミヅキの言葉に、セイラは驚いた顔をする。

「大男?襲われる?それは穏やかではありませんわね」

「よく言うよ、アンタが仕組んだんでしょ?ジチケーサツのアサギリセイラ」

 クスクスと笑うセイラと、そのセイラを睨みつけるミヅキ。どうしたものかと焦っていると、セイラが「シドウ様」と口を開く。

「二人きりでお話をしたいことがありますの…よければ別室でお話できないかしら」

「……ここじゃダメなのか」

「すみません、ほかの方にはあまりお話できないことなの」

 俺はミヅキとカズシをちらりと見た。ミヅキはやや不安そうな顔をしている。カズシはニヤニヤしてこっちを見ている。俺はカズシに頷いた。

「わかった、聞く……その、ここは安全なんだよな」

 頷いた後で、あわてて付け加える。セイラは一瞬驚いたような顔をしたが、笑顔に戻って言う。

「シドウ様がお話を聞いてくれるのなら、何も問題ありませんわ」

 そう言ってセイラは微笑む。……なにかがおかしい気がしたが、俺は頷いてセイラの後を歩く。部屋を出る直前、振り返ってカズシを見ると、いつも通りの表情で片手をひらひらさせていた。


 セイラに連れていかれたのは隣の隣の部屋だ。構造も広さもさっきの部屋と変わらない。変わるのは、机もソファもないことだ。この部屋には何も無かった。

 部屋の扉をしめ、やや薄暗い部屋で二人で向かい合う。セイラは俺に微笑む。

「彼らはシドウ様のお友達ですの?」

「そうだな」

 すぐに答えると、セイラは面白そうに笑った。俺は首を傾げた。セイラは改めて、ワンピースの端をやや持ち上げながら、優雅に礼をする。

「……紹介が遅れましたが、わたしは自治警察というこの組織のリーダーをやってます、アサギリセイラです」

「らしいな」

「いまでは弱虫な警察は保身のために動かなくなっている…自治警察はそんな警察の代わりに悪者に制裁を与えるために作りましたの…特に、高橋組のような、ね」

「……そうか」

「シドウ様、貴方には一度助けて頂きましたし、貴方の噂もたくさん耳にしています。なんでも、とてもお強いそうですわね」

「いや、別にそうでもないけど…」

 首を横に振ると、セイラは「そんなことないでしょう?」と続ける。

「なんといっても、うちのマサキを撒いてここまで来てしまったようですので」

 その言葉に、少し息がしづらくなる。最近心臓に悪いことばかり起こる。セイラが一歩俺に近づく。俺はその場を動けない。

「シドウ様」

 セイラは俺の目をまっすぐ見あげて言う。


 自治警察に入りませんか。

 

 私とともに来ませんか。


「……断ったら、どうなるんだ」

 しばらく経って、絞り出した言葉に、セイラはにっこりと微笑んだ。

 ……女の笑顔には、鬼が隠れている。俺は痛む頭を抑えながら、次の言葉を探していた。


れんごうかいのよん おわり

れんごうかいのご に つづく

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