れんごうかいのさん

 かなり広い部屋で、かなり広いベッドの上にいるというのに、俺たちはスペースをほとんど無駄にしているな、と思った。電気照明の周りの装飾や天井の飾り、絨毯やシーツの装飾も、どれも金がかかっていることだけは俺にも分かった。それを風俗店に使うセンスは、よくわからなかったが。

 俺はそれなりに冷えた珈琲を喉に流し込んだ。火傷をした舌ではうまいかまずいかもよくわからない。飲み物が舌に触れるたびにピリピリと痛む。空になったカップをベッドの端に置く。隣を見ると、金髪の少女は、ココアのカップを両手で包むように持ったまま、濁った水面を眺めている。

「で、何を話したいんですか」

 やがて、隣に座る金髪の少女……ミヅキが口を開いた。こちらと目を合わせようとはしなかったが、それは間違いなく「ミヅキ」だと安心する。俺は頭を掻いて、しばらく悩んでから答えた。

「カイトが心配してたぞ」

 カイト、という言葉にミヅキは一瞬動きを止め、それからゆっくりとこちらを見た。睨みつけるような目つき。何かを言おうとしては口を閉じて、をしばらく繰り返していたが、やがて眉尻を下げて、困った顔で言う。……見たことないような間抜けな顔だ。

「カイトに何か話したんですか」

 俺は少し悩んでから、何もと答えた。それでもまだミヅキは俺の顔を覗き込み、不安そうな顔をしていた。ココアのカップをいじる指が忙しない。

「……カイトとどうやって会ったんですか。あの人、シドウさんみたいな人に関わろうとするタイプじゃないんですけど。」

 言われて、思い出す。

「……道端で寝てたら声かけられたんだ」

「道端で寝てるからですよ、それ」

 言ってから、ミヅキは一つ大きなため息をついた。ちらちらと俺のほうを何度か見て、また不安そうに話す。

「聞かないんですか」

「何を」

「カイトになにか聞いたでしょ」

「……行方知れずになってるってことか?」

「ここのこと、カイトに話すんですか」

「……いや」

 別に、と答えるも、こちらを見る目は信じていないように見える。俺は何を言ったらいいものかわからず、頭を掻いた。黙ったままでいると、やがてミヅキが大きなため息をついて、ベッドに大の字に寝転んだ。手のひらをばんばんとベッドに叩きつける。ぽかんとしていると「シドウさんも!」と言われて、同じようにベッドに横になった。豪華な天井が見える。

「……あたし、このお店、MARRYって言うんですけど、ここで働いてるんです」

 そうみたいだな、と天井に返す。

「ここは高橋組の関係者しか来れない、ちょっとした訳アリの高級店なんですよ。……一定以上の関係者でなければ門前払いのはずなんですけどね、本当は」

 なんとなく、カズシの顔が頭に浮かぶ。入り口で手をひらひらさせるだけで入場できてしまったあいつは、ただの馬鹿じゃないのかもしれない。

「……それで?」

 黙ってしまったミヅキに聞くと、ミヅキはまた間抜けな顔でこちらを見ている。一度咳払いして、一言。

「……何か質問ないんですか?」

「……別に……?」

「……実はあたしにそんなに興味、ないんじゃないですか」

 あきれた声を出すミヅキに、俺は少し悩んで答えた。

「お前が話したいことだけ話してくれればそれでいいよ」

「…………そうですか」

 少し時間をおいて、返事が返ってきた。そのままぼんやりと天井を見つめていると、左手に温かいものが触れた。見ると、ミヅキは目を閉じて、俺の手を両手で包んで、自分の頬に寄せる。

 しばらく時間が経って、目を閉じたまま、ミヅキは呟いた。

「寂しかったんです、ずっと」

 少しだけ、ミヅキの手が震えたような気がした。反対の手でそっと、ミヅキの頭を撫でた。

「あたしに見えている世界は、ほかの人に見えている世界とは違って……色も何もない、味気ない……数字だけの世界なんです」

「数字……」

「ビルも、人も、動物も、何もかも、数字で“読んで”しまう……何を言っているかわからないでしょう。うち、両親、事故でいなくなったんですけど………それからなんです、見えてるもの、変になったの。でも誰も信じてはくれなかった。いつも一緒にいる人だって、あたしの見ている世界を理解しようとはしてくれなかった…………」

 いつもの強気な吐き捨てるような言い方ではなかった。か細く、弱弱しく……あの雨の日を思い出す。きっとこれがミヅキなのだと思った。

「……でも、あの人は違ったの」

「……あの人」

「タカハシリョウガさんです」

 聞いたことのある名前に、心臓が跳ねた。

「ある雨の日でした……学校に行ったって、誰とも合わないし、あたし、頭良すぎちゃって……だからまあ、僻む人しかいなくって。つまんなくなって、毎日ふらふらするようになりました。そうやって、カイトとか、きた……まあ、なんか、兄もいて、いつも怒られて連れ戻されて、なんだか息がしづらくって、今度は見つからないところへ行こう、って……毎日そうやって、あたしにもきっと居場所があるんだって、別の場所をうろうろしてました………そうやってるうちに声かけられて、ウリもやるようになって。………あんまり深い事考えてなかったんですけど、そんなある日、リョウガさんに声かけられたんですよね」

 懐かしがるような、愛おしむような、そんな顔だった。

「あたし、高橋組の縄張りで何も言わずにウリやってたもんで、目つけられて、リョウガさんに言われたらしくって。それでその日はリョウガさんに連れていかれて……スーツ着て黒いマスクつけた得体のしれない人たちに腕掴まれて、一体なにされるんだろって……」

「黒スーツにマスク………」

「正体が知れないように、高橋組の幹部の人はみんなそうやってるんです」

 俺はぼんやりと、数日前、車に乗せられたあの日……銀髪のキツネに「ミヅキに近寄るな」と言われた日のことを思い出していた。

「連れていかれた先はよくわかんなかったんですけどね……ずっと目隠しされてましたし。でも、ひどいことはされなくて、優しく話を聞いてくれて………あ、一夜も共にしたんですよ。それから……ここを紹介してくれて。同じことやるにしても、金額も衛生面も違うし、それに会いに来れるからって…………いつも会いに来てくれるんですよ……」

 ふふ、と幸せそうな顔で笑う。……好きなんだな、と思った。

「……でも、カイトには秘密ですよ。あいつ絶対、心配するから」

「……あいつのこと、嫌いなのか。……その、悪い奴ではなさそうだけど」

「悪い奴じゃないですよ。とーっても、いい奴です。……だからいまは、ちょっと会いたくないの」

「……そうか」

 俺はいま聞いた話と、今まで起こったことを一生懸命頭で整理しようとしていた。こういうとき、馬鹿って大変だよな、と、心の中でため息をつく。同じ出来事があっても、ミヅキなら簡単に処理できたのかもしれない。……と思って、力なく俺の手を寄せる少女を見て、それは違うのかもしれないな、と思った。世の中は、頭がいいとか悪いとか、それだけではないのかもしれない……なんて、な。

 しばらくして、ピピピ、と、どこからか電子音が響いた。とたん、ミヅキは飛び起きる。俺も一緒にゆっくり起き上がると、ミヅキは俺の上のほうを見ていた。見ると、そこにかかっていたデジタル時計のアラームが鳴っていた。

「……あと、五分です」

 淡々とした、事務的な声だった。俺は頷いた。いつの間にか俺の手をミヅキは離していた。俺はなんとなく、その手を右手で少しなぞる。

「……何か、聞きたいこと、なかったですか」

 少し不安そうな笑顔で尋ねるミヅキに、俺は反射的にこたえていた。

「……また、会えるか」

 ミヅキは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑って、言った。

「会いに行ってあげますよ、ちゃんと」


「よっ、楽しめたか~」

 迎えに来た最初に出会った男について店の入り口へ戻ると、カズシがいつもの調子で俺の肩をバシバシと叩く。肩を組んで「満足したか~?」と、なんとも下品な感じでささやく。うっとおしくて、すぐに振り払う。カズシは、つめてえなぁ~と、笑いながら少し離れる。

「何だよ、女で満足したら俺はもういらないのかよ~。ずっと一緒にいるのは俺のほうなのに」

 そう言いつつも、謎のウインクを飛ばすカズシに、俺は一言言おうとする。

「なあ、お前さ……」

 その時、カズシは俺を笑顔で見たまま、素早く俺の服のフードをひっつかみ、俺の顔に深く被せた。突然遮られた視界。フードを外そうとすると、カズシが笑顔のまま、口を動かした。口パクだ。おとなしくしてろ。そう言ったように思えた。

「あら~?珍しいやつがいるわね」

 俺の後ろのほうで声がした。女の声だ。甘ったるい、めんどくさそうな女の声。カズシの視線は俺の後ろ。そこに知らない女がいるんだと思った。

「あっはは、ヒメさんこそ、珍しいですね、こんなとこで」

 一瞬俺はドキリとして、カズシの表情をうかがった。声が違う、と思った。聞いたことのない落ち着いた質の声。目の前にいるのはカズシなのに。表情も、俺が見たことのない、いつもよりもずっと大人びたものだった。こいつは本当にカズシなのだろうかと、何故か焦る。カズシはちらと俺を見て、またフードを引っ張った。

「ボスに言われて例の子の面倒見に来たのよ、今日は来れないっていうから……はぁ、女作るのはいいけど、こっちに面倒振るのはほんとやめてほしいっていうか。しかもあんなちっちゃい子でしょ。ボスがロリコンだったなんて、最近まで知らなかった」

「へえー、リョウガさん、ロリコンだったんすか。これはいい情報だ」

「流したら殺すわよ」

「冗談ですよ、ヒメさん、俺がそんなことすると思いますか?」

「思うわよ、アンタ、自分のためならなんでもするタイプだからね」

「ええ、心外だなぁ」

 おどけた調子で会話は行われているはずなのに、空気はなんだか殺伐としている。目を開けているのが苦しくなるような、重たさ。そっと目を閉じると、ぽん、と頭をなでられた。少しだけ安心する。

「んで、そっちのボーイはだあれ?ここはガキの遊び場じゃないんだけどね」

「え?ああ、こいつは……まあ、俺のダチみたいなもんです」

 自分が指をさされているのかと悟り、同時に焦る。

「へえー、なあに、アンタのお友達、震えてるけど、大丈夫?」

「あー、大丈夫じゃなさそうなんで、そろそろいいっすかねぇ、帰っても」

 また来るんでーと言いながら、カズシが俺の頭を何度か優しく叩いていた。ちょーっと待ってろよ。なんとなく、そんなことを言ってそうだと思った。

「それにしても、こんなとこに連れてきておいて、私に自己紹介も紹介もなしなの?顔も見せてくれないなんて、一体どこのネズミかしら」

「いやぁ、勘弁してくださいよヒメさん。こいつ、ちょっとビビっちゃってんで。……それとも、こーんな下っ端の下っ端にもならないようなやつに、素顔のヒメさん、見られて大丈夫なんですか?」

 少しの間、息苦しい沈黙が続いた。そっと目を開けてフードの隙間から伺うと、カズシは口元に笑顔を浮かべたまま、目はしっかりと俺の後ろを睨みつけていた。俺と目が合って、またすぐそらした。

「……アンタが直接連れまわしてるのに、そんなことないと思うけどね。でもまあ、そうね、私も忙しいし、これくらいにしておいてあげる。……帰り道、気をつけなさいよ」

「お気遣いありがとうございます。ヒメさんは宇宙一イイ女ですまったく。早く攻略したいですねぇ」

「アンタとは一生縁のない最高の女よ」

 じゃあね、と甘ったるい声が響いて、しばらくカツカツというヒールの音が響いていたが、やがて扉を開け閉めする音がして、視界がぱっと明るくなった。カズシが俺のフードを外したのだった。俺と目が合うと、いつものカズシの顔で、いつものカズシの声で、にっと笑って、俺の頭を両手でぐしゃぐしゃにする。

「よーしよし、怖かったなぁ。もう大丈夫だから帰ろうな」

 一通り頭を荒らしてもとに戻すと、カズシはまた手を差し出した。俺は考える間もなくその手を取って、また来た時と同じように歩いていく。

 来た時と同じように下を向いて歩いていると、「なあ」とカズシに声をかけられる。俺は顔をあげずに、どうした、と返す。しばらくしてから、カズシは言った。

「話はできたかよ」

 俺は何も言えないまま、どう答えたらいいのかわからないまま、しばらく黙って歩いていた。そうすると、しばらくして、またカズシが口を開く。

「惚れた女は守ってやれよ」

 その声は、先ほど女と会話していた時の、落ち着きのあるカズシだった。


 家に帰ると、カズシはさっさと風呂に入り、ワインを持ってきて飲み始める。時計を見れば、深夜一時を回っている。

「お前、バイトは……」

「なーに言ってんだ、怪我人なんだから休むにきまってんだろ」

 そう言って腕を指さすが、もう包帯なんか巻いていない。どこからどう見ても健康体だ。そっと触ろうとすると、気配を感じたのか、カズシは飛びのく。俺を恐ろしいものでも見るような顔で見ながら「殺す気か!?そうなのか!?」と騒ぐカズシに、なんだか少し落ち込んでしまう。俺も風呂に入ろうと準備を始めると「あ、そいえば」とカズシは思い出したように言う。

「明日、別の仕事でちょっと用あるから、家は空ける」

「……なら、やっぱり酒は」

「なーんだよ、焦らなくてもお前の分も入れといてやるから風呂入って来いよ」

 別にそういうわけじゃないんだが、なんか否定するのが面倒で、おとなしく風呂へ向かう。


 馬鹿だから、考えても無駄なのだとはわかっていたものの、考えずにはいられなかった。ところが考えたいことは、考えなければならないことは、どんどんあふれ出てきて、俺のような脳味噌ではなかなか処理が追い付かなかった。かといって、誰かに話すことができる問題でもないような、ミヅキの顔を思い浮かべながら、そんなことを考えていた。

 シャワーを浴びながら、そっと目を閉じた。そういえば、少し眠たいな、と思った。風呂からあがったらワインが並々注がれているのだろうか。飲まないのは申し訳ないし、さっさと飲んで今日はもう寝よう。頭が疲れているのだと、全身が叫んでいるような気がした。

 その反面、目が冴えてしまっている俺もいた。不思議な感覚だった。眠たいのに、眠たくないような、そんな意味のわからない感覚。いったいこれはなんだろう、と湯船に浸かりながら考えていると、カズシのことを思い出した。

 あいつのことは、その辺をふらふらしてる、金と女に目がない派手髪のアルバイターだということしか知らない。それでも俺をずっと家に泊めてくれ、今日のようにミヅキに会わせてくれたり、いろんなことを……そこまで考えて、俺は首を傾げた。

 あいつがミヅキと会ったのは、俺を介抱してくれたあの時……キョウたちに襲われたあの日ではなかったのだろうか。どうしてミヅキがあそこで働いていることを知っていたんだろう。……それに、あいつはミヅキだなんて、行く前も言ってからも一言も口にしていない。だけど、知っているような風で……。

 俺は妙に冴えてしまった眠い目をこすりながら、風呂の天井を眺めた。カズシはやっぱり綺麗好きなんだろう、浴室にはカビ一つ見当たらない。


 翌朝……というか昼だったが、起きるとカズシはいなかった。机の上には「出かけてくるぜ~カズシ」という書き置きと、冷蔵庫には作り置きのチャーハンが置いてあった。そのままチャーハンをレンジで温めて、寝起きの胃袋に押し込んだ。

 自分の手を見ると、昨日の夜、寝る前に自分が残した文字が残っている。「部屋」と書いてある手の甲のペンの文字は、馬鹿なりに「翌日忘れないための、俺にしかわからない暗号」にしたつもりだった。俺はその文字を見て、チャーハンを食べ終え、皿を洗って片付けまでしてから、一つ大きく深呼吸をした。それから、部屋全体を見回す。綺麗に片づけられた部屋、テーブルがあり、棚、本棚、テレビ………それを見て、また大きく深呼吸をした。

 頭の中でずっと、弟が怒鳴っていた。俺はなんとか脳内の弟に頭を下げて、頼み込んだ。今だけは見逃してくれないか。いまだけ、ちょっとでいいんだ。

 脳内の弟に話をつけると、俺は覚悟を決めて、取り掛かった。


 棚の中には、変わったものはなかった。というか、何もなかった。この収納スペース、いらないんじゃないか。隣も開けた。その隣も。だが、何も入っていない。

タンスの中も、普通の着替え。相変わらずセンスがあるとは言えない服の宝庫だ。これをあいつはいつもドヤ顔で着まわしている。……まあ、俺も洋服はよくわからないし、好きなものを着ればいいと思っている。

 本棚には、難しそうな本……も一冊くらいはあったが、毎週発売している週間の漫画雑誌や、その単行本が圧倒的に多かった。というか、本自体、そんなにない。俺はその難しそうな本を一度パラパラとめくってみたが、文字が難しい上に何やら詩が書いてあるだけのようで、眠くなってしまい、急いで戻す。なんとか頬を叩いたりして、眠気を飛ばす。こんな罠が仕掛けられているとは。

 何度も棚を開けたりあちこち触ったりしているうち、何度も脳内の弟が「人のものを勝手に触るな!」「こら、人の引き出しを勝手に開けるんじゃない!」「なにやってんだ、プライバシーの侵害だぞ!」と言ってきていたが、そのたびになんとか頭を下げて、もう少しだけだからと許してもらう。何度もそうやっているうちに、脳内の弟も呆れてしまったようで、俺を無言で睨むだけで何も言わなくなった。やるならさっさとやれと言われているようで、俺はできるだけ早くあちこちを見てまわった。

 一体何をしているんだろう、と途中で頭が痛くなった。居間が終わって、隣の小さな部屋にも足を踏み入れた。普段はいらない部屋だったが、入るなと言われていたわけではない。恐る恐る一歩を踏み出したが、突然ブザーがなるというわけでもなく、ほっと一息ついて部屋を見回す。生活感のない、静かな部屋だった。一人用のベッドと、勉強机、それから事務椅子が置いてあり、押し入れの扉は開いており、中は空っぽだった。机は長く使っていないように見えたが、埃ひとつない。カズシって、やっぱり潔癖なんだろうか、と考えて、一体いつ掃除しているんだろうと首を傾げた。

 それから風呂場も見た。脱衣所には特に何もない。洗面台にあるのは髭剃りとローション、それからカズシが使っている男性用の……なんだ?よくわからない。まあなんというか、女が使ってそうなやつだなと思った。あいつ、女を口説くためにはいろいろと努力しているようだ。そんなことを思いながら洗面台の下の棚を開けると、驚いたことに、小さなかごにいっぱいの化粧品があった。その隣には、何が入っているのかわからないが、中の見えない箱がいくつか積み重ねられている。手に取ってみたが、よくわからないので、そっと元通りにする。……あいつ、女装とか趣味なんだろか?と悩む。俺が来てからやりづらくなったとかだったら、少し申し訳ない。

 結局、靴箱の中までしっかり見てみたものの、カズシのことが何かわかるような書類の類はいっさい見つからず、ハンコのようなものもない。……なんというか、今日いろいろやってわかったことと言えば、カズシが異様に綺麗好きなことと、実は女装が趣味らしいことと、あと……なんだか難しそうな本を一冊持っていたということ、たったそれだけだった。

 居間で一息ついて時計を見ると、どれだけ集中していたのだろう、もう夕方になっていた。大きく息をついてから、何か戻し損ねたものはないかと突然不安になり、もう一度最初から見て回ろうとしていると、ぽんと肩を叩かれる。驚いて思わず飛びのくと、カズシが笑顔で手をひらひらとさせていた。……気を付けていたつもりだったが、いつ玄関が開いたのか、まったくわからなかった。うるさく鳴る鼓動を何とか落ち着けようとしつつ、平静を装って「おかえり」と言うと、カズシは笑いながら「ただいま」と返す。それから。

「探偵ごっこも終わっただろーし、飯でも食いに行こうぜ」

 俺はゆっくりと唾をのんだ。カズシのほうを見たくなかった。カズシはのんびりとした声で「今日は疲れたんだよー、何も作りたくねえー」と主張していた。


「カズシ、お前は一体何者だ」

 食事を初めて長い間、俺はずっとこの一言を言う機会をうかがっていたのだが、カズシはといえば、聞くなりあははと笑い始めた。質より量、と言って取ってきた大量の肉を一気に金網の上でひっくり返しながら、カズシは言う。

「お前、それ言うために、難しい顔して焼肉食ってたのかよ」

「……そ、そうなるな」

「あー、マジでウケるわ」

 そういうカズシは肉に集中していて、とてもウケているようには見えない。

「それで探偵ごっこしてたわけ?」

「……今日は何もしてない」

 お前は嘘つくのが下手だからなーと言いながら、焼けた肉を次々と自分の皿に取っていく。しばらくその様子を眺めていたが、やがてはっとして、俺も焼けた肉を皿に取っていく。薄い肉だが、味がついていて、なかなかうまい。……でもまあ、少し焦げ臭い。

「まあ、別にいーけど。見られて困るようなもん、おいてねーしな、ダチだし」

 ダチだし、という言葉に、なんとも自分が小さな人間のような気がして、苦しくなる。俺は友達を疑い、部屋を一日漁っていたのだ……と、改めて言われているような気がした。

「悪い……お前の、その、女装趣味も……知ってしまったし」

「は?女装?何言ってんの」

「いや……いいんだ、俺は何とも思わないし」

 女装が趣味だろうが俺はカズシのダチでいたいんだ……と言うと、カズシはまた盛大に噴出した。

「どこがどうなったのかわかんねーけど、お前サイコーだわ。いーよ、なんっも気にしてねーから。あと俺、別に女装趣味ねーから」

「……いや、隠さなくてもいいんだ、俺がいるからやりづらいとかでも全然気にしなくて」

「いや、ねーからな!?勘違いするなよ!?俺はイケメンだからな」

「……あ、ああ」

「お前、心配になるくらい正直なやつだよなぁ」

 笑いながら焼肉を頬張るカズシを見ながら、俺もさらに焼肉を頬張る。肉のせてくれ、と言われて、また大量の肉を網の上に乗せる。飯を作るのが面倒だからとカズシに連れてこられた焼肉屋は、広い店内に綺麗な設備の、落ち着いた雰囲気の店だった。この店の中で、俺たち二人だけがなんとなく浮いているように見える。でもカズシはまったく気にしていないようだった。だから俺も、気にしないことにした。

「でもまあ、俺のこと、やーっと気になってくれたんだな。どうでもいいやつのことは知ろうとしないし、ちょっと成長したんじゃね?えらいえらい」

「……そ、そうか」

 えらいと言われて少し嬉しくなる。

「……お前は可愛いなぁ」

 カズシが呆れたように言う。次の肉をひっくり返しながら、カズシは言う。

「別に俺はたいそーなもんじゃねーよ?お前が知ってるカズシだし、それ以上でもそれ以下でもねえよ。あんま深く考えすぎんな。俺もお前も頭軽いんだし、脳に負担かけたら死んじまうぞ」

「そうなのか?」

「ああ、そうなの。だからもう考えんな。聞きたいことは直接聞いてくれよ。だいたい答えてやるからよ」

「……わかった……その、ダチ、だもんな」

 恐る恐る言うと、カズシはニヤッと笑って、焼けた肉を全部取っていった。許されない。俺は残っていた肉を全部網の上に乗せると、カズシをひたすら威嚇していた。


 酒も飲んでいたのがあって、帰るとすっかり酔っていたカズシは居間で倒れこむように寝てしまった。何度も揺さぶり声をかけたが、うまく会話が続かず、とりあえずベルトだけ外してベッドの上に連れて行った。まあ、シャワーやらなんやらは、起きたらやるだろう。

 居間にはカズシの荷物も無造作に置かれていた。男はあんまり荷物をもつイメージがなかったが、カズシもいつもはウエストポーチを一つ腰につけて行動している。ただ、人が持っているものと比べると、少し大きいような感じがしていた。

「……こんなとこに置いてたら明日踏むだろうな」

 なんとなくそう思って、ウエストポーチを持ち上げた。……思っていたのとまったく違う重さに俺は驚き、落としてしまう。ポーチのチャックが開いていたのか、その隙間から、中身がボロボロと零れ落ちる。

 やばいと思ったし、早く直さなければと思った。急いで落ちたものを拾い上げようとして、気づいた。……中から落ちたのは、黒いスマホが二つに、黒いガラケー、合わせて三つ。

「……?」

 それはしてはいけないと、脳内の弟が止めるのを振り払う。鼓動がうるさい。頭が熱をもってくる感覚がした。俺はそっと、できるだけ音をたてないように、ウエストポーチを開けた。とたん、手が離れてしまい、ゴロゴロゴロと大きな音を立てて、中身をすべて落としてしまった。慌てて中身を戻そうとして、その落ちているものが何だかおかしいことに気が付いた。

 スマホやガラケー、PHSと呼ばれるようなものばかり……それも、何個も何個も、同じものがいくつも…………。

 俺は急いで振り返る。誰もいない。周りを見回す。……それからゆっくりと、落ちた中身をポーチに戻し、チャックをしめて、机の上に置いた。

「……何も見てない」

 誰にともなく、そう呟いた。……まるで友達に、何かを言い訳するように。


れんごうかいのさん おわり

れんごうかいのよん に つづく

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