れんごうかいのに
◇
そばにいて、と言ってみたり、忘れて、と言ってみたり、本当に面倒な女だな、と、鏡を見ながら思った。濡れた髪を一筋、人差し指に絡ませる。荒れてるな、と思った。バサバサ。脱色に脱色を重ねた薄い金色の髪には、想像以上のダメージが来ているらしい。ひどくなる前に、良いトリートメントでも買ってみよう、と思った。…じゃないと、客が付かなくなっては困るのだ。
何種類か鏡の前でポーズをとって、表情を作っていく。笑顔、泣き顔、怒り顔……相手を誘う顔。よし、とうなずいた。今日もあたしは、誰よりも魅力的だし、何にでもなれる。
「フウカちゃん?準備できた?」
はーい、ごめんなさい、遅くなっちゃいました。脱衣所のカーテンから少し顔をのぞかせて、えへへと照れたように笑う。準備をして待っていた今夜の客は、そんなあたしを見て鼻の下を伸ばす。……あーあ、クズばっかり。貼り付けた笑顔の奥で、こっそりと毒づいた。ロリコン。不良少女を自らの手で飼いならすことに快感を覚える、哀れな大人。
話をしながらベッドの端に座り、それから徐々に距離を詰めていく。ああ、汚い、汚い。感じているふりをしながら、虜になっているふりをしながら、目の前の男を分析していた。どうやれば、どうすれば、こいつは満足してくれるだろうか。どうすれば、もっと金を落としてくれるのか。……どうすれば、もっとあたしに溺れるだろうか。
汚い声を聴きながら、応えるように喘ぎながら。
頭に浮かんでいたのは、眠そうな大食いの世間知らずさん。……いま、何してるんだろう。最後に会った時に奪った唇の感触が、消えない。ここにいる男が、あの人だったなら、なんて。もう会わないと決めたばかりなのに、何を考えているのだろうか。
◇
最近雨が多いな、と窓を見ながら思った。雨粒が次々と窓に叩きつけられていく。カズシは今日もバイトを休んでいたらしく、俺が起きたときはフローリングに横になっていた。目があうなり「俺、怪我人だから!朝飯作ってくれよ!」と声をかけられたが、どう見てももう元気だったので放っておいた。俺は別に腹も減っていなかったので、そのまま家を出た。どう考えても外出したくはなかったが………約束をしてしまっていた。
家を出てわずか3歩でずぶぬれになった。面倒だし、どうせ相手も来ないし……と思いたいが、あの真面目が約束をすっぽかすとは思えず、ため息をついて目的地へ向かった。もはや傘は役目を果たしていない。風で壊れるほうが困る。俺は傘を閉じて、濡れながら歩いていく。視界が悪い。体に直接雨粒が叩き込まれる感覚。さほど歩いていないはずなのに、もう疲れている。
目的地に着いた時には、もうへとへとだった。昼間なのに暗い空。待ち合わせたベンチへと向かうと、恐らく待ち合わせの相手がそこにいた。……全身、白いビニール製の合羽に包まれ、キャップの上からフードを被っており、大きなゴーグルをつけている。相変わらず荷物は多いが、どちらも大きなビニールを被せている。ベンチには座らず、ベンチの傍で立って待っていた。俺の姿を見ると、ゆっくりと近づいてくる。歩きにくいのか、ややふらついている。
「どうしたんですか、ずぶぬれじゃないですか。はやく雨宿りしましょう」
傘を手に持ち、全身から水を滴らせる俺に、カイトは信じられないという顔で言う。
「……お前こそ、なんだ、その……濡れてなさそうだな」
カイトはにっこりとほほ笑んで、そうですよ、と満足そうに言った。完全防備。ちらりと足元を見ると、懐かしい感じのする青い長靴。
「その格好で学校、行って来たのか」
「そうですよ。今週はテスト期間なので、帰りが早いんです」
ニコニコと答えるカイトに、とりあえず行くか、と声をかけて荷物を一つ持った。相変わらず重たい。
「今日はなにがはいってるんだ、これ」
「参考書と、部活の道具です」
「……テスト日なら授業も部活もないだろ」
「何が起こるかわかりませんので」
「雨だし、勉強道具とか置いてくればよかっただろ」
「そしたら家で勉強できないじゃないですか」
ぽかんとした顔で答える高校生。こいつ、肩凝ってそう。
結局俺たちが向かったのは、カズシの家。さすがに片やずぶぬれで、片や全身合羽で、ファミレスやファーストフード店には入れないと判断した。入り口でインターホンを鳴らすと『早かったじゃねーか!!怪我人に飯でも作ってくれよー』と返ってきた。何も答えずに開いた扉をくぐる。部屋の前でカイトの合羽を脱がせた。扉を開けると、元気なけが人は包帯だらけで出迎えてくれた。俺を見て「うわっお前、やべーじゃん風呂入れよ」とタオルを投げてくる。それから俺の隣で合羽をもって固まっているカイトを見た。
「あれ?ミナヅキ生じゃん。あー、ミヅキちゃんの友達か?」
ミヅキ、と聞いて、カイトの顔が歪んだ。カズシは何も気にしていないまま、包帯だらけの腕でカイトから合羽を受け取り、ハンガーに通して、俺に渡した。
「風呂場で干しといて。お前は風呂入って」
押し込まれるように風呂に入る。服が張り付いて脱ぎにくい。カズシとカイトの空気が気になりながら、シャワーが水から湯に変わるのを待っていた。
風呂から出ると、カズシとカイトが食卓についていた。机の上にはオムレツとスープと白飯。……うまそうな匂いに、腹が減る。俺も席についた。いただきます、とカイトがしっかりと両手を合わせる。それにつられて、俺とカズシも手を合わせた。
「お前いいオトウト持ってんじゃねえかー、昼飯作ってくれたんだぞ」
カズシは上機嫌だ。包帯は飾りではなかったらしい、箸を使わずフォークでぎこちなく白飯を口に運ぶ。……こいつ、どこでこんな怪我したんだっけ。
「弟っていうか……そうですね、弟です。昨日弟になりました」
「うお、舎弟。シドウ、お前、右腕作る前に舎弟作っちまったのか」
「舎弟……?……あー、うーん」
これは微妙なことになってしまった。細かいことは気にしないほうがよさそうだ。頭が痛い。
「んで、ミヅキちゃんのことはどーなったんだよ、あれから」
あれから、と、カイトが繰り返した。ややきつい表情で俺を見る。
「……その、シドウさんとミヅキの関係性から、伺ってもいいですか」
なんといったものか、と悩んでいると、カズシが余計なことを言う。
「そりゃお前、恋人に決まってんだろ」
「えっ!?そうなんですか」
「そりゃもー、一夜過ごした仲だろ?」
「一夜?夜まで遊んでたんですか?駄目ですよ、うちの学校は十時には家に」
「いやいや――」
余計なことをさらに続けようとしたカズシの口を塞いで、俺はカイトに何もしてないと繰り返した。カイトは首を傾げただけだ。少し悩んでから、俺はミヅキとの出会いを思い出した。ごみ箱から……雨上がりの夜、そして昨日。
「俺がここに…西に来て、ミヅキがいなかったら、俺はもう死んでたかもしれない、みたいな感じ」
「えっと………?…なんか、命の恩人とか、そういう?」
「まあ、なんか、そういう感じ。んで、礼がしたいけど、なかなか会えなくて、探してる、みたいな」
「なるほど」
カイトはスープを一口飲んだ。礼が言いたいわけではないな、と、言ってから思った。ぼんやりと、今まで見たミヅキの表情を思い出していた。定まらない、わからない、つかめない少女。そこにいつもついて回る危うさ。一度離せば、もう二度と捕まらないような、そんな。
「俺はミヅキとはずっと学校が一緒で、家が近所なんです。もともと、よくいなくなるヤツで、あいつの兄さんと一緒に探し回ることが多かったんですけど……高校に入ってから、その、見つからないし、よくいなくなるようになって。つい先々週くらいまでは、普通にいたんですけど、また、どっか行っちまって。連絡もつかない、情報もない……なんか、危ないことに首、突っ込んでんじゃないかなって思って。心配なんです」
それでこんな、不良の巣窟みたいなとこにも来たんですよ、と言ってから、俺とカズシを見て、すいません、と小さく呟いた。気にしてないと答えてから、俺は頭を掻いた。隣を見ると、カズシも微妙な顔をしている。
いままで俺は、ミヅキのことは何もしらなくて、金持ちで頭の良い学校の制服を着てる、くらいの認識で。でも、どんな生活をしているのかつかめず、想像することもできなかった。それがようやく、形をもった気がした。ミヅキは確かにこの街で生活をしているんだ、と、当たり前のことを思った。
「……最後に会ったのは…」
昨日。焼肉に行ったことはカズシに話していない。カイトは難しい顔で俺を見つめた。
「……3日前」
指で日数を数えながら、嘘をついた。
「嘘ついたな」
ニヤニヤしながら、カズシが俺を指さす。俺は一度瞬きをして、頭を掻いた。カイトが門限だとか言って、家を出た後のことだった。夜。夜じゃなくても真っ暗だった景色は、明かりなしではほとんど何も見えない。
「言えないこと、ミヅキちゃんとしちゃったってわけ、あーこれだから、隅に置けねえなー」
「いや、そんなわけじゃ」
ないとは思う。でも、カズシにも、カイトにも、雨上がりの夜のことや、昨日のミヅキの話をしようとは思わない。してはいけないとさえ思う。理由はよく、わからないけれど。
結局カイトはあのあと、俺に何度かここ最近のミヅキとのことを質問してから、納得しきれない顔で、また会いましょうと約束を取り付けた。一週間後。お互いにミヅキを探しているんだから、そこで情報交換をしましょう、と。相変わらず公園で待ち合わせ。スマホを持ってないのか、と聞けば、学校へは携帯電話は持ち込めないと生徒手帳に書いてありますので、と当然という顔をした。連絡先、あんまり教えるなとも家族に言われていますので、と繰り返すカイトは、その、少し心配になってしまう。
「それよりシドウ、お前、今日ヒマか」
カズシが突然切り出した。
「…なにもないけど」
ちらりとミヅキの顔が頭に浮かんだ。でも、今日はもうあの時間を過ぎている。きっと今日は会えない、と思った。なにか物足りない気分になる。
「んじゃ、イイトコ連れてってやるよ」
カズシは君の悪いウインクを一つ、親指を立てる。何か、嫌な予感しかしない。ちらりと窓の外を見たが、相変わらずの土砂降りだ。
「おいカズシ、これは一体どういう」
「おいおいシドウ、お前そんな純情じゃねーだろ?」
カズシは綺麗に包帯をとって来ていた。でも完治はしていないのか、時々触ると痛そうにする。なら休んでいればいいのに、それができるタイプではなさそうだ。
いつもとは違う、細い迷路のような裏通りをカズシの歩くままについていくと、蛍光色のネオンがきらめく薄暗い細い路地に出た。一言でいうと、まあ、そういう店が多い場所なんだと思った。そういう店っていうのは、つまり、金払って女と遊ぶ場所だろう。店先には黒服のニヤついた男や露出の多い服の女が看板をもって立ち並び、俺たちが歩くたびに声をかける。
ねえ、どう、お兄さん。うち、安いですよ。サービスしますから。
俺はひとまずカズシの後ろをただ黙ってついていっていた。意外にも、カズシは色目を使ってくる女になびかない。ヘラヘラして女に甘い遊び人、というイメージがあったが、興味がない奴には全く興味がないタイプなのかもしれない。
さらにその通りを右へ左へ、細い道へ入り、また別の通りに出、俺は途中からカズシの服の裾を掴み、はぐれないようにだけ気を付けていた。一本裏へ入るとさらに暗く、細くなっていく通り、暗くなる店の照明と、うろつく男たちからする「危険」な匂い。なんとなく、気分が悪くなってくる。怖い、とも。カズシはその間、一言もしゃべらない。さしていた傘が路地や看板にひっかかりそうになる。
「目、合わせるなよ」
久しぶりにカズシに声をかけられて、俺ははっとした。突然振り返ったカズシは、俺を見て、もう一度言った。
「このへんのやつらと絶対に目、合わせるな。下向いて歩け。案内するから」
「…なあカズシ、お前一体どこへ行くつもりだ。」
店ならそのへんでよくないか、と後ろを指さした。カズシはそれには答えず、もう一度地面を指さした。
「下向いてろ。絶対に誰とも目、合わせるな。ここは高橋組の縄張りだ。」
高橋組。呟くと同時に俺は下を向いた。真っ黒なアスファルトと向かい合い、歩いていく。落ちているのはタバコに、ビニール袋、ティッシュ、空き缶、ライター、何かのゴミに食べ残しが山のよう。時々いやな感触のものを踏んで、俺はこみあげてくる吐き気を抑えていた。
一体何が始まるのか、わからなかった。わからないことが、怖い。
「いいぞ、顔上げても」
カズシは一軒の店の前で足を止めた。他の店とは明らかに異なり、その店は大きかった。裏の、更に奥の、奥の、奥の…入り組んだ先の、細い路地、ほかの店は小さく、薄暗く、看板の名前も苦労して読まなければならなかったが、この店は違った。まだ元気なピンク色のおしゃれなネオンで「MARRY」と書かれている。なんて読むんだろうか。英語は見るだけで頭が痛くなる。
両開きの扉の入り口は開いていて、店の前だけ妙に明るい。店の前には黒服の男性が二人、そのどちらも大きな黒いマスクをつけていて、時折目の据わったやつらを追い返している。……拳銃を突き付けて。その周りには、血まみれで倒れている男もいる。まさか、と思ったが、すぐに目をそらした。
それにあの格好には、見覚えがある。銀髪の狐目の男が頭をよぎった。
「いやーやっとついたな。久々に来たからちょっと迷っちまった」
カズシはといえば、相変わらずの調子。ヘラヘラと俺に話しかける。
「お前、店は初めてかー?」
その店を指さしながら言うカズシに、俺はとりあえず頷いた。カズシは満足そうにニヤニヤして、店へと歩き出す。あわててカズシの服の裾を掴んだ。マスクの男二人は俺たちが近づくと一歩前へ出たが、カズシが手をひらひらさせるとお互いに目を見合わせ、入り口を開けた。俺たちは傘を閉じる。受付の二人の男が手を出す。カズシが傘を渡したのにならって、俺も傘を男に渡した。
「ここ、俺のオススメがいるとこなんだよな。金が入ると来たくなっちゃう」
俺にとっては異質なこの風景で、カズシだけがフツーだった。カズシに促されるまま、入り口を通る。中は思っていたよりも明るかった。普通の照明よりは、少し薄暗く、やや赤みがかった光。入ると、まずは受付と思しき場所があり、男が一人立っている。見回すと、壁に女の写真、受付の前の小さな机の上にも女の写真がいっぱい並んでいる。写真には番号がふられ、名前もそばに添えてある。
カズシは慣れた足取りで受付に向かい、俺はそれについていく。黒い大きなマスクで顔の半分を覆った受付の男は俺の顔を見、それからカズシの顔を見て、陰から別の小さなアルバムを取り出した。サンキュー、と、カズシの明るい声が響く。他に音はない。俺の心臓の音くらいだ。
「俺はいつものね、アイカちゃんね」
カズシが指さしたのは、人気NO.3と壁に大きく書かれた胸の大きな女。色っぽく微笑んでいるその写真を見て、なるほど、とうなずく。ふと気が付くと、受付の男は俺を無言で見つめていた。そっと小さなアルバムを差し出す。受け取ろうと手を伸ばしかけたとき、カズシが止める。
「こいつ、フウカちゃん。空いてるでしょ」
フウカと言う女を壁に探したが、壁にはいない。受付の男は一回カズシに首を振ったが、カズシは笑顔でもう一度。
「空けて」
そこで男は一度奥の扉をくぐっていった。一体何がどうなっているのか、とりあえずカズシを見てみる。カズシはニヤニヤ笑って言う。
「俺、楽しんでるから、お前も楽しんで来いよ」
な、と言われ、戸惑う。
「それともお前、童貞かよ」
「いや別に」
それだけは否定しなくてはならない気がして、即座に首を振る。カズシは声をあげて笑った。カズシの笑い声だけが、部屋に反響する。
「……なあ、なんで突然」
受付の男が戻って来ない。部屋を見回してみたが、入り口と、受付、それから奥へ続く道、それしかない。音はしない。なんというか、意外だった。入った瞬間から「そういう」音がするものかと思ってて。だけどここは、すごく静かだ。
「んや、会いたいのかと思ってさ」
「え?」
聞き返したが、カズシはニヤニヤ笑うだけで答えなかった。ちょうどその時受付の男が戻ってきて、俺を見て頷く。カズシは「やったなー」と俺の肩を叩いたが、叩いた本人のほうが腕が痛そうだ。「シドウ、お前、硬いな…」と、カズシが低く呻く。
直に受付の男とは違う男が二人、こちらもまたスーツに黒いマスクという格好で、カズシを案内していく。またあとでな、と手を振るカズシを見送ると、俺のほうは、また別の男がこちらですと小さく促す。先を歩く男に慌ててついていく。
部屋はしっかりと扉と壁で仕切られていて、清潔感もある。俺の知識にある風俗店というのはもっと薄暗くて、汚くて、そういうものかと思っていたが、ここは違うな、と思った。奥の奥の部屋、一番奥の、隣り合わせの部屋がない部屋。扉も心なしかほかの部屋とは異なっていて、少し重そうだ。スーツの男は振り向くと、こちらです、と小さく言った。扉に手をかけ、俺を中へ入れる。
二時間です。延長はいつでもお申し付けください。俺に一枚伝票を渡すと、男はごゆっくり、と部屋を出ていく。扉が閉まる。俺は恐る恐る、部屋を見る。床は赤い、ふかふかの素材。靴を脱ぐ場所があったので、とりあえず脱いで、下駄箱に入れた。入り口からでは部屋の中はよく見えなかった。そのまま中へ進むこともできず、ぼんやりと立っていると「おきゃくさま?」と、少女の声が聞こえた。どうやら、なかなか入ってこない客に痺れを切らしたようだった。
どう答えたものかと悩んでいると、もう一度、おきゃくさま、と声をかけられた。どうぞ中へお進みください。意を決して、前へ進む。…入り口の扉からは想像もつかないほど、広い部屋だった。カズシのマンションの部屋が、一体いくつ入るだろうか。
引き続いて床には赤い絨毯。壁にもややピンクよりの色で様々な装飾が施されている。座卓に大きな薄型テレビ、そしてその奥にはベッド。扉も一つついている。シャワールーム、と書いてあるのが見える。ベッドのそばにはほかにも、クローゼットや様々な衣装が置いてある。メイドにポリス、セーラー服……その隣は、いわゆる大人の玩具が並べてある。
あ、弟に怒られる。まず頭に浮かんだのはそれだった。
「おきゃくさま、いらっしゃいませ。わたし、フウカと言います。本日はご指名ありがとうございます」
びくびくしていると、背後から声が聞こえて、更に驚いてしまう。指名?指名したのは俺じゃなくて、なんか俺の連れが。っていうか俺はその、そういうことする気がなくて、その。混乱していると、後ろでくすくすと笑う声が聞こえる。
「怖がらなくて大丈夫ですよ。わたしがお手伝いしてさしあげますので」
柔らかい声。だが、幼いな、と思った。写真も見ていない相手がどんな奴なのか、見たい気がするが、振り向いてはいけない気もする。
「なあ、あの、やっぱ、キャンセルとか、できない……ですか」
やっぱり言わなくては、と思って、意を決して振り向いた。なんとか言い終えて、相手の姿を捉える。俺が指名したんじゃないし、俺が金払うわけじゃないし、お前はその分体力も使うんだし、いろんなことを考えて、言おうとして。
やめた。
相手も口を少し開けたまま、何かを言おうとした口のまま、何も言わない。
こんなに広い部屋なのに、一歩踏み出せば触れる位置にいるのに、お互いに身動き一つせず、声も出さず、ただぽかんと間抜けに口を開けていた。
……やがて、フウカと名乗った相手が口を開いた。
「キャンセルは、できません」
腕を組み、足を開き、俺を下からいつものようににらみつけ、その金髪の少女は言う。
「どうしてここにいるんですか、シドウさん」
「いや」
それはこっちのセリフだ。清潔そうなワンピースに身を包んだミヅキに言えないまま、俺はベッドの端に座らされた。
しばらく、一言もしゃべらなかった。静かな広い部屋で、広いベッドの端に二人で腰掛けて、お互いに目を合わせず、一言もしゃべらなかった。
「……珈琲と紅茶、どっちがいいですか」
先に口を開いたのはミヅキだった。しばらく迷って、珈琲と答える。ミヅキは返事をせず、そのあたりの棚を漁って、どこにあったのかポットとカップをもって来る。
「インスタントだからおいしくないですよ」
粉を入れ、お湯を入れ、雑にスプーンで混ぜ、俺に渡す。熱いが、飲まないといけない気がして口を付けた。……熱い。舌を火傷した。
ミヅキも自分のぶんのカップを持ってきて、トレーをベッドに置き、そこに置いた。俺のカップも受け取って、隣に並べる。……甘い匂いがする。ミヅキのはココアらしい。
ミヅキの横顔をそっと見ると、いつもとはまったく違うメイクをしているなと思った。ふわふわとして、かわいらしく、あまり化粧感もない。突然ミヅキと目が合って、思わずそらす。
「こーゆーとこに来るロリコンさんは、すっぴん系メイクがお好きなんですよ」
髪を耳に掻き上げながら言う。耳にはピアスが2つ。綺麗な角の多い石を付けている。本物の宝石かもしれないな、と思った。白い簡素なワンピース姿は、意外というか、珍しいなと思った。幼いはずなのに、何故だか大人っぽく見えて、ドキリとする。
「……どうやってここへ来たんですか」
ミヅキはこちらを見ずに言った。俺はどうしたものかと頭を掻いて、しばらくして、答える。
「なんていうか、紹介で」
「誰の紹介ですか。ここは高橋組の関係者しか入れないんですよ」
「高橋組の、関係者」
カズシの笑顔が頭をよぎる。
「……まあ、いいですけど。どうして、ここへ来たんですか」
「どうして、って」
だからカズシに俺は連れてこられたわけなのだけれど、そんな偶然があるものだろうか。カズシが俺に勧めたフウカという人物が……ミヅキであったことは、本当に偶然なのか?
答えないままでいると、ミヅキはアハハ、と笑った。乾いた笑い。それから俺を見る。トレーを床へ置き直し、ミヅキはベッドに上がった。それから腕を少し俺のほうへつき、そっと俺を見上げる。
その時初めて、俺はミヅキを綺麗だと思った。そのオーラは少女とは呼べないものだった。
「そういうこと、したかったわけですか」
いや。
何か言おうとしたが、声は出なかった。俺の喉元をミヅキの人差し指がそっと撫でる。苦しいような、そうではないような、いたたまれないような気分。
「みづ…」
言おうとした口を、唇でふさがれる。二回目だったな、と昨日のことを思い出していた。そっと口に舌を入れ込まれ、何する間もなく絡まされる。さっき火傷をしたところが、少し、痛い。
しばらくして、口を離して、ミヅキは俺の首に腕を回し、そのまま小さく言う。
「わたしはフウカです、おきゃくさま」
確かにその少女はいま、ミヅキではなかった。そうか、お前はフウカなんだな、と思った。ふわり、とほほ笑む笑顔も、俺の知っているミヅキのものではない。
「さあ、おきゃくさま、今宵は何をご希望ですか」
俺はいつの間にか、フウカに押し倒される形になっていた。す、と、服の裾に手をかけるフウカに、慣れているな、とぼんやり思った。
「わたし、何にでもなれるのが自慢なの。お客様の望むことをしてさしあげますよ。ここはほら、本番もオーケーなの。さあ、何がお望みですか」
ニコリ、と笑いながら、フウカの手が俺の腹を滑っていく。小さく、冷たいのに、慣れた手つき。そうやってここで、今まで何人もの男を相手にしてきたんだな、と思った。
俺はしばらく考えて、フウカを見て、答える。
「何にでもなれるんだな、お前は」
「はい、そうなんです」
得意げに笑うフウカの手を、俺はそっと掴み、絡ませ、そのまま引いた。バランスを崩したフウカが俺の上に倒れこむ。そのまま寝返りを打って、今度は俺がフウカの上になる。顔の横に右手を突くと、フウカは少し驚いた顔をしたが、またすぐに笑顔に戻る。俺はそっと、その笑顔を、指でなぞる。……フウカは抵抗しない。
「じゃあ、一つ、頼みがある」
「…はい、なんでしょう」
目を閉じたまま、フウカは答える。少し体勢をずらす。そうだな、そのほうが俺が手を出しやすい。相手が動きやすい距離も角度も、きっとこいつにはわかっている。優秀なんだろうな、と思った。
やがて、何もしない俺に痺れを切らしたのか、フウカがそっと目を開けた。俺と目が合う。いつもとは雰囲気の違う、黒目の大きな瞳。質の悪いカラコンに、俺が映る。
「頼みって、何ですか」
少し不安げな顔をしながら尋ねるフウカに、俺は静かに顔を寄せて、言った。
「少しの間だけでいい、俺はミヅキと話がしたい」
な、と言うと、フウカはもうフウカではなくなっていた。ぽかんとした顔で、ミヅキは俺を見つめ返していた。
その顔がすこしおかしくて、俺は笑った。
ちらりと横目で時計を見る。慌てる必要はない。なにせ、時間はたっぷりある。
「なあ、いいだろ」
そっと手で髪を梳くと、ミヅキは少しだけ顔を赤くした。
【れんごうかいのに おわり】
【れんごうかいのさん に つづく】
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