れんごうかいのぜろのさん
朝目が覚めると、いい匂いがした。卵とベーコンの焼ける匂いだ。ゆっくりと目を開ける。寝床にしていたソファに腰掛けると、台所に薄緑色の髪の男が見えた。ソファの軋む音が聞こえたのか、相手は振り向かないまま「ちょーどよかった、朝メシ2人分作ってんのに起きねーなと思ってたんだよ」と言った。
「皿出してくれ」
はやく!こげる!と言われ、俺は慌てて手伝いに行った。
パンに目玉焼きとベーコン。少しのレタスを添えて。カズシがつけた音楽は、よくわからないがおそらく海外の曲。なんとなく、おしゃれな空間に感じた。俺はカズシの髪を見ながら、レタスを一口食べた。カズシの髪を食っているような違和感。
「シドウ、お前今日の予定は?」
聞かれて、すべてパンに挟みながら、首を横に振る。何も決まっていない。決まるはずがない。……ふと、右手をちらりと見た。風呂に入っても、まだ油性のペンの跡は消えていなかった。なんとなく、カズシに見られたくなくて、手を裏返した。…スマホも何も持っていない俺じゃ、連絡先を知っていても無駄なわけだけど。
「俺今日、バイト休みだから一日暇なんだよな。お前も暇なら付き合ってくれよ」
俺はサンドイッチを頬張りながら頷いた。
そのダサイ制服は脱げよな、と言ってカズシは自分の服を何枚か寄越した。サイズは俺とあまり変わらないので何も問題はないが、制服をダサイと呼べるほどのファッションセンスがあるようにも思えなかった。テキトーに黒いパーカーを借りることにした。
今日の街は雨だった。どんよりと暗い空。カズシに傘を借りて、人ごみをかきわけていく。「さすが休日だな」とこぼしたカズシの言葉で、今日が休日であったことを知った。もとよりあまり学校に行かなくなっていたのもあるが、日付や曜日の感覚が鈍くなっていた。確かに、学生みたいなのが今日は多い……気がする。
「お前、どこ行きたいとかねーか?」
「ああ、特にないな」
「じゃー俺の行きたいとこ回るぜ」
「わかった」
うきうきとした足取りのカズシに必死についていく。歩くたびに誰かと傘がぶつかり、手を取られ、はぐれそうになる。俺が住んでいたところはもっと閑散としていた場所。人ごみは得意じゃない。はぐれるから、と、いつも弟が腕を掴んでくれていたのを思い出した。掴む者のない右手が、何か物足りない。
雨が一層強くなったところで、目的地に着いた。カズシが案内してくれたのは、思い出深い、あの裏通りのゲーセンだった。なんともいえない気分になった。カズシについて、俺も入っていく。傘は濡れたまま、中に持ち込んだ。垂れる雫が、俺の歩く跡を残していく。
ところで俺はマミヤキョウについてはすっかり頭から消えていたのだが、どうやら相手は俺を覚えていたらしかった。ゲーセンにはマミヤキョウと他5人程度溜まってタバコを吸って大騒ぎ……していたのだが、俺を見るなり全員が顔色を変え、タバコの火を消し、傍に来て、一斉に頭を下げる。
「おはよーございます、シドウさん!!」
朝から耳が痛くなるような大声。まだその時の俺は一生懸命相手の顔から名前を考えていたわけだけど、ようやく思い出せて、返す。
「……おはよ、えっと、なんだ、あー……マミヤキョウ」
「キョウでいいっす!」
顔を上げないまま声を張るキョウに、なんとも調子が崩れて、頭を掻いた。ふと見ると、俺の隣でカズシはニヤニヤしながらキョウを見ていた。
「シドウ、行こうぜー。今日は俺と遊ぶんだろ」
「…あ、ああ」
なんとなくキョウをちらちら見やるカズシに違和感を感じながら、言われるまま、のゲーセンの奥へと吸い込まれていく。照明は相変わらず薄暗い。今日は外の暗さもプラスして、明るいのはゲーム機の画面くらいなものだった。
「俺、あいつ嫌いだったんだよなー、弱いものいじめばっかでさ」
歩きながら、不意にカズシが一言呟いた。あいつ、というのはキョウのことだろう。
「だから、お前にあいつが倒されたって時めっちゃ嬉しくてさ。んで次のリーダーになるやつはどんなやつだろーと思ったら」
カズシはそこで一回言葉を切って、へらっと笑った。
「まっさかお前みたいな寝坊助だとはなー」
心外だ。そんなに眠ってばかりいる自覚は……そうだな、あんまりない。カズシは寝坊助寝坊助いいながら、俺の頭をくしゃくしゃにした。これやろうぜー、とカズシが指さしたのは、ゾンビを銃撃していくゲーム。コントローラーも銃の形をしている。やったことがないわけではなかった。機械に金を入れるカズシをみながら、ふと思ったことを聞いてみる。
「リーダー?ってどういうことだ」
カズシはこちらを見もせずに、当然だというように言った。
「今までこの街をシメてたマミヤ倒したってことは、シドウがリーダーってことだろ」
「……で、それはどういうことなんだ」
「つまり?そりゃお前は、この街ではタカハシリョウガやアサギリセイラみたいな感じってことだ」
「つまり?」
「つまり…?」
カズシは金を入れる手を止めて、言った。
「この街の三つの勢力の一つのリーダー、になったってこと」
ますます意味がわからなかったが、カズシが金を入れてしまったので、ゲームに専念した。
セイラにはあれから一度も会っていないが、どうやら有名人らしいことはわかった。タカハシリョウガ…という名前にも聞き覚えがある。
それより、勢力のリーダーってどういうことだ。
ゲーセンの次に行ったのはファミレス。昼時だったので、いったん名前を書いて待たされた。カズシが進んで名前を書いた。タムラリョウヘイ……と書くカズシを見ながら首を傾げていたが、カズシはニヤニヤ笑うだけだった。
「個人情報正直に書くわきゃねーだろー、こういうのはてきとーにすんだよてきとーに。お前、馬鹿正直に生きてそうだよなー、もっとテキトーに生きていこうぜ」
「なるほど」
カズシといると知らないことをいっぱい経験する。しばらくして、俺たち二人は席に通された。カズシはハンバーグを注文。俺も同じものを頼んだ。バタバタと駆け回る店員や響く文句の声を聞き流してぼんやりしていると、カズシは「それで」と切り出した。
「お前、ナンバーツーはどうするつもり」
ナンバーツー?聞き返すと、カズシは笑った。
「お前、この街にいるのに何にも知らないよな。まるで別のとこから来たみてー」
「……ああ、そうなんだ」
「え?マジ?」
カズシは目を丸くした。ぼそっと「そーなんだ……」とつぶやいて、腕を組む。それから少したって、「よし」と人差し指を立てた。
「俺がこの街のこと教えてやるよ。その代わり、あとでもらうもんもらうぜ」
「もらうもん……」
「安心しろよ、お前に金がないのは知ってるからさ」
その笑顔がとても安心できないのだが、いま頼れるのはカズシしかいないんだということはわかっていた。俺は頷く。
「俺ができる範囲のことなら協力する……」
「やりいー、いいぜ教えてやるぜ」
そこでちょうど、不機嫌な店員が料理が浮くのではないかという勢いで目の前にハンバーグを置いた。俺の前にも乱暴に置いて「熱いです」とだけ言い残し、去っていく。呆然としている俺とは違い、カズシは気にもせず「とりあえず食おうぜ」とナイフとフォークを準備していた。俺も同じように、フォークを手に取った。
「この街にはな、大きく三勢力あるんだ。一つは高橋組。いろんな商売やらなんやらはほとんどここがシメてる。まあ、かかわりは持たねーほうがいいな。おっかないとこで、何されるかわかんね。薬とか武器も、出所はほとんど高橋組だ。一番大きな勢力で、人数も多いし、下っ端の数も多い。時にはトップの名前使っていろいろし始める馬鹿もいるが、そーゆーやつは直に消えてるって噂だ。おーこえー。お前もタカハシリョウガって名前には気を付けろよ」
店員の態度は悪いがハンバーグはうまかった。俺はまた一口食べながら、タカハシリョウガって名前、よく聞くな、と思った。
「二つ目は、割と最近できた勢力だな。俺らがガキんとき……十年前くらいか?自治警察って名乗ってる集団。リーダーはアサギリセイラっつー、ちっちゃい女の子なんだけど」
そこで俺は勢いよくむせた。カズシはだいじょーぶかーとはさんで、またすぐ続けた。
「すげー堂々としててカッコイイよ。貧しい人とか、そういう人に助けを、みたいなやつらなんだけど、なんか高橋組とすげー対立してる。よく銃撃バンバンやってるぜ、その辺で。いいメーワクだよなぁ」
俺はなんとなく記憶をたどった。自治警察。そういえば、何か演説をしていたような。あの女がまさか、セイラだったのか?……だとしたら、無事でよかった、と思った。
「んでまあ、この二大勢力………の下の下のほうにいるのが俺らみたいなフツーのやつら。学校さぼったりその辺でふらふらしてるやつらの集団って感じだな。特に名前もないけど、まあ、なんとなーく……あれだ、暗黙の了解ってやつ。んで、ケンカでトップに勝ったらそいつが次のトップになるっつーわけ。だけどまあ、新トップなんざ知名度も舎弟もすくねーからさ、今のうちに叩いて俺が新トップにってバカもけっこーいるぜ」
だからお前、いま狙われてんだぜ、と、カズシは俺にフォークの先を向けた。テーブルマナー、箸やフォークを人に向けるのは弟がよくないと言っていたなと思った。
「まあ、ざっとこんなもんだな。だからナンバーツーが大事なんだよ」
「ナンバーツー」
「ま、頼れる相棒ってとこだな。二人いりゃ最強ー、みたいな。ナンバーツーができっと、あんま周りのやつも手出しできなくなるっつーか」
「なるほど……………というか、その、なんだ」
「?なんだよ」
ハンバーグを食べ終えて、フォークで皿をつつきながら言う。
「俺がなんかその、リーダー、ってことはもう確定なんだな」
カズシはしばらく続きを食いながら、
「やめたいならやめれば」
と言った。顔を上げたが、目は合わなかった。俺の聞き違いなのか、聞いたことのないような低い声だった。
昼飯もカズシが持ってくれた。カズシは「どーせお前で稼いだ金だしな!」と言って笑う。そういえばミヅキの金なんだな、と思った。ファミレスを出ると、雨は降っていなかった。黒い雲で埋まった空を見ながら、ミヅキはいま何をしているだろうかと考えた。
そのまま遊び歩いていたら、すっかり夜になっていた。カズシに案内されるまま、裏路地を通って、カズシの家へと帰る。雨は降っていない。閉じた傘を片手に持ちながら、カズシの少し後ろを歩いた。
「なあ、シドウ」
カズシが突然足を止めた。俺も立ち止まる。カズシが振り向いて、ニヤッと笑った。
「お前、リーダーには興味ないんだろ?」
さっきの話でもそんな感じだったよな、と続けた。まあ、と返す。別になんというか、リーダーになりたくてマミヤキョウを倒したわけではなかった。あの時は……そうだ、ミヅキを救えたら、と思って。ミヅキに言われた通りにしてみよう、と思って。
「んじゃ、さ」
カズシが俺のほうへ一歩踏み出した。
王になる。ふと、ミヅキの言葉を思い出した。この街を、変えると。
「俺と代われよ、さっきの礼に!」
遅い。カズシの繰り出した拳を余裕でよけて、そのまま腹に蹴りを入れた。そのまま路地を吹っ飛んでいく。……軽い。距離はざっと見ても………まあ、けっこう飛んだ。
土埃が舞い、カズシが壁に当たったであろう音がした。……その時ようやく、あ、と思った。ためらいながらもカズシの傍へ歩いていく。カズシは腹を抑えながら、しばらく動かなかった。俺はしゃがんで様子を見守る。しばらくして、ようやく顔を上げて、一言。
「……俺ら、ダチだもんな!これからも!な!」
いい笑顔だった。俺とは種類の違う馬鹿だと思った。どうも動けそうにないらしいので、そのままカズシを抱えて帰った。
「シドウ、お前……力強いし力持ちなんだ…な………俺、けっこう……鍛えて………」
「いや?軽かったよ」
体重の話は軽いと言っておけばいいと昔付き合っていた女が言っていた。カズシはそれから家に着くまで一言も喋らなかった。死んだのかもしれない。カズシの持っていた傘も拾った。いつの間にか、傘も骨が折れていた。
カズシを家に送り届けてから、俺はなんとなくもう一度外に出た。雨のあとの湿った空気、そして晴れつつある夜空。肌にまとわりつくような空気、でも決して暑くはない。とても落ち着く。外に出る前に、カズシに「あぶねーから持ってけよ、返す時は二倍でいいぜ」と、万札を何枚か受け取った。雑にポケットに突っ込んで、歩く。宿無し一文無し知り合い無しではなくなり、何も知らない俺ではなくなった。なんとなく、景色が変わって見えた。
この街で出会った人のことを考えた。カズシとはおそらく友達になれた。セイラは生きているし、どうやら目的をもって活動をしているらしい。きっとよりよくするために動いているのだろうな、と、本人を思い出した。自分の正義のために動くことができるのは強い人間だと、弟がいつか言っていたかもしれない。もう一人、あの銀髪の狐……名前は知らないが、セイラのことを知っていたし、タカハシリョウガという名前は、そういえばあいつから聞いたものだった気がする。気味の悪い奴だった。…それと、もう一人。
俺はミヅキと初めて出会ったあのゴミ箱の場所へ来ていた。雨に濡れたゴミがあちこちに散らばり、一歩歩けばぐちゃりと音がする。そっと近づいて、ゴミ箱の蓋を開けてみる。……中からは生臭いような腐ったようなカビのような、そんな匂いがあふれた。雨が入り込んでいたようで、ゴミ箱を触った手が濡れている。
ゴミ箱の中から俺を睨む、小さな金髪の少女を思い出した。今でも鮮明にイメージ出来る。俺はそらで、映像をなぞるように、少女の輪郭を人差し指でなぞった。
「……シドウ、さん」
後ろから呼ばれて、振り向いた。驚いた。そこに立っていたのは、相変わらず制服姿のミヅキだった。手を振ろうとして……何か異質な感じがして、動けなくなった。暗くて表情が見えないが、あきらかにふらふらとした足取りでこちらへ近づいてくる。俺たちの距離があと一歩、という距離になって、急にバランスを崩したのを、慌てて抱き留めた。ミヅキは俺の背に手を回した。力が入っていない。俺はとりあえず、そのまま固まった。
冷たい、と思った。服が濡れている。服だけではない。全身ずぶぬれだった。髪からもスカートからも、まだ雫が落ちている。力ないミヅキの背に手を回すと、思っていたよりも小さかったんだと思った。背だけでなく、細く、脆い。
「あはは、シドウさん、シドウさん、ですね、やっと会えました」
ぞっとした。俺が知っているミヅキではないと思った。狂っている、と思った。
「あたしずっと会いたかったんですよ。でもでも、会えなくて、会えなくて、あはは、探しちゃいました」
あはは、と、俺の腕の中でまた笑う。そっと体を放した。ミヅキはふらふらとして、そのまま地面に膝をついた。俺もその場にしゃがんだ。同じ高さで目が合った。えへへ、と笑う顔は、俺が見たことのないものだった。明らかに、普通の笑顔ではないとも思った。
俺はその時はじめて、気味が悪い、と思った。
ぺたり、と冷たい感触が頬に触れた。ミヅキの手だった。そのままミヅキは両手で俺の両頬を包む。息ができなくなって、そのまま俺はただ、されるがままにミヅキを見つめていた。もう笑顔ではなかった。目をくりくりとさせて、俺の顔をまじまじと見つめていた。
「なんか、意外とカッコイイですね。あたし、抱いてもいいですよ」
「……そ、そうか」
「はい、あたし、イケメンに抱かれるの好きなので」
光栄に思ってくださいよ、と言いながら、ミヅキはまた笑った。何を言っているのか、よくわからなかった。あれだけ会っていたけれど、顔について言われたのは今日が初めてだったな、と思った。
「寂しかったですか、あたしいなくて、ねえ、ねえ、ねえシドウさん、寂しかったですか」
また目つきが変わった、と思った。勢いよく俺に飛びつき、首に手を回す。俺はバランスを崩して後ろに倒れた。背中に冷たい感触。水たまりだ。必然的に、ミヅキに押し倒されたような格好になる。借りた服を汚して、綺麗好きのカズシは怒るだろうか、と思いながら、俺はここでミヅキとアレコレするつもりはないとか、いろんなことを考えた。いつもは気にならない心臓の音が大きく聞こえた。俺の頭の横に手をついて、馬乗りになったミヅキに見下ろされた状態になった。ミヅキはそのまま、にこっと微笑んで、それから……すぐ、悲しそうな顔をした。
「あたし、寂しいの。いつもあたしだけ、違う世界にいる。誰にも会えないの。でも、でも、リョウガさんが、リョウガさんがくれた薬があれば、その時、その時だけは、あたしはみんなと同じ世界にいられるのよ」
リョウガ、と俺は音を出さずに口を動かした。
「そう、リョウガさんはね、リョウガさんだけが、あたしを、別の世界にいるあたしのことも、愛してくれるの。好きなの。だから、おそばにいたいの。でも、いつもは会えなくて、でも、でも、好きなの」
喋りながら、温かいものが顔にあたった。見れば、ミヅキは泣いていた。涙がぼろぼろとこぼれ、俺の上に落ち、そしてそれが俺の下の水たまりと同化していく。…俺たちはいま繋がっているな、と思った。そのうち、ミヅキは声を上げて泣き始めた。誰も通らない薄暗い路地裏に、ミヅキの声だけが響く。
「でも、でも、あたし、駄目なんです、リョウガさんとは一緒にいられない、一緒にいてくれない、リョウガさん、あたしのこと見てないの、今日も、来なかった、今日も」
リョウガさん、と何度も誰かの名を呼んだ。俺はそっと、ミヅキの腕を引っ張った。相変わらず力が入っていないミヅキはすぐにバランスを崩して、俺の上に倒れた。それを、そっと抱きしめた。一瞬、ミヅキが泣き止んだ。
「……なあ、俺、馬鹿だから……よく、わかんない、けど」
ミヅキの背に両腕を回した。ミヅキがこくり、とうなずいた。俺は目を閉じた。冷たさの中に、温かさを感じた。冷え切ったミヅキの体温だ。
「…………リョウガはいないけど…………シドウはいるから」
ここに、とつぶやくように言って、そのままじっとしていた。
「…………いて、くれますか、ほんとに」
か細い声だった。寒さのせいか、ミヅキの体は少し震えていた。目を開けると、雲の晴れた綺麗な夜空が見えた。町中だから星は見えない。でも、綺麗な夜空だ、と思った。
「………お前がそう思うなら、そばにいる」
俺は夜空に呟いた。
気が付けば、ミヅキの意識がなかった。呼んでも返事をしない。寝ているだけかと思ったが、体が熱い。ヤバいなと思った。慌てて起き上がり、担ごうとして……できるだけ優しく横抱きにして、急ぎ足でカズシの家へ向かう。早く休ませてやらないと、と思った。
明かりがなく、道がやや不安だったが、何度か歩いた道を急いで通っていく。何も余計なことを考えていられなかった。気づけば小走りになっていた。
あと一本で大通りに出る、そしたら十分もしないで着く…と思った。ついに駆け出しそうになった……とき、目の前にライトをつけず突然飛び出してきた車に、急いで足を止めた。黒いボックス車……どこかで見たことがある、と思うよりも先に、降りてきた銀髪の男と目が合った。
「君に一つ、忠告を忘れてたみたいだ」
さらに後ろから、短髪の男が降りてきた。二人とも、真っ黒なスーツに身を包み、短髪の男は、顔がほとんど隠れる黒いマスクをつけている。
「…どいてくれ、いま大変なんだ」
自分の声が苛立っていることに気づいた。銀髪の男は俺の前まで来ると、ミヅキをひったくった。俺はおもわず、あ、と声をあげた。
「アサギリセイラ、そしてタカハシリョウガにかかわるな…って言ったの、覚えてるかい」
ミヅキを取り返さなくては、と、銀髪の男につかみかかろうとすると、腕に痛みが走る。いつの間にか、短髪の男が間に入り、腕をひねられていた。その後ろから、銀髪の男の気色悪い笑顔が見えた。……乱暴にミヅキをボックス車に乗せるのが見えた。
「付け加えておくよ……ヤハラミヅキにも、関わるな」
笑顔ではあったが、声は強く、俺はひやりとするものを感じ、その場で動けなくなった。短髪のマスクの男も、俺の様子を見て、銀髪の男と共にボックス車に乗り込む。
まて、いくな。
声が出なかった。体も動かなかった。
黒いボックス車は、二人が乗り込むと、またライトをつけず、暗闇へ消えていく。
「………………あ」
ようやく出た声は、何の感情も持たない間抜けなものだった。
「よお、遅かったじゃねーか。なー聞けよ、俺病院行ったんだけどさ、お前、俺、骨折だってよ。お前、やっぱ力強すぎんだよ。………なーシドウ?…外、まだ降ってたか?傘持って行きゃよかったのによ。ずぶぬれじゃねーか。……え?服?あー、いいんだよ。服は洗濯すりゃいーだけ。それよりお前、聞いてっかよ。骨折…………どうしたんだよ。なんかあったか??カツアゲされたか???お前ならたいがい殴っときゃいいだろ?……あーわかった、ナンパ失敗したんだろ。ったく、ちょっと顔がいいからってナンパ初心者はさ………。……………。………………………どした、シドウ。……………風呂、湧いてるよ。しょーがねーから先にどーぞ。着替え、てきとーに選んで持ってってやるから。ったく怪我人が世話するなんか聞いたことねー。ほら、行けよ。ゆっくり浸かってこい。上がったら夕飯食おうぜ。今日はまたうまいのができたからな。…………ほら、な、いってらっしゃい、な。デザートもあるから。…………うまいもん食えば、元気になるから、な」
熱いのに、寒かった。湯船に浸かって、カズシに呼ばれるまで、長い時間が経っていたことも気づかなかった。風呂を出て、カズシの作った夕飯を口にしたが、何故だか味がしなかった。カズシがずっと何か言っていたが、何を言われてもよくわからなくて、ついに俺は人の言葉もわからなくなったのかと思った。どうしようもない馬鹿だ。
「なあ、その番号はなんなんだよ」
言われて、はっと我に返った。カズシが指していたのは、俺の右手の甲に書かれていた数字だった。なんだっただろうか。これは。
「これは、ミヅキのケー番………………だ」
「………かけるか?」
「え」
カズシが差し出したのは、カズシのスマホだった。ん、と、カズシは俺に押し付ける。そこで初めて、カズシが何故か包帯だらけなことに気づいた。
「かけろよ。ミヅキちゃんで悩んでるんだろ。俺にはわかるからな。…ダチ、だからな!」
最後に少しニヤッとするカズシ。俺はミヅキが書いた数字を、そのままスマホに入力した。手が震えていた。かかった。そっと耳に当てた。呼び出す音が、何回も繰り返される。
何度目の繰り返しだっただろうか。ガチャ、と、呼び出しが終わる音がした。
『…………はい』
俺は思わず、あ、と呟いた。包帯だらけのカズシが、目の前でニヤニヤしていた。
【れんごうかいのぜろのさん おわり】
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