12.見捨てていかないよね
たどり着いた尾根上の木立に、すでにコウの他数名が身を潜めていた。
怪我人もおり、血の匂いが立ち込めている。悪いと思いながらも、ユズは袖で鼻を覆わずにいられなかった。
「こっち、おいで」
腹ばいでライフルを構えていたコウが手招きした。
彼は、尾根の最も高くなったところから谷を見下ろしていた。すぐそばに低木が茂っているため、長身の彼の下半身は都合、茂みに突っ込まれている。
身を屈めて彼に並ぶと、涼風が通った。血の臭いも和らぐ。気遣ってくれたのだ。
首を伸ばし、ユズも谷の様子を窺った。
過去に土砂崩れがあったとみえ、谷の中ほどは白々と土が露出していた。木はほとんど生えていないが、大人の背丈を越える高さの岩が重なり合うように転がっており、岩陰を伝って近付く狩人の姿が時折見えた。それへ目掛け、ここより低い尾根線やコウのライフルから銃弾が飛ばされる。
「あの人たち、どこから来てるの?」
コウが無言でそっと指差した。
彼が示す先に目を凝らせると、谷を挟んだ向かいの尾根の岩陰に蠢く姿があった。さらに差し出された双眼鏡を覗き、ユズは言葉を失った。
「なに、あれ」
草や木の枝を被せて周囲に溶け込ませた大きな筒状の物があった。
「最新の対城砦用砲台のようだな。地郷公安部銃器部ご自慢の秘蔵っ子だ」
鼻先で笑うコウだが、ユズは震えが止まらなかった。砲は、この尾根を狙っている。威力の程は知らないが、尾根ごと吹き飛ばすつもりだということは予測できた。
「逃げなきゃ、やられちゃうじゃない」
「それがな。あれの狙いはどうやら、俺たちよりも」
クイと、立てた親指が尾根伝いにしばらく下った方を示した。あの桜だ。狩人は、桜がカゲの墓標であり精神的な支えだと知った上で、尾根ごと吹き飛ばすつもりなのか。
「あれだったら、本気出したテゥアータ人に勝てるのかな」
隣で、少年が誰にともなく問うた。
現在は隠蔽されている話だが、ユズも幼いとき近所の老人から聞いたことがある。八十年ほど前の地郷とテゥアータ国の戦いの折、地郷南部にあった兵器工場が、たった二名のテゥアータ人によって跡形もなく破壊されたというのだ。
現実にテゥアータ人がどれほどの力をもっているのか、見たことはない。テゥアータ人は、地郷内で力を使えないらしい。
そもそも、とユズは口元へ手を当てた。
学問所でも、テゥアータ国がどこにあるのか、どのような形をしているのか教わることはない。教室に掛けられている地図は、地郷のものだ。東から南にかけて海岸線があり、北と西は連なる山々で終わっている。ミカドのおわす地聖町を取り囲むように四つの町があり、町を囲むように村がある。ただ、それだけを世界の全てかのように教わるのだった。
対城砦用とコウは言ったが、在り処の分からないテゥアータの城へ、どうやって攻め入るつもりなのか。民に知らせていないだけで、ミカドや地郷政府はあらゆることを把握しているのか。
それとも、知らぬまま、憎しみの高まりをただ形にしているのか。そのために、民から吸い取った税をつぎ込んでいるのか。
町では、誰もそのようなことを気に留めない。言われるままに、不平を漏らしながらも税を納め、日々の暮らしを営む。
(兄さんは、気が付いてしまったんだ)
どうする、というマサキの声に、ユズは現実に引き戻された。背後の茂み越しに、時折争う音がする。
「本隊はすでに奴らの横に向かっている。こっちは、陽動だ。出来るだけ注意をひきつけて、目標を反らせ、時間を稼ぐ」
頷き、移動しようとしたマサキが何かに躓いた。彼の足元を見て、ユズは悲鳴をあげた。
全身血にまみれた男が横たわっていた。すでに息がない。マサキも顔を顰めた。
「やられたのか」
「ああ。レンの治療があれば助かったかもしれない」
コウの呟きは苦かった。
「レンさんは、どうして」
おずおずと聞くと、コウが重く頷いた。
「娘夫婦をダシに、脅されたんだ」
「娘さんたちは」
マサキの問いに、別の男が答えた。
「無事保護したと連絡がありましたよ。北に逃がす手はずが整っているそうです」
「レンさんは」
躊躇しながらのマサキの問いにも、その男は事務的に答えた。
「すでに捕らえてあります。こちらへ連れてくるよう、指示がありました」
「そう、か」
沈痛の表情で、マサキは手にした拳銃をみやった。まーくん、と呼びかけた声は、労わりに満ちていた。
「辛かったら、代わってもらったっていいんだぞ」
マサキは浅く笑った。軽くコウの鳶色の頭を叩く。
「レンさんは俺の管轄だ。最期まで責任もって対処する」
その会話が聞こえていないはずはない。しかし、少年は無言で、辺りの見張りを続けていた。
コウに呼ばれると、少年はすぐ反応した。
「下でカラクリ氏が作業している。もうじき完成と思うが、手伝って来い」
了解、と返答し、少年は斜面を下っていった。
「ユズちゃんは、まだ走れる?」
場にそぐわない柔らかい口調で笑いかけられた。大丈夫、と答えると、次にコウはマサキを見上げた。
「まーくん、足は? ハー坊抱えて走るくらい、いけそう?」
肯定し、マサキは怪訝そうに眉を寄せた。
「ハヤトを、何故」
「んじゃ、決まり。ここは俺とカラクリ氏の作品に任せて、まーくんは皆を連れて山頂に避難しろ」
「コウ」
「頼むよ」
コウは、ライフルへ銃弾を装填する手を止めない。あるだけの銃の弾数を確認し、腹ばいのまま手の届く範囲に並べていく。
「コウ!」
マサキに肩をつかまれ、コウが呻いた。ハッとしたマサキが、茂みを持ち上げた。
「そういう、ことだから」
悪戯っぽく片目を瞑るコウは、両足に被弾していた。腰の辺りもぐっしょりと赤く濡れ、腹ばいで上体を起こすのも、丸めた上着を腹の下に当ててようやく射撃可能な体勢を保っているのだった。
顔色が悪いのは、月明かりのせいではなかった。
「被害を最小限にする。それが、カゲの信条だろ。ここは俺と、カラクリ氏の装置で引き受ける」
「でも、それじゃ、コウは。マサキさん、まさか見捨てていかないよね?」
顧みたマサキは無言で、ただ拳を固めていた。
そこへ、ハヤトと分厚い眼鏡をかけた小男が尾根を登ってきた。
小男が無言で、線のついた小さな装置をコウへ渡した。線の先は、彼らが来た方向に長く続いていた。
「ハー坊、お疲れ」
笑顔でコウが手招く。なんの疑問も抱かず少年はコウの隣に寝そべった。
「どう、あっちは」
訊きながら、少年はコウと同じ高さから尾根向こうを透かし見た。その肩へ、コウはさり気なく腕を回した。
「本隊も手間取っているようだな。砲台の準備はあと数分だろう。ハー坊」
なに、と振り向く少年の口と鼻に、コウは素早く湿った布を押し当てた。肩にまわしていた手で後頭部を掴み、もがき逃れようとするのを肘で押さえ込む。
足を踏み出しそうになったユズの前を、腕が遮った。
眼鏡の男が悄然と首を横に振る。
同じように口を開きかけたマサキにも、袖を引いて首を振って見せた。
やがて、少年は目を閉じ、ぐったりと眠った。
「耐性がついてきたな。強く、なった」
流れる汗を拭うこともせず、コウは少年の頭を、本来の姿を隠す鬘を優しく撫でた。
「時間がない。マサキ、全員を撤退させろ」
喉を詰まらせ、マサキは立ちすくんでいた。
彼がコウを説得することを、ユズは期待した。握った拳に、じっとり汗が滲む。
茂み越しに、トリの囀りが上がった。
「ほら、あっちも片がついた。急げ」
コウがライフルを構えた。もう振り返らない。強い意志が滲み出ていた。
マサキの腕が上がった。人差し指と中指を軽く唇に当てる。囀りに似た指笛に、その場に居たカゲが振り返った。
「全員、即時撤退」
マサキの抑えた声が、しかし仲間全員に届くよう発せられた。
「ユズさんも、みんなに続いて」
言いながら、マサキは薬で眠らされている少年を背負った。
前に回した手首を合わせて手巾で固定し、腰に巻いていた縄を少年の太腿の下に回して腹の前で結んだ。
通りかかった女が、ユズを促した。茂みのあちらこちらを揺らし姿を現したカゲが、数名ずつ固まって山頂目指して走った。
マサキが上着から予備の弾倉を出し、コウの脇に置いた。
「時間を稼げ。必ず迎えに来る」
「無理はするなよ」
言いながら、コウは目の前に並んだ銃の一つ、愛用の拳銃をしばらく見つめた。
「謝っといて。約束、守れない」
「生きて戻れば果たせる」
そうだな、と言った声は、笑っていた。石や枝を利用してライフルをあるだけ固定し、カラクリ氏の装置を確認する。
「そろそろ始める。マサキ」
走れ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます