11.舞い人を舐めないで

 防弾用だろうか。分厚い上着を身に着けたコウの肩口からは、ライフルの銃口が斜めに突き出ていた。


「ユズちゃんは、あっちの戸から出て右へ行け。ぐるぐる眼鏡の無口な男がいるから、そいつと逃げろ」

「え、なに」


 辺りへ視線を彷徨わせる。すでに少年とマサキの姿はない。コウの腕が脇を支えてくれる。よろめきながら立ち上がったとき、遠くで銃声がした。

 狩人の襲撃。連れてこられた道中の血塗られた光景を思い出し、眩暈がした。


「急いで」


 廊下へ押し出された。言われたとおり、戸口から出ようとして迷う。


(え、どっち)


 憔悴して、言われた戸口がどれか分からなくなった。

 えい、と思って開けた扉の外には、出迎える人影もなければ誰かが待っている様子もない。

 狼狽える間にも、空を切る音がした。カツリと外壁に矢が突き立つ。ユズの家に刺さっていたものと同じ、狩人の矢だ。

 足がすくんだ。次の矢が迫る。鏃は真っ直ぐユズに向かっていた。


(いやだ)


 死にたくない。しかし、体が動かない。


 カン、と軽い音がした。腕をつかまれ、下方に引かれた。逆らう余力もなく、そのまま側の草の茂みへ突っ伏した。


「ねぇちゃん、大丈夫か」


 生意気な口調は、紛れもなく少年のものだった。乱れた栗毛の間から透かし見ると、いつもの固い髪の鬘をつけた少年が、短刀を逆手に持ったまま色付きのゴーグルを額へ押し上げてニヤリと笑った。金の瞳が、月明かりに煌く。


 咄嗟に身を引いてしまった。まずかったかと思いなおしたが、少年はわずかに眉を上げただけだった。


「大丈夫なの」


 恐る恐る問うと、彼は頷いた。


「ねぇちゃんが気付いてくれたから、ぎりぎりで間に合った感じ。変だと思ったから、夕方のうちに薬草噛んでたし。吐きやすいように」


 屈託なく笑うが、額には薄っすらと冷たい汗が浮かんでいた。地面を踏む足も、よく見ると細かく震えている。


「分かってたんなら、飲まなかったら良かったじゃない」


 眉を顰めるユズに、少年はわずかに表情を曇らせた。どこか寂しげな目に、不覚にもユズは吸い込まれそうになった。


「まあね。俺が甘かった。けどさ」

 スッと視線をそらせ、少年は襟元へ手をかけた。

「レンを、信じたかった」


 懸命に兄の看病をしてくれた優しい眼差し。少年にとっては、毒慣らしの薬を調合してもらうほど信頼をよせていたレンだ。

 裏切られた心の傷は、いかほどだろうか。それでも、少年は力強くユズの顔を覗き込んだ。


「ここで死にたい? それとも、舞い人に戻れなくても生きたい?」

「死にたく、ないよ」


 よし、と少年はゴーグルを下ろした。


「じゃあ、俺についてきて。気になってこっちに来てよかった。ねぇちゃん焦って別の戸口から出ちゃったから、カラクリ氏も困ってたよ」

「カラクリ氏って」


 聞き返したが、少年はすでに走り始めていた。

 コウの言った「ぐるぐる眼鏡」のことかと、ユズは草を掻き分ける少年の数歩後を追った。



 後方からは、断続的に争う音が続く。

 生きた心地がしないままユズは少年を追った。岩陰を回り、木立の間の細い道を走り、時に幹に身体を張り付けて何者かの気配が立ち去るまで息を詰めた。

 尾根を越え斜面を下ると、せせらぎが聞こえてきた。木立を透かし、青白い月光が明るい。


「一息に渡るよ」


 少年が対岸の茂みを指差した。注意深く辺りを窺い、短い合図を送る。

 岩の裏を回るように石を蹴って走った。横を走る少年が舌打ちする。


「行って」


 軽く背を押された。直後、刃を切り結ぶ音が響く。


 足を止めるつもりはなかった。しかし、気をとられたとき、大き目の石か何かを踏んでバランスを崩した。多々良を踏むと、横から男が襲い掛かってきた。太い腕が、ぬっと迫る。


 腹にぶつかるものがあった。

 盛大に石の上に尻餅をつき、痛みに呻く。同時に、ユズの脇を滑る小さな影があった。

 滑る勢いを利用して丸めた身体を回転させ、止まったときに少年は両足を地面につけていた。即座に膝を伸ばし、男へ飛び掛る。


 男の拳が唸りを上げた。少年は避けようとせず、短刀を突き出す。


「ハヤ」


 思わず叫んでいた。

 少年の体が吹き飛ぶのと、男の額に赤く血が散るのと、どちらが先だったかユズには分からない。


 少年は宙で身体を捻り、足から着地を試みる。

 が、下りた瞬間、がくりと前のめりに手をついた。肩で大きく息をしている。こめかみに当てた手の下で、ゴーグルのレンズが軽い音をたてて崩れ落ちた。


 露になった金色の瞳に、男がわずかにたじろいだ。引きつりながら、口の端を引き上げ、だみ声で笑った。


「こりゃ、いい土産だ」


 舌なめずりする卑下た笑いに、ユズはぞっとした。しかし少年は、ゴーグルを石の上に投げ捨て、青ざめながらも不敵に笑い返す。


「こりゃ、生きて帰すわけにいかねぇな」


 本当に彼は十歳の子供なのか。


 ユズは目を疑った。自分よりはるかに大きな荒くれ者を前に、堂々と立っている。じりじりと足を移動させているのは、万が一男の攻撃を外してもユズに危害が及ばないように、そして隙を突かれて矛先が向かわないようにとの配慮だろう。

 ユズを無事に逃がす。そのために、どんな相手にも臆すことなく立ち向かわなければならない。与えられた任務を命がけでこなそうとする地郷公安部員を彷彿させられた。


 もし少年の色が地球人種のものだったら。 


 胸中を掠めた思いは、男の唸り声に遮られた。


「面白れぇ」


 男の太い指が、少年の喉を狙った。

 最小限の動きで避けると、果敢に男の懐へと飛び込む。薙いだ短刀は確かに男の脇を捉えたが、切れたのは服だけだった。布の切れ目から厚い皮製の胴衣が覗く。


 すばやく距離をとった少年が、軽く咳き込んだ。その一瞬が、致命的だった。男の爪が少年の頬を掠める。足元の均衡を崩し、少年の体が揺らいだ。


「もらった」


 襟元を掴まれ、小さな体が岩の窪みに押し付けられた。

 煌く刃が男の鼻先で弧を描くが、届かない。優位になった男は片手で短刀をもぎ取った。

 手首が可動域を超えて曲がり、嫌な音がした。

 少年は両手で男の手を解こうとするが、力が足りない。

 近付く男の目に指を突きたてようとするのも、かわされた。体格の差が少年を追い詰める。


「大人しくしやがれ」


 男の拳が容赦なく振り落とされた。

 鈍い音に、ユズは耳を塞いだ。


 呻いたのは男だった。少年の足が、男の腹を蹴りこんでいた。それでも襟元の手は緩まない。

 白目を血走らせた男が、腰の短刀を抜いた。


「生け捕りは、やめだ」


 ぎらりと光る刃先を振りかざされても、少年は男を睨みつけていた。そのことが、さらに男の殺意に油を注ぐ。


「蛮族が」


 吐き捨てた言葉と共に刃が振り下ろされた。

 響く自分の悲鳴も、別のどこかから聞こえるようだった。恐ろしさに瞼を下ろす筋肉も麻痺している。

 ユズはいっそ、失神してしまいたかった。


 乾いた音が鼓膜を震わせた。


 男が目を見開く。頭部に一点、どす黒い銃創が開いた。


 ゆっくりと刃先が下がる。

 少年が身をよじった。岩肌に沿って崩れ落ちる彼の頭上で、刃が岩に当たり固く鳴る。


「すまない。遅くなった」


 マサキの銃口からは、まだ細く硝煙が上がっていた。

 岩と男の身体に押し挟まれる格好で、少年が目を細く開け、弱々しく笑った。


「おせぇよ」


 倒れた男の骸は、少年の下半身を下敷きにしていた。肉付きのよい骸をマサキが持ち上げるが、太腿の傷がまだ痛むのだろう。苦戦していた。

 手伝おうと思ったが、こぼれんばかりに見開かれた死体の目玉を見ると近寄れなかった。

 少年は、どうにか自力で這い出た。マサキの助けで立ち上がる。


 無傷な方の手が、強くマサキの袖を握った。


 さすがに怖かったのだ、とユズは思った。足元の石を睨みつけるようにして涙を堪えている少年の姿が、途端にか細く見えた。


 マサキはしゃがんで少年と目の高さをあわせると、銃を持たない手で頭を撫でた。


「よく耐えた」


 ユズは呆然と、少年の傷の具合を診るマサキをみやった。左手に握られた銃は、彼の体の一部かのようにしっくり馴染んでいる。


(殺すことだって、できるんだ)


 たった一発の銃弾で。一筋の迷いもなく。

 少年を傷つけるものに容赦はしない。


「手首は、折れてはいないな」


 安堵したマサキが、上着から別のゴーグルを出し、少年の頭に載せた。

 不満そうに口をもごもごさせゴーグルのベルトを調節する少年が、ふと口の中のものを手に吐き出した。

 途端に半べそをかく。


「マサ、歯が折れちゃった」

「見せてみろ」


 手の中の白い欠片と開けた少年の口の中を確認して、マサキは頬を緩めた。


「子供の歯が抜けたんだ。動いて痛いって言ってただろ」

「ほんと? 生えてくる?」

「ああ。安心しろ」


 目を細めるマサキは、完全に父親の顔だ。


 他のカゲと狩人が争う音は、遠くから近くから聞こえてくる。その中で交わされるほのぼのとしたやりとりに、ユズの強張りが緩んだ。


「で、どこに逃げればいいの」


 自力で立ち上がると、マサキが厳しい表情で頷いた。


「もう一走りする。平気か」


 ユズは掌で自分の太腿を叩いた。


「脚力には自信あるわよ。舞い人を舐めないで」

「頼もしいな」


 マサキが少年を振り返った。


「危急の事態に限り、発砲を許可する」

「了解」

「手首は大丈夫か」


 少年はホルスターから自分の銃を抜いた。男に捻られた右手に持ち、軽く揺らす。顔を顰め、左に持ち替えた。

 マサキが頷く。自分は右手に銃を移し、ユズの右側についた。左後ろへ少年が回りこむ。


「行くか」


 背後で、居たぞ、と声があがった。

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