8.ずるいじゃない

 兄に対する罵詈雑言を吐き出し、支離滅裂に泣き喚くと、残ったのはただ、優しすぎた兄が死んだという事実だった。


「そういえば、兄さんを埋めたところって」


 洟をすすりながら問うと、マサキは目の前の尾根を指差してひとつクシャミをした。


「あそこの、こちらに枝を張り出している木の根元だ」


 藍色の夜空を背景に、一本の大木が細かな枝を広げていた。こちらから見えるのは木の上部のみで、太い幹の根元は尾根の向こう側に黒々と消えている。

 寄っていくと言えば、マサキは無言で頷き案内してくれた。


「立派な木ね」

「桜だ。おそらく、我々の祖先が保管していた遺伝子から再生させた初期のものだろう」


 よく見ると、肥えた月に照らされた枝先が僅かに丸みを帯びている。風は冷たいが、木は春の気配をいち早く感じ取って芽吹きの準備をしている。

 根元の地面へ、マサキが掌を当てた。


「ダイチさんだけじゃない。ここには、他にも大切な人たちが眠っている」


 ユズも、彼に倣って土に触れてみた。枯れ草の葉の先が、ちくちくと刺さる。地面はほんのりと湿った温もりを持っていた。

 振り返ると、根元からなだらかに下る斜面が月光に照らされ、一面青白く輝いていた。時折風に吹かれた草の葉が、銀のさざ波を立てる。


「舞っていい? 本当は、兄さんに見てもらいたかったんだ」

「創生の舞を?」


 首を傾げるマサキに、ユズは少し考えた後微笑み、借りていた上着を脱いだ。


「あの舞の中に、『桜舞』って場面があるのを知ってるかな。祖先が、懸命の努力の末地球人種を生み出し、桜や米や、いろんな故郷の植物を再生させた喜びを表した舞」

「まさに、この桜のことだな」


 そう、と頷き、上着をマサキに預けた。斜面の中ほどに平らになった部分を見つけて立つ。


 右足の膝を曲げ、左足を斜め前に伸ばす。右腕を真っ直ぐ天へ上げ、左手は胸元へ添えた。


 舞台では楽師が奏でる曲を、小さく口ずさむ。下ろした右腕で、宙へ弧を描く。

 身に着けていないはずの衣装の柔らかな袖がひるがえるのが、ユズには見えた。楽の音が耳の奥に蘇る。合間に、手首と足首につける鈴の澄んだ音色も混じる。軽やかに地面へ降り立ち、回転する。


 長い旅の末、再び降り立った星は変わり果てていた。陸地の多くは海に没し、大地は乾き、見慣れぬ植物が細々と育つばかり。

 その有様を悲しんだミカドは、カミに助言を求めた。

 祖先たちと研究を重ね、苦労の末、最初の桜の苗がテゥアータの土地に根を張る。祖先の故郷を象徴する、心のよりどころとも言える花が、小さな花を咲かせる。

 喜びに満ちた祖先たちの中でミカドが静かにカミへ感謝を述べる。


 ユズのしなやかな腕が、脚が時に軽やかに、時に力強く物語を紡いでいった。


 ミカドの居城前の広場を埋める大衆の中に兄が居ると信じて舞った。晴れの舞台を、兄は見に行くと手紙で約束してくれた。

 しかし、彼は居なかった。

 狩人が私設学問所を襲撃したのは、式典の前夜だった。


 人は死ぬと、川を渡って別の世界へ行くという。そこからは、生きている者の世界を垣間見ることができるという。


 兄は、見てくれているだろうか。ミカドのためでも、観衆のためでもなく、ただ兄のためだけに舞っている妹の姿を、今。


 両の掌底と親指、小指の先を触れ合わせ、両手を器のように丸めて天へ掲げる。ミカドへ知恵と繁栄を授けるカミに感謝を捧げる姿を表していると言われた。楽の最後の音がしじまへ溶けていく。

 フッと、意識が冬の夜気を鮮明に受け止めた。舞い人からユズへ変わる瞬間。


(終わってしまった)


 腕を下ろしながら、充足した悦びと寂しさが入り混じる想いが胸を流れていくのをゆっくりと味わう。舞を終える度に感じる気持ちが、ユズは好きでもあり、嫌いでもあった。


 しかし今は、満足が勝っていた。胸の内に温かいものが点り、自然と唇に笑みが浮かぶ。出来栄えを気にすることなく、思いのまま舞うことが出来たのは、一座に入門する以前ぶりではないだろうか。清々しささえ感じられた。


 この場で追悼の意味をこめて『桜舞』が出来たことに対して礼を述べようとして、ユズは開きかけた口を閉じた。


 放心したようにこちらを見ているマサキの目の下が、月明かりではっきりと分かるほどに濡れていた。彼の唇が、初めてユズの素顔を見たときと同じ動きをした。


「マサキ、さん?」


 恐る恐る声をかけると、彼は身体を震わせ、焦点をユズに合わせた。


「素晴らしい、舞だった」

「ほんとうに見てた? 心がどっかに行っていた様子だけど」


 責めるように上目遣いで睨むと、案の定、彼は正直にうろたえた。


「あ、まあ、途中から昔を思い出して」

「サクラ、を?」


 唇の動きから読み取った音を並べると、図星だったようだ。マサキは一文字に結んだ口の下で喉仏をはっきりと上下させた。

 そうだ、と短く肯定し、大木を見上げた。


「サクラを、見ているようだった。外見が似ているからとかじゃない。彼女の強さを、舞の動きから見たような気がした。彼女の、優しさも」


 下瞼を越えて流れ落ちそうになる滴を、マサキは慌てたようにシャツの袖で拭った。奥歯を噛み締めているのだろう、頬に力が入っている。


 全身で悲しみを堪えている様を見ているのは、たとえ反逆者の姿であろうと胸が締め付けられた。

 心の底から愛していた相手に違いない。ハヤトに注がれる眼差しからも、今同じ名を持つ大木の枝を見上げる瞳からも、それは十分に伝わってきた。


 ユズはそっと、自分の髪のひと房を指に取り眺めた。

 亡くした愛する人を彷彿させる、緩やかな栗色の毛。自分の存在は、彼の古傷を抉り続けているのではないだろうか。


(そんなの、関係ないじゃない。彼はカゲなんだから。反逆者なんだから、苦しめばいいんだ)


 くしゃりと、指に絡んだ栗毛を握りつぶした。


「泣けば、いいじゃない」

 ユズはわざとおどけた様に肩を大きくすくめて見せた。

「私には思い切り泣かせておきながら、自分は我慢するの? ずるいじゃない」


 マサキは目元と鼻先を赤らめながら苦笑した。


「遅くなる。戻ろう」


 促され、彼の足が向かうのは山の高みだ。町ではない。口の中が苦くなった。

 俯いた心中を察したのだろう。マサキは、舞の間ずっと手に持っていた上着をユズの肩へ再び掛けた。


「ほとぼりが冷めたら、町に戻れる。俺たちは元から、そのつもりだ。信じるも信じないも勝手だが、とりあえず安心な場所での休息が必要だろう」

「どうして」


 言いかけ、ユズは止めた。マサキが聞き返してきたが、なんでもないと首を振って自ら斜面を登った。


 どうして貴方は、人のことばかり気に掛けているんですか。


 飲み込んだ問いが、ぐるぐると心の中を回り続けた。


(これじゃ、憎めないじゃない)


 舞のときからはかけ離れた乱暴な足取りで闇雲に坂を上る。マサキは黙って、その後ろについてくるばかりだった。


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