7.泣いてなんか、ないわよ

 数日帰らなかっただけなのに、地聖ちせい町の片隅にある一座の本部は、余所余所しくユズを見下ろしていた。

 表口は当然ながら鍵がかかっていた。塀を乗り越え、どこか鍵をかけ忘れたところがないかと建物を回ってみた。


 裏手に行くと、囁き声が聞こえた。

 振付師兼恋人の懐かしい声に、ユズの胸が高鳴った。彼はよく、遅くまで事務的な仕事をしていた。ここに泊まることもあった。


 彼に今までのことを話し、地郷ちさと公安部へ情報を提供してカゲの隠れ家を潰してもらおう。それで全て片が付く。


 勇んで駆け出そうとする直前に、別の声が聞こえた。


「えー。嫌ですよ、あの人の代わりとか」


 いやらしい含み笑いの主に心当たりがあった。ユズの次に創生の舞の舞い人候補にあがっていた後輩だ。少し先の草が揺れた。


「そうじゃないよ。ユズなんかよりずっと、君のほうが魅力的だ」

「またまたぁ」


 如何わしいことが行われている気配に、ユズは吐き気を堪えながらそっと後退した。


(なんなの)


 稽古の後、甘く囁き、優しく労ってくれた振付師との思い出が全て、汚らわしいものに変わっていった。

 ユズを見つめた眼差しも、与えられた悦びも全て、嘘だったのか。所詮彼が愛していたのは「地郷一の舞い人」であって、ユズ個人ではなかったのか。


 ブルリと身体を震わせ、かじかんでもない手を擦り合わせた。


 気が付けば、使っていた借家の近くへ来ていた。地聖町に出て五年間住み続けている。壁板の隙間から虫が入り込むボロ屋だ。もっと綺麗で安い借家はないかと常に思っている。そんな家でも無性に愛おしさがこみ上げ、足を速めた。

 最後の角を曲がったユズは、身を竦ませた。


(そんな)


 借家の扉といわず壁といわず、黒々と墨で蔑みの言葉が書きなぐられていた。そして、その中で白く浮かぶ一本の矢。

 狩人からの、殺戮予告。


 背後で砂利が鳴った。

 振り返ると、卑下た形相の男が二人、立ちはだかっていた。


「いいとこの坊ちゃんが、こんな時間にどうした」


 濁った三白眼に全身を見つめられ、男装していることを思い出した。彼らはユズの全身を観察した。身なりから、どれだけの金額を取れるか値踏みしているようだ。しかし、ユズは今、少しの金も持っていなかった。

 震えながら後退るが、数歩で塀に阻まれる。迫る男の太い腕に襟首を掴まれた。


「大人しく金を出しな」


 凄まれるが、無いものは出せない。奥歯がかみ合わさらず、ただ首を横に振るしかできなかった。


「無いとは言わせんぞ」


 もう一人の男の手が、ユズの身体を探り始めた。財布を隠していそうな上着の胸ポケットを探った男が手を止めた。


「こいつ」

「どうした」


 相方の問いに、男はユズのズボンのベルトを緩め、手を突っ込んだ。咄嗟に女性としての悲鳴が漏れ出た。


「女だ」

「そりゃいい」


 たちまち獣と化した男が、ユズの両手首を掴んで捻り上げた。体を押し付け、壁との間にユズを挟み、下半身を擦り付けてくる。

 迫る男の顔から目をそむけ、奥歯を食いしばった。


 しかし、覚悟したものは一向に触れてこない。恐る恐る目を開けると、ずるりと男の体が滑り落ちた。


「ひ」


 白目をむいた醜い顔が遮っていた視野が開けると、そこにマサキが立っていた。


「すまない。大丈夫か」


 勝手な行動を責めることなく、逆に謝られては、どう言っていいのか分からなくなった。


「はあ」


 間抜けな返事しか出てこない。

 マサキは失神した男二人を彼らの上着で縛ると、ユズの様子を確認して目を反らせた。


「あ」


 慌ててユズが男に緩められたズボンを直す間、明らかなぎこちなさで知らぬ振りをしているマサキの背中へ、こっそり拳を振り上げた。


「戻りたいのか」


 マサキの目は、憎しみをぶつけられた哀れな家に向いていた。


「もちろんよ。ここには無理でも、別の町ならもう大丈夫じゃない? これだけのことをしたら十分でしょ」


 拳を胸元に抱えた。震える顎で、道端に転がされた男を示す。


「こいつらも倒したし」


 マサキは、足元に伸びた二人を一瞥した。


「ただのゴロツキだ。狩人は、こんなものじゃない」


 帰るぞ、と腕をとられた。その後も、逃走を試みたユズを責めようとしない。もしかして、とユズは小走りにマサキの隣へ並んだ。


「店からずっと付いてきてた?」


 顔半分だけ高い位置から、茶色い目が穏やかに頷いた。


「またしばらく、町に出してやれないからな」


 町の中心を避け、人影の絶えた夜道を歩いた。

 五年前、科研町から地聖町に出てきたときに比べ、空き地が増えた。そのひとつに差し掛かった途端、マサキは足を止め、反転した。


「道を変えよう」


 狩人かと、ユズは怖いもの見たさで彼の背後を覗き込んだ。

 月夜に照らされた草地から、三、四本の柱が突っ立っていた。ごつごつとしている。目を凝らし、ユズは口元を覆った。


「見せないようにと思ったのだが」


 マサキの手が、背中を摩ってくれる。

 柱ではなかった。見せしめに張り付けにされた罪人たちの骸だった。小さな子供らしきものもあった。もし風がユズたちへと吹いていたら、もっと早くに臭いで分かっただろう。


「だい、じょうぶよ。あんなの、初めてじゃないし」


 町の広場で、空き地で、荷車が行き交う大通りで。一月に数回は、見せしめが行われていた。罪人の多くは謀反を起こしたものとその家族と、相場が決まっている。


(あのまま連行されていたら)


 舞の後、死体の身元確認を口実に地郷公安本部員に従っていたら、今頃ユズも、ダイチとすり替えられた誰かの遺体と共にどこかで晒されていたのか。

 震える肩を、マサキに引き寄せられた。


「すまない。もっと早くに気付くべきだった」


 ユズは無言で、きつく歯を食いしばった。 



 村を抜け、山に入ったところでようやく男装解除の許可が下りた。

 きつかった鬘を取り、結った髪を解いた。整髪油は使っていないので、紐を外すと栗毛は揺れながら背へ落ちる。


 晒された罪人を見たショックも和らぎ、冴え渡る月の光を美しいと感じられるまでになっていた。

 ひときわ強い風がユズの栗毛を揺さぶっていった。汗ばんだ頭皮が冷やされる。ユズは上腕を抱えた。


「寒いのか」


 立ち止まったマサキが、上着を脱いでユズの肩へ被せた。


「いいの?」

「慣れている」


 そのまま振り返りもせず先を行く後ろ姿は、傷の癒えない足をかばっているのか、僅かに重心が左右にぶれていた。

 ユズの勝手な行動が引き起こした傷だ。心の中で謝罪し、遠慮しながらも上着の袖へ腕を通した。


(大きいなぁ)


 上着の上に重ねて尚、肩と袖が余る。


 ちらりと、先を行く背中を見上げた。傾斜がきつい箇所は足への負担を軽減させるためか、側の幹や岩の角に手をかけ、腕で体を引き上げている。盛り上がる背や肩の線に、ユズの視線は吸い寄せられた。


 マサキは、地球人種の成人男性として背が高いほうではない。全体的にがっちりしたタイプで、特に肩や腕は筋肉がついていそうだ。

 狩人に追われ枝の上に身を隠したとき、ユズが落ちないよう支えていた腕の感じを思い出しながら、シャツ越しの肩の線を目でなぞる。


(強いだけあるな。いい体してそう)


「どうした?」


 さすがに視線を感じたか、怪訝な顔でマサキが振り返った。


「な、なんでもない」


 慌てて足を速めた。

 かじかんだ手をポケットへ入れると、指先に角ばったものが触れた。


「これ、どうしたの?」


 怒りに任せてフウカの部屋に置いてきたとばかり思っていた、指輪の箱だった。


「フウカさんから受け取ってきた」


 振り返りもせず答えるマサキに、ユズは深い息を吐いた。


「そうね。あんたたちが持っているのが、一番かも」

「そんなに重要な箱だったのか?」


 首を傾げるマサキに、ユズは取り出した紙を広げた。千切れた部分をそのままに、差し出した。


「フウカが言うには、重要なのは指輪じゃないって。こっちを、私に託したかったんじゃないか、て」


 月明かりで紙面を透かし見たマサキの表情が、たちまち険しくなった。


「これは」

「兄は成人してなかったと思う。空から降ってきたのを、覚えてる。私も拾ったけど、親に言われて全部捨てた。まさか、後生大事にしまってるなんてね。バカみたい」


 心底呆れ肩をすくめようとしたが、上手くいかなかった。

 紙を凝視したマサキの手が、細かく震えている。


「ほら、やっぱり寒いんじゃない。上着返すよ」


 しかし、上着を脱ぐことができなかった。

 マサキが、袖口で目元を擦った。僅かな嗚咽の間で、誰かに呼びかけるのを聞いた気がした。

 丁寧に、愛しそうに文書を畳む指先を、ユズは黙って目で追った。


 顔を上げたマサキは、目元を赤くしながらも普段の顔に戻っていた。


「ダイチさんの心を動かしたのが、この文書だったのか」


 頷いてから、ユズは首を傾げた。フウカが話した内容を、何故この男が知っているのか、訝しんだ。


「フウカから、聞いたの?」


 マサキは否定し、ユズの首元へ手を伸ばした。節の目立つ指が、優しく横の髪を持ち上げるように耳の後ろの方へ回る。真っ直ぐユズに向けられる茶色の瞳に落ちた物悲しげな影に、不本意にもドキリとさせられた。


 シャツの襟元が動いた。再びユズの視野へ入ったその指に、薄い板状の物が挟まれていた。


「手先の器用な仲間がいてね」

「盗聴、器?」


 誇らしい顔で頷くマサキに、ユズはがっくりと肩を落とし、そしてそんな自分に驚いた。


(何を、期待していたんだろう)


 一方のマサキは、下心など繊維一筋ほども持っていない様子で歩き始めた。


「ユズさんは、『創生の舞』の役割を知っていたのか?」


 ずきりと痛みが胸を貫いた。


『僕は、ユズがあの舞で皆に嘘を広める役割をさせられるのは嫌なんだ』


 去年、一座を通して届けられた兄からの手紙。彼の近況には全く触れず、稽古に励むユズを労う言葉が並び、最後にそれが綴られていた。即座に暖炉の火の中へ投げ捨てたのに、内容は脳裏に焼きついて離れない。


「知ってた。当然じゃない」


 あれは、識字率の低い地郷の民に、ミカドの偉大さとテゥアータ人の卑劣さを教え込むためのものだ。永い宇宙からの旅の末、この星に帰還し、『方舟』で運んだ遺伝子から今日の地球人種の繁栄をもたらした祖先を崇め、彼らを率いたミカドを讃える物語を舞に表現している。

 果たして物語は史実なのか、議論すら禁じられている。そうなれば逆に、真相は火を見るより明らかだ。

 握った拳が震えた。マサキを遮り、ユズは顔を上げた。


「だからって、どうしたら良かった? この地郷上に芸術的な舞は『創生の舞』しかないんだよ? 好きなことを極めるのがいけないことだった?」

「いや、そういうことじゃ……」

「知ってる。テゥアータ人がそんなに悪い人じゃないって事だって知ってる。だけど、変な力持っているのは気持ち悪い」


 異議を唱えようとするマサキの前で、大きく腕を振った。


 ずっと閉じ込めていた思いが溢れ出した。頭をもたげる度に見なかったことにして、封じ込めてきた考え。さもなければ親に叱られたし、地郷公安部に逮捕される恐れもあった。

 しかし、一度堰を切ると、流れは止めようがなかった。僅かに眉を潜めながらユズの感情の爆発にうろたえるマサキの姿を見ていると苛立ちが募り、芋づる式に言葉が出てきた。


「変だなって思ったことは何度もあったよ。でも、あんた達と違うの。全てを捨てて、親の考えに子供まで巻き込んで、大きな力に逆らって。そんな力、あるわけない。だったら、何も疑わずにいた方が楽じゃない。何も考えずに流れに身をまかせて、その中で出来るだけ平穏に生きるしか、限られた中で幸せを掴むしかないじゃない」


 吐き捨てると、いくらか胸が軽くなった。肩で大きく息をしながら、ユズは乱れた栗毛を掻きあげた。

 白い息が次第に小さくなっていった。乾いた喉に唾を押し込む。


「そうやって折角手に入れたのに。兄さんのせいで全部台無しよ。なのに、なんで私が責められなきゃいけないの」

「責めているわけでは」


 キッと睨むと、マサキはそれ以上言わず俯いた。


「どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの。バカなことをしでかしたのは兄さんなのに。上級教員なんて、誰もがなれるものじゃないのよ。選ばれて、素質があって。私だってなれてたら、舞を諦めれたかもしれない。不本意だとしても、それなりに妻子も居て。恵まれた生活して。それを全部投げ捨てて、花街の女との間に子供まで作って、正規の教本に従わない教育を広めて。やったのは兄さんであって私じゃないのに。どうして、私までその罰に巻き込まれなきゃいけないの」


 強く噛みすぎた唇から、血の味がした。


「戻れるものなら、戻りたい。舞い人として戻れなくても、普通の町の民でもいいよ」

「今は、堪えてくれ」


 眉間に皺を刻み、苦悩するような顔をされると、ユズは治まりかけた感情が再び荒ぶり、胸の奥が熱を帯びたのを感じた。しかしその前に、マサキからハンカチを差し出された。


「泣きたいなら、気が済むまで泣けばいい」

「なんで、あんたの前で泣かなきゃいけないわけ。泣いてなんか、ないわよ」


 一陣の風が、濡れた頬の冷たさを際立たせた。すでに、涙は幾筋もの流れを作っていた。


「違うから」


 むしゃくしゃとハンカチで顔を拭った。堰を切った涙腺が、新たな涙を放出させる。ぼろぼろと泣き崩れるユズを見る目が哀れみを含み、それがまた、怒りを呼んで涙を押し出した。


「どうして、ぼーっと見てるの」

「じゃあ、俺はその尾根を越えた辺りで」


 去りかけた背を、ユズはむんずと掴んだ。彼の「前」では、絶対に泣きたくない。


「こんなところで女一人で泣いてるとか、様にもならないじゃない」


 固い背中へ額を押し付けると、微かな土の匂いがした。体温がほのかに伝わってくる。

 幼いとき縋りついた兄の背より、心持ち広かった。

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