5.テゥアータ人の力でも借りたのかしら
コウの手の中で、磨かれた部品が次々に合わさる。分解した順に並べられた部品を、逆に辿りながら取り、正しい場所へ嵌める。その動作は迷いがなく滑らかだった。
その様子を、天板に組んだ腕へ顔の下半分を埋めるようにしてハヤトが見つめている。ただそれだけの、静かな夕暮れだった。
最後の部品が収まった。
持ち上げられる銃に、ハヤトの顔がついていく。そわそわと目で追う仕草は、どこか昔の飼いネコを思い出させた。
弾倉が空なのを確認した後、コウは窓の辺りを狙って引き金を引く。カチリと撃鉄が下りた。
「撃ってみる?」
目の前に差し出された黒光りする銃把に、ユズは椅子に腰掛けたまま可能な限り身を引いた。
「触ったこともないし」
「だったら尚のこと、どう?」
にこにこと言われては断りにくかった。俺にと連発するハヤトを差し置いて勧められるのも気持ちがいい。退屈だったのもあり、恐る恐る手を出した。
両手に載せられた銃は、ずしりと重かった。銃に疎いユズにも、これがかなり手の加えられた特別なものだと分かる。
コウの動作を思い出しながら右手に持ち肘を伸ばすが、到底支えきれる重さではなかった。横に立ったコウが、左手で下から銃把を支える持ち方に直してくれる。
「ゆっくり引いて」
徐々に人差し指へ力をこめる。しかし、容易に引き金は動かない。
思い切って力を入れた途端、がくりと動き、撃鉄が下ろされた。
「あーあ。へたくそ」
机に寝そべるようにしながら、ハヤトが歯を見せた。だが、コウは目を細めると軽くユズの背を叩いた。
「構えたときの姿勢がいい。さすが一流の舞い人だね」
「そ、そう」
いいのは姿勢だけ。
やはり、銃を扱うことに向いていないのだろう。扱えるようになりたいと思っていないが、それでも気落ちするには十分な言葉だった。
コウへ銃を返すと、ハヤトが椅子の座面に立つ勢いで身体を伸ばした。
「次、俺。ね、カラでいいから撃たせて」
ネコというより、イヌか。ユズは密かに頷いた。小さな尻の上で千切れんばかりに振られている尻尾が見える気がした。
コウは微笑み、大きな手を少年の頭へ置いた。
「もっと大きくなってからな」
「もう大きいよ。ほら」
広げられた手は、ほっそりと小さかった。合わせられたコウの手の三分の二ほどしかない。
現実を見せ付けられ、ハヤトは頬を膨らませて再び机に伏せた。
「つまんないよ。飛ばないし弱いし」
不服そうに腰から取り出したのは、町のちょっとした用具店にも置いてある簡易拳銃だ。「小さなお子さんでも弾を入れて引き金を引くだけでテゥアータ対策ができる」といううたい文句で売られている。学問所の、地郷公安部員を目指す子供を集めたクラスで教員が推奨するのがこの銃だ。
空になった飲み物の器を指先で弄り、ハヤとはぐねぐねと駄々をこね続けた。コウが笑う。
「ちゃんと大きくなったら、この銃はハー坊にやるよ」
「ほんと」
ぴょこんとハヤトが頭を上げた。
ほら、とユズはまたしてもイヌの幻想を重ねた。耳をぴんと立て、舌を出し、尻尾を激しく振っている。へっへという荒い息遣いまで聞こえてきそうだった。
ユズの脳内映像を知る由もないコウが、少年の頭をグリグリ撫でた。
「約束する」
そのまま、両手で顔を挟み込むように撫でまわし、徐々に手を移動させた。体のあちらこちらをくすぐられ、ハヤトは身をよじって笑い転げた。
「ふひゃ。ちょ、やめやめやめっ」
笑いすぎて、椅子からずり落ち床の上で受け身をとりながらも笑い転げる。しまいには上手く息が吸えなくなり、腹を抱えたままひぃひぃとうずくまった。
「わー、ハー坊、ごめん!」
ユズは呆れたように息をついた。
反逆者たちは、常に緊張感を持っているものだと思っていた。隙あらばミカドを貶める嘘を流布し、善良な民をたぶらかし、狩人や地郷公安部に対抗すべく争いを持ちかける。それが、ユズが抱いていた印象だ。
こうして見ていると、町の一般的な家庭となんら変わりがない。それどころか、ユズの育った家庭環境と比べると格段に穏やかだ。密かに憧れていた家庭像とも重なる。
なんとなくむしゃくしゃして、ユズは水を汲みに立った。器が見当たらず、ハヤトの前にある器へ手を伸ばした。
「これ、使っていい?」
数日前に彼が自分で割ってから、「ハヤト専用」と指名された器だ。
指先が器に到達する前に、コウの手が遮る。
「待ってて。洗ってあるのがあるから」
「それでいいよ。洗う手間も省けるし。他のみんなは特に決まってないんでしょ」
しかしコウは、やんわり笑って頑として譲らなかった。棚から別の器を出すと、ユズの手に載せた。
「ハー坊のは、特別なんだ」
「て、この前自分で割ったんじゃない」
ねぇ、と皮肉を込めて少年を見下ろすと、彼はムッと細い頬を膨らませた。しかしすぐにニヤリとすると、弄んでいた器を差し出した。
「使ってみれば。命の保障はしないよ」
挑発するのを、コウが厳しく遮る。
ハヤトの言葉に引っかかりを覚え、ユズは露骨に眉を顰めた。気付いたコウが太い息を吐く。
「ハー坊がいつも飲んでいるのには、希釈した毒を混ぜている」
「え」
「狩人は、刃物や鏃に毒を多用する。耐性をつけるために、レンに調合してもらった薬を混ぜているんだ。今の濃度だと、ユズちゃんはしばらく寝込まなきゃいけなくなる」
毎日痣が出来るほど容赦ない訓練。体術、射撃、短刀の鍛錬に加え、毒物への対応。
カゲはそこまでして、幼い子供に戦闘の英才教育を施しているのかと、背筋が冷えた。
さすがにそれを口にすれば命の危険が予測され、しかし何か言わない限り気持ちが収まらず、ユズは震える声を絞り出した。
「だから、背が伸びないんじゃない?」
「うっせぇ」
つかみかかろうとするハヤトを、コウが慌てて抱え込んだ。
「ユズちゃん、それ言っちゃダメ」
「離せよ。くそ。ふらふら踊るばっかりで何もできないくせに」
舞について悪く言われたからには、黙っていられない。
「あら、なに。あんたなんか、一人じゃどこにも行けないんでしょ」
「な」
「聞いたわよ。どこに行くにも、誰かと一緒だって」
「それはなぁ……ふご」
「はいはい、兄弟喧嘩は終わり」
コウの大きな手に口を塞がれ、ハヤトはじたばたと顔を振った。
マサキに続き、コウにまで「兄弟」扱いされ、ユズはいい気がしない。淹れてもらった茶をゴクリと飲んで、舌を火傷した。
ふと、ハヤトが動きを止めた。虚をつかれたコウの腕から逃れ、戸口へ駆け寄った。
独特のリズムで扉が叩かれた。開いた扉から氷雨交じりの風が吹き込み、室内をたちまち冷やした。
「マサぁ、ねぇちゃんが酷いこと言う」
飛びつく勢いで迎えるハヤトに、マサキの表情が緩んだ。
不利になればすぐマサキを頼るハヤトが憎らしい。彼の甘えを受け止めるマサキやコウの態度も、理解できない。
「少し、甘やかしすぎじゃない?」
「なに、ユズちゃん、妬いてるの」
コウに笑われ、ユズは顔を熱くした。
ハヤトはマサキにまとわり付いていた。荷物の片付けを妨害されても、マサキは叱ることなく子供のしたいようにさせている。
その光景がまた、ユズを苛立たせた。
いきなり頭に圧をかけられた。コウの手に撫でられる。
「ユズちゃんだって、甘えてくれていいんだよ。全力で受け止めてあげるから」
「だから、違うって」
反論しようと振り返ったとき、コウの表情はすでに反逆者の鋭いものに変わっていた。片付けを終えたマサキへ問う。
「どうだった」
「フウカさんの居場所が分かった」
マサキがポケットから紙片を出した。
思わずユズは「もう?」と叫んでしまった。
「四万人はいるという地球人種の中からフウカを、たった数日で見つけたの? テゥアータ人の力でも借りたのかしら」
最後の一言は、完全な嫌味だった。ハヤトは口を大きく曲げたが、マサキには通じなかったらしい。
「テゥアータの力は、地郷では使えないと聞く。それに、四万人からではない。数十軒の店に絞られていた」
「どうして最初から流花だと」
「ユズさんが言ったんじゃないのか」
マサキが首を傾げた。
カゲにフウカのことを話しただろうか。
記憶を辿るが、覚えていない。額を押さえ考えていると、コウが言いにくそうに口を開いた。
「ほら、ダイチさんに、売られた女のほうが大事なら、て」
「そんなこと、言ったっけ」
記憶がぼんやりしている。死に行く兄の枕元で、確かにそう叫んだような気もする。取り乱し、何を言ったか定かでない。
「手掛かりはそれくらいしかなかったからね。助かったよ。で、どこの店」
「セイランという名で出ているらしい」
紙片に目を通したコウが驚きの声をあげた。
「青蘭。『藤紫』? 一級店だろ、ここ」
「一級店」
「高級官僚とかも利用する、一番格式が高い店だ。店員も、それなりの教養を求められる。しかも青蘭って、聞いたことがあるよ。今一番人気の娼婦だって」
早口になるコウの脇から、ハヤトが顔を覗かせた。
「ショーフって、何?」
ん、と眉をあげ、コウはしゃがんでハヤトと目の高さを近づけた。
「娼婦ってのはな、流花町で……」
「もう少し大きくなったら教えてやるから」
マサキに遮られ、コウは渋々言葉を切った。不満そうなハヤトの頭を撫でると、話に戻る。
「接触できそうなのか」
「そこは、がんばってもらうしかない」
「会えるなら、俺も会いたいなぁ」
鼻の下を伸ばし、うっとりと言うと、コウはユズの前に紙片を差し出した。
フウカ、科研町出身。青蘭、藤紫。
ぽつぽつと並んだ文字に、胸が痛んだ。
いつも優しかった近所のお姉さんフウカ。ダイチの恋人でもあった彼女が義姉になってくれたらいいと、どれだけ願っていただろう。
しかし、彼女の家は貧しかった。機械部品の金型を彫る技工士だったフウカの父が病に伏すと、たちまち子供たちを養う財力が失われた。
父親の薬代と税、弟や妹の養育費を得るため、フウカは成人するとすぐ花街に売られたと、噂では聞いていた。
(本当のことだったんだ)
当時ユズはまだ幼く、今のハヤトと同様、娼婦という言葉も、売られるということがどのようなことかも理解できなかった。
ただ、フウカの不在を寂しく思い、いつ帰ってくるのかと密かに待っていた。直後、兄が両親の勧めるまま上級教員の娘と結婚をしたときは、怒りのあまり花嫁の荷物をこっそり隠し、両親に大目玉を食らった。
『あんたはほんとうに、ろくなことをしない。あの娘と同じように売りとばしてしまうよ』
泣きながら、花街は悪いことをした人が売られる場所だと覚えた。フウカはどんな悪いことをしたのか。考えるだけでも怖かった。
黒髪をなびかせ微笑む少女の姿が思い出され、ユズは唇をかんだ。
あんなに優しかったフウカを、いつしか卑しく悪い人のように思い込んでいた。
「私も、会いたい。フウカに」
口走っていた。驚いた二組の目に注目され、ユズは慌てて掌を顔の前で振った。
「あ、いや、冗談だから。気にしないで」
「またまたユズちゃん、逃走を企てるのかな」
茶化すコウの目配せにマサキが考え深げに頷いたのを、ユズは見なかったことにした。
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