第7話 僕たちの予想を超える主人公
とは言ってみたものの、この後どうなるやら。
唐突に突きつけられた二択に彼は追いつけていなかった。『夢を超えた夢』、『エクレツェアの鍵』。太一という名前だった彼はキシヨと呼ばれるようになったが、太一である前からキシヨだった。
意味の分からぬ単語、意味の分からぬネタばらし。何一つ彼の思考と噛み合っていなかった。
思わず殴る。
コーデルは眉一つ動かさなかったが、その場にいた女性二人は容赦ない拳に思わず言葉を失った。
よしきの唇横から赤い血が流れる。
瞬間の彼の目は恐ろしく冷たいように感じた。しかし、それは客観的に見たものであり、その視線を向けられていたキシヨもしくは太一に限ってはどことない母性を感じていた。
スミレとミーティアは思った。よしきはキレた、と。しかし、予想を裏切って彼は満足そうに顎をしゃくれて口角を上げると人差し指で血を拭った。傷跡すら残さずに。
よしきは尋ねる。
「で、どっちを名乗るつもりだ?」
痛烈な言葉だ。耳が痛いわけではない、あまりにも重い選択肢だからだ。今の彼には名前がないのだ。選択を迫られているのだから当たり前だが、それがいかにありえないことか。
彼はずっと己がキシヨだと思っていた。しかし、そのずっと前から己を太一だと思っている。だが、よしき曰く己はそのさらに前からキシヨだと。
どっちが本物だ? どっちが偽物だ? 疑いようのない事実に明らかな矛盾。確実にどちらかでしかない彼にとって、この二者択一は無茶が過ぎる。
彼には容易に選ぶことなど決してできなかった。
「太一だよ。俺は」
……。予想を、大きく裏切ってくれるねぇ、君はぁ……
● なぜだ?
「俺はキシヨの友達だ。あいつの名前を語ったらあいつの帰ってくる場所がないだろうが」
いかにも、その通りだ。
よしきが尋ねる。
「お前は何が知りたい?」
「わかってるだろ! 俺とあいつが入れ替わっていた事についてだ!」
「わからんなぁ、あいつって誰だ?」
よしきはあくまでとぼけてみせる。苛立った太一は力を込めて、
「俺ときし……! き、き!」
心から焦る。キシヨという単語が出てこない。目の前のよしきの顔を見るとニヤリと笑っていた。彼の左手は掲げられ、何かを握りこんでいる。
「お前は誰だっけなぁ」
「俺はたい……」
よしきの問いかけに応えるべく太一は己の名前を言おうとしたが、よしきの左手も右手と同じく掲げられ、何かを握りこんでいる。
どうやら、太一の言いたい言葉を握りこんでいるようだった。
「おらあぁあ!」
太一はよしきの両手を握りしめ、無理やりに開いて見せた。
「太一は俺だ! キシヨはどこだ! お前は一体何を知っている!」
ミーティアは太一の腕を見てその凄まじさに驚く。
「めちゃくちゃ力入ってるっすよ! よしきさんの腕が折れちゃうっす!」
「太一! やめて!」
スミレも思わず駆け寄るが、その前に太一を止めた強い声が。
「やめなさい、太一!」
威厳ある女性の声。部屋の外から聞こえたその声は、太一に聞き覚えのあるものだった。その方を見やる。
「マリ様」
太一は息を飲んだ。目の前には端正な顔立ちの女性、いや少女が普段着慣れない水色のドレスを着て一層美しい姿。
彼は連れ去られたこの女性を助けるためにこの世界に来たのだ。無事、救出した今、彼女はすでに自分の世界に帰っているものだと思い込んでいた。
唖然として手を離すことすら忘れた太一にマリは近づいて、
「離しなさいー!」
と、彼の左ほほを強くつねった。痛みのあまり両手を離す。
太一はほほを引かれながら涙を浮かべつつ、
「マリ様、なぜここに!」
「あんたが心配だからでしょう! 早速こんなことしでかして! 謝りなさい!」
しかし、ここで一つの疑問が生まれる。
太一は彼女の両肩を持つと、
「マリ様! 私がキシヨではなくて太一であることに気がついているのですか!」
マリは向き直った太一の右ほほまでつねりながら、
「当たり前でしょ! 1年前から知っててたわよ!」
「どうして?」
太一がそう尋ねるとマリは難しそうな顔をして両ほほから手を離した。
場が滞ったところでスミレとミーティアがよしきを問い詰めはじめる。
「どういうことなの!」
「どういうことっすか!」
よしきは二人を両手で押さえると、
「まあまあまあまあ、これは話すと長くなるから。コーデル、二人に話しておいてくれ。俺はマリと太一に説明することがある」
すると彼はマリと太一に呼びかけて、
「行くぞ、とっておきの場所へ案内してやる」
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