第34話 秋-7

 秋祭りは、正式には新嘗祭(にいなめさい)と呼ばれる、秋の実りとそれをもたらした天帝(あまのみかど)に感謝する祭りだ。毎年第一、第二、第三城塞都市、そして帝都中央にて、一週間ずつずらして行われている。帝都中央で行われる新嘗大祭では、この日だけは一般市民であっても帝にお目見えが叶うとあって、人出は最大のものとなる。

 それとは比べものにはならないが、第二城塞都市の秋祭りも大勢の人で賑わっていた。駅から商店街へと続く通りには出店も現れ、神社までの道のりは人でうめつくされている。

 神社は、駅から続く大通りを下った先の、山の頂に造られている。過去、未だ各地で戦が続いていた時代に、神――天帝(あまのみかど)が城塞であったこの街を加護するために創ったと言われる宝具が収められた、大きな社だ。普段は宮司以外の立ち入りを制限されている。しかしこの秋祭りの日だけは貴賎の堺なく参拝を許され、人々は天帝の加護にあやかろうと列をなす。

 そんな物、ぼくにとってはどうでもいいんだけどね。と玻璃は呟く。

 駅前の広場は、通りとさして変わりなく人でごった返していた。あちこちで射的や甘味やくじ引きの出店が、客引きの声を上げる。それに続く歓声、嬌声。子どものはしゃぐ声。女の笑い。男が誰かを呼ばう大声。

 玻璃は、雪千代とはぐれないように何度も傍らへ視線をやっている。相変わらずの黒の外套に、黒の学帽。秋の日はまだ暖かく、どこであっても目立つその装い。しかし、今は瞬き一つの間で人波へ飲まれるように思えてしまう。

 繋ごうとした手は、「子どもじゃない」のひと言ですげなく断られてしまった。むくれる玻璃へ、雪千代は少しだけ困ったように眉を下げたが、結局並んで歩くだけだった。

 ふたりは今、学徒警察として見回りの任に当たっている。秋祭りは、誰にとってもそうであるように、学生にとっても魅力的な祭りであった。友と、地方から訪れた家族と、またひっそりと交際する相手と。それぞれが、それぞれの感情を携えて街へ出ていた。

 事件や事故へ対応するのは、軍の役目である。しかし、こんな日には人手はありすぎて困るということは無い。

 日は高く、今までの規則性から起こりはしないであろうが。人の多さから『殺人鬼』の出没も危惧されていた。

 でも。玻璃は胸中で溜息を吐く。

 ふた月前に女学生が殺されたのを最後に、殺人鬼はぱったりとその姿を消していた。殺されたのは、玻璃にも見覚えのある少女だった。ひと月と少しとはいえ、ずっとその行動を見守っていた少女の死は、少なからず玻璃に動揺を与えた。

 それ以来、実篤は殺人鬼の捜査にかかりっきりのようであった。最後に会ったのは、少女の遺体が発見された裏通りでのことだった。立派な体躯であっても威圧感を覚えたことのなかった実篤に、玻璃はその時だけ、どうしても声を掛けることができなかった。

 その時から、よく訪問を受ける宇木那でさえも姿を見ていない、とのことだった。

 そして雪千代とも別行動が増えていた。授業時間中の待機場所である温室にも、三雲の庵にも、気まぐれな癖毛は姿を見せない。玻璃が探しまわってもどこにもいない癖に、定時の見回りや、休み時間にはきっちりと現れる。玻璃が問い詰めても、雪千代はついに居場所を明かすことはなかった。話しかけても生返事ばかりで、まともに話す時間もなくなっていた。

 今日こそは、ちゃんと話をしたい。祭りの見回りで、一日行動を共にする、今日だけは。そう玻璃は思っていた。

 はた、と玻璃は立ち止まった。傍らに、烏羽色の姿は無い。

「どこ」と呟き、玻璃は辺りを見回した。人の流れは、一人が立ち止まった程度では止まらない。笑い、囁き、驚き、話す人々の顔。掴み、繋ぎ、組む人々の腕。青、緑、赤の着物の色。色と表情と音の洪水の中に、黒ずくめの姿が流される。

 人を掻き分け、玻璃は走った。ぶつかられた程度では、もはや人々は気にしない。ごめんなさい、通して。おざなりに謝罪しながら、玻璃はようやっと雪千代の袖を掴んだ。

「雪千代」

 心配したが、振り払われはしなかった。ほっと胸を撫で下ろす玻璃を、どこかぼんやりとした視線で雪千代が見る。

「どうした」

「どうした、って……」

 君こそどうしたの、という言葉を、玻璃はどうしてか飲み込んでしまった。問いかけた言葉が、そのまま雪千代の体調を決定してしまうような、そんな不安がよぎったのだ。

 なんでもない、とゆるりと頭を振る玻璃へ、雪千代は「そうか」とだけ言った。

「こうして二人で出かけるのも久し振りだね」

 袖を掴んだまま、玻璃はなんでもない振りを続ける。厚い布地は、指先だけではすぐに逃げてしまいそうになる。人にぶつかられ、流されそうになりながら、意識を指先に集める。

「そうだな」

 雪千代は、玻璃に横顔だけを見せている。黒い眼鏡のつるが、尖った猫目をちらちらと隠す。

「最近、何してたの?」

 ざわめきの中で聞こえていないのか、雪千代は沈黙している。ねえ、と玻璃が袖を引いて、やっとちらりと視線が向けられた。

「……色々と」

 再度の問いかけの答えは、判然としないものだった。

「色々って、なあに」

「それは、色々、だよ」

 もう、と玻璃は唇を尖らせた。

 人の流れの中を歩き通して、着物の崩れが気になる。髪も、乱れてしまっている。そこに差した白い薔薇が、まだきちんと花弁を揃えていられているのかも、わからない。

 でもそれよりも、一度も正面から雪千代の顔を見られていないことが、玻璃には気がかりだった。

 久方ぶりに会った雪千代は、こんな人だったか。こんなに、存在が希薄だったろうか。人混みで、すぐに見失ってしまうかのような。こんな。

「――手紙を」

 手紙? と玻璃は首を傾げる。雪千代の声が、遠い。袖をつかめるほど近くにいるのに、声が届かない。

「なあに?」と玻璃が問いかけるのと、耳をつんざく悲鳴が上がったのは、同時だった。

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