第26話 晩夏-2
「殺人鬼のことだ」
「何かわかったのか?」
石畳の道を下っていくと、家屋は途切れ幾本もの線路が入り乱れる踏切へ至る。今は丁度駅へ入るものも駅から出るものもいないらしく、見張りの駅員がぼんやりと立っているだけだった。軽く制帽を上げ会釈する駅員に、同じく軍帽のつばに触れ、実篤が返礼した。
殺人鬼は、第二城塞都市に巣食う悪夢だ。二年前の、まだ寒さも抜けきっていない春に現れた『それ』は、まず裏街で働く女給を殺した。それから若い旅人を。その次に老婦人を。初めこそそれぞれ別の事件とされていた人殺しは、殺しの手口から人々の間、そして軍関係者の中で関連付けられ。そうしていつの間にか『殺人鬼』と名付けられ、ひと月からふた月の間隔を開けながら今まで人を殺し続けている。殺す相手は子どもも老人も、男も女も関係無い。ただ全員が、日が沈んでから外を歩いていたというだけで、全身を刺され、長く苦しんだ末に亡くなっていた。
第二城塞都市旅団は総力を上げ、犯人の捜索に当たっている。しかし、現在に至るまで目ぼしい成果は上がっていなかった。
「公には、まだしていないのだが」
実篤が声を落とす。歩みは止めず、しかし一度言葉は切られる。
二人が越えた踏切の先は、中央駅の表側だ。遠くあったはずの喧騒と熱気が、徐々に近く大きくなる。実際は己から近付いているのではあるが、人々が大挙して押し寄せてくるような錯覚を得てしまう。
中央駅前は相変わらず人で賑わっていた。旅人、客引き、人待ち、暇つぶし。一人であったり二人であったり、それ以上であったり。顔見知りや、見知らぬ物同士。各々が、各々の相手に好き勝手に撒き散らす言葉たちが、人と同じくらい――それ以上の密度で群れている。
「凶器がわかったのだ」
実篤の言葉は低く抑えられ、群衆のざわめきに揉まれる。それでいて、宇木那の耳へは明瞭に届いていた。
「背に鋸刃のついた、短刀だ」
「そんなものがあるのか?」
宇木那が知っている限り、短刀は刀と同じく直線的な見目をしていた。鋸刃は、その名の通りノコギリの刃としてしか見たことがない。
「ある」
宇木那の問いへ、実篤は断言した。
「一度だけ、見たことがある」
「珍しいものなのか」
「ああ」
首肯。駅前の広場を真っ直ぐに抜けていく二人の間を、子どもたちが駆け抜けていく。甲高い笑い声を躱し、宇木那は視線で実篤に先を促した。
「南方の島々の、限られた場所でしか作られていない」
船乗りが、普段は小刀として使い、緊急時に背の鋸刃で縄や板を切るのだ。と実篤は言った。
「簡単に手に入れられるものではないと」
「そうだ。手に入れるには、その島に行くしかない。手に入れても、用途は限られている」
好んで手に入れようとする者は少数だろう。実篤の言葉が、馬車の車輪の音にかき乱される。馬の蹄が土を踏み鳴らす。
乾いた土埃をくぐり抜け、二人は駅前の大通りへと向かっていく。人の流れは、そちらへ行くものと駅へ戻るもの、二つが交じり合い複雑な渦を描いている。
「君は、その鋸刃の短刀をどこで見たんだ?」
「以前、少しだけ東方に赴任していたことがある」
実篤は、護帝高等学校の出だ。護帝高等学校を出た男子は、その時点で尉三位を与えられ、数年で血や汗を流す側ではなく、それらを管理する側となるのが通例だ。それでも、一度は地方の部隊に着任し、現場を体験することになっている。――実篤は、尉一位となっても血を流す側であろうとする変わり者ではあったが。
「同じ隊ではあっても、班は違ったから、親しいわけではなかった。きっかけは忘れたが、見回りの相方が病欠したせいだったか」
宇木那は、その点については聞き流した。
「ともかく、見回りで一度だけ組んだ男が休憩時に磨いていたのだ。背に、鋸刃のある短刀を」
珍しいものだったから、見ても良いか尋ねたのを覚えている。そう続けた実篤は、懐かしげに頬を緩めていた。
「彼の生まれた島で作られたものだ、と教えてくれた。とてもよく手入れされた、柄に複雑な紋様が彫られたものだった」
「……君は」
宇木那の杖の先が、硬質な音を立てた。地面が、石畳に変わったのだ。
「その彼が殺人鬼だと思うのか?」
「……わからない」
実篤は、しずかに頭を振る。
しばし、二人は人の流れに身を任せたまま、進んだ。宿の客引きは、軍人という明らかに宿を必要としていない実篤とその連れに声は掛けない。客引きに声を掛けられ立ち止まる旅人を避け、また宿から散策に繰り出す人々と合流しながら、石畳の上を歩んでいく。
「……先日の、殺人鬼の被害者は二人だった、ということは宇木那も知っているな」
「ああ」
「これも伏せられているのだが……一人はいつも通り、腹を複数回刺されていた。だがもう一人は、背後から首を掻き切られていたのだ」
鮮やかなものだったよ、と実篤は溜息混じりに続けた。感嘆に近い、悲しみの息だ。
「背後から息を潜め近付き、気付かれる間も無く殺す。ためらいも無い鮮やかな手に、俺は覚えがある」
「彼か」
「ああ」
首肯。同調するように、宇木那も頷いた。
街並みは旅籠から、商店へと変わっている。喫茶店や食堂から、撒き餌のように声が投げかけられる。釣られ、流れから離れていく者がいる中、二人は変わらず歩み続ける。
「この情報は、軍の内部でも一部にしか伝えられていない。俺が知ったのも、偶然上官が話しているのを立ち聞いてしまったからなのだ」
「三雲は?」
「あいつのことだ。知っているだろう。知っていて、俺には黙っている」
三雲の考えはわかりかねるが、と実篤は前置きする。
「俺が知れば、公にしようと上へ訴えるからかもしれない」
「……するのか?」
「したい」
はっきり言うなぁ、と宇木那は苦笑と共に呟いた。それが君の美点だ、とはわざわざ口に出さず、胸にしまう。
「情報は、開示して共有してこそ真価を発揮する。だが、今は凶器の情報だけを出してもむやみに人々を疑心暗鬼にさせるだけだ。持つ者が限られている道具だと言って、犯人『だけ』が持っているとは限らない」
「そうだな」
一杯どうだい、と居酒屋の男が宇木那へ声を張るが、愛想笑いと共に横に振られる手を前に先は続けない。
「実を言うと、軍はふた月ほど前から我々の中に目星をつけているようなのだ。『行動は必ず二人一組でするように』とのお達しが出ている」
休暇時もそうするように、という徹底ぶりだ。と続けた実篤の顔を、宇木那は言葉の意味を咀嚼すると同時に勢い良く見上げた。
「君、それじゃあ今こうしてるのはよくないんじゃ」
「宇木那は軍関係者だ。規則違反にはなっていない」
「そういうものか?」
訝しげに首をひねる宇木那へ、実篤はそういうものだ、と念を押すように続けた。
「もし軍関係者に殺人鬼がいたのだとしたら、きっと内密に処理される」
それは嫌だ、と実篤は口に出してはいない。いないが、彼個人の正義と照らし合わせ、許容できないのだろうな、と宇木那は感じ取っていた。
「残された者のために、また殺された者のために、『殺人鬼』は公に裁かれなければならない。内々で処理して、黙することなど、できない」
思いは、宇木那も同じだった。
宇木那は、軍の持つ大義や正義がわからない。天帝(あまのみかど)の統べる国の、天帝の臣民を守る事が正義であると言いながら、時に民衆を騙し、苦しめる。そういう姿を見てきた宇木那にとって、軍とは二枚舌の詐欺師にすぎない。
だからこそ、だろうか。その中で軍と、上官と意見を違えようとも、己の正義を貫こうとする実篤の姿が。とても好ましく思えた。
実篤がこういう男だからこそ、彼が軍に属していようとも宇木那は彼に惹かれるのだ。
「その彼の名は」
「笹ヶ根(ささがね)――笹ヶ根一砂(いっさ)。今は知らないが、当時は曹一位だった」
出立する汽車のものだろうか。遠くで、空を切り裂き一際高く警笛が鳴った。
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