第25話 晩夏-1
護帝陸軍第二城塞都市旅団の駐屯所は、第二城塞都市中央駅の裏手に建てられている。中央駅と似た、赤い煉瓦で造られた三階建てだ。横に広く、いくつかの窓には鉄格子がはまっている。この街で起きた事件の犯人を一時的に拘束し、また取り調べも行うためであろう。
もう何度も訪れたことがあったが、常に威圧されているような気がして、宇木那はこの建造物が苦手だった。用事がなければ視界に入れたくもないが、いかんせん宇木那は軍に雇われているような立場であるし、この中にいる友人のことは嫌いではなかった。
手に馴染んだ仕込み杖を突きながら、手持ち無沙汰に歩く。夏も盛りのこの時期、夕刻に近づいているとは言っても気温は高い。今は緑の葉ばかりを茂らせる桜並木の木陰に入りながらでも、じっとりと染み出す汗は止められない。立ち止まり、駐屯所を囲む高い石壁と鉄柵を見上げる。日差しに焼かれながら立っているそれらも、威圧感の一因であろう。そうぼんやりと考える。
右肩に感じる存在が、気配だけで宇木那を急かす。わかったわかった、と手のひらを振りながら、宇木那は再びぬるい空気を掻き分け歩く。
「宇木那」
表門から現れた人物は、横合いから歩み寄った宇木那の姿にわずかに驚いたような表情を見せた。宇木那は杖を持っていない方の手を軽く挙げる。
「学校が休みだと暇なんだ」散歩してた、と実篤の隣に並び、宇木那は言った。
「時間ができたから、少し見回りを」君は、と問う宇木那に実篤は答える。
焼けつく午後の日差しの中であっても、実篤は軍服の詰襟を首元まできっちりと閉めている。額に汗が浮いているものの、その凛とした佇まいは変わらない。腰に差した刀に手を添えながら、背筋を伸ばし歩く。
「いつも付いてくる、彼は?」
「円井か?」
そう、その子。頷く宇木那は、実篤の表情に何かを迷うような影が差すのを見た。
「円井尉三には、別件があるから」
その後に続く言葉は、口の中で転がすように発声されたため聞き取れなかった。わざわざ聞き返すこともなく、宇木那は「そうか」とだけ言った。
しばしの沈黙。二人は他に人の居ない、建物が落とす影だけがやけに鮮やかな石畳を、駅に向かい歩いていた。軍の敷地の外ではあるが、駅の裏手とあって周囲には商店などの目立つ建物は無い。あるのは木造の古い家屋や、くすんだ漆喰壁の蔵程度だ。時たま、ほとんど家屋と見分けの付かない食堂が顔を出すが、それも一、二軒だ。
密集した家屋に阻まれ、空気が停滞している。日に焼かれ、蒸した空気はけだるく通りに満ちていた。粘性の高い空気を掻き分けるようにして、宇木那は隣の実篤と歩調を合わせ、歩く。
訓練中なのだろうか。遠くで太い声がこだまのように響いている。
唐突に実篤は立ち止まった。二、三歩足を進め、宇木那も立ち止まる。
表戸を固く閉ざした古い家々の間。傾く日差しの中、俯いた実篤の表情は軍帽の陰にしばし隠される。
「すまない。実はおまえに会いに行こうと思っていたんだ」
円井尉三は、禍津者が苦手だから。一息に告白した実篤は、ひと時だけ顔を上げた。言ってはいけないことを言ってしまった、とその表情が語っていた。腰の愛刀に添えられた手はそのままに、片手が口元を覆い隠す。泳ぐ視線が、宇木那の首元や石畳の境目を往復する。
実篤は、常ならば言葉を交わす時には、相手にしっかりと視線を据える男だ。読みやすい動揺。宇木那は、彷徨う視線が落ち着くのを黙して待った。
やがて恐る恐る、と言った様子で実篤は宇木那を見た。
自分の言葉で相手が傷ついたのではないか、と。実篤の実直な瞳は危惧していた。実篤が語ったのは、自分のものではない、他人の感情である。実篤自身に早々どうこうできるものではない。己が勤務中にも関わらず、見回りを装って出てきた理由も、黙って秘することもできたはずだ。彼は、それら全てを隠しきることができず語ってしまった。ひとえにそれは、実篤の何もかもをつまびらかにする性質ゆえのことだった。
彼が腰に差した刀のように、まっすぐで堅い男なのだ。
宇木那はただ、ふっと口元だけで笑った。
「そうか。何か話したいことでも?」
偶然を装ってはいたが、自分も実篤に会いに行ったのだ。とは言わなかった。
「ああ……」
言い淀む間。その表情には未だ陰が差している。
注目、と言う代わりに、宇木那は石畳を一度だけ、杖で柔らかく突いた。ささやかな、硬い音。
「君も知っての通り、私の『大禍津日』は穢れと浄化を司る禍津日だ。私はその加護を受けているから、私に話すだけでも少しは楽になれると思う」
右肩の存在が、そうだそうだと言った所の意思を実篤に向けているのを、宇木那は感じた。左右に揺れながらの自己主張は、実篤には見えていない。それでも構うことなく、大禍津日は実体のない柔らかな身体を揺らしている。
「……あまり、人に聞かれたくはないことなんだ」
「じゃあ、三雲のとこに邪魔するか」
「いや、」
三雲にも、あまり。歯切れ悪く言う実篤の視線は、まださまよっている。右肩の大禍津日の揺れが、一層激しくなる。
「それなら、このまま歩きながら話そうか」
その三雲に頼まれて来たのだ、とはおくびにも出さず。宇木那はくるりと杖を回した。ついでに右肩の上に手を添え、震え続ける大禍津日を諌める。
「一所に留まるよりも、聞かれにくいだろ。人にも、『蜘蛛』にも」
「宇木那が、それでよければ」
聞いて欲しい、と続けた実篤の視線は、ようやっと宇木那の瞳に定まった。
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