第21話 夏-12

「全部てめえの仕業だったのか」

 道すがら、不機嫌を隠そうともしない足取りと無言を振りまいていた雪千代は、三雲の座敷に上がるなりそう叫んだ。その後ろについた玻璃は、自身の草履と少年の長靴(ブーツ)を揃え、座敷へ上がる。

「そうだ。今更だろ?」

 淡く黄色掛かった電灯の下、三雲は相変わらずちらりとも顔を上げない。書き付けを続ける手元の速度は昼間と変わらず、積み上げられた紙束だけがその量を変えている。

「今考えりゃちゃんちゃらおかしいぜ。『殺人鬼』がこんなちんちくりんのガキなわけねーんだよ」

 座布団も敷かず、少年は畳に直接あぐらで座り込んだ。着たままの外套が背後の畳に流れ、小枝に止まる鳥の尾羽根のように広がった。

 片隅に積まれた座布団を手に、玻璃はむっと眉を寄せた。

「なんだよ。年だって背だって、きみと同じくらいじゃないか」

「背はおれの方が上だ」

 ふん、とそっぽを向く少年。玻璃は手に取りかけた二枚目を山に戻し、少年から人一人分ほど離れた位置に座った。

「ねえ、ぼくが散歩したくなったのも」

「俺が仕向けた」

 そこの羊毛頭に会わせたくてな、と三雲は手を休めることなく、言葉でのみ少年を指す。ちらと見たその手元に、覚えのある小さな蜘蛛がいる。にこり、と笑む玻璃へ、その蜘蛛は糸よりも細い足を上げた。

「誰が羊毛頭だ」脱いだ学帽を膝へ置き、少年は四方八方に渦を巻く癖毛を苛立たしげに掻いた。

 ああ、確かに羊毛だ。と玻璃は言葉に出さず、頷く。脳裏では、青空の下草を食む白い家畜の姿が映しだされている。

「紹介しよう。この羊毛頭は学徒警察の雪千代だ」

「だからその羊毛頭ってやめろ!」

 雪千代が吠えるも、三雲は涼しい顔だ。

「雪千代、そこの金髪は玻璃。もう知ってると思うが、妙な目を持ってる」

「よろしく」

 一応雪千代へ顔を向け微笑んで見せるが、視線が合ったのは一瞬だけだった。三雲と玻璃を一瞥し、膝の上で頬杖をついたきり。ちらりとも見る気配はない。

 よろしく、のひと言も無いなんて、失礼なやつだ。玻璃は内心で傘を振り回しつつ、気を取り直す。

「学徒警察って?」

「これからお前に紹介しようと思っている仕事だ」

 手元の紙を新しいものと入れ替えながら、三雲は同時に口を開く。

「お前には雪千代と組んで、護帝高等学校に入ってもらう。とはいっても授業は受ける必要は無い。お前らの仕事は、生徒の監視と守護だ」

 かんしとしゅご、と語尾に疑問符をつけながら、幼子のように繰り返す玻璃。三雲の筆記は止まらない。

「あの年頃のヤツらってのは、どうにも好奇心が強すぎる。この国の将来を担う、優秀な子らにはぜひとも健やかに安全に育ってもらわねばならん」

 なんだか皮肉に聞こえるなぁ、とは思うが、玻璃は三雲の言葉を遮らない。

「まあ要はなんでもありだ。非行少年は教師に言って指導してもらえ。街のゴロツキに絡まれてたら助けてやれ」

 声には出さず、玻璃は頷く。文机から顔を上げない三雲には見えていないだろうが、その傍らの小蜘蛛は玻璃を見ている。

 横目で伺う雪千代は、すでに心得ているのだろう。三雲の話を聞き流しながら、砂壁を眺めている。

 こんな乱暴な奴に、今までこの仕事が務まっていたのだろうか。純粋に、玻璃は疑問を抱く。たとえ何か生徒が問題を抱えていても、面倒だと言って無視したり、物理的に斬って捨てたりしそうに思えるが。

 意外と面倒見が良いのだろうか。

「ああそうだ」三雲が口を開く。そうしながら、傍らのすでに書き付けを終えた紙に、新たに書き込みを加えている。

「生徒との接触はなるべく控えろ。禍津日のことも隠せ」

「なんで?」

 三雲の手が止まった。雪千代が、三白眼を四白眼近くまで見開き、玻璃を見た。

「……おまえは物を知ってるのかいないのか、わからんな」

 呆れたような、驚いたような声音。万年筆が紙面の上で踊る音は、少々の乱れの後にまた始まる。

「なんだよ」馬鹿にされているような気分になり、玻璃は唇を尖らせた。

「おまえも知ってるとは思うが、神さまってのは天帝ただ一人『ってことになっている』」

「うん。それは知ってるよ」

「だから、他の神は存在してはいけないし、まして信仰するなんてもってのほかだ。過去、天帝が名前の無い神々すべてを禍津日と呼ぶようにお達しを出したことからも、明らかだ」

「そうなの?」

 首を傾げる玻璃へ、三雲は念を押すように繰り返す。

「そうなんだよ。禍津者の存在は、本来なら極刑ものだ」

「でも、あなたも雪千代もいるよ?」

 ふ、と三雲は鼻の先だけで笑うような吐息を漏らす。

「本来なら、ってことは、実際は違うってことだよ」

 硬質な筆先が紙を掻く。硬い音は、心なしか先ほどよりも強くなっている。

「禍津日の力ってのは便利だ。軍が手駒の全てを使っても集めきれない情報を、たった一人で集めることができる。一個小隊で当たるべき反乱分子を、一人で制圧できる。……こんな便利な存在、使わないわけがない」

 玻璃は視線を向けず、隣の気配を探る。見ずとも、人馴れしない野良猫が、人間を目の前にしたような。そんな緊張を感じる。

「それに敵に禍津者がいないとも限らないしな。禍津日の信仰は、誰にだってできる。禍津日が敵になる場合だってあるしな」

「……もしかして、ぼくを雇うのって」

「表向きは、護帝高等学校学長の独断ってとこだな」

「裏は?」

 は、と三雲は単音で笑う。

「わかってんだろ?」

 ううん、と玻璃は唸った。断るつもりは毛頭ないが、存外にきな臭い仕事だったようだ。

 雪千代との邂逅が三雲の差金だったのならば、もちろんあの戦いを『見て』いたのだろう。玻璃がおぼつかないながらも、きちんと禍津者相手に戦えていた場面を。

 戦う。玻璃は静かに背中を震わせる。『引力』を起こす高揚感と、白刃を前にした緊張がよみがえる。

 ママならどう思うだろうか。ふと、鼻先をみずみずしくも柔らかい匂いがよぎったような気がして、玻璃は思いを巡らせる。

 いいんじゃないかしら。

 背中から回された、白い腕の柔さ。背に感じる重みと温もりが、つかの間玻璃を抱く。ママなら、きっとするだろう。玻璃は、気付かぬ間に込めていた肩の力を抜いた。

「いざって時は駆り出されるんだろうなぁ」

「そうだな。まあその分は報酬に上乗せされるから安心しろ」

 軍は金払いだけはいいからな。からからと笑う三雲の声を、玻璃はその時初めて耳にした。

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