第20話 夏-11

 激高。刀が閃く。どうやら別のものを意識してしまえば、他に掛けた引力は外れるようだ。なるほど、と玻璃は頷く。

 もう一度刀の引力を強めるか、と思うが、まずは肩口に振り下ろされたそれを傘で受ける。受ける瞬間、傘を押し出しながら傘と刃とが引き合う力を『反転』させる。

 ぱあん、と小気味の良い音と共に、少年が後方へとたたらを踏んだ。

 再び、少年の表情に驚愕が浮かぶ。驚きに開かれた薄い唇。視線が再度交錯し、それは瞬間で引き結ばれる。あまのじゃくな鏡のように、玻璃は己の口元が笑みに緩むのを感じる。

 弾かれた力と共に少年が後ろへと飛び退る。一歩、二歩、そこで力強く地を蹴った。飛び込む勢いの乗った突きが、玻璃の薄い腹を狙う。まるで少年に倣うように、玻璃も後ろへ跳んでいた。跳びながら、背後にある商店の扉と己の身体を『引き合わせる』。誰かに引き倒されるかのような力が全身に掛かる。玻璃は己が思うよりもずっと遠い位置へと降り立っていた。少年の切っ先は、玻璃を損なわない。

 少年は両の手で刀を正眼にかまえている。玻璃は右で日傘を構え、左手は添えるだけに留める。

 闇夜は静寂を引き寄せる。水面を揺らさず浮かぶ水鳥が、銀面の下で水を掻く泳ぎに似たひそやかさで、ふたりの呼吸が落ちる。

 夜鳥の羽ばたき。翻ったのは、漆黒の外套だ。早い、と玻璃は驚嘆するが、動きはしっかりと目で追っている。

 裾が割れるのも構わず、横ざまに跳ねる。何の因果もない商店の表戸が破砕される。飛び散る木片が玻璃を追う。木くずを割り開き、閃く銀光。左手一本で振り上げた日傘で受ける。同時、『反転』。爆ぜる金属音と共に、橙の星が生まれる。少年は反転した力の勢いに乗り、玻璃を斬りつけた動きを逆回しするように転回。その最中に腕をひねり、刃を再び玻璃へ向ける。横薙ぎに一閃。玻璃も同様、刃を弾いた傘に働いた力と共に回っている。ひるがえるのは鮮やかな袖。両の腕を添えた日傘で少年の刃を迎える。再びの邂逅が火花を散らす。花開くように、玻璃の振袖と少年の外套が広がる。三度目の打ち合いはなされない。息を合わせたように、ふたりは同時に飛び退いている。

 お互いに一歩ずつの間合いを取り、構える。跳ねる呼吸。少年の目つきは、構えた刀と同じ鋭さを保っている。

 ふ、と呼吸の狭間、玻璃は己の肩が震えるのを感じる。

「……ふふっ」

 愉快、だと思った。名前も知らぬ少年と、踊っている。実際は、向けられる殺意をいなすのに必死になっているだけなのだが、表から見れば息を合わせて舞っているようにしか見えないだろう。そう思うと、愉快でたまらない。

「あはは」

「笑ってんじゃねえよ!」

 ついに声を上げて笑いだした玻璃。少年の激高が叫びになる。

 だん、と地が踏み鳴らされた。空気が、大地が、震える。

 瞬間、吐く息が白むのを玻璃は見た。空気が、冷えている。耳が痛いほどの冷気。露出した首や腕が、凍える。

 先ほどまでとは真逆の季節へと突き落とされたような感覚。玻璃は本能に突き動かされ、とっさに後退ろうとする。

 するが、それは叶わなかった。

 足が動かない。下を向く。鼻先が冷たい。

 見下ろした先、薄い紗の着物の裾とお気に入りの草履のつま先がある。その全てに、淡い白で霞がかかっている。法則性があるようで、てんで出鱈目に筆を走らせたようでもある。飾り編(レース)に似た紋様を描くそれ。

 霜が、降りていた。

 どっ、と心臓が強く脈打った。すでに感覚を失うほどに冷えた足は、完全に凍りついている。

 動揺と共に吐き出した息がけぶる。その向こう、切っ先をこちらに向け、今まさに少年が踏み込んだ。

 逃げられない。迎え撃つしかない。

 動揺は未だ玻璃の意識を揺さぶる。それでも傘を構えた。

 次に来る衝撃を予感し、玻璃は強く目を閉じた。閉じてしまった。


『そこまで』


 ひびの入ったガラスを幾重にも重ね、その向こうから発したような。歪んだ声だった。

 恐る恐る、玻璃は瞼を上げる。斜めに構えた日傘が見える。力を込めすぎ、血の気の引いた己の手も。

 その先には、刀を構えた少年がいるはずだった。

 彼がいるはずの場所。そこにいたのは、蜘蛛だ。八つの足は長く、折りたたみ地に突いたその高さは玻璃の身長以上もある。立派な胴体は抱えきれないほどで、頭は玻璃よりも大きい。

 巨大な蜘蛛だった。

『雪千代、下がれ』

「三雲」

 呆然、といった様子の声が蜘蛛の向こう側から漏れ聞こえる。聞こえた名は、玻璃にも覚えがあった。

「……どーめきちゃん?」

 ごろり、と大蜘蛛の頭が動く。是、とでも言うかのように、玻璃へ頷きが返される。

 玻璃を正面に捉えた頭に、眼球らしきものは見えなかった。ただ影のような頭部の輪郭だけが、玻璃を見ている。

 そこで玻璃は、大蜘蛛の全身が細かく脈打っていることに気付いた。風に吹かれる森が、構成する木々のそれぞれを揺らすようなそれ。夜闇になれた目は、短時間の観察でその原因に至る。

 大蜘蛛は、豆粒よりも小さな蜘蛛が寄り集まり、作られている。玻璃にも見覚えのある小蜘蛛同士が、その足を伸ばし、繋ぎ、連なり。この巨大な蜘蛛は構築されている。それらがさざめくように、一つの声を紡いでいる。

『俺のところへ来い。説明はそこで』

 二人が返答するよりも早く、大蜘蛛は霧散した。小蜘蛛たちが繋がりを解いたのだ。夜気に溶けるように、小蜘蛛は散っていく。

 蜘蛛を追い、振り仰いだ玻璃の視線は、今にも降ってきそうな星々が連なる夜空を見上げていた。

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