第17話 夏-8
「ママは、ぼくに傘と引力をくれたよ」
「対価も無しに?」
「うん」
隠そうと思えば隠せたであろう情報を、男へ渡す。どうせ、じきに小蜘蛛が収拾するであろう情報だ。今渡したからといって、価値が損なわれるものでもないだろう。
「破格の待遇だな」
「ママは、ぼくは特別だからって」
「思い当たるフシは?」
「あることにはあるけど……」
「あるけど?」
「それは蜘蛛ちゃんから聞いて」
肩をすくめる。その情報を己の口から開示するのは、気が引けた。
「わかった」暗に言いたくない、という玻璃の主張を受け、三雲はあっさりと引く。
「おまえは目をよく使ってるようだが、引力ってのは使ったことはあるのか?」
「ううん」素直に首を横へと振り、だからよくわかんない、と付け足した。
「そうか。なら誰かと戦ったりしたこともなさそうだな」
「うん。だってぼくには目があるから」
敵は無いよ。そう言い切る。
事実、玻璃が月桂樹の君と交換した瞳は、目を合わせた人間をことごとく虜にしてきた。玻璃を厭い幽閉した二親も、忌避の目を向けた下女も、皆。そして玻璃の忠実な下僕になった。例外は無い。
無いはずだった。
ふと玻璃の脳裏を、ある少年の猫のような目がよぎる。人に――玻璃に、親しまない。野生の宿った瞳。
あれは、ただの偶然。玻璃は即座に鋭い視線の面影を打ち消す。
「そうか」
そうか、と三雲は頷きながら繰り返した。まるで何かを確認し、決定したかのような間。
「おまえについてはよくわかった。で、オレから提案だ」
「なに?」
「オレはさっき言ったとおり、情報屋ってのをやっている。まあ言葉面の通り、情報を売るのが生業だ。そのついでに、仕事の斡旋なんかもしている」
どこそこでどういうヤツを欲しがっている、ってのも情報だからな。付け加え、三雲は二枚重ねにした手元の紙の、上部の紙を脇へのけた。もう書き記すことは無い、という無言の宣言。そうしながらも、つい先程までは二枚目の紙であった、今は机上にある唯一の紙に情報を吐き出し続けている。吐き出された情報は、文字として紙面に踊る。
「おまえに合いそうな仕事についてもアテがある。今日の呼び出しの礼に、紹介してやる」
「……変な仕事じゃないよね」
「嫌なら嫌でかまわん」
訝しげな声を出しながら、玻璃は三雲の紹介を半ば受ける気でいた。上辺だけとはいえ、玻璃のことを知った男が、その情報の扱いを間違えるとは思えなかったのだ。
情報に埋もれ、情報に形を与え続ける男を、玻璃は信用した。
「その時はまた別の仕事紹介してね」
「アテがありゃな」
「ありがと」
いたずらな声音には、呆れたような軽い声が返される。えへへ、と笑いつつ、玻璃は早めの礼を告げていた。
日はまだ明るく庭を照らしているが、そろそろ行くべきだろう。玻璃は会話の切れ目から、判断する。
行くね、とだけ告げて、座布団から立ち上がった。
「ところで」
「なあに」
傘を手に、庭へと面する縁側へ踏み出しかけた玻璃を止めたのは、手紙の末尾に添えられた追伸のような三雲の疑問だった。
「さっきから言ってる『ママ』ってのは、一体どういう意味だ?」
「ぼくもよくわかんない。ママがそう呼んでっていうから呼んでるだけ」
「月桂樹の君の、愛称みたいなもんか?」
脇へのけられた紙が、手探りで机上へ戻された。ひと言ふた言が書きつけられる。おそらくは、玻璃が月桂樹の君を呼ぶ言葉が。
その紙が再び情報の群れへ放られるのを見届け、こんどこそ玻璃は庭へと降りていった。
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