第13話 夏-4

「これからどうしよっかな」

 山程のクリームが乗ったあんみつをつつきながら、玻璃はひとりごちていた。山猫亭の女将に教えてもらった、駅前で一番甘味がおいしい喫茶店でのことだ。

 第二城塞都市に来てから五日。家から持ちだした金はまだあるが、それも有限だ。微笑みひとつで何でも手に入れることはできるが、『目』にばかり頼るのもつまらない。

「なにかお仕事さがさないとなぁ」

 とは言っても、玻璃には戸籍が無い。そのため、生まれてから十四年経つが、小等学校にすら行ったことがない。文字や計算、その他細々とした知識は家の者や『ママ』に付けてもらったが、それを証明してくれる書面は無いのだ。

 ふと、脳裏に浮かんだのは一所に集まり机を並べた少女たちの姿。

「学校へ行くのもいいかもだけど」

 学費はなんとか工面出来たとしても、それにもやはり、戸籍が必要だ。それだけはどうにもごまかせない。

 ため息を吐きながら、おまけしてもらった白玉を口へと放り込む。

「かわいいだけでいっぱいお金もらえる仕事があればなぁ」

 あることにはあるだろうが、身体をひさぐのはもってのほかである。誰かに飼われる、というのもだ。

 匙を咥えたまま、行儀悪く頬杖をつく。ここには玻璃をたしなめる者は居ない。

 駅前にあるにしてはこじんまりとした店内には、四人掛けの卓が四つ、厨房に面したカウンター席が五つある。昼食の時間にはまだ早いが、席は四割程度が埋まっていた。その中を、着物に白い前掛けを掛けた女給が細々と動き回っている。

 汽車の時間を待っているのか、大荷物を傍らに置いた男。買い物途中の休憩なのか、幼い子供を連れた身なりの良い女。暇な時間を潰しているのだろうか、新聞紙を片手にカウンターに掛ける老人。玻璃は片開きの出入り口の側、窓から通りが見える二人用の卓にいる。

 見るともなしに店内を見回していた玻璃は、ふと隣の卓へと目を留めた。

 護帝高等学校の制服だろうか。少年は詰襟の学生服で、傍らに学帽を置いていた。癖の強い髪の下は無表情。おもしろくもなさそうに、目の前の皿に乗ったサンドイッチを手にとった所だった。ちらりと見ただけでは判別はつかないが、卵だろうか、淡い黄の色彩が見えた。

 ちょうど甘いものに飽きてきたところだ。玻璃は、少年が食べるサンドイッチに興味を惹かれた。

「ねえ」

 玻璃の呼びかけに答えたのは、少年の鋭い視線だった。三白眼、むしろ四白眼に近い瞳は、人慣れしていない野良猫のように玻璃を睨む。目つき悪いなぁ、と思いながらも、玻璃はにっこりと笑ってみせる。

「それ一つちょうだい」

 口の中のものを咀嚼しながら、少年の視線は玻璃の指先に止まる。それから指が指し示す方向、つまりは少年の目の前にある皿へと移動する。皿の上には、少年が今手に持つものとは別のサンドイッチが乗っている。

 しばしの間。

「やだよ」

 一瞬、玻璃は彼がなんと言ったのか、理解できなかった。それは、玻璃が生活する中で縁遠いものとなっていた言葉だった。

 玻璃が呆然としている間に、少年は手の中のものを一息に口の中へ収め、皿の上の一切れへと手を伸ばしていた。

「……なんで?」

「おれのだぞ。これ」

 先ほどよりも大きい一口で、少年はサンドイッチの半分近くにかぶりつく。大きく口を動かしながら、あっという間に腹へ収める。獲物をとられまいとする、野生動物の行動だ。

 自分の要求が通らなかった時、どう行動するのが適切なのか。玻璃にはわからなかった。

 なので。

「けち!」

 頭に浮かんだ言葉を、思いっきり叫んでおいた。

 自分が今、どんな表情をしているのか。玻璃は普段意識しながら行動しているが、この時は渦を巻く感情に流され、全く意識できていなかった。ただ、声音と共に怒っているのは伝わっているだろう、とは思っていた。

 だが。

「どっちがだよ。食いたいなら自分で買え」

 玻璃の怒りを意に介さず。少年は学帽を被ると外套を肩に掛け、さっさと席を立ってしまった。

 あとに残されたのは、不機嫌を隠そうともしない玻璃だけだ。

「なにさ!」

 クリームあんみつを平らげ、ついでにサンドイッチも追加し腹を満たした玻璃は、足音も高く道をゆく。サンドイッチは少年のものよりも豪勢なものにした。

 それでも腹は収まらない。傘の石突で石畳を叩きながら、玻璃は踵を踏み鳴らす。

 こんなに怒ったのは、『目』をもらってから初めてのことだった。なにせ、紫色の瞳があれば、何もかもが玻璃の思いのままだったのだ。この目で見つめて、ついでに微笑んだり、涙を流してみせたり、そうすれば全てが玻璃のために差し出された。

 少年は、確かに玻璃の目を見ていた。元から持っているはしばみの方だけではなく、菫の方も。

 玻璃はいつも通りにしていただけだ。ならば、理由があるとすれば少年の方にだろう。

「今度ママに会ったら、聞いてみよ」

 玻璃に紫の瞳を与えた人物を思い、玻璃はやっと溜飲を下した。

 時刻は、ようやっと昼食の時間になるかならないか。このまま宿に戻ってもよかったが、玻璃は腹ごなしに散歩することにした。山猫亭の前を通り過ぎ、気の向くままに歩みをすすめる。日傘をくるりと手の中で弄ぶ。


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