第12話 夏-3
第二城塞都市中央駅は、第一城塞都市行き、第三城塞都市行き、地方行き、そして帝都中央行きの四つの汽車が行き交う大きな駅だ。赤い煉瓦で作られた二階建ての駅舎は横に広い。駅の周辺には土産物や食事処、旅支度のための店がひしめき合っている。
アーチ型の中央口から人波に乗り、玻璃は第二城塞都市へと降り立った。
時刻は夕刻に差し掛かっているが、初夏の日差しはまだ高い。人波も途切れることなく続いている。
あちこちで呼び込みの声や、話し声、誰かを呼ぶ声、笑い声、犬の吠える声まで。渾然一体となって雲霞のように立ち昇る。
人がいっぱいだ、と口の中で呟き、玻璃は風呂敷包みを背負い直した。日傘は差さず手の中に、着物の裾を気にしながら、ひとまず駅前広場の真ん中から端へと寄る。人待ちなのだろうか、広場の端には人混みの中を気忙しげに見つめる人や、懐中時計を何度も取り出す人が多い。己もそうである、という顔で、玻璃その中に混ざる。――待っている人など、いないのだが。
今朝、玻璃が汽車に飛び乗った故郷の駅は、もっと小さく人もまばらだった。人力車も馬車もいなかったし、お茶屋さんはあったが一件しかなかった。それでも、初めて外に出た玻璃にとっては、たくさんの人に見えたし駅も巨大なものに見えていた。その記録が半日で、あっさりと塗り替えられてしまった。
これからどんなものが見られるのだろうか。どんな経験を積むのだろうか。背筋が冷えるが、胸の奥が沸き立つ。期待と不安が混ざり合い、玻璃は一時だけ肩を震わせた。
ぼうっとしてても仕方ない。まずは泊まる所をなんとかせねば。玻璃は辺りを見回しながら一歩を踏み出した。
駅前広場の近辺には、飲食店や土産物、馬車や人力車の待合所が多い。それらに用事がある人以外の歩みは速い。甘味、と書かれたのぼりに後ろ髪を引かれながらも、玻璃は歩み、過ぎていく。
「お嬢さん、どちらから?」
そう声を掛けられたのは、人の流れが緩やかになった駅前通り中ほどでのことだった。
山猫亭、と襟に染め抜かれた法被を着た男は、人のよい笑顔を浮かべている。見回してみれば、男のような法被を着た人物がそこここで人を呼び込んでいる。
「護帝学校の見学に来たのかな?」
ご両親は一緒? 泊まる場所は? と矢継ぎ早に問いながら、男は玻璃をじわりじわりと道の端に誘導する。
男が立っていたのは、山猫亭と書かれた木製看板を掲げた二階建ての町屋の前だ。格子戸は開け放たれ、ちらりと見遣ったその向こうには、上がり框に腰掛けた男が見える。前掛けをつけた女性に何事か話しかけながら、鞄を預けているところから、客であろうことが伺えた。
「ええと、そう。学校の見学に来たんです」
一人で、と付け足し、玻璃は男の質問に答えた。
「そうかぁ。偉いねぇ一人で遠くから来たのか」
「泊まる所は、こっちで決めようと思っていて」
それじゃあ、と男は歯を見せ笑った。
「ウチにしなよ。駅からすぐそこ、安心安全メシもうまいし女将は美人!」
女将が美人でも不美人でもあまり興味はなかったが。とりあえず玻璃も控えめにはにかんで見せた。
「どうしようかな」迷うそぶりで頬に手を当て、俯きながら自然な仕草で髪を掻き上げる。
「ぼく、あんまり高いとこには泊まれないんだ」
耳に髪を掛け、色違いの両の目を晒し、玻璃は言った。
それまでの流れるような弁舌を止め、男は玻璃の両目に見入っている。しゃべりだそうとしていたのか、口が中途半端に開かれたままだ。
「でも、泊まるならいい部屋がいいなぁ」
「ええ、ええ。お嬢さんになら格安で、一等いい部屋をご用意いたしますよ」
首が壊れるのではないか、という勢いで頷く男。玻璃がにっこりと微笑むと、途端に頬を染め首の後ろを掻いた。
「じゃあ、ここにしようかな」
ありがとうございます、と叫ぶように言う男は、玻璃に頭を下げていた。その腰は直角を越え、鋭角に曲げられていた。
男につれられ山猫亭の暖簾をくぐった玻璃は、親族もかくやと言える歓待を受けた。初めこそ怪訝な目を向けられたが、玻璃が目を合わせにこりと微笑むだけで皆が頬を染め、玻璃の言葉に一も二もなく頷いた。他の宿泊客ですら、一番風呂の権利を譲り、土産物の菓子を分け与える。
一晩ゆっくりと過ごした玻璃は、翌朝早くから商店街へと繰り出した。買い物をする、と告げると店の下男がひとり、荷物持ち兼案内として付き添ってくれた。男の案内で訪れた商店で、草履ではなく歩きやすい半長靴(ショートブーツ)、替えの着物に色合いが気に入った袴を、それぞれ格安で購入した。どの店でも、やはり玻璃が紫の瞳で微笑むだけで、無茶な値引きに応じてくれた。その上、おまけを付けてくれる店もあった。
三日目にはひとりで街中へ散策に出かけ、どこにどんな店があるのかを覚えて回った。裏通りの隠れた仕立て屋や、一見すると個人宅に見える食事処などを見て回り、歩き疲れた時には人力車に乗せてもらった。もちろん、玻璃の微笑みひとつが代金だ。
四日目は、初日に聞いた護帝高等学校を覗きに行った。学校は駅前の大通りをまっすぐに進むと、自然に目に入る位置にあった。山を切り開いて建てられたのか、校門から長い坂を登る必要があったが、玻璃は休み休みゆっくりと登った。ちょうど授業が行われていたようで、敷地の中は静かだった。古いものと、新しいものが混ざり合った校舎は、中には入らず外から眺めた。窓からそっと覗いた教室の中で、同じ年頃の少年少女が一心に何事かを書き取っている光景は、玻璃にとっては興味深かった。
そして五日目。
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