第10話 夏-1
中天に輝く太陽は、暴力的なまでの光を全てに平等に振りまいている。石畳の上に焼き付く濃い影。吹く風はぬるく、空気の粘度が濃くなったようだ。懸命に腕を伸ばし、日光をその全身に受ける青い葉たちも、心なしか辟易としているように見える。夏である。
日光の暴力に晒されているのは、緩やかに長い坂道も例外ではない。そこを下っていく学徒たちは、皆額や頬に汗を光らせている。それでも、その表情は明るい。
「ぼくたちも、しばらくお休みだね」
桜の大木が作り出す緑の天蓋の下、木の長椅子に腰掛けた玻璃が言う。いつもは畳んだままにしている傘を差し、葉群れ越しの日光を避けている。
「そうだな」
隣でくぐもった声を返すのは、雪千代。薄い紗の着物に同じく薄手の袴という夏の装いの玻璃に対し、分厚い外套に学帽を被った真冬と同じ格好をしている。しかし、その肌に汗は浮いていない。
夏の長期休暇を手にした学徒たちは、正反対の格好で座る二人に気付かない。銘々の楽しみに目を向け、銘々の友人の言葉に耳を傾け、笑い合い、歩いて行く。
手持ち無沙汰に日傘を回す玻璃の前を、長い黒髪をそのまま流した少女と、三つ編みにしたお下げ髪を揺らす少女が過ぎ去っていった。旅行鞄を手に下げ、揃いの袴に着物の二人は、お互いだけを視界に収め、お互いの言葉にだけ耳を傾けている。
「あの子たち、ぼくらが見てなくてもきっともう大丈夫だよね」
「そうだな」
数カ月前、桜吹雪の中に砕け散った氷像を思い起こす玻璃は、日陰の向こう側を眩しそうに見遣る。二人の少女は、日差しの向こうへ消えていく。
「予知夢を見せる、んじゃなくて、既視感を感じさせる禍津日だったね」
きしかん、きしかん。と言葉を覚えたての子供のように繰り返し呟く玻璃へ、雪千代は外套に顎を埋めたまま、小さく頷く。縁の太い眼鏡ごしの瞳は、半ば閉じられている。
「三雲が言うにはさ、どこにでもいる弱い禍津日だったってことだけど。『夢見さま』って名前を得て、生徒たちの間で噂になって怖がられて、それで力を得られるって、おもしろいよね」
「……そうだな」
「ほんとにそう思ってる?」
「……うん」
「もう。きみ、最近寝すぎじゃない?」
玻璃は、はしばみ色の左目と、眼帯越しの右目で雪千代を睨めつける。うとうとと船をこぐ雪千代は、向けられる苛立ちにすら気付いた様子がない。
「ねぼすけ。そんなだから、きみの一撃で砕けるような子を、強いヤツだなんて勘違いするんだよ」
「……ちがう」
「ちがくない」
ふん、と鼻を鳴らし、玻璃は再び夏の坂道へ視線を向ける。川の流れのように過ぎ去っていく学徒たちの数は、だんだんと落ち着き始めている。今は、子供が戯れに作った小川程度の流れだ。
未だ日差しは強いが、空気は穏やかだ。日陰に吹き込むぬるい風が、つかの間肌に浮いた汗を拭い去る。
ふ、とため息めいた吐息と共に、玻璃は呟く。
「ぼくらが出会ったのも、こんな時期だったよね」
「ちがう」
肩口で切りそろえた髪が翻り、夏の陽光に微かなきらめきを作る。目を見開き、玻璃は勢い良く雪千代へと顔を向けていた。雪千代は、日溜りでまどろむ猫のように目を閉じたままだ。無いと思っていた返答は、確かに雪千代の声音をしていた。
空耳か。それにしては嫌にはっきりと聞こえた。玻璃は、雪千代へ視線を向けながら首を傾げる。
「もう少し早かった」と、半ば夢を見ているような声が生まれる。玻璃の疑惑に応えるように。
ああ、と。玻璃は驚きと感心の入り混じった息を吐き出す。
「きみ、覚えてたんだ。すっかり忘れたものだと思ってたよ」
忘れるかよ、とぽつりと返される言葉。不機嫌にも聞こえる声は、不明瞭だが玻璃へ届けるのには充分な声量を持っている。ふふ、と玻璃は上機嫌を口元に浮かべた。
外套に埋もれ、くぐもる声は、それきり途絶えた。
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