第6話 春-5
昨日宇木那に話したことを、玻璃は軽く確認し。
「君たちに害をなしているのは、古い神さまの一種だよ」
と、告げた。
「神さまは天帝さまただお一人よ」
喜美江の口を反射のようについて出たのは、幼子でも知っているような常識だった。百年ほど前から帝都を、この国を統べる天上人。彼の人があったからこそ、この国は戦乱の世から解放されたのだ。それ以外に『神』と呼ばれるような存在は無い。
「うん。だから『古い』神さま」
天帝が神さまになる前の神さまさ。と、一歩間違えば不敬罪として捕まるようなことを、玻璃はなんでもないことのように言ってのけた。
「そういうのがいるのね」
戸惑う喜美江とは対照的に、紗夜はあっさりと納得しているようだった。丸い瞳をことさら丸くして、興味深そうに玻璃を見ている。小虫を見つけた猫のように、愛らしい表情だ。
話をすすめるため、喜美江も不承不承頷き、玻璃に先を促す。
「そういう古い神さまは、今は禍津日なんて呼ばれている」
そちらには聞き覚えがあった。
「禍津日、って悪いことすると寄ってくる、オバケみたいなものでしょ?」
「うーん、そういうのも居ないわけではないんだけど」
眉を下げ、玻璃。
「いっぱい居るんだよ。禍津日にも。それにぼくらの基準で善悪を測るのも意味は無いよ。彼らとぼくらでは何もかもが違うから」
一拍、玻璃は話の先を組み立てるかのような間を置いた。
「彼らは現象そのものみたいなもの、例えば雷だとか、雨だとか。そういうのに宿っているだけのものや、それこそぼくらみたいにはっきりとした意思をもったのもいる」
「お茶にも宿っているの?」
茶化しているかのような言葉だが、紗夜の目は真剣そのものだった。
「うん。いるだろうね」
わあ、と感嘆の声を上げ、紗夜は手元のカップをためつすがめつ持ち上げる。
「でも、見たことないわ。そういうの」
「普通、ぼくらには見えないんだ。たまに勘が良い子は見えたりすることもあるらしいけれど」
いいかな、と玻璃は傍らで眠る雪千代の側から一冊の本を引き寄せた。
「ぼくらと彼らは、同じ場所に居るんだけど少しだけズレてる。同じ本の違うページみたいな感じに」
真ん中から開かれた本の一ページを、玻璃はその細い指で持ち上げた。薄紙一枚で隔てられる空間。
「同じ場所にあるけれど、見えない触れられない。――けれど本とぼくたちの違うところは、気付くことができれば触れ合うことができるってところ」
玻璃の指先から離れた紙が、気まぐれな軌道を描いて落ちた。
「禍津日は、基本はぼくらには不干渉だ。積極的に関わろうとするのは人の側からの方が多い。だけど、たまに積極的にぼくらに関わろうとするのがいるんだ。今回みたいに」
「今回みたいに?」オウム返しに問う喜美江。
「……夢見さま」ぽつりと紗夜が言う。
「そう。その夢見さま、噂の出処を探してみたんだ。でも、みんな『誰かからそう聞いた』って言うばかり。その誰かをたどっていってもぐるぐる回って終は無し」
そういうのは大抵禍津日のしわざさ。おどけたように玻璃はひらりと手を振った。気まぐれな蝶に似た動き。紗夜の黒い瞳が丁寧にその軌道を追っていた。
「……でもどうして、夢見さまは私たちに関わったのかしら」
「寂しがりなんだよ」
喜美江の言葉へ、ぽつり、と玻璃が返す。
「禍津日同士は、基本的に不干渉だ。そもそもぼくらみたいにこうして会話ができるような、きちんとした意思を持った奴が稀なんだ。当然、意思を持った禍津日は孤独になる」
お友達が欲しかったのね、と紗夜が囁く声音でひとりごちる。
「禍津日は、ぼくらにとっては魔法みたいな力を持ってる。それを使って、ぼくらを喜ばせたり怖がらせたり。そうして意識して、構ってもらう。……今回の殺人は夢見さまの暴走だろうね」
「夢見さまを呼んで、夢を見せてもらうだけじゃ不満だったの? 私たち、たくさん喜んで、たくさん感謝したのに」
「人と同じさ。欲望に際限は無い。簡単な感謝よりも、強い恐怖で縛りたくなったんだ」
もっともっと、こわがって意識して欲しかったんだよ。そう言い、玻璃は手元のカップの縁を指先でなぞった。
「夢見さまと、お友達になることはできないのかな」
「それはできないわ」
喜美江の言葉を紗夜の断言が切り払う。驚きと共に振り向いた喜美江へ、紗夜は眉を寄せた切なげな表情を見せた。
「だって、私たちからは見えないのに、どうしてお友達になれるの?」
「さやちゃん……」
「きみちゃんと私だって、こうしてお話して、触れ合えるからお友達になれたのに」
柔らかな手が、喜美江の手を取った。喜美江の心は、温かく、ささくれ一つ無いなめらかな触感に閉じ込められる。
「紗夜さんの言う通りだよ。それにさっきも言ったように、彼らとぼくらじゃ色々な部分で齟齬が出る。人同士ですら勘違いで関係が破綻することがあるのに、ましてや禍津日とじゃ良好な関係を築けることの方が稀さ」
「……私たち、どうしたらいいのかしら」
紗夜に握られた手を見下ろし、喜美江は呟いた。
「まずは宇木那さんからもらったお守りをちゃんと持っておくことだね。それがあればしばらくは平気。後はぼくらがちゃんと見ておくから」
ふわり、と玻璃が微笑む。
「安心して。ぼくらは君たちを守る」
儚げな容姿とは裏腹な、強い笑みだった。同時、喜美江の手を包む紗夜の手に力が込められる。喜美江の視線の先で、紗夜が頷いた。何かを決意したような、美しい表情。
「私たち、一緒に生き残りましょうね」
「……うん」
自分はこんなに美しく、強い表情ができるだろうか。思い、それでも今現在持ちえる心の強さを全て持ち出し、喜美江は頷いた。
「二人とも、なるべくなら一緒に居るようにしてね。別々に行動すると、見守りにくいから」
玻璃は音も立てず、空になったカップを盆の上に下げていた。
「はい。よろしくお願いします」
「ねえ、……あなたはどうしてそんなに禍津日のことに詳しいの?」
紗夜の疑問。喜美江は紗夜の言葉でようやく同じことに思い至り、はたと瞬いた。
ふふ、と密やかな笑い声。口元に白い手を添え、玻璃は笑っていた。隠した秘密を決してつまびらかにすることはない、妖しげで魅力的な微笑み。
「……稀、っていうのは、絶対に無いってことではないんだよ」
甘い薔薇の香りが、つかの間喜美江の鼻先をくすぐった。
「におう」
二人の女学生が去った温室に、くぐもった呟きが生まれた。
のっそりと、学帽を乗せた頭がもたげられる。つばの影から覗くのは、重いまぶたに半ば隠れた鋭い視線。
「強そう?」
茶器を乗せた盆を傍らに、玻璃は指先を雪千代の癖毛に絡ませる。嫌がるように頭が振られるが、玻璃の指は離れない。
「強い。……たぶん」
「そ。じゃあ、がんばろうね」
諦めたのか、雪千代は玻璃に構わず再び顔を伏せた。くすりと笑い、玻璃は犬や猫にそうするように、巻き毛をくすぐる。
午後の日差しの中、静かな時が流れる。
玻璃は無作法に頬杖をつきながら、ふあ、とあくびを一つ。眠たげなはしばみ色の瞳は、傍らに立てかけられた日傘をちらりと一瞥し。
そして、閉じられた。
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