第4話 春-3

 宇木那はけして先を急かさず、ふたりが話しだすのを待っている。喜美江は見るともなしに、両手で小さな最中を持って食んでいる紗夜を見ていた。

「あの、宇木那さんは『夢見(ゆめみ)さま』って知ってますか」

 紗夜が手についた最中の屑を、膝の脇の地面に払ったのをきっかけに、喜美江はぽつりと口に出していた。

「いや、初めて聞いたな。おまじないかなにかの類かい?」

「降霊術、なんです」

 喜美江の言葉に、宇木那は面食らったように瞳を瞬かせた。

「これまた、仰々しいね」

「わたしたちはそう聞いてます」ね、と紗夜と顔を見合わせる。

「夢をみたい日の夜に、『夢見さま、私の夢においでください』って唱えながら眠るの」

 先ほどの会話で宇木那に気を許したのか、紗夜の口調は少し砕けたものになってきていた。

「眠りにおちる瞬間まで、ちゃんと呼ばなきゃいけないの」

「それが難しいんだよね」喜美江も紗夜に倣い、少しだけ口調を弛めた。

「でもそうすると、予知夢が見れるんです」しかしやはり、宇木那に対しては敬語にしてしまう。

「君たちは見れたのかい?」

「はい。何度か」

「試験とか、勉強した所がでたりしたよね」

「うん」

「他の子達もやっているのかい?」

 正確な数はわからないけれど、と断ってから、喜美江は頷く。

「何人か。でもその子たちは『これ夢で見た』って後からわかる感じだったり」

「夢って覚えてない時あるもんね」

「ね」相槌を返す喜美江。紗夜は傾けた顔に掛かる髪を、耳に掛けている。

「君たちの夢見さまはうまくいった、のかな」

「強い夢見さまが来てくれたんじゃないかって、友達からは羨ましがられた……んだけど」

 日中は胸の奥底にしまいこんでいる夢が、現実を侵食するかのように思い出される。冷たいものが背中をなぞり、喜美江は自身を抱く。

 宇木那は言いよどむ喜美江に、何かを察したようだった。

「恐ろしい夢を見せられたのかい」

「……はい」

「聞いてもいいかな」

 言外に、宇木那は話したくなければ話さなくとも良い、と言っている。それでも相談している手前、詳しくは言えずともある程度は伝えていた方がよいだろう、と喜美江は判断する。判断したが、そのひと言を口に出すのは、十四年しか生きていない少女には勇気がいるものだった。

「……殺される、夢」

 紗夜が、喜美江の肩に手を置いた。不安げな表情で喜美江の表情を伺っている。その手のひらの温かさに、喜美江は少しだけ勇気づけられる。

「詳しいことは……あまり、でもこれだけははっきりと覚えているんです。何か、とってもこわいものに殺される」

「私もきみちゃんも、他の夢見さまをやってた子たちも、見るんです」

 喜美江の肩を抱く紗夜は、喜美江の恐怖を肩代わりするように言葉を継ぐ。宇木那へ夢の話をしながら、喜美江は紗夜の横顔を伺っていた。強い意思の宿った横顔は、美しかった。

「昨日亡くなった子も、なんだね?」

「はい……」

 頷く喜美江。ふむ、と宇木那は顎を撫でた。何かを思案するように視線が卓の上に落ちる。

「予知夢を見せる……君たちに憑いている夢見さまは強い……うん」

 ぶつぶつと呟きながら、卓の下を探る。数秒の間があり、あった、という独り言と共にひょいと顔が上げられる。

「私の方に伝手がある。詳しく調べてみるよ。その間、このお守りを持っていて」

 宇木那が二人に手渡したのは、丸い穴の空いた石に飾り紐を通したものだった。石はつるりとした手触りで、沈んだ赤い色をしている。そこに通された紐もまた赤く、細い糸をより合わせたしっかりとした造りのものだ。

「このお守りが君たちを守ってくれるはずだ」

 喜美江と紗夜、二人を交互に見、いいね、と前置きしてから。

「お守りが君たちを守り、導いてくれる。なるべくなら肌身離さず持っているんだ」

 宇木那は言った。真剣な表情と、力の込められた言葉。ただの気休めにしか見えないお守りだが、彼のその言葉が加わることで、喜美江は手の中のお守りから見えない力が溢れ出ているかのように感じた。

「さて、君たちには門限があるはずだ。そろそろ戻るといい」

 一転、表情を和らげた宇木那は、そう言って手を広げた。はっとして辺りを見回す喜美江は、袋小路に落ちる陽の光が、橙を越え薄暗闇の気配を忍ばせていることに気付いた。慌てて椅子から腰を上げる。

 宇木那は卓の上で指を組み、人の多い場所を通って帰るんだよ、と笑った。



 手を取り合った二人の少女は、薄暗闇に沈む路地を駆けて行った。袋小路に掛かる陽の光はもう殆ど無くなり、見上げた空の僅かな青さだけが、まだ夜ではないことを知らせている。

「……どう思う、大禍津日(おおまがつひ)」

 正面に伸びる路地へ視線を向けたまま、宇木那はぽつりと呟いた。彼一人きりの袋小路であるのに、すぐ横にいる誰かへと向けたような声音だ。

『禍津日の、においがする』

 それは宇木那の鼓膜を介さず、意識に直接投げ込まれた声だ。頭の中で話しかけられているような、自分の意識に割り込んできた「誰かの意思」そのものであるといっても良い、言葉。

 普通ならば慌ててあたりを見回すところであるが、宇木那は慣れた様子で、頭の中の声に向かって言葉を紡ぐ。

「そうか……雪千代たちにも見てもらった方がいいな」

『猫の鼻に、なにかかかるかもしれない』

「うん。三雲、聞いてるんだろ? 伝言を頼む」

 宇木那が頭の中にではなく、また別の何かへ向かって話しかけると、一輪挿しの青い薔薇の花弁の影から、小さな蜘蛛が這い出した。宇木那は指を組んだまま、軽い笑みと共に蜘蛛を見ている。


 夜は、もうすぐそこまで来ている。

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