第3話 RAIN

──明け方の街には冷たい雨が降っていた。


古びた大きな倉庫の扉の前に立つ一人の少女、少女は酷く傷付いていた。

少女が見に纏っている可憐なメイド服も今は雨に濡れ、ボロボロになり輝きを失っていた。

無情にも雨の勢いは更に増して行った、少女を冷たい雨が叩きつける。

何故少女がここに立っているか、それは少女自身も分からない事だった。

ただ、少女は何かに惹かれるように此処へやって来たのだ。


──ズォォォォォォンン!!


「っ!!」

遠くから重く響くエキゾーストノート、恐らくチューンドカーのサウンドだろう。

「はぁはぁ・・・っはぁ!!」

少女はエキゾーストノートが聞こえる方向へ全速力で走り出した。

遠くのチューンドカーは暖気をしているのか一定のリズムで空吹かしをしている。

軽量フライホイールを組んでいるのかとてもレスポンスが鋭く、気難しいレーシーなサウンドが響いていた。

音が近くなり、周りの空気が震え始めた。

少女の心臓が早鐘を打つ。


──見つけた


「・・・!!!!」

白のA80スープラ、トップシークレットのボディキットを組み、フロントは完全に別の車になっている。

大きなボンネットは開け放たれ、スープラの心臓部が剥き出しになっていた。

だが少女は一瞬で"スープラの心臓では無い"という事を見抜いたのだ。

「V12・・・スープラ・・・」

再びV12スープラの心臓が鼓動する、それに共鳴する様に空気が震える。

スープラのエンジン音が不意に消えた、二・三秒の沈黙の後スープラの運転席から一人の少女が降りて来た、赤髪ツインテールの美少女が。

この鋼の獣に火を入れていたのは平賀未來だった。


未來がスープラの燃調セッティングと暖気を終えて、運転席から降りて来た。

ふと気がつくとスープラの近くに一人の少女が立っていた、雨に濡れボロボロになった少女に未來は声を掛け、少女を助ける事にしたのだった。



倉庫の中ではなく、倉庫の裏口の階段を上がった先にある事務所らしき所に未來と少女は居た。

事務所のソファーに座り、少女は未來が作ったホットココアを啜っている。

「何故ここに来たの?」

未來は少女にそう訪ねた。

すると少女は「分からない、でもさっきのスープラに無意識に惹かれてここまで来ちゃったのかな・・・」と少女は言った。

「死神って知ってます?」と不意に少女の口から言葉が零れた、もちろん未來が死神のことを知らないはずがない。

「死神?」

「えぇ、あの黒いコルベットの死神の事です」

少女はそう言うと、濡れてボロボロになったメイド服ではなく、少し小さめのカバンのポケットから何かの鍵を取り出した。

そしてその鍵を未來に渡した。


──私がその"湾岸の死神"なんです


「・・・ふざけるな」

今まで閉じ込めてきた負の感情が溢れ出てくる。

未來が腰を掛けていたソファーから静かに立ち上がった、すると突然未來は少女の首を掴み首を絞め付け始めた。

「いや・・・あぁ・・・は・・・話を・・・させて・・・ぁぁ・・・わっ・・・私は死神の濡れ衣を・・・着せられただけ・・・なんです」

少女は首を絞められたまま途切れ途切れに事実を伝えた。

未來が少女の首から手を離すと、少女は俯いたまま死んだように動かなかった、まるで魂が抜け切ったように。

「・・・殺したのは私の姉です、私の姉が殺りました、貴方の大切な親友を殺したのは姉です」

少女は死んだように動かぬままそう語った。

「何でその事を・・・」

少女は死んだ目で未來を見つめて

「私分かるんです、そういうの、姉はもう此処には居ないけど、昨日姉の幽霊に遭遇したんです、その時に貴方の大切な親友を殺してしまったと」

未來はただ黙って少女の話を聞いていた。

「だから一つお願いがあるんです」

少女はソファーから立ち上がり未來の目前まで迫る。

「私の無実を証明するために協力してくれませんか?・・・どうかお願いします」

未來は一言「分かったわ」とだけ言い残し、少女の元を離れ、事務所から外に出る直前に未來はとても小さく「ごめんなさい」と呟いのだが。

「え?今・・・」虚しくも少女の耳には届かず、ただ雨の止まぬ外の空気に言の葉が溶けて消え、そして無くなっていくだけだった。


──冷たい雨は真実を運んできた 無情な現実と共に


──引き裂かれた二人の心 惹かれ合う二つの物語


そして雨が止み、地面を叩きつけていた無数のノイズはすっかり消え去り、ただ空気は静寂に満ちていた。

そんな静寂を引き裂く二つの影がそこにはあった。


午前二時 川崎浮島JCT


アブフラッグのボディキットではなく、ファイナルフラッグのエアロに身を包んだ赤のZ32と、BNスポーツのボディキットに身を包んだFT86がJCTを抜けて、スタートダッシュで86とZ32はサイド・バイ・サイド状態になったままトンネルの中へと消えていった。

トンネル内には二台のエキゾーストノートが反響し、トンネル内の壁が軋み狂気の交響曲を奏でる。

「油温95度、水温100度・・・まずいわね」

そう呟いたのは平賀ミカ、Z32の乗り手だ、元々Z32はエンジンルームが狭く、エンジンの熱がこもりやすいという欠点があり、それが今裏目に出ていた。

ミカはJCTギリギリまで全開でアクセル踏み込み、抜かずにいたのだ。

対してFT86の未來は全開ではなく少しアクセルと床までの距離を保ち、Z32のスリップに付きZ32を墜すタイミングを見計らっていた。

未來は86の油温計・水温計に目をやり油温・水温を確認した、86の油温・水温は安定している。

未來のFT86はターボ化されており、約500馬力を発生させる。

ブーストは約1・5キロ、ブーストコントローラーでブーストをかければMAX2・0キロまで掛けられる仕様になっている。

トンネルを抜けて視界が開けて、神奈川超高速エリア中盤に差し掛かった時だった。

遥か彼方前方に大型トラックが二台並んで走っていたのが見えた、その二台は中央の車線を開け、右車線・左車線を並び塞いで走っていた。

Z32のフルスケールのスピードメーターは280を指していた、つまりZ32は今280k/mで走行している事になる。

86のスピードメーターもまたZ32の280k/m程ではないが260を指していた。


「「!!」」

「今っ!!行っけぇぇぇ!!」

未來は86のブーストコントローラーではなく赤いスイッチを押し、ブースト圧を限界まで上げて、いわゆる"スクランブルブースト"と呼ばれる状態に持ち込んだ、86のマフラーから真紅の花が咲いた。

「そうはさせないわ!!!!」

すると同時にミカは密かに搭載していたNOSの三つのスイッチをオンにして、三本分のNOSを全てZ32のエンジンにぶち込んだ、ブースト計の針は振り切れ測定不能、Z32のノーズ、そして前輪が地面から離れた。

数秒後再び前輪が地面を捉えグリップした。

猛烈な加速Gがミカを襲う、ミカの視界は狭まり全てが一瞬にして後ろへと飛んでいくように見えた。

だがそれは長く続かなかった、トラックを先にパスしたのはミカのZ32だったが、トラックをパスした直後、ミカのZ32から激しく火花が散り、ミカのZ32はハザードを焚きスローダウンした。

どうやら何か部品が飛んでいってしまったらしい。

ミカはZ32を路肩に停めた、すると未來も気がついていたのか少し先の路肩に86を停めた。

未來はZ32の後ろに三角掲示板と発炎筒を置き、ミカと落ちた部品を探しに行くのだった。

「ねぇ・・・これって・・・ニトロボンベ??」

「そうよ、私のZ32にこっそり積んであったの」

Z32から少し離れた場所に落下物はあった、その落下物はなんと空になったニトロボンベ三本とそれを固定していた鉄製の板が二枚左車線に転がっていた。

二人は周りの安全をよく確認した後ボンベと鉄製の板を回収し、発炎筒と三角掲示板を片付けまた二人はマシンの元へと戻った。

「負けちゃった、でも約束は約束だから教えてあぎゃなきゃね、あの事」

そう言うミカの表情は何処か悔しそうで、でも嬉しそうでもあった。

「そうね、ちゃんと話してもらわないと」

と未來は微笑みながらミカにそう返事をした。


こうして二人のバトルは幕を閉じた・・・はずだったのだが。


ここでそう終わるはずが無かった。


明け方の大黒パーキングエリアの端に一台のマシンが停まっていた、白のNSX NA1だ。

遠くから見てもチューンドカーだと分かる見た目のNSXだった。

白のNSXのドライバーは遠巻きに未來とミカを見つめていた、NSXのドライバーは何か呟いている。

「アナタガエラバレシモノ テンノツカイ 」

「サツジンノフクシュウシン ティシフォネ ヨ キタレ」

「アラタナジダイヲ・・・」

突然突風が吹き、此処にあるはずのない桜の花びらが舞い、白のNSXとNSXのドライバーが花びらと共に散り、姿を消した。


夢か現実か、嘘か誠か。

日が昇ると空は爽やかに澄み渡っていた。

それはもう昨日の明け方のソレが嘘みたいな空だった。


今日もまたスピードに取り憑かれた人間達は走る事をやめないのだろうか。

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