第28話 終息

 

 窓から肌寒い風がそそぎ、冬が近づくのを感じる十一月。放課後、唯子は廊下を歩きながら、窓から見える、もう散りつつある橙色の紅葉を見つめていた。そして、どこからか流れる、練習中の吹奏楽部が鳴らす心地よい音色に耳を澄ます。


 あの事件から、半年が経過した。


 あの事件に対する世間の関心は、まるでこの散っていく紅葉たちのように徐々に薄れていき、メディアでの露出度も減っていった。

 そして、警察の捜査も打ち切りとなった。凶器こそ発見されたが、殺人に関与していたと思われる人物をまるであげることができず、殺人であるという決定的な証拠もみつけられないまま終わったこと。そしてなにより、遺族である里美さんが、学校側の事故であるという主張を受け入れ、弁護士を挟んで、示談という形で収拾をつけたことが、一番の理由だった。

 学校側は業務上過失致死という形で、莫大な慰謝料、賠償金を払うこととなり、責任問題となった安岡校長は、この事件の責任に加え、周船寺がマスコミにリークしたかつての汚職と、教育委員会との癒着の事実によって、教育委員会の上層部と共に、この職を辞することになり、新校長として、教頭の立花が昇進した。

 そして、帝都病院の院長である今野剛三氏が、数々のスキャンダルによって院長退任にまで追い込まれたというニュースは、記憶にまだ新しい。

 これは、常盤真一が唯一、復讐を果たせなかった今野剛三に一矢報いるため、そして最後まで常盤真一をかばった今野忠行のため、周船寺と唯子が結託して身辺調査をし、複数の愛人との浮気を見つけ、それを週刊誌に暴露したことと、それに追い打ちをかけるがごとく、病院内の人気者だった忠行を追い出したことで怒り狂った看護師たちによって、病院内で今まで行ってきたセクハラとパワハラをリークされ、辞任に至った。

 これも世間では大きな騒動となり、連日のマスコミラッシュと会見にまで追い込まれた剛三は、鬱となっていまや寝たきりになっている。

 一方、常盤里美は、現在、今野医院という、都内に新設された小さな病院で働いている。未だ籍は入れていないものの、今野とは事実婚の状態だった。

 まだ少ない職員と、今野とは里美で、大変ながらも、なんとかきりもりしているらしい。

 少なくとも、あの二人は、真一さんのためにも、なんとしても幸せになってほしい。唯子は心からそう願っていた。

 事件を回顧する中、ふと、パスケースに入れていたものを取り出す。

 そこにあるのは、一枚のレシートだ。あの事件の調査を始めた日、偶然、特別相談部の部室のごみ箱から見つけた、一枚のレシート。それは学校の近くにある、花屋のレシートだった。

 唯子は、あの日からどんな時でも、このレシートを肌身離さず持ち歩き、あの事件を思い出すたび、必ず見るようにしていた。

 そこに、あの人の優しさのすべてが包まれているような気がしたからだ。



 開設したばかりの今野病院で、今後の計画についての打ち合わせを終え、今野に車で送られてアパートに戻った常盤里美は、疲れから、すぐにその場にへたりこんだ。

 仰向きになり、天井を見上げる。

 このアパートも、もうすぐ離れて今野との同棲が始まる。

 ぼろいが、真一と共に過ごしてきたこの家を去ることに、深い悲しみがあった。

 あの日から、涙で枕をぬらさない夜は一度もなかった。数か月が経ったが、未だに、事件の知らせを聞いた時の衝撃と絶望を忘れられない。

 ――そして、あの手紙を見つけた時の、喪失感も。

 里美は起き上がると、部屋の隅の箪笥を開け、一枚の紙を取り出した。

 

「 母へ

 先立つ不孝をどうかお許しください。この手紙は、読んだらすぐに、人目につかないよう処分してください。必ずです。

 ここまで、一人で僕を育ててくれた礼を言う前に、今後のことについて話したいと思います。

 いずれ、警察があなたの元にきて、僕を殺す人物に心当たりがないかと聞くと思いますが、ないと答えてください。実際、そんな人間はいないのが事実です。

 そして僕の死は事故であるとして、神代高校はあなたに示談を迫ってくるでしょう。それは必ず受け入れてください。そして、出来るだけ多くの慰謝料と賠償金を請求してください。学校は、奨学金の時の負い目もあって、必ずそれに応じるはずです。

 そして、今野さんとは、必ず幸せになってください。それが僕の最大の願いです。示談金で得たお金は、新しく作る病院の資本に使ってください。

 それと、おそらくあなたの元に、周船寺という男が現れると思います。彼は学校内でも有名な人間で、非常に頭のいい男です。僕の友人だと言って、あなたに色々なことを尋ねるでしょう。努めて冷静に対応して、なるべく今野さんのことや、病気の事も彼には言わないでください。彼ならそれだけで、真相に辿り着く可能性があります。

 

 最後に、あなたは、自分のせいで僕を死なせてしまったと自分を責めるでしょう。しかし、それは誤解です。僕は充分幸せでした。あなたの生きている姿を見るだけで。そして、今野さんと再婚すれば、あなたはもっと生き生きと過ごせることも、分かりました。それを達成できれば、あなたはもっと輝いていけます。僕はそれを実現させたくて、そのために、自分のために、この決断を下したのです。

 必ず、今野さんと幸せになってください。今までたった一人で僕をここまで育ててくれたこと。心より感謝しています。本当にありがとう」


 ……結局、捨てられなかった。見返す度に、涙がこぼれ落ちそうになる。

 しかし、本当に、周船寺という男が来たことには、驚かされた。彼は、今野から話を聞いたところによると、どうやら本当に真実に辿り着いたらしい。最初は彼を警戒してはいたが、なぜだか彼になら、話してもいいという気になり、今野さんのことを話してしまった。

 しかしそれでもなお、真相を世に伝えないでいてくれているのは、真一を思ってくれてのことだろう。

 彼にはいつか、お礼を言わなくては。

 でも、彼はもう二度と、私の前に現れないだろう。

 なぜだか、そんな気がした。


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