第27話
外から聞こえる小鳥たちのさえずりを目覚ましに、唯子の朝が明けた。
眠たい目をこすりながらベッドから起き上がり、カーテンを開けると、眩しい朝日が唯子と、この部屋を照らす。
透き通った美しい青い空を視界に入れ、温かい日差しに体をさらしても、やはり昨日のことは忘れられなかった。
あれは夢だったのではないかと思うほどに、唯子にとっては劇的だった。
周船寺があそこまで取り乱す姿は初めてだったし、彼の涙など想像したこともなかった。
眩しい朝日から目を離し、そっと床を見つめる。
……先輩は、真相にたどり着いたのだ。今野さんの、最後の一言によって、その確証を得たに違いない。
今日、きっと彼はそれを語ってくれるだろう。私にはわかる。そしてその結末が、たとえどんな悲しいものであっても、私は、受け入れなければならない。
そしてその真実を世に知らしめるのが、私の使命なのだから。
その日の授業は、とてつもなく長く感じた。いつも真剣に授業を聞いている唯子だったが、今日に限っては、終始上の空だった。
そしてすべての授業が終わると、まるで火事場から逃げ出すような勢いで、特別相談室へと駆けていった。
その戸を開けると、やはり彼は既にそこにいた。いつものように、愛用の椅子に座り、こちらとは反対の窓の方を向いて、その背中で、何かを語り掛けているようだった。
「唯子君」
周船寺はこちらを振り向かないまま、背中で問いかける。
「はい」
「真実が知りたいか」
やはり、周船寺にはもうこの事件の全貌が見えていたのだ。その問いに対する唯子の答えなど、一つに決まっている。
「当然です」
力強く答えると、周船寺は椅子を一回転させ、その鋭く、強い意志がこもった瞳を唯子に差し向けた。
「ただし、条件がある。僕がこれから語ることには、何の証拠もない。僕の勝手な憶測にすぎないかもしれない。だが、僕は間違いなくこれが真実だと確信している。そして君に約束してほしいのは、僕がこれから話す真実を、絶対に他言しないでほしいということだ。このままこの事件は、真相はわからぬまま、という事にしてほしい」
唯子は、驚愕する。
「ど、どうしてですか? 私たちは真相を突き止めて、それを世間に公表し、迷宮入りにしないために、ここまで頑張ってきたんじゃないんですか? それを、なんで……」
「さっき言っただろう? 何の証拠もない。それに、この真実を世間に公表したとして、誰も報われない」
「そ、そんな! このまま闇に葬られる方が、常盤さんも、常盤さんのお母さんも、報われないじゃないですか!?」
気色ばむ唯子に、周船寺はそっと視線を沈めた。
「違う。このまま成り行きに任せる方が、彼にとっては報いなんだ。そして、里美さんにとってもね」
強い感情を、無理やり押し殺したような声だった。その時の彼の表情、声音から、唯子は、周船寺の本心を感じ取った気がした。
先輩も……こうするしかないことに、悔しさを感じているんだ。
周船寺の表情から見える彼の心境に、唯子も複雑な思いに駆られながらも、決意を固めた。
「分かりました。私も、誰にも他言しません。だから、教えてください。真実を」
周船寺は無言で椅子から立ち上げると、ソファ席に、ゆっくりと腰を沈めた。唯子も、テーブルをはさんだその正面のソファ席に、腰を掛ける。
「では、話そう……。結論から述べる。今回の常盤真一の死は……自殺だ」
「自殺!?」
唯子は思わず、声が上ずった。
「ま、待ってください。それは、ありえないですよ。彼は頭を殴られ、凶器も見つかっているんです。それが学校内で発見されたから、犯人は外部に存在すると言っていたのは先輩じゃないですか。それに、なんで常盤さんが自殺しなければならないんですか」
動揺を隠せない唯子とは対照的に、周船寺は落ち着いた様子だ。
「これから、この事件のこれからの成り行きを予想しよう。そしておそらく、この予想は、現実のものとなる。まず、学校は一貫して、常盤の死は事故だと主張する。しかし、警察は殺人の可能性を疑い、捜査するだろう……だが、犯人の目星は全くつかない。疑わしい人間すらも上げられないだろう。最終的には警察も事故だとせざるを得ない。そうなるように常盤が仕組んでいる。そして事故となると、学校は、常盤家に対して莫大な賠償金を払わなければならない。それを請求するよう、多分常盤は、里美さんに、何らかのメッセージを残していると思う。そしてこの学校の信用は、今後地に落ちるだろうね」
唯子は額を抑えた。
「つ、つまり、お母さんのために、お金を? で、でも、そんなことのためだけに?」
「いいや。自殺の理由は恐らく二つある。一つは、この学校への復讐。そしてもう一つは、君の言った通り、母である、里美さんのためだ。里美さんのためといっても、お金のことだけじゃない」
唯子は、何もかもがチンプンカンプンだった。学校への復讐? 周船寺とほとんど一緒に行動をしてきた唯子だったが、まるで見当がつかない。
「君にこの間調べてもらった奨学金の件。あれはやっぱり、常盤には渡されていなかったらしい」
急な話題転換に唯子は困惑する。
「そ、そうだったんですか。でも、それが今回の事件と何の関係が」
「これが一つ目の理由の背景だ」
「……奨学金を貰えなかったことが……ですか。確かに、常盤さんの家庭の状況からすれば、大きな痛手だったと思いますが……その前に、なぜ、常盤さんは奨学金を貰えなかったんですか?」
開かれた窓から、冷たい風が注いだ。その風が周船寺の前髪をなびかせると、彼は何か大きな苦痛に耐えるようにして、告げた。
「……レイ病に対する、封建時代から続く、愚かな差別思想のせいだ」
唯子はまたも、何がなんだかわからないままだった。だが、聞き覚えのある単語が耳につく。
レイ病。昨日、今野が周船寺との口論の末に発した、常盤真一の病気の名だ。だが、唯子にはそれが何を意味するのか、見当もつかない。
「君のような若い子には分からないかもしれないが、この国には、戦前の時代から続いている、くだらない愚かな差別というのが、いくつが未だなお存在している。レイ病が、そのうちの一つだ」
「そ、そんなに重い病気なんですか?」
「重いか重くないかで言えば、重い方だろう。だが、この病気に対する差別は、重いかどうかということが本質ではない。このレイ病というのは、戦前期から、近づけば感染するという、その間違った解釈によって、『悪病』だと、侮蔑され続けてきた。もっとも、現代でも差別しているのは、考えの古い、頭の悪い人間たちしかいないけどね」
そう言われても、未だに実感が沸かない。
「差別」唯子が育ってきた環境では、まるで感じたことのないものだった。
「今日、あの校長に問いただした。この学校の汚職を全てマスコミに公表すると脅したら、全部洗いざらい話したよ」
「そ、その病気に対する差別と、奨学金となんの関係があるんです?」
「君も見たろ? この学校で奨学金をもらうと、ホームページにその名前が載る。この文野学園は、「特選学校法人支援制度」によって実は教育委員会から金をもらっているのをこないだ教えたろ?」
「は、はい」
「あの時、この特選に選ばれるのは難しいと言ったが、これは教育委員会の上層部が決めることなんだ」
周船寺の淡々とした説明に、唯子は無言でうなずく。
「この教育委員会の上層部というのは長い間、この学校と癒着していたらしい。今までに何度か、そのお偉いさんのご子息が裏口で入学してきた事実がある。つまりは、そのおかげもあって選ばれたということだ。まあそれはさておき、そこの上層部は、随分考えの古い、知恵の足りない連中ばかりなんだろうね。常盤は、二年次の後半から、レイ病によって体調を崩し、何度か欠席していた。そして、とある人物がこの事実を教育委員会にリークした。そしてその連中は、そのくだらん差別思想から、真一が教育委員会から送られる奨学金を受託し、脚光を浴びることを拒んだ」
唯子は唖然としていた。そんなことが、起こり得るのだろうか。
「あの校長も本当に小物だ。そんなくだらん連中の意見など無視して、例えその出資を打ち切られても、成績優秀者には奨学金を与えるべきなんだ。それを、二年次後半のたかが数回の欠席を建前にして、奨学金の話をなかったことにしたらしい」
「そんな……」
唯子は、その小さな拳を力強く握りしめていた。今までこの学校の体制に怒りを覚える事は何度もあったが、今回は今までの比ではなかった。
その握りしめた拳を見て、周船寺は説明を続ける。
「常盤も当然、激しい憤りを感じただろう。だから、復讐を決めたんだ。そして、それが母のためにもなると思ったんだろう。」
「……どういうことですか?」
「彼は、屋上から飛び降りて、学校に賠償責任を負わせるように仕向けたんだ」
「で、でも、常盤さんの頭部には傷があって、凶器も発見されたんですよ?」
「それは、事件の可能性を少しでも見出させるためだろう。そうすれば、学校側はなんとしてでも事故の方向にもっていこうとして、遺族である里美さんに賠償金や慰謝料も積極的に支払う。彼は何が何でも、自殺だと悟らせてはならなかった。特に、警察にはね」
「……なぜ、警察だけに?」
「彼が自殺したというのは、うすうすこの学校の職員たちは、気づいていると思うよ。なにせあんな仕打ちをしたんだからね。だが、自殺だと主張するわけにはいかなかった。自殺となれば、当然その動機を探られる。そしてもし、病への差別思想によって、奨学金の出資を無に帰したと世間にばれたら、とんでもないことになる。そこからさらに、教育委員会との癒着やこれまでの裏口入学がばれたりでもしたら世間からのバッシングは、今の比じゃないだろう。つまり、嫌でも事故という形に学校側としてはもっていかなくてはならない。それを常盤は予見してたんだ」
「そんな……」
「前に、校長がここに来た時を覚えているか?」
「え、ええ。この事件の調査を依頼した時ですよね」
「あの時校長は、事故か、事件かを探ってくれと頼んだ。僕はあの時不思議に思ったんだ。なぜその二択しかないんだろうって。自殺の可能性だって、低いにしても皆無ではなかったんだ。あの時はまだ凶器が発見されてなかったからね。つまりあの時すでに、校長の頭には、自殺の可能性もあるとよぎっていたんだ。そしてそれを口にださなかったのは、やはり後ろめたさがあったんだろう」
凶器。その単語を聞いて唯子は大事なことを思い出した。
「そ、そうですよ。凶器。凶器が発見されたんですよ。常盤さんがもし自殺なら、それはおかしくないですか?」
「……あれはフェイクだ。自殺という可能性を消すためのね。ああやって事件の可能性を少しでも見出しておけば、学校は何が何でも、強引に事故という方向にもっていこうとすることを、常盤は予見していたんだ。実際、学校はもうすでに示談金と賠償金を用意している」
「じゃあ。常盤さんは……」
うつろな目の唯子の声は震える。
「そうだ。つまり、彼はあの石で、自分を殴り、わざと学校に放置したんだ」
果てしない衝撃が、唯子を襲う。とても、信じられないことだった。だが、周船寺の気迫のこもった声音に、嘘の可能性など見いだせなかった。
「これで学校は信用と共に、莫大な金も失う。これが目的の一つだ」
「そして、もう一つは、お母さんのため……ですか。そのお金で、少しでも裕福にしてあげようと」
涙ぐんだ声で、唯子はぼそっと口にした。
「違う……それだけじゃない。自分の死によって、母を自由にするためでもあったんだろう」
「どういうことですか?」
周船寺は、小さく息を吸い込み、天井をしばらく見上げた。
「君も、里美さんと今野さんが交際関係にあることは知っているね。そして、結婚にまでは至っていないということも」
「ええ。やはり、真一さんに気を使っていたのでは」
「いいや、違う。それは間違いだ。実際は、彼は大賛成だったと思うよ」
「なぜ、そう思うんですか」
「今野さんは、立派な医者だ。技術だけじゃない。心もだ。彼は、常盤がレイ病だとしったとき、いの一番に、普通の病院だけでなく自分の病院でかくまった。病院内の誰にも力を借りず、自分だけで治療に専念していた。本来の仕事もこなしながらね。そこまでしていたのは、やはり、レイ病に対する差別の実態を知っていたからだ。時代錯誤で理不尽な差別を、愛する人の子に向けさせるのに、果てしない抵抗があったのだろう。だから、世間に発覚する前に、なんとか完治するよう試みた。しかし、それにも限界がある。不可思議な動きを見せる今野さんに、その父である院長は、彼が何をしているかに気付いた。そしてその院長も、頭の古い人間だった。院長は今野さんが何をしているかを知ると、レイ病を患った患者を連れて来たことに激怒し、里美さんとの関係も知って、彼女をクビにした。さらには教育委員会にレイ病のことまでリークし、奨学金の支払いを止めるように、常盤家に対して嫌がらせもした。当然、結婚には猛反対しただろう」
唯子ははっとなった。そうだ。確かに、里美さんはあの病院のパートをやめていると言っていた。しかしまさか、そういった背景があったとは……。
そして当然、今野を絶賛した周船寺に、疑問を抱く。
「でも、先輩は、なぜ昨日……」
唯子が気まずげな目で聞くと、周船寺も視線を落とした。下がった前髪が、彼の澄んだ瞳を覆う。
「僕はまだまだ未熟だったんだ。常盤の病気を聞き出すには、あの手しか思いつかなかった。あの人には、本当に申し訳ないことをしたと思っている。あの人は、真一が死んだ後も、病名を隠すよう徹底していた。それはやはり、里美さんを思ってのことだろう。レイ病というのは、それにかかった患者の肉親も、道徳の名に人間からすれば、差別の対象となりうるんだ。あの人は、本当に素晴らしい人だよ」
周船寺が他人のことを賞賛するのは、滅多にない。当然そのことは、唯子も熟知している。しかし、その今野に対して、彼が抱いてきた苦悩を知りながらも、あんな態度をとってしまったことと、その時の心境を考えると、きっと、周船寺自信が一番つらかったのだろうと、唯子は胸が痛む。
「そんな中、今野さんの奮闘がありながらも、常盤の病気は悪化の一途をたどった。レイ病は、世間にイメージとしてもたれている「感染する」といった実態はもたないが、治すのが困難であることは間違いない。そこにさらに追い打ちをかけるように、今野氏の父、院長の剛三は、ついに痺れを切らして、実の息子に、病院から出ていくよう命令した。だから彼は、自分で開業する決意をして、借金までしている」
手汗が、じんわりと染み込んでいく。
「そんな現状に、常盤は耐えられなかったんだろう。自分のせいで、母と、母を愛し自分をかくまってくれた今野さんにまで、大変な思いをさせている。病よりも、なによりも、この事実の方が、彼にとっては何十倍もつらかったに違いない。そして自分が、母の再婚の最も大きな障害となっている。さらに、回復の見えない自分の病に、これ以上、母たちの足かせになるまいと思ったのと、燃え尽きない学校への復讐心に、彼は、今回の作戦を企てたんだ」
唯子は、目からこぼれる涙を、両手で抑えるのがやっとだった。
怒りや、悲しみ、そして、真実を知りながらも何もなす術のないこのやりきれなさに、激しい悔しさを感じながら、ただ、嗚咽を漏らして泣くことが精一杯だった。
そんな唯子の肩を、周船寺はそっと支えた。
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