第21話
翌朝、唯子は調査の疲れからか、珍しく寝坊をして、朝食も取らずにダッシュで学校へと到着すると、その光景を見て息を吞んだ。
校門前にはおびただしい数の報道陣がカメラやマイクを携えながらおしくらまんじゅうのように詰め寄り、校門前で通せんぼをする教師たちと戦いを繰り広げていた。
しかもそれだけではない。校門の前には、数台のパトカーまで止まっていたのだ。
唯子の胸に、鋭い棘が突き刺さる。
――なんで? 昨日は少なかったのに、今日は圧倒的に数が増えている。しかも、警察まで……。いったい、何が……。
唯子は悟った。これは、何かまた事件に進展があったに違いない。こんな日に限って、寝坊してニュースを見過ごしてしまうなんて!
唯子が後悔の念と言いようのない不安を抱えながら、この校門前の様子を呆然と見つめる最中、報道陣たちを食い止めている教師の一声で我に返った。
「お前ら! 今日の授業は全て中止! 休校だ! すぐに帰れ!」
唯子と同じように、校門へと続く道路に立ち尽くしていた生徒たちは、その声に驚くと同時に、不安げな顔を浮かべながら、渋々と帰っていった。中には、記者に質問とカメラ向けられ、逃げるように走り去っていく者もいる。
――これはただ事ではない。今日は、休校だと言っていたが、あの人なら、間違いなくいるはず。
唯子はぎゅっと拳を握りしめる。
そして思いついたようにダッシュで学校の周りをフェンスに沿うように走ると、人気のないところを見つけると、そのフェンスを両手で掴み、足をかけた。
――学校のフェンスをよじ登るなんて、人生で初めての経験だ。もしお母さんかお父さんに見られたら、はしたないと怒られてしまうだろう。今回だけは許してください。
スカートなので、後ろに人がいないか何度も確認しながら、学校内へ侵入すると、すぐさま、特別棟へと向かった。
「はあっはあっ」
息を切らしながら特別相談室の戸を開くと、やはり、彼はいた。愛用のチェアーに腰を下ろし、どこか虚空を見つめている。
――ふふ。大の学校嫌いのくせに、なんだかんだでいっつもいるんだから。
いつも学校の悪口を言いながらも、こんな休校の日まで自分より早く来ているところをみると、本当は学校が大好きなのではないかと疑わしくなってしまう。
唯子はなんだか可笑しくなり、つい笑ってしまった。
しかし、その唯子の笑みは急に止まる。
……いつもと、どこか様子が違う。
いつもなら、嫌みったらしくノックしなかったことをグチグチと述べた後、やれ、おてんばだの、やれ品位に欠けるだの、やれ胸が小さいだの、まったく関係のない、もはやただの誹謗中傷を言い始めるのが常の事なのだ。
しかし今日は、唯子がノックなしに入っても、何の反応も見せず、こちらを振り向きもしない。その顔つきにはどこかいつもと違い、暗く、何か思いこむような様子が見えた。いつもの、真相に迫る推理をしている時とも、何となく違う。
どこか、近寄りがたい雰囲気が漂っていた。
それを見た唯子の脳裏に、つい先ほどの光景がフラッシュバックする。
そうだ。学校前のあの様子、あれは事件に何か進展があったに違いない。
唯子はフェンスをよじ登ってまでここに来た理由を思い出すと、すぐさま部室内のテレビをつける。すると、ニュースがやはりまだこの事件のことを取り扱っていた。
しかしそこには、昨日までにはなかった、衝撃の一文が載せられていた。
『神代学園高等学校の学校内トイレに、被害生徒の血液が付着した凶器が見つかる。 転落事件と関係ありか 』
心臓の鼓動が、止まった気がした。
今まで胸にしまっていたなにかが、ボロボロと崩れ落ちていく。
凶器が発見。しかも学校内のトイレ。これが指し示す意味は唯子でもすんなりと理解できる。
「ええ。本日警察の発表で、例の男子生徒転落事件の発生した神代学園三階の男子トイレの用具入れから、被害者の血液が付着した鈍器が発見されたとの報告がありました。以上のことからもますます、殺人の疑いが強まったとみられるでしょう」
その後もアナウンサーが何かを読み上げていたが、唯子の頭には何も入らなかった。無感情に並べられる単語の羅列がただ耳を流れていくだけ。
しかし、じんわりとした汗がゆっくりと背中をつたっていくのがわかった。
「そ、そんな……」
「今知ったのかい」
「ええ。今日は急いでいてテレビを見なかったものですから」
「ふうん。息を切らしてまで走ってきたのに休校とは残念だったね」
ここで初めて出た周船寺の皮肉や、テレビから流れる文野学園への批判、学校教育への不信感を語るコメンテーターたちの言葉など耳に入らず、唯子はただ無気力にソファに倒れ込んだ。
――そんな、なんで。どうして。なぜ、人をあんなところから突き落とせるの。常盤さんが、彼がいったい何をしたって言うの。しかもその犯人がこの私たちの学校にいるかもしれないなんて。
気づけば、その頬を涙が伝っていた。唯子はあくまで事故だと信じていた。いや、信じたかったのだ。学校で事件が起こる云々の話ではなく、たったひとりの青年があんな残酷な殺され方をされるという事と、彼をそんな殺し方をした人間がこの世に存在するという事実を受け入れたくなかったのだ。
瞬間、目の前が真っ暗になった。瞳の上に、柔らかい感触がある。
はっと体を起こすと、顔からポトリと、ネイビーのハンカチがソファにへと落ちて行った。
「泣いてる暇があるのかい」
その声の方を向く。
紅葉ももう半分も散った木が見える窓を向き、その表情を見せない周船寺が、背中で唯子に語り掛けていた。
「この謎を解かなきゃならないと言ったのは君のはずだ。こんなところで、いつまでも女々しく泣いていていいのか」
唯子は言葉が出ず、鼻をすする音で返事をする。
「この事件は僕が必ず解明する。当然犯人を見つけ出す。君は僕の相棒なんだろ?」
そう言って、周船寺は顔を半分、唯子の方へと向けた。
「ええ。勿論です」
涙の混じった声で、しかしはっきりと、唯子は答えた。
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