第20話 

 常盤真一の転落事件から数日が経過した。

 神代高校の授業は再開し、校舎の中では、一応はいつもの日常が取り戻された。校門前に詰め寄るマスコミの数も、少しは落ち着いたが、世間では未だに神代高校での転落事件がトップニュースとして扱われ、注目を浴びている。

 ネットやSNSでは、圧倒的に神代高校の姿勢を批判する声が多く、「神代では教師や生徒間での暴力やいじめは日常」などという、根も葉もないデマまで流され始めている。

 自分の学校がこう扱われては、唯子とて決していい気持ちはしない。これは特別相談部の威信と名誉にかけて、一刻も早く真実を解明し、世間に示さなくてはと、決意を固めたのだった。

 

 そのために唯子は今、昼休みという時間を使って、常盤が所属していた三年一組を訪れ、クラスメイトたちに調査を行っていた。クラスメイト同士のトラブル、これが学生にとっては、一番の事故の原因になると考えたからだ。

 しかし唯子は、今回の騒動は事件だとは考えていない。いや、正確に言うと、事件でないことを心から望んでいた。

 

 ――何の罪もない、自分とそう年の変わらない青年が、人の手によって、あんなところから突き落とされるなんて、あまりにも、あまりにもひどすぎる。そんなことは、絶対にあってほしくない。いや、あってほしくない。

 そんな思いから、唯子はこれが事故であることを心から願っていた。

 ――だから、だからこそ事故だということを明確にするために、徹底的な調査によって殺人の可能性を消し、まずは里美さんに、息子さんは人の手によって殺されたのではないという報告をするのだ。

 まずは調査の基本中の基本。聞き込みだ。


「常盤くんね。本当にびっくりだわ。まさか、こんなことになるなんて」

 そう答えるのは、周船寺と常盤のクラスである三年一組の学級委員を務める、真田優香だ。

「あんまり、友達も多くなかったし、ここの所欠席することも多かったから、だれかと何かトラブルを起こしていたっていうことはないと思うんだけど」

「最近、よく休んでいたんですか?」

「ええ。この学校って、二年生からはクラス替えがないでしょう? 二年生の頃は、ほとんど無遅刻無欠席で成績もかなり良かったらしいんだけど、三年に進級した途端、急にばったりとこなくなっちゃったのよね」

「それは、なんででしょう?」

「さあ。私には分からないけど、二年生の最後辺りは、なんとなく体調が悪いようにも見えたわね。どこかストレスを抱えていそうというか。もしかしたらそれが原因なのかも。それに、バイトもしてたらしいって最近聞いたし、もしかしたらそれもあるのかも」

 そこまで聞いて礼を告げると、今度は、生前、常盤と席の近かった小山という男子生徒に唯子は話を伺った。彼は二年生の時も、偶然、常盤とは席が近かったという。

「うーん。確かに、席は近かったけど、ほとんど話さなかったなあ。ていうか、彼が誰かと話すところをあんまり見た記憶がない気がするよ。昼休みも、一人で飯食った後は、いつも自習してたし。彼、多分奨学金を狙ってたんだろうね」

 奨学金とは、この学校の制度の一つである成績優秀者に渡される奨学金の事だろう。毎年行われる学年末テストの学年首位者にのみ付与される。これは一般的な奨学金とは性質が異なり、返済の義務がないため、奨学金というよりもほとんど賞金に等しい。

 そのため、生徒としては是が非でも取りたいものなのだが、その分、競争率は高い。特にこの神代高校は都内屈指の偏差値を誇る私立高校であるため、学年一位を取る生徒は、すなわち日本全国でもトップクラスの学力を持つことを意味するのだ。

「二年生の時から席が近かったということなんですが、最近になって変わった点はありましたか?」

「うーん。変わった点といわれても、常盤は、三年になってからあんまり学校にこなくなったから、分からないなあ。だからまあ、学校にこなくなったっていうのが、変わった点かなあ」

「はあ」

 その後も唯子はクラスメイト達に、常盤についての調査を行ったが、特に大きな収穫はなく、皆、話すことは真田や小山とほとんど同じだった。



その日の放課後、今日一日の調査の結果を特別相談室で周船寺に報告した。

「常盤さんとトラブルを起こしそうな人間についても探ってみましたけど、てんでダメですね。全くそれらしい人は見当たりません」

 そう告げる唯子の声は、収穫がない割にはどこか明るかった。事故を信じる唯子にとっては、収穫がないことこそが収穫なのだ。これがもし、怨恨を抱えてそうな人物が見つかった場合だったら、もっと沈んだ声だっただろう。

「だろうね」

「やっぱり、アルバイト等で忙しかったらしく、学園祭とかの学校行事も積極的に参加してはいなかったみたいです。それでも、成績はかなりよかったらしいですが」

 まるでこの人みたいだ。と周船寺を見ながら唯子は思った。それと同時に、もし、この人が突然死んでしまったら。という空想に唯子は取りつかれる。

 ――まるで今日見た夢のように。

夢というものは、大抵は起きた数分後には忘れているものだが、あれだけは今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。夕陽の差し込むこの特別相談室に、一人ぼっちで泣いている私、あの部屋にこの人は、もう永遠に訪れない。

 あの夢を思い出すだけで、それがまるで現実かのような絶望感が唯子の胸に迫り、じんわりと涙がにじみでそうになった。

 どこか様子のおかしい唯子を、周船寺は呆れた目で一瞥する。

「……なにをぼーっとしてるんだ。僕がもし死んだらどうしようなんてくだらん妄想でもしてるのかい?」

「な、ち、ちがいます!」

 唯子は顔を真っ赤にして胸の前で両手を振った。

 ――こ、この人は本当に人の心でも読む力をもっているのだろうか。時折本当にそう思う事がある。

そしてもし本当に彼がその能力をもっていたとして、それが今まで有効活用されたことはかつて一度もないだろうことを唯子は確信していた。

「それと、事件とは関係ないかもしれませんが、常盤さんが勉強熱心だったのは、ここの奨学金を得る事が狙いだったそうです。やっぱり、家計も苦しそうでしたから、無理のないことかもしれません」

 そう言った唯子の気持ちは、どんよりと沈んだ。辛い境遇の中でそれを立ち向かう努力をしていた常盤さんが、何故、あんな悲しい最後を遂げなければならなかったのだろう。

「奨学金か……。君、ここの奨学金は実質、教育委員会から来ているのを知っているか?」

「え、そうなんですか?」

「そんなことも知らないのか」

 周船寺は呆れたように肩をすくめる。

「数年前、『特選学校法人支援制度』というものが出来たのが、ニュースになっただろう」

「……き、きいたことはあります」

 その声音には、内容はよく知らないという意味が込められていた。

周船寺は、はあとため息をつく。

「その特選に選ばれた私立高校は、文科省を通して教育委員会から多額の支援金を受け取ることが出来る。この特選に選ばれるのはかなりの倍率だから、選ばれた学校は、かなりの箔がつく。実際、この学校がそれに選ばれてから入学希望者はかなり増加してるしね。偏差値の向上にも貢献している。そしてその金は、基本的に成績優秀者の奨学金となる仕組みになっている。この制度ができたのは僕たち三年生の代が入学するちょうど一年ほど前だったから、多分常盤は、この制度が目的でこの学校に入学したんだろう。成績十番以内なら、学費免除の特権もあるしね」

「へえ」

 確かに、そうでもなければ、裕福とは言えないあの家庭でこの神代高校の学費を賄うのは難しいだろう。唯子は納得した。

「そうだ、君、学校のホームページを開いてみてくれ」

「え? 学校って、ここの? なぜです?」

「いいからいいから」

 頭に疑問符を浮かべたまま、唯子はスマートフォンで学校のホームページを開く。

ここになんの意味があるのだろうと、唯子はざっと目を通すと、学校の沿革や進学実績などが書かれてあるリンクの一覧の中に、『成績優秀者と奨学金』と記されたリンクを見つけ、それを開くと、目を大きく丸めた。

「あっ、これっ」

 そこに映っているのは、見飽きるほどに見慣れた顔。その無駄な凛々しさが、知る物にとっては逆に憎たらしく思えるほどに精悍な顔立ち。紛れもなく、今唯子の側にいる周船寺佳一の顔だった。カメラに向けられたはにかんだ笑顔と余裕そうな態度に、よりいっそう腹立たしさが湧いてくる。

「先輩じゃないですか!」

 唯子が叫ぶと、周船寺は椅子から立ち上がり、ひょこっと唯子の後ろからスマホに映った自分の顔を見つめる。

「ん? おお、ほんとだほんとだ。まったく、こう世間に顔を勝手に出されちゃ、恥ずかしくってしょうがないね」

 ――この人、私に見せるためにわざと開かせたな……。

「二年生の奨学金取得者は……ん? どうやら君じゃないみたいだね。どうした? 前のテストは風邪でも引いていたのかい? 仮にもこの栄誉ある特別相談部の部員なんだから、この部の評判を貶めるような点数だけはとらないでくれよ?」

 ケラケラとせせら笑いながら嫌味っったれる周船寺に、唯子は苛立ちと殺意、そして握りしめた拳をなんとか抑える。

「あ、あなたのせいで一生懸命頑張っている常盤さんがもらえないなんて、少しは思いやりをもちなさい!」

「ん? 何言ってるんだ。彼ももらっているはずだよ。去年の学年末テストは、僕と彼で同率一位だったはずだ」

「え?」

 そう言われた唯子はもう一度スクロールをしてみるが、そこに映し出されていたのは、この憎たらしい周船寺と、二年生と一年生の成績トップの人間だけで、常盤真一の名前も写真もなかった。

「ありませんけど?」

「なんだと?」

 眉をひそめた周船寺は、唯子からスマホを取り上げ上下にスクロールさせ、何も言わずに唯子へと戻した。そして黙ったまま再び椅子に座り込むと、考え込むように、頬杖をついた。

   


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