第18話 常盤里美
「まずは、常盤の家に行こう」
周船寺の口から出てきたその言葉を聞いて、唯子は驚いた。
いきなり被害者の自宅。彼の家族から何を聞くのかは分からないが、周船寺がここまで迅速に行動を移すことは滅多にない。何がきっかけだったのかはわからないが、唯子は周船寺のこの事件に対する本気を感じ取った。
こうして二人は今、常盤の自宅へと向かっている。渋谷駅から一本で五駅離れた地に、彼は住んでいたようだ。
駅から歩きだして十五分程経ったくらいだろうか。先生に教えてもらって住所を探しながら、夕陽がオレンジに地を照らす下を歩いていると、目的地の近くについたことに気が付いた。
駅からはだいぶ離れた、寂れた地だった。低層マンションやアパートの立ち並ぶ、いわゆる下町とよべるような所だった。
この町に、あの青年は、常盤さんは住んでいたんだ。
「あっ、多分、これです」
しばらく探した折、唯子が指さしたのは、一軒の古びたアパートだった。木製の二階建てで、所々さびついている事から、かなり年季が入っていることがうかがえる。
唯子と周船寺は、がたついた階段を、ギシギシと音をきしませながら登ると、メモを確認しながら、常盤家の部屋である204号室のチャイムを鳴らす。
だが、なんの反応もない。ここまで来て無駄足は辛いと思った唯子が三度そのチャイムを繰り返した所でやっとその戸が開いた。
「……なんでしょう?」
出てきたのは、四十代前半くらいの顔立ちの整った女性だった。彼が常盤真一の母親、常盤里美さんだろう。唯子は教師からもらった資料に書いてある名前を思い出した。
それなりに年だが、その黒い髪には美しい艶が光り、肌もまだ若々しく鼻立ちもすっきりとしている。
若い時は大層美人だったであろうことが伺えるが、今は、その綺麗な瞳が赤く張れきっている。それに全身から悲壮感と疲労感が漂っていた。息子を失った悲しみと、おそらく、学校と同じようにマスコミのラッシュにあったのだろう。
「突然すいません。真一君の友人で、線香を上げに来たのですが」
「え、あ、はい」
周船寺が尋ねると、里美は一瞬驚き、しばらく逡巡した様子を見せた後、扉を大きく開いて、唯子と周船寺を中に招いた。
短く、年季の入った廊下を進んだ先の居間の片隅、箪笥の上に常盤の写真がたてられ、その前に花が添えられていた。
「ごめんなさいね。まだ仏壇なんかもそろえられてなくて。お線香もないから、手だけでも合わせてくれないかしら」
唯子は慌てて頭を下げる。
「い、いいえ。とんでもないです。すいません。こちらこそ急に押しかけてしまって」
周船寺と唯子は、目を閉じ、手を合わせることで、死者を弔った。唯子は常盤真一の事を知らないが、周船寺は多少なりとも彼と会話を交わしたことくらいはあるらしいことを唯子はすでに悟っていた。
周船寺は今何を思い、黙禱しているのだろう。瞳を閉じた彼の横顔だけでは、唯子は何も読み取ることができなかった。
「二人とも、ありがとうございます。驚いたわ。あの子に線香をあげにきてくれる友人がいるなんて」
涙を押しつぶすような声音の里美に唯子は心が締め付けられた。
だから、私たちが来た時、あんなに驚いたのか。でも、それだけではない気がする。唯子はなんとなくそう思った。
「いいえ。そんなことは」
「いいのよ。気を遣わなくて。私の責任なの。夫は真一が生まれる前に死んじゃって……ずっと貧乏だったから、あの子にも働かせちゃって、友達を作る時間もあげられなかったから」
里美が言いきると、気まずい沈黙が降りる。それを打ち破るかのように周船寺は
「今回の真一君の死は、事故だと思いますか?」
「……」
里美は俯き、しばらく言葉を探していたようだった。
まだ日も経っていないのに、なにもそんなストレートに聞かなくても、と唯子は牽制の意をこめて周船寺の方を睨みつけたが、彼はじっと里美の瞳の深層を探っていた。
「わたしには……わかりません」
やっと言葉を拾ったように、うつむいたまま、ぼそりと呟くだけだった。
「真一君は部活動に所属していたわけではなかったのですが、夜遅い時間まで学校にいることはよくあるんですか?」
「すいません。それも、よくわからないんです。あの子は学校が終わった後は基本アルバイトに行って、帰りが遅いものですから」
里美はあくまで、淡々と答える。
その後も周船寺がいくつか質問をしたが、里美の答えはどれも要領を得ないものばかりだった。
唯子と周船寺は里美に感謝の意を告げると、常盤宅を後にした。軋む階段を二人で降りる間、二人の間にも、どんよりとした空気が漂っていた。
「……なにか分かりました?」
そうでないことは分かっていながらも、唯子はつい癖で聞いてしまう。
先ほどの周船寺と里美のやりとりを見ていて、唯子は違和感を覚えた。真一の母、里美は、どことなく周船寺を警戒しているように見えたのだ。周船寺の質問に対する答えがそっけないところから、なんとなくそう感じた。
自分の勘違いかもしれない。息子を亡くした時、母がいったいどんな感情になるのか、唯子には想像もつかない。
彼女の心境としては、まだ息子の死を受け入れられていないのかもしれない。そんなとき、私たちのような者が、詮索するように訪ねてきたら、邪魔に思うのも当然ではないのだろうか。
……やはり、少し早すぎたのかもしれない。今回の事件は、私たちが経験した中で初めて、人の死が絡んでいる。いつものような調査とは種類が違うことを、覚悟して臨むべきだったのかもしれない。
唯子がそんな思いにかられていると、周船寺が前を向いたまま口を開く。
「里美さん。僕たちが息子とどういう関係だったのか、聞かなかったな」
「最初に友人って言ったじゃないですか」
「確かにそうだが、彼は部活にも入っていなかった。どこで繋がった友人なのか、気にならないものだろうか」
「うーん。まだ事件が起こったばっかりでしたから。そんなこと考える余裕もないですよ」
唯子がそう言っても、周船寺はまだ気にしているようにずっとうつむいたままだった。唯子もそれに対して反応を示さず、二人肩を並べて静かに駅まで向かっていると、恐ろしいスピードで汗を垂れ流しながら走ってくる背丈の高い背広を着た男が目に入った。
その男の手には、白い大きな菊の花束が握られている。それを落とさないよう用心しながら、全速力で急ぐ様子が、少し滑稽だった。
その男とすれ違う瞬間、唯子も周船寺も目で彼の行く先を追った。
「な、なんなんでしょう、今の人は?」
「……さあ」
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