第17話 周船寺の回顧

 

 周船寺は思い出していた。常盤真一のことを。二年前、ここに入学して間もない頃の春、屋上で偶然、彼と出会った日のことを。



 授業嫌いの周船寺は、いつものように無断で教室を抜け出すと、これまたいつものように屋上へと足を運んだ。

 まだ特別相談室を設立していなかった当時は、ここが周船寺の憩いの場だった。

 屋上の戸を開けると、春の心地よい日差しが全身を覆い、何とも言えない解放感に包まれた。そして、さあ今日はどこを陣取って寝そべろうかと首を振ると、おや、と見慣れぬ人物がいることに気付いた。

 戸から出て右に折れ、しばらく歩いたところに、大の字になって気持ちよさそうに仰向けに寝ている男子生徒がいた。

 その人物の元にゆっくりと近づくと、どうしようかとしばらく思索した周船寺は声をかけた。


「おい! 授業中だぞ」

「うおっ」


 寝ていた男子生徒は周船寺の声に驚いて飛び上がり、首と視線を右往左往させると、何を思ってか突然、正座の体勢になり、眠い目をこすって声をかけた周船寺をみつめると、顔を歪めた。

「なんだ……教師じゃねえじゃねえか……ん? お前は?」

 彼とほぼ同時に、周船寺も、この人物に見覚えがあることに気付いた。しばらく記憶を辿ったのち、その正体に気付く。

「君は……常盤か」

「ああ。お前は、周船寺とか言う奴だな」

 同じクラスで、入学して一か月ほども経った頃なので、一度くらいは会話を交わしてそうだったが、この二人が言葉を交えたのはこの瞬間が初めてだった。それどころか、お互い顔を知っている程度だったので、ほぼほぼ初対面のようなものだった。

 常盤は姿勢を崩すと、獣のように目を鋭くし、ぐっと射殺すように周船寺を睨みつけた。

「なんでこんなとこにお前がいるんだ?」

「それはこっちのセリフだよ。ここは僕の特等席なんだ」

「何をわけのわからんことを……」

 そう言うと常盤は周船寺から目を離し、気持ちよさそうに仰向けになって春の日差しを浴びた。

 その彼の様子をじっと周船寺は見て、彼はどことなく自分に似ていると感じた。どんなところがと言われると難しいが、縛られることを拒む、常に自由な生き方を望む、そのような印象を抱いたのだ。


「君は確か優等生だろう? こんなところにいていいのかい?」

「優等生は屋上に出入り禁止なのか?」


 まったくこの様である。こういうところもどこか自分に似ている。そのせいか、周船寺は彼にシンパシーを感じるようになった。

「だが珍しいじゃないか。君はいっつも、真面目に授業を受けているのに」

「まあな。だが俺もあんなのは性分じゃねえんだ。授業なんてもんはくだらねえと思ってる。いいか、学問の本質は自学なんだ。授業なんか最低限やりゃあいい。それをあんな何時間も続けてやるなんてのは、非効率的もいいとこだ」

 周船寺は彼の言葉に思わず感動して鳥肌が立った。

「いいねえ。わかってるじゃないか。この学校にそれをちゃんとわかってる人間がいると知れて実に今感動してるよ」

「そういうお前こそ、話せる口じゃねえか」

 二人は意気投合し、話は弾んだ。

 そうしてしばらく、他愛もない話を繰り広げた後、周船寺はある提案をした。

「部活をね、作ろうと思うんだ」

「部活? それまたどんな」

「別に何もしない」

「はあ?」

「何もしないが、部室として場所だけ取る。まあ名目上活動目的は必要だから、そうだねえ、生徒たちの悩み相談を受ける部とか、そんなんでいいだろう」

「そんなもんが許可降りるとは思えんがなあ」

「ふっふっ、それを通すのが僕なのさ。いくらかここの校長の弱みを知っていてね。それを種にゆすればいけると思うんだ」

「ふーん。それで?」

「それに君も入らないか?」

 その質問を見透かしていたようで、常盤は特に驚いた反応を見せなかった。


「そりゃあ無理な話だ」

「なぜだい? 他に部に入ってるのかい?」

「いんや、部には入れねえ。バイトが忙しいんでね。苦学生ってやつだ」

 常盤の不自然に明るい抑揚のある声と、どこか陰の生まれたその表情の不釣り合いから、周船寺は、彼の心境と、今置かれてるであろう、あまり好ましくないと思われる彼の周囲の環境を悟った。

「……そうか。残念だ」

 常盤は特に気にした様子もなく、仰向けのままゆっくりと目を閉じた。

 その後も色々話したが、内容はほとんど覚えていない。この時の会話だけがなぜか未だに記憶に残っていたのだ。


 何の縁か、翌年も二人は同じクラスになったのだが、周船寺が部創設を有言実行し、クラスに滅多に顔を出さなくなったこともあってか、顔を合わせること自体なくなり、この屋上で偶然居合わせた日が、常盤と話した最初で最後の日だった。



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