第15話



 全校集会、そしてその後クラスで行われた今後の学校のスケジュールについての説明が終わると、唯子は早足で特別相談部の部室へと向かった。今日は部活動も中止となったが、彼ならば、間違いなくあそこにいるに違いないという確信があった。もう一年にも及ぶ付き合いなのだ。それくらいのことは熟知している。

 

 そしていつものようにノックもなく部室を開けると、やはり周船寺はいた。

 

 しかしいつものようにノックをしない唯子を咎める事はなく、彼の視線は部屋の右壁のテレビを注視していた。

 

そのテレビの中には、今日全校集会の時にいなかった校長が汗まみれの顔で映し出されている。長テーブルの中央に座り、大量のフラッシュを浴びている。

 頬はやせこけ、顔は血色を失っている。ただでさえ薄い髪がさらに薄く見え、心なしか白髪の数も増えている気がする。その校長の様子から、たった一日で彼へ襲い掛かった負担とストレスが想像しうる。

「ええ。ですから、当校では現在のところまだ事実確認の調査中ではありますが、不慮の事故だと推定しております」

 一気に、記者陣の間でどよめきが走る。そしてすぐさまその内の一人の野次が飛んだ。

「事故とはどういうことですか!? 例のフェンスの壊れ方は意図的なものに見えるとのことですが!? あれについては!」

 校長は逐一ハンカチで額の汗を拭き、ゆっくりと口を開く。

「ええ。フェンスの件に関しても目下のところ調査中でありますが、今のところ当校の管理不足でああなってしまったものと考えております。当然、遺族には多額の賠償金を支払うとともに、謝罪の意を表明するつもりであります」

「生徒同士のいじめのようなトラブルで今回の事件が起こったと言う見方もありますが、それはどう思いますか!?」

「え、ええ。常盤くんが落下した時間はすでに全部活動も終了している時刻であるため、そういったことはないと考えてあります」

「それは本当に信憑性のある事なんでしょうか!? 学校側が隠蔽し事故という形で済まそうとしているという憶測も世間では飛び交っていますが!?」

「え、ええ……」

 その後もしばらく記者たちの押し問答が続く気配があったが、そこでいったん映像は途切れ、ニュースのスタジオへと戻った。

「これが本日午前十一時に行われた、会見の映像の一部です。皆さんどう思われますか?」

 その言葉に反応したのは、ゲストとして呼ばれている、毒舌で有名な男性タレントだった。この時間のワイドショーでは、よく見る顔だ。

「いや、許せませんよこんなの。早々に事故で片付けようとしているのが丸見えだし、なるべく大事にしたくないという下心が見え透いている。こういうのはね。絶対この学校になんらかの問題があるんです。徹底的に調査すればね、他にも何か出てくると思いますよ」

「まあ、ある意味では当たっているな」

 皮肉な笑みを浮かべて、周船寺が初めて口を開いた。

「散々な言われようですね……ネットとかでも、かなりうちの学校が非難されているみたいです」

「まあうちは有名校だからね。それゆえに叩きたい奴も多かろう」

 周船寺がリモコンを手にし、適当にチャンネルを変える。しかしどこの局でもそろって、取り扱っているのは神代高校のニュースだった。

 その時、偶然写ったチャンネルのニュースに映し出されたのは、ある一枚の写真だった。

「これが、今回、転落死した常盤真一さんです」

 それは、唯子が朝も見た、常盤のクラスの文化祭での集合写真だった。

 そんな中、また朝のように常盤が映っている部分がアップで映し出されると、唯子はふと、ある種の既視感を覚えた。

 アップされた写真には、常盤を中心とし、その左右に二人の男子生徒が映っている。その男子生徒の顔にも他の生徒同様、モザイクがかけられているのだが、唯子は常盤の右隣にいる人物がやけにきにかかった。

 顔の向きが正面でなく、少し明後日の方を向いている。これはシャッターの瞬間がずれたとかではなく、本人が意図したことなのだろう。モザイクで顔ははっきりと見えないが、不機嫌な表情を浮かべているのが、どことなく伝わってくる。そこから、この人物がこういう写真を撮ると言った面倒な事が嫌いな人間であることが想像しうる。

 そして、肝心の顔は視認できないのだが……このきちんと整えられた漆黒の髪に、人を小ばかにしたような、腕の組み方……偉そうな態度。

 

 さらに……うまく説明できないのだが、この顔の見えない写真でも伝わってくる、どこか貫録のある佇まいと、どこか腹のたつ、えらそうな雰囲気、間違いなく見覚えがあるのである。

 

 いったいどこで見たのだろうか……?

 

 はて、と小首をかしげて考えていると、唯子の頬を温かな風が撫でた。その心地よさに目をつぶると同時に、その風が伝って来た、開かれている窓の方を向いた。

 そして、少し開いた窓の正面で外の方を向いている周船寺の背中を視界に入れると同時に、唯子ははっと既視感の正体に気付いた。

「先輩!? これ、先輩ですか!?」

「ん? なんだうるさいな」

 周船寺はうっとうしがるような声で、邪険に返事をしたが、そんなことも気にせず唯子は彼のブレザーの襟元を引っ張って、強引にテレビの前まで連れて行く。

「これ! これですよ! 常盤さんの隣に写ってるの、先輩ですよね」

 めいいっぱい周船寺の顔をテレビに近づけ、その周船寺であろうモザイクのかかった男子生徒の顔を指さす。

「おお。ほんとだ。よく気付いたね」

 そうは言いながらも、眉ひとつ動かさない。周船寺は至って無関心な様子だ。

「よく気付いたねって、こんな偉そうな人、あなたしかいませんよ! ってそんなことはどうでもよくて、先輩、この人と同じクラスだったんですか?」

 周船寺は顎を撫でる仕草を見せ、未だに無関心そうな態度で答える。

「ああ。確かそうだったね」

 同じクラスであるのに「そうだったね」というのは、彼が普段クラスに顔を出さないゆえの発言だろう。そのことは唯子も知っていたので突っ込まなかった。しかし、逆に一つの質問が生まれる。

「先輩、なんで写真に写っているんですか? クラスには顔だしてないんじゃ?」

「んああ。僕だってね。写りたくなんかなかったよ。これは文化祭の時の写真だね。暇だから適当に散歩してたら、担任につかまってしまってね。こいつがほんとにうるさいやつでね。文化祭なんだからせめて写真くらいには写れってやかましいんだ」

「なるほど。どおりでこんな不機嫌な態度を……」

「そんなことどうでもいいだろ」

「どうでもよくありませんよ! なんで言ってくれなかったんですか!? 同じクラスだって!」

「なんでって……君が聞かなったからさ」

 もういいです。と言う代わりに唯子は大きくため息をついた。

「それで、常盤さんとは交流はなかったんですか?」

 

 窓から見える大きな木から、まだ新しい緑の葉が落ちていくのが見えた。

「……ないよ」

 なぜだか、答える前に、不自然な間があった気がした。それに一瞬、彼の瞳の中に、曇りが見えた気もしたが、唯子は特に気にせず、もう一度大きくため息をつく。

「はあ。でしょうね。誰一人としてお友達がいないんですから。まあ、期待はしていませんでしたけど」

「君……僕に対する敬意がもはや消えてないか?」

 その時、部室のドアをドンドンと乱雑にノックする音が室内に響いた。反射的に二人はドアの方を振り向き、周船寺が抑揚のない声で「どうぞ」と答える。

 いったい誰だろう。今日は午後の授業は中止で部活動もない。ほとんどの生徒がもう帰路についたはずだ。

 固唾を飲んで見守っていると、その戸から現れたのは、なんとも意外な人物、校長の安岡だった。見るからに尋常な様子ではない。顔からは生気が消え、顔には普段よりも多くのしわが生まれている。表情はもちろんのこと、全身からは暗澹たる負のオーラが漂っている。

 まるで、ほんの数時間で何十年分も年をとったような、そんな感じだった。

「おやおやこれは」

「でもあれ、さっきテレビに」

「あれは録画だよ。十一時の会見と言っていただろ」

 二人がのどかに会話を交わすかたわらで、相変わらず安岡は死ぬ間際のような顔を保っていた。

「まあとりあえず座ってください」

 周船寺がそう言って、自分がいる方とは反対側のソファを指さすと、校長は返事をするでもなく頷くでもなく、色あせた目で言われるがままにソファに腰かけた。

 それに続き、唯子も周船寺の隣へと腰かける。

「いやあ、今回はとんだ災難でしたねえ」

 茶化すようなトーンで周船寺が口火を切ると、校長の眉がぴくりと動き、正面のテーブルを両手で壊す勢いで叩きつけると、噴火のような勢いで立ち上がった。

「まったくだ! ふざけよってどいつもこいつも! まるで俺が殺したみたいに言いやがって!」 

 やっと口を開いたと思えば罵詈雑言の嵐が滝のように流れ、唯子と周船寺は体を後ろにのけぞるほどに狼狽した。  

「こ、校長先生、お、落ち着いてください」

「ふー、ふー」

 唯子がなんとかしてなだめて再度座らせると、しばらく深呼吸を繰り返して、やっと落ち着きを取り戻したようだった。

「今日ここに来たのは他でもない。お前らももう事件のことは聞いただろう」

「ええ。学校としてはなんとしても事故にしたいようですが」

「それが妥協案なんだ! 事故でもこっちは多額の賠償金を払わにゃならん! だがそれで済むならまだ御の字だ。これがもし事件。生徒同士の間でのトラブル、最悪の場合、生徒が突き落としたとかだったりでもしてみろ。今以上に大変なことになる」


「いいえ、もっと最悪なケースがあります。ここの職員が突き落とした場合です」

 

 冷淡な声で、周船寺が言い放つと、ぞっと校長の顔が青くなる。どうやらその可能性は全くもって考慮していなかったらしい。それは唯子も同じで、校長と同じように一瞬どきりとしたような反応をした。

「まあもし殺人だとすると、この学校のイメージは最悪ですな。来年の入学希望者はどっと激減するでしょうね」

「ああ。それだけはなんとしても避けねばならん。だから今回お前に頼みたいのは、そこの……調査だ」

「と言いますと?」

「今回の常盤真一の転落死が、事故によるものなのか、はたまた、さつ……人の手が絡んでいるのか……そこのところを明らかにしてほしい」

「なるほど」

 安岡はいったんそこで咳払いし、ばつが悪そうに周船寺を見つめなおした。

「そこでだ。もし、もし彼の死が、人の手によるものだった場合、口外はしないで、私にだけこっそりと教えて欲しい」

「なるほど。なるほどねえ。でも僕はおしゃべりだからなあ」

 周船寺は含みのある笑みで答えた。

「も、もちろん、報酬ははずむ」

「仕方ありませんね。お引き受けしましょう」

「うむ。では任せた」

 そう言うと安岡は立ち上がってそそくさと部室を後にした。

 

 先ほどからずっと、安岡と、自分の隣に座っている周船寺を、冷たい軽蔑の眼差しで唯子は見つめていた。

「なんだいその目は」

「相変わらず……汚い人たちだなあと思って」

 周船寺はくくっと笑って立ち上がると窓の方へと寄った。

「相変わらず子供だなあ君は」

「こう思うのが子供なら子供で結構です。それに私はいらだってるんです」

「何にだい?」

「あの校長先生にですよ! なんですか、自分の学校の生徒が死んじゃったのに、自分や学校の名誉の心配ばっかりで! 私は……がっかりしました」

「まあ、今に始まったことでもないさ」

 表情を変えずに、周船寺はゆっくりと立ち上がり、静かな声で、唯子の方を見ずに呟いた。

「じゃあ、行こうか」



続く



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