第12話 第一章 完
「なら、証拠を見せてやろう」
周船寺はのそっと立ち上がり、手でついてこいと合図をした。唯子は特に逆らわずに、大人しく彼の後を追う。
特別相談室を後にし、特別棟を出て、本校舎一階をしばらく歩く。
「ここは……」
そしてついた先はあまりに予想外の場所、校長室だった。
全くもって、特別相談部との接点が見えない。怪訝に思っている唯子など気にもしない素振りで、周船寺は乱雑にその戸を叩いた。
「はいるぞ」
まるで父親が息子の部屋に入る時のような文言と声音に、唯子は唖然とする。
「ちょ、ちょっと先輩」
開けるとそこは、校長室という言葉のイメージ通りの部屋で、窓にはブラインドがかかり、その前には、大きなデスクがあり、そこに向かって校長が一人で仕事をしている。という様だった。
そしてその校長はこちらを目にするや、一瞬驚いた顔をし、すぐさま顔を歪めた。
「げっ、ま、またお前か」
周船寺は校長の元へ、無遠慮にずかずかと大股で近づいていく。その距離が縮まる度に校長の顔色がどんどん悪くなっていくような気がした。
「なんです校長? げっ、はないでしょう。げっ、は」
「い、いったい何しに来た!」
この校長の慌てようは尋常ではない。まるでヤクザの取り立てが訪れたかのようである。唯子は未だにこの二人の関係性がつかめないでいた。
「いやあ。何ってこともないんです。紹介します。めでたくも我が部に新入部員がはいりましてね。一年の姪浜唯子君です」
急に紹介され、唯子は慌ててぺこりと頭を下げた。校長は怪訝そうな様子で、眉間にしわを寄せたまま、目を細くする。
「ほう、ずいぶんと物好きな奴がいたもんだ。で、それがなんだと言うんだ」
「いやね。新入部員が入るとなるとね、色々お金がかかるんですよ。歓迎会なり、道具をそろえたりね。それでちいとばかし、資金提供してほしくてね」
「ばかいえ! 何が歓迎会だ! 充分お前のとこには金があるだろ」
「いやそれがもう底をつきかけてましてね。十万ばかり回してほしいんです」
じゅ、十万!? 唯子は血相を変え、驚きを露にしたが、声に出すことはできなかった。しかしその代わりにか、校長が唯子の気持ちをそっくりそのまま表情に表し、代弁してくれた。
「じゅ、十万だと!? ふざけるのもいい加減にしろ! お前の形だけの部に、何万も入れるわけにいくか! ただでさえ、あの部への部費は不自然に高いと他の教員や生徒たちから苦情が入ってるんだ!」
額にじんわりと汗をにじませながら、大声でどなる校長に対し、周船寺は目をつむり、うんうんと首を縦に振りながら、思うがままに校長室を徘徊していた。
「ふむ、なるほどね。なるほど。よくわかりました……。だったらね、頭を使えばいいんです。いつものように部費という形ではなく、校長が個人的に、特別相談部の学校への貢献に対する謝礼という形で、僕の懐に入れてくれればいいんです」
全くもって悪びれる様子もなく、当然のように、周船寺は言い切った。唯子と校長は茫然とするあまり口をきけず、しばらく校長室には沈黙が降りた。そしてそれを校長が怒号によって打ち破る。
「ふ、ふざけるな! 何が学校に対する貢献だ! ええ? ただあそこでいつも授業をさぼっとるだけだろうが!」
「いえいえ、ちゃんと活動していますよ。ちょうど昨日も、彼女の依頼を解決したところです。例の財布の事件ですよ。校長も話ぐらいは聞いてたでしょう? なんとねえ。まあ、誰とは言いませんが、犯人はここの教師だったんですよ」
「な、なに?」
「しかもね、その教師は、ここの女子生徒と交際までしていたんです。いやあ、生徒と教師の禁断の恋かぁ。僕はいいと思うんですけどね。これが公になったら、世間や父兄の皆さまはどう思われるか……」
「ほ、ほんとなのか?」
校長は額に汗をにじませ、唯子の方を助けを求める子羊のような目で見た。しかし、彼の言ったことは事実なので、唯子は首を縦に振る事しか出来なかった。それを見ると、校長の顔色はいっそう悪くなる。
「この名の知れた名門校で教師が窃盗! しかも生徒と淫らな関係にあるとなったら、そこそこのニュースにはなるでしょうな」
「ま、まあそうだな。ちゃんと活動しているという事であれば、確かに、資金提供するのも、悪くないかもしれんな。だが、ちいと、十万は高すぎるな。わしも最近、懐がどうも寒くてな……」
引きつった笑みを浮かべながら、窺うように校長は周船寺に擦り寄る。その姿はまるで、本命の取引先と交渉する命がけのサラリーマンのようであった。
「またまたあ! 校長もご謙遜を! 今年、議員の息子を裏口入学させて、何百万ももらったんでしょ?」
「ええ!? う、裏口?」と、思わず叫んだのは唯子である。
「お、おい! わ、分かった。分かったから。もう黙ってくれ!」
「いやあやっぱり校長は、話が早くて助かります。では、ここに僕の口座が書いてありますので、三日以内にお願いします」
周船寺は校長に近づくと、メモを自分のポケットから取り出し、校長の胸ポケットにしまった。
「用はこれだけです。それでは失礼、いくよ、唯子君」
「あ、はい」
借りて来た猫のようになっていた唯子は、ただただ周船寺の言うままだった。
扉を閉め、しばらく歩いた後、校長室から、「二度と来るな!」と怒号と扉を蹴りつける音が、聞こえた気がした。
部室に戻る頃には、唯子も冷静を取り戻していた。すると、思い出したかのように質問を攻め立てる。
「ちょっと、さっきのあれ、どういうことなんですか?」
「どういうことって?」
「裏口入学の話ですよ! いや、他にも気になることはたくさんありましたけど……」
「ああ、そのことか」
周船寺はブレザーのポケットに手を入れ、どこか虚空を見つめた。その目は、どこか遠くを見ているようだった。
「君は……どんな気持ちでこの学校に入った?」
意外な質問に、唯子は一瞬戸惑う。
「え? 友達をたくさん作って、楽しく過ごせたらいいなと……」
その答えに不満があるのか、周船寺は呆れたように短くため息をついた。
「……質問を変えよう。世間一般ではこの神代高校はどういう風に思われている?」
唯子も周船寺と反対側のソファに腰かけ、その質問に少し考える仕草を見せた。
「えっ? うーん、まあ、それなりにいいイメージをもたれているのでは?」
間髪入れずに周船寺は突っ込んだ。
「具体的には?」
「ええ? まあ、品位があって、学力も高くて、有名で……」
「まあそんなとこだろうね、だが、それらはメッキで覆われたイメージだということさ」
「えっ?」
周船寺は、時折に顎に手を当てたり、足を組みなおしたりしながら、淡々と語り続ける。
唯子は、先ほどから、その彼の、凛とした瞳の移ろい行く先、表情の微細な変化、一挙手一投足に、視線を奪われた。
そして何度か視線が真正面でぶつかる度、心の中で大きく揺れ動く何かと、狂いだす呼吸のリズムを、確かに感じるのだった。
「ここの学校の経営陣、教員たちも若干数含めてだが、この学校のイメージとは裏腹に、黒いことをやってるってわけさ」
「それが……裏口入学?」
「それもその一つだ」
「ということは他にも?」
「ああ。それをネタに僕は金をゆすっているというわけさ」
なるほど。この部室の備品がやたらと高価なものばかりなのは、そこから得た金だったのかと納得いった。そしてそれが、この特別相談部への部費という形で運ばれるというわけなのだろう。
彼はいったいどうやって、それらの汚職を見破るに至ったのだろう。唯子は聞こうと思ったが、やはり寸のところでやめた。唯子が聞いたところで、彼はきっと教えてはくれまい。
「意地悪な人ですね」
「まあね」
「ところで……」
「ん?」
眉を上げて、周船寺が唯子を見返す。
「私の歓迎会って、いつやってくれるんですか?」
唯子は満面の笑みで、目を輝かせた。
「あんなの嘘に決まってるだろ。よし、君の最初の仕事だ。ここの掃除をしてくれ、隅々まできっちり頼むぞ」
「いじわる!」
こうして、唯子の、特別相談部員としての新たな学生生活が、始まったのだった。
第一章 完 第二章に続く
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