第8話 唯子、絶体絶命

 

言われるがまま、唯子は周船寺の正面のソファに行儀よく座った。周船寺は一度窓の外を見つめると、ごほんと咳払いをして、説明を始める。


「まず、財布を盗まれ、翌日にこれが返ってくる。しかし何も盗まれない。これが五回続いた。これを聞いたとき、僕は真っ先にこう思った。犯人は、何かを探しているとね」


 唯子は周船寺の口から出る一言一句に必死に耳を傾けながら頷く。

「何かを探す……ですか。でも一体何を?」

「そう、それが分からなかった。だから僕はまずその犯人の目的から探った。それが分かれば、大きく犯人に繋がると思ったからね。そしてその最中、というよりも初っ端に大きな発見があった。あれはかなりラッキーだったね。その時君も一緒にいたはずだが、気付かなかったのかな?」

 周船寺はわざとらしく肩をすかす。

「き……気づきませんでした」

「はあ。まあいいだろう。最初、バレー部の安藤紀香に話しを聞くために体育館に行ったろ?」

「ええ」

「彼女から話を聞き終わった後、偶然、顧問である田中が訪れた」

「はい」

 周船寺は言葉と瞬きを止めて、何か言いたげな顔でじっと唯子の目を見つめていた。

「な、なんですか?」

「もしかして、まだ思い当たらないのかい?」

「え、この時になんかありましたか?」

 唯子が素で聞き返すと、周船寺はもう呆れる気力もないとでも言うように目を閉じ、口を開いた。

「あの時、あの田中は安藤氏のことを‘紀香’と呼んでいた」

 今までのとは異なる、しっかりした厚みのある声で周船寺は言い放った。彼にとってはきっと、答えを言ったに等しいのだろう。

「……え? そうでしたっけ? でもそれが何か大事な意味を持つんですか?」

「いや、生徒のことを下の名前で呼ぶなれなれしい教師は、別に珍しくはない。しかしあの時、僕らがいると気付いた時の田中の反応はおかしかった。明らかに、不意を突かれたといった様子で動揺していた」

 言われてみれば確かに少し挙動不審だったかもしれない……、と唯子もあの時のことを思い出していた。

「その後、僕らは体育館の外に出て、その後のバレー部様子を見守っていた。そしてミーティングを行っている時、田中が何人かの部員に声をかけた。そしてその時、安藤氏にも声をかけていたが、その時の呼び方は普通に苗字だったし、他の部員に対してもそうだった」

「じゃ……つまり……」

「そう! 田名と安藤紀香はできてるんだよ!」

「そんなまさか!」

 唯子は思わず立ち上がって、気色ばんだ。それでも周船寺は落ち着き払った顔をしている。

「それが事実なんだよ。彼の犯行がそれを物語っている。ということは必然的に、共犯者は安藤紀香氏だ」

「そんな、まさか……犯行がって……彼女だって財布を盗まれてるんですよ」

「それはフェイクのつもりだったんだろう。ほんとは盗まれてなんかいない。自分も盗まれたことにしておくことによって、自分に疑いの目を向けさせないためにね」

 さも涼しい顔で淡々と周船寺は語るが、唯子は未だそれを信じられないでいた。

「じゃ、じゃあ仮に、先生と安藤さんが、あなたという通り、その……男女の関係だったとします」

「どうでもいいが、君は言葉の選びが古臭いな」

「ど、どうでもいいことです。それより、その二人の関係と、事件の動機とに、何の関係があるんですか?」

「先月、彼女たちが遊びにいったと言っていただろう? そしてカラオケに行った際の会計の時に、とある輩とぶつかって何人かが財布を落としたって。その時だ。安藤氏が財布にいれていた大事なものを落としてしまった。物を落としたのは彼女だけでなく、複数の人間がレシートやらなんやらを落としたらしいから、皆でそれを拾っている最中に、安藤氏でない人間がそれを拾って、自分の財布にいれてしまった。後日、安藤氏がそれに気づいて、田中と共謀して、それを取り返す策を講じたわけさ。それは田中にとっても、他の生徒に見られたらまずいものだったからね」

「それはいったい……」

「なんだと思う?」

 唯子が聞き終わる前に、周船寺はきき返した。ここで答えられなければまたバカにされる。そう思った唯子は必死に頭を絞って答えを導き出そうとしたが、全くもって何も浮かばない。

 しかし意外なことに答えを見つけられない唯子を見ても、周船寺は先ほどのようにからかったりはせず、至って真剣なまなざしで子供に物事を教えるような声音をかけた。

「論理的に考えるんだ。それは財布の中に入る大きさで、財布の中に入れるのにそこまで不自然でない物。そして安藤紀香と恋愛関係にある田中教諭にとっても見られたくない物。こういう風に突き詰めて考えて行けば、おのずと答えは見えてくるはずだ」

 そのゆっくりとした優しい声に、唯子はなぜか落ち着きと安心感を覚えた。まるで彼の放つ言葉がそのまますうっと頭の中に入ってくるように。

 それにより、唯子は集中して推理に入ることが出来たのだった。

 田中先生にとっても見られたくない物……。財布の中にある……。そして、田中先生は、安藤さんと……。

 

はっと、唯子の中に閃きが通った。


「分かりました! プリクラ! プリクラの写真です!」


「そのとおり! 正解だ!」

 周船寺にそういわれると、唯子は思わず、大声を上げ、手を叩いてはしゃいでしまった。今まで何も解けなかった分、周船寺からのヒントがあったとはいえ、自分の力で解けたことに達成感に近い快感を覚えたのだ。

 幼い少女のような満面の笑みでしばらくはしゃいでいると、突然ハッと我に返り、顔を真っ赤にして恥じらいながら、こほんと咳払いをして、静かにソファに座わりなおした。

「……し、失礼しました」

 対する周船寺は嫌味のように口角を上げて、わざとらしく薄気味悪い笑みを浮かべる。

「ふっふっふ。中々かわいいところあるじゃないか。いつもそうしてればいいのに」

「よ、余計なお世話です!」

 唯子は首元まで赤くしながら、大声を上げて、そっぽを向いた。

 その時突然、特別相談室のドアを叩く控えめな音が、二人の耳に聞こえた。

 こんなわけのわからない部に相談者が来たというのだろうか。しかも、ほとんどの生徒が帰宅を終えたであろう時間に……と、唯子が思っていた矢先。

「お、どうやら今日の犯人が来てくれたようだね。どうぞ!」

 同時に、ゆっくりと控えめに扉が開き、訪問者が顔を見せた。周船寺の言った通り、連続財布盗難事件の犯人である、一年体育担当にして女子バレー部顧問の、田中だった。そしてもう一人、その田中の背中に隠れるようにして、ひっそりとこちらの様子を窺っている安藤紀香の姿も見えた。

「どういったご用件で?」

「い、いやあ。さっきの礼を言おうと思って」

 周船寺は手で部屋の中央に通すと、田中と、その後ろにいた安藤もぎこちない足取りで、進んだ。二人とも、少なからずこの部屋の異様な豪華さに驚いているようだった。

「それで、目当てのものは見つかったんですか?」

「ああ。君が言っていた通り、鈴木がもっていた。恐れ入ったよ。そこまで分かっていたなんて」

「ということは、返してもらったんですか?」

「はい」

 と、今度は田中の後ろからちょこんと出て来た安藤が代わりに答えた。

「先ほどは、嘘をついて申し訳ありませんでした」

 ぺこりと安藤は頭を下げる。それに反応したのは唯子だった。

「あ、あの……やはりその、お二人は、お付き合いを……されているんですか?」

 二人は遠慮がちに顔を見合わせ、気まずそうに首を縦に振った。

 唯子は心底衝撃だった。教師と生徒の禁断の恋。ドラマや漫画なんかではよくある話だが、現実でもそんなことが起こり得るとは……分からない物である。

 まだ恋をしたことのない唯子にとっては、まさに別の世界の出来事のように思えた。

 

 田中が不自然に髪をかきじゃくりながら、教師が生徒に対して言うにはあまりに低い物腰で、苦い顔で周船寺に尋ねた。

「で、そのことについてもなんだが……なんだ。学校の方には黙っていてもらえないだろうか?」

 そのことについても、ということは、田中が鈴木と付き合っていることに関してだろう。もう一つは、財布の窃盗の事に違いない。そっちは先ほど、周船寺と話をつけていたはずだ。恐らくあの時は、交際の事を黙っておくように頼むのを、動揺のあまり忘れていたのだろう。

「かまいませんよ。そのかわり、先ほども言いましたが、この借りはでかいですからね。そのことをお忘れなく」

「うっ」

 ぞっと、田中の顔が青白くなっていった。そんなにも周船寺に借りを作るのが嫌なのだろうか。と唯子は少し怪訝に思った。

「と、とりあえず、そういうわけだからよろしく!」

 慌てた田中は鈴木を連れて、逃げるようにこの部屋を去って行った。そしてこの部屋は、また、唯子と周船寺だけの空間になる。

「まったく、あんな腑抜けた教師を雇ってるようじゃ、この学校も先は暗いね。ま、それはそうと、これでいかに僕は素晴らしい才覚の持ち主で、自分がどんなに愚かだったか分かったろ?」

 周船寺は眉を吊り上げ、偉そうに足を組んでソファの間のテーブルに置いた。だがすぐに、その顔つきは変わる。というのも、唯子があまりにも不似合いなポーズをしていたからだ。

 唯子は胸の前で腕をくみ、眉間にしわを寄せては、目を閉じながら難しく考えるような顔をして、うーんと唸っていた。

「ど、どうしたんだ」

 周船寺が不思議なものを見る目で問いかけると、唯子は急に、何十年も開いていなかったかのような目をぱあっと開き、音を立てて立ち上がったかと思うと、大きく拍手をした。

「お見事! お見事ですわ! わたくし、感服いたしました!」

 突然大声を上げた唯子に周船寺は一瞬ぎょっとしたが、すぐに満足げな笑みを見せた。


「ふふっ、そうだろう」


「ええ。あなたのような聡明な方は生まれて初めて見ましたわ! その明晰な頭脳をもってすれば、かのエラリィクイーンを凌ぐことも可能でしょう!」

「うむ。そうだろう。そうだろう」

「ええ。今後もこの学校、いいえ、そんな低いレベルではありません。この国の発展にその英知を活かしてもらいたいですわ! おっともうこんな時間、それではわたくしは失礼いたします。これからもあなたの健闘を祈っております」

 と言い残すと、サササと早足で唯子は出口のほうへ向かった。

 そして扉の取っ手に手をかけようとした瞬間、取っ手の上に付随している機械のようなものが電子音を立てて動き出し、カチっとロックがかかる音が響いた。

「待ちたまえ」

 その冷たい声に唯子は背筋が震え、鳥肌が立った。恐る恐る振り向くと、周船寺が目を細めて、逃げ出そうとする唯子をとらえていた。片手には小型のリモコンのようなものが握られている。どうやらあれでここの鍵を遠隔操作したようだ。

 な、なんて無駄にハイテクな……。唯子の顔はみるみる青ざめて行った。

「急におだてだすからどうするかと思えば……そんな姑息な手に僕が引っかかると思ったかい?」

「い、いえ、そういうわけでは……ただ、今日は用がありまして……」

 そう弁明する唯子の額からは焦りの汗が出ていた。視線は周船寺に合わせられず、ただ無意味に右往左往していた。

「んん。君は確か、今日用はないと言っていたはずだがね」

 そう言うとソファから立ち上がって、唯子の方へゆっくりと迫り寄る。

「ええっと、ついさっき思い出して……」

 周船寺と同じ歩調で、唯子も一歩ずつ後ろに下がるが、数歩のところで鍵のかかった扉に背中がぶつかる。

「そんな言い分が通用すると思っているのかい? 僕が買ったら煮るなり焼くなり好きにしていいと言ったよね? 約束通り、そうさせてもらうとしよう」

 今までのように不気味な笑みを浮かべることなく、至って真剣な顔で迫ってくるため、よりいっそう恐怖感が増した。

 ああ。男はやっぱり皆、オオカミなんだ。

 周船寺はすでに、唯子の一歩手前まで迫っていた。

 そしてその魔の手をかけようとした瞬間。


「きゃあ!」


 唯子は迫りくる魔の手を間一髪でよけると、華麗な身のこなしで、軽快に周船寺の後ろに回り、すぐさまソファの横に置いてあった自分のスクールバッグを持ち、大きく振り下ろした。

 周船寺は自分の目前から消えた唯子を追うため、とっさに後ろを振り向いたが、もう既に遅かった。

 唯子が渾身の力で振り払ったスクールバッグが、周船寺の頭頂部をとらえる。その時、ゴオンと金属物がぶつかるような生々しい音が、この特別相談室に響いた。

 その打撃の反動で周船寺は大きくのけぞり、反対側の側頭部を今度は扉の取っ手へとぶつける。

「ぐはっ」

 まのぬけた抜けた叫び声と共に、今度はゴチンと鈍い音がし、周船寺は気を失い、そのまま床に崩れ落ちた。

 しまった。と思い、唯子は慌てて鞄を探ると、周船寺の頭部を直撃した部分には、アルミ製の水筒が入っていた。

 床で気を失っている周船寺は、全くもって動きそうにない。


 唯子は、茫然とその場に立ち尽くした。


続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る