記憶喪失の少女Ⅱ

 時刻は13時半。

 エアカーが都市に到着した後、メイは重と共に商店街を訪れ、未恵と合流した。未恵はジーパンにロンTとシンプルな格好だった。その後は三人で会話をしつつファミレスで昼食を食べ、重は都市長への挨拶と諸々の手続きのため中央塔へ、メイと未恵は買い物という形で別行動になった。


「メイたち、これからどこに行くの?」


 重と別れた後、メイは聞いた。聞いたところで半分の内容も理解出来ないことは分かっていたが、何も分からないよりはマシだと思った。


「買い物かな」

「買い物?」

「うん。メイちゃんにとって必要かなって思うものをこれから買いに行くの」

「メイに必要なものって何?」


 率直な疑問だった。そもそもメイは、自分がこれからどのように暮らしていくのか全く想像が出来ない。知識があってもそれを関連づける経験が空っぽのため、衣・食・住という大枠でしか伝えない。


「まずはメイちゃんが通う学校の制服かな」

「制服? メイ、明日から学校通うの?」

「メイちゃんが望むならね。わたしたちとしては焦るつもりはないし、メイちゃんがやりたいようにやってほしいって思ってるよ」

「ありがとう」

「お母さんだもん」


 未恵の満面の笑みに、メイはまた胸が温かくなるのを感じる。


「メイ、明日からいきたいよ。はやく、ともだちつくりたい」


 だからこそ、自分の願望を一切隠さず、真っ直ぐと伝えることができた。

 不安がないと言えば嘘になる。けれどもメイは、学校に行くことが楽しみで仕方がなかった。まるで記憶を失う前、それを誰よりも願っていたかのようだ。


「じゃ、行こうか」

「うん!」


 その後、二人は20時頃まで買い物をすることになった。

 最初に制服の採寸をしてもらい、その後に移動し、下着と私服をごっそり買った。次に家電屋さんに足を運び、授業や勉強用に使うとのことでタブレットを購入した。その後は雑貨屋で生活に必要なものを諸々購入した。文字で要約すればそれだけのことだが、行く先々未恵とメイは店員等を交えつつとりとめもない話で盛り上がっていたので、時間がかかってしまった。


 ・・・


 決して本調子とは言えないが、何とか閉店までアルバイトをこなすことが出来た。常に一美が近くにいるのでずっと気を引き締めていなければなかったが、返って良かったのだろう。


「ただいま」


 素っ気なくそう言い、双太は天月家のドアを開ける。

 最初に新しい家族にあいさつをとも考えたが、荷物を持ったままというのも変だと考えた。まず二階の自室に階段を上がって移動し、鞄を置いて手早くいつもの私服に着替えた。

 重がいればもう夕食が出来ている頃合いだが、この段階で誰が家にいるかも確認していないことを思い出す。ひとまずは行動をと考え、一階に降り、リビングに入った。幸い無人ではなく、キッチンでは重がエプロン姿で料理をしていた。


「いたんだな、父さん」

「お帰り、双太。すまないな、メイの手続きをしていたら予定以上に時間がかかってしまった。今夕食を作っているところだ」


 と、双太の問いに対し、重は料理に必死なのか背中を向けたまま答える。


「そうか・・・・・・」


 いつものことなので双太は大して気にならなかった。むしろ、より気合いが入っているようにさえ思えた。


「母さんとメイは?」

「そろそろ帰ってくるらしい。まあいいからくつろいでろ」

「いや、おれも手伝うよ」


 と、双太は普段なら滅多に言わないであろう言葉を口にする。そのまま有無を言わせないと言わんばかりに重の隣に立ち、状況を確認した。


「ハンバーグか」

「ああ、折角のめでたい日だ。素材も良いものを買った」

「そうか、楽しみだな。他はサラダとご飯か?」

「そんなところだ」

「サラダくらいはおれが作るよ」

「分かった」


 その後は黙々と、二人で作業を続けた。

 双太もそこまで多弁なタイプではなかったので、その点は重に似たのかも知れないと思った。だからか、母と比べれば父の方が幾分か話しかけやすい気がした。


「双太」


 やがてサラダが出来上がると同時、ハンバーグをフライパンで焼きつつ、重が話しかけてきた。


「選んだのか」

「ああ、選んだよ。まずは、勝たなきゃならない」


「何を」とまでは聞く必要がなかった。未恵には話していたし、昨夜不在だった重に伝わっていてもおかしくはない。


「そうか。具合はどうだ?」

「最悪だ。何回も意識が飛んだ」

「PTSDか。アタラクシアに専門医がいるらしい。今度行くか?」


 その話はとてもありがたいとは思ったが、双太は苦笑を浮かべながら首を振った。


「一美にこのこと、隠しきれなくなる」


 一美といない時間にコソコソと訓練している現状だって危ういのだ。そこでアタラクシアに行くために半日以上家を空けるとなったら、間違いなく勘づかれるだろう。


「僕からすれば、大切な人間に隠し事をすること自体言語道断だぞ」


 重の意見ももっともだ。だから双太は未恵にも包み隠さず話したし、隼人や守、佳奈も同様だ。


「これ以上あいつの苦しんでいるところ、見たくないんだ」

「気持ちは分かるが、お前が戦う限り苦しみ続けるぞ。それは僕や未恵も同じだ。メイだってそうなるだろう。お前が選ぶ道だというのは分かっている。それでも、お前が穏やかに暮らしていられるならそれが一番だ」


 と言いつつ、重はフライパンでハンバーグをひっくり返した。


「じゃあ父さんは何でまだ魔術師として戦っているんだ?」


 それは当然の疑問だった。


「おれだって、相当の不幸者だけどさ。父さんだって同じじゃないか?」


 それは当然の理屈だった。重が戦って死ねば、未恵も双太も、メイだって悲しむことになるだろう。差がないといえば嘘になるが、人という輪の中にある限り、双太も重も自らが戦うことで誰かを苦しめ、悲しめる存在であることに変わりはない。


「同じだな。だからこそ僕は絶対死なないし、家族を悲しめない」

「守も、同じこと言ってたよ」

「あの盾の子か」

「ああ、『僕が戦うことで、僕は想う誰かが苦しんでいるのかもしれない。だからこそ、僕は絶対に死なない。妹と妹のいるこの世界を幸せにしてみせる』ってさ。シスコン全開で恥ずかしかったけど、そういうことじゃないか?」


 誰かが苦しむことも悲しむことも否定せず、受け止める。だからこそ必ず生きて帰るという強い決意の表明で、大本は重と同じことを言っているのだろう。


「――そうか」


 重は満足そうに微笑む。


「では、今度は僕直々に手ほどきをしてやろう」


 重の言葉に、双太も不器用ながら、けれども心底嬉しそうな笑みをこぼし、頷いた。


(そうだよ)


 野菜を切りながら、微か手が震えるのを感じる。それを悟れないよう細心の注意を払いながら、双太は思う。


(戦って、強くなって、戦って、それで守れれば死んだって良い。それがおれの、贖罪しょくざいだ)


 一美の願う幸せも、未恵や重が願う幸せも、彼には到底掴むことが出来ない。それで良いと思えた。自分に資格など、ないのだから。


 ・・・


 それから数十分後、未恵とメイがたくさんのビニール袋を持って家に戻る頃には無事料理も出来上がった。二人は一度二階の部屋に荷物を置いてからリビングに入り、それに合わせて重が席をを双太とメイ、重と未恵といった形で指示した。


「それじゃあ、始めましょうか」


 未恵の言葉に、重と双太は頷く。しかしメイだけは緊張のためか、膝の上に重ねた手のひらが震えていることに双太は気づいた。どうしたものかと思った。緊張するなというのは無理な話で、どう声をかければ良いか難しかった。


「ではまず僕から一言だ。次に未恵、双太、最後がメイだ」


 と、そんな空気を察してか、重が言葉を紡いだ。


「僕たちは今日から家族だ。苦しみも、喜びも、全部みんなで背負って、噛みしめていこう」

「今日からよろしく、メイちゃん! これからたくさん、楽しいことしようね!」


 父は父らしく固い言葉を、母は母らしくどこか間の抜けた言葉を発していた。おかげで双太も肩の力が抜けた。難しいことはない。等身大の自分で、思うことを口にすれば良いだけだ。


「初めまして、メイ。おれは双太、天月双太だ」


 真っ直ぐと、双太の目を見据えたまま、メイが頷く。


「いろいろとあると思うけど、よろしくな。おれも、お前を歓迎する」


 メイは「いろいろ」の意味が分からなかったのか、可愛らしく小首を傾げる。その後、慌てて首を振り、次の瞬間には明るい笑顔を浮かべて立ち上がり、


「メイは、今日から天月メイです。家族として、よろしくお願いします!」


 と言葉を紡いで全員に向かって頭を下げるのだった。

 あまりにも大げさな所作に重と双太は苦笑を浮かべ、未恵は慌ててメイに声をかけ、メイはそんな様子に、もう一度明るい笑顔を浮かべた。


 ・・・


 夕食後、双太はメイを自室に招き入れた。特に頼まれてはいないが、携帯ハイブリツド電話フォンの使い方を教えるためだ。

「そーたそーた! これでどーするの? どーするの?」

 ベッドで双太の隣に腰掛けたメイが、足をジタバタとさせながら聞いてくる。

 双太はため息をはき出し、


「まず、概要から説明だ」


 と、言った。メイは何のことか分からず小首を傾げたが、双太は構わず続けた。


「こいつでできることには、通話、メール、チャット、解錠がある」

「ぜんぶよくわかんない」


「そうだろうな」と双太は思った。仮に記憶があったとしても、エレウシスでは縁のない代物のはずだ。


「じゃあ一つずつ説明するぞ。まずは解錠だ」


 双太の苦笑混じりの言葉に、メイはうんうんと頷く。


「ようするに、鍵のかかっている扉を開けることだ」

「つまり、この家はカギがかかってるけど、それがあれば開けられるの?」

「そういうことだ。こいつにはそれぞれの個人情報を記したIDチップが搭載されている。だから、専門家の人間と持ち主以外では使えないようになっている。めんどくさいからなくすなよ」

「家に入れるだけ?」


「違う」と双太は首を振り、都市への出入り、学園への出入り、その他図書館等の公共機関への出入りが可能なことを伝えた。メイは目を輝かせて「便利だね」と言い、双太も頷いた。昔はそれぞれ鍵が必要だったと聞くので、22世紀に生まれて良かったと常々思っている。


「次にメールとチャットだが、まだお互いの情報を交換していなかったな」

「交換?」

「ああ、「共有シェアリングモード起動、天月双太と連絡先を交換」と言ってみろ」

「う、うん」


 双太の言葉にメイは頷き、一度大きく息を吸い込み、言葉を吐き出した。


「シェアリングモードきどー! 天月そーたと連絡先こーかん!」

「シェアリング、承諾」


 二人の携帯ハイブリツド電話フォンの画面に同時に『交換完了』という文字が映し出された。双太はそのまま「チャットを起動」と言い、「メイにメッセージ、よろしく」と続けた。


「あ、そーたから「よろしく」ってきた。ねえねえ、これメッセージ入力を押せばいいの?」

「そうなるな。立体型のタッチパネルと、音声認識の二つの入力方法がある。どっちを選ぶかはその時々の状況によるな」

「ふーん」


 メイは感心しつつ画面の下側、メッセージ入力のボタンを押し、キーボード型の立体映像を出現させる。おそるおそるローマ字入力で「よろしく」と入力し、メッセージの「入力」から「送信」へと変化したボタンを押した。


「上出来だ」

「めーるも同じなの?」

「ああ、ただメールはタイトルがつけられる。まとまって詳細な内容を送りたいならメールがオススメだな」


 双太の言葉に、メイがニコニコとしながら立体映像に触れ、「件名:あいさつ、本文:よろしく」と書かれたメールを送ってきた。もう殆ど使いこなしている。記憶はないが、地頭は良さそうだ。


「最後に電話だ。よし、小林一美の連絡先を送信」

「あ、受信できたよ。つーわをきどー! スピーカーモード!」


 双太が言うよりも早く、メイが言葉を紡いでいた。


『……は、はい。小林です。あの、どなたでしょうか?』


 何回か発信音が響いた後、おそるおそるといった様子の声が聞こえてきた。


「ビデオつーわ!」

『え、嘘!? ちょっと!』


「おい待て」と制止する時間はなかった。謂わば今のメイは好奇心の塊だった。覚えたことはすぐ実践したいし、どんなことが出来るか色々と試したいのだろう。しかし、彼女に記憶はない。だから、相手の状況を確認するという常識が抜け落ちているのは当然のことだった。


「あ・・・・・・」

 一美の姿がメイの携帯ハイブリツド電話フォンから映し出されるのと同時、双太は間の抜けた声を発した。


「そ、双太くん?」

 携帯ハイブリツド電話フォンに映された一美は下着姿で、引きつった表情を浮かべていて、


『え、あ・・・・・・うそ……そ、双太くんのえっちッ!!』

「早く通話を消せッ!!」


 真っ赤な顔で悲鳴を上げ、胸を両腕で必死に隠そうとする一美。しかしそんなことで彼女の豊満な乳を隠しきれはしない。一美の名誉のためと双太も咄嗟に目をつぶったが、一瞬見えてしまった彼女の肌は扇情的で思わず頬が熱くなった。だからもう、怒鳴りつけてでもメイを止めるしかなかった。


「え? どうして?」


 メイは状況が分からず、小首を傾げるばかりだ。記憶と一緒に羞恥心という概念も消し飛んでしまっているらしい。


「良いから消せぇッ!!」


 再度叩きつけるように双太が怒鳴るのと、一美の方から通話が切断されるのはほぼ同時だった。


 ・・・


「すまなかった、一美! こいつも悪気はないんだッ!」


 しばらくして一美から折り返しのビデオ通話があると、双太はいの一番に頭を下げた。メイはこの段になっても状況を把握していなかったが、頭を掴んで強引に下げさせた。「いたいたい!」と床に正座した足をブルブルとさせていたが、気にしなかった。


『もう、いいよ・・・・・・』


 対し、寝間着姿の一美は頬を赤らめたまま、どこか悟ったような言葉を返しきた。はずかしめを受けたのは確かだが、不可抗力であることは理解してくれたのだろう。


『双太くん、その子が・・・・・・』


 一瞬一美の表情に陰りが生まれたことに双太は気づいていたが、それを口にしようと思わない。今の自分にそれを変えることは出来ないと分かっていた。


「紹介するよ。こいつが天月家の新しい家族、天月メイだ」

「メイだよ! よろしくね、かずみ!」

『う、うん。よろしく・・・・・・』


 一美はひきつった笑顔を浮かべながら、そう答えた。


「明日からはメイも一緒に登校するけどいいか?」


 一美の心境を考えれば、メイに慣れるのには時間が必要だろう。だからこそ、一美が話しやすいように、双太なりに会話を振っていこうと思った。


『う、うん』

「できればバイトも経験させたい。最悪、おれの給料は半分でいい」

『どう、どうかな?』

「ねえねえ、ばいとってなーに?」

「一美、答えてやれ」

『え、わ、わたし!?』


 予想外だったのか一美が大声を上げた。


「いや、お前の方が詳しいだろ」


 実際、双太が答えても良かったのが、一美がメイに慣れる意味でも、ここは二人に会話させるべきだと思った。


『・・・・・・分かったよ』


 一美もそれが分かったのか、少し間を置きつつも頷いてくれた。双太がこうして誰かと誰かの仲を取り持つのは初めての経験だ。 

 ともあれ、そうして二人の会話はしばらく続き、会話が終わる頃には一美も自然な笑顔を浮かべるようになっていた。

 まず、みんなで小さな一歩を踏み出せたと思って間違いはないだろう。

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