記憶喪失の少女Ⅰ
芽依と違い、ここの住人ではなかったミユの墓を双立都市で作ることはできない。同時に彼女の遺品も一切なく、唯一そのを実在を表せるものもエレウシス内で使われていた写真のみだ。それも芽依の遺影のような笑顔のものはなく、無表情のものしかない。彼女が人らしく生きたという記録はもう、双太の中にしか残っていない。それでも未恵は、できる限りのことをしてくれたらしい。それなりに高価の
襖を開けて小さな畳部屋に足を踏み入れながら、制服姿の双太は苦笑する。この神棚は作られたのは10年前だ。3年前まで一度も思い出すことができなかったミユを
罪悪感のあまり吐きそうになる。そのことを突きつけられる度、自分にそんな資格はないという思いが絶えず、頭の中で渦巻き続ける。
そんな歪みを抱えたまま、けれども双太はぎこちない笑みを浮かべてみせる。暗い表情を浮かべるよりは、ミユを安心させられると思った。
畳の上で正座をし、慣れた手つきで二度拍手をする。
その中、彼は内心で誓った。
逃げないことと、戦うことを。
一美のために、出来ることをすると。
…
「えと・・・・・・今日、メイちゃん来るんだよね」
「ああ・・・・・・そうらしい。いろいろと準備があるから、ちゃんと会えるのは今夜になる」
いつもの通学路でいつものように隣を歩きながら話しかけてきた一美に対し、双太は必死に欠伸を押し殺しながら答えた。
(体調は、悪くない)
昨日はあれから大変だった。守や隼人に連絡をとり、とある約束を取り付けるのに一時間、それから家に戻って自主練を行ってはみたが、数えるのが馬鹿らしくなるほど回数失神した。どれも一時的なものですぐ覚醒はしたが、結局は同じことを繰り返しているだけだった。おかげで殆ど寝れなかったし、未恵が早起きして二、三時間もの間治癒魔術をかけ続けていなければ、学園に行くことはおろか、ミユへのお参りすら危うかっただろう。
「どうしたの? 双太くん」
と、考え事をしていたら一美が不思議そうな表情を浮かべていた。
「一美、その・・・・・・昨日はごめんな」
「いいよ。わたしこそ、ごめん」
咄嗟に上手い切り返しが思い浮かばず、やむを得ず謝ってみれば、一美も苦笑を浮かべて謝ってきた。どうやら、素直に謝らせてもくれないらしい。
そうして、また沈黙が生まれた。
(いつもぜんぶおれが悪い)
と、双太は常々思っている。
(おれ下手だよな、コミュニケーション。芽依の奴がうらやましい)
双太と一美は決して仲が悪くはないのだが、かみ合わなくなることが多い。三年前までは芽依が上手く二人を取り持っていたのだが、当然故人に頼ることは出来ない。
(あのことも、まだ言えないし)
ひとまずはこの沈黙を打ち破るべく、双太は必死に話題を考え、
「一美、気になることがある」
と、思いついたままに口に出す。
「どうしたの?」
「なあ・・・・・・これ、クラスメイトの田中大輔ってやつに聞かれたんだが、好きな芸能人って誰だ?」
「双太くん、大丈夫?」
と、一美が心配そうな表情を浮かべる。
(そんなにおかしいのか)
思わず双太は自分を見つめ直し、
(おかしいな)
と、自己完結した。そもそもテレビを見ないし、芸能人など微塵も興味がない。だから、双太がその手の話題を出すのはおかしいだろう。守が妹ではなく、エッチなお姉さんの話をするような、明らかに周囲の認識を覆すようなレベルの話だ。
「気になったんだ。一美ってどんなやつが好みなのかなって」
間が空いて困ったから適当な話題を入れ込んだとは口が裂けても言えない。
「そうなんだ」
一美は半分不審、半分納得といった様子でしばらく黙り込み、
「いないかな」
と、言った。
「いないのか?」
双太にとっても意外だった。一美であればテレビを見ているだろうし、好きな芸能人の一人や二人いるのではと思った。
「いないなぁ。ドラマ見るけど、別にこの人とお付き合いしたいなとかは全然思わないかな」
「そういうものなのか?」
「双太くんはどうなの? 例えば芽依ちゃんの十倍可愛い人がいたら、お付き合いしたいと思うの?」
「いや、ないな」
「やっぱり」
「やっぱり?」
我が意を得たと言わんばかりに笑顔を浮かべる一美に、双太は
「だって、双太くん可愛いとかって全然考えたことないでしょ?」
「というか、そもそも可愛いという概念がまったく分からない」
「そこからなの?」
真顔で返しみれば、今度は呆れられてしまった。
「例えば、その・・・・・・赤ちゃんとか可愛いと思わないの?」
「ないな。見たことないし、あんなもん泣きわめいてばっかでうるさいだけだろ」
と、双太は率直に思った通りの言葉を返した。エレウシス時代に見た記憶は殆どないし、この都市に来てからも見る機会はなかった。知り合いで一番年下なのは西岡結衣だが、しっかりしているなと思っていても、可愛いとは思わない。
「双太くん、将来大丈夫? お嫁さん来ないよ」
「お前がいるだろ」
「えッ!?」
「……冗談だ」
「そ、そう・・・・・・」
冗談を言ったので怒ってくるのかと思ったが、一美は真っ赤になったまま俯いてしまった。生憎と鈍感な双太には乙女の純情を弄んだという自覚はなく、その反応に小首を傾げるばかりだった。むしろ、「おれなんかお前に釣り合うわけないだろ」とさえ思う。
「お前、変わったよな」
だから無自覚に、相手の傷を抉りかねない言葉を口にしていた。
一美は一度薄暗い表情を浮かべ、次には苦笑を浮かべた。表情の変化はあまりにも微細で、口を挟めるほどの確信は持てなかった。
「双太くんは、変わらないね」
その言葉に、ずきりと胸が痛む。。
あの日から変わっていないことがショックだったのではない。これから自分が変わることで一美が傷つくということを改めて認識しての痛みだ。
(でも、決めた)
息を飲み込み、ひとまずは話題を変えるため、双太はぎこちない笑みを浮かべる。
「おれも変わったぞ。一美と出会った頃に比べれば大分、ふれんどりーになった」
「ふれんどりー」という単語がどうも言いにくく、片言になった。
対し、一美はため息をはき出し、
「変わってないよ。もちろん、わたしと双太くんの出会いってあんまり良くなかったけどね」
と答えた。
双太はふと考えてみたが、案の定全く思い出せなかった。というか、いつ頃から一美と仲良く話すようになったのかも分からなかった。
「最初はほんとに、分からなかったの。双太くんがどうしてそんなことを考えるのか、どうしてそう思っちゃうのか。理解するのに時間かかっちゃった。もっと、早く分かってあげられればよかったのにね」
と、一美の表情が陰った。
慌てて双太は「おれのいいところって何だ?」と会話を繋ぎにかかった。しかし、一美が誇らしげに語る全ての内容が、どうも腑に落ちないものばかりだった。
・・・
森林の上を、エアカーが軽やかに走り抜けていく。山に入ってから一時間が経つが、目的地の双立都市まではまだ二時間ほどかかるらしい。関東にあるアタラクシア東京支部からすでに五百キロ以上走行していることを考えればそこそこの長旅だ。もっとも、エアカーは完全自動運転であり、彼女――天月メイも、その養父となる天月重も大して負担や疲労にはならず、三時間に及ぶ移動中ずっと対面式座席で話していた。
「確認する」
と、カーゴのズボンに黒いコートを羽織った重は言う。
「君の名は?」
メイは一度、水色のワンピースの裾を両手をぎゅっと握りしめた。そうして一語一句噛みしめるように言葉を紡いだ。
「あたしの名前は、メイ。天月メイ」
彼女に記憶はなく、だからこそ仮初めのものとはいえ、その名前を自分自身に刻み込むように口にした。
「いいだろう」
重は微笑む。
「君の家族の名前は?」
「あたしの・・・・・・」
そこでまた、何度も思ったことを繰り返した。自分は一体誰なのか、どこから来たのか、誰になれば良いのかと考えた。
「・・・・・・・・・・・・」
一度俯き、目を閉じて考える。
しばらく、沈黙が続いた。
やがてゆっくりと顔を上げると、今度は毅然と重を見据え、言葉を紡いだ。
「メイの、メイのカゾクは三人。おかーさんの天月未恵、おとーさんの天月重、それからおにーさんで、いいのかな?」
「同じ学年になるし、誕生日が分からない以上は悩みどころだな。好きにしろ」
「うん……メイと同い年の、天月、双太・・・・・・これが、メイの家族!」
頷くと同時に満面の笑みを浮かべつつ、メイは言った。
「嬉しそうだな」
「うん! メイ、覚えてないけど、ずっとこういうにあこがれていたんだなって思うから」
「そうか・・・・・・」
重は一度
「ところで、率直な疑問をいいか?」
と、話を変えてきた。メイには分からなかったが、不器用な重なりに話を盛り上げようと思ってのことだ。
「うん! いいよ……お、おとーさん!」
初めて父と呼んではみたが、やはりこそばゆい。
「何故一人称が変わった?」
「いちにんしょー?」
言葉の意味は分からず、メイは小首を傾げた。記憶は失いつつも知識はある程度残っていたが、あまり馴染みのない単語だった。
「一人称とはな、自分を指していう言葉だ。僕は「僕」だし、未恵は「わたし」、双太は「おれ」だな」
「メイは「メイ」?」
「そういうことだ。さっきまでは「あたし」と言っていただろう?」
ようやく、理解が追いついた。
メイは少し思案してから、
「少しでも早く、誰だかわからない「あたし」じゃなくて、天月メイになりたかったからかな」
と答えた。
「なるほど。未恵が、いや・・・・・・お母さんが聞いたら泣いて喜びそうだな」
「メイも、うれしいよ。カゾクになれること」
「記憶はなくても、寂しい思い、悲しい思いをした痕跡は残ってるのか?」
「わかんないよ。でも・・・・・・」
その後の言葉で、何を紡ぐつもりだったのかは分からない。
変化は唐突だった。唐突に視界が濁り、頬を幾筋の涙が伝っていった。
「あ、あれ? あれ?」
訳の分からない感情が浮かび上がってくる。それが喜びなのか、悲しみなのか、寂しさなのかは分からない。分からないまま感情に押し流され、気づけばメイは嗚咽をもらして泣いていた。同時に物音がしたが、メイは泣いたまま、それに気づくことが出来ない。気づいた時には立ち上がった重に抱き寄せられていた。左腕で彼女の身体を抱きしめ、右手であやすように腰まで届く長い黒髪を優しく撫でていった。
「メイが・・・・・・」
淡々と聞こえるようで、けれども優しさに溢れた声音で重は言葉を紡いだ。
「メイが、本当の自分を思い出しても、望み続ける限り僕たちの家族だ。何も怖がることはない。僕はお父さんだからな。大事な愛娘を守ってみせる」
「おとー、さん・・・・・・」
消えてしまいそうな声で、メイは呟いた。
何も覚えていないはずなのに、重の温もりはどこか懐かしかった。身も心も温まるような温もり、無償の想い、それが本当に懐かしくて、嬉しかった。
だからメイはしばらく泣き続けた。
その温もりを、もう離したくはなかった。
・・・
「もう、平気か?」
それからしばらくしてメイも落ち着き、重がおそるおそると声をかけてきた。
「うん。だいじょぶ。メイこそ、ごめん」
「気にするな。父親として当然のことをしたまでだ」
淀みなく言葉にする重に、メイの方が恥ずかしくなった。慌てて重から離れ、エアカーの座席に座り直す。この空間はきちんと重力制御されているため、シートベルトはいらない。
「何か、聞きたいことがあるか?」
「なんでもいいの?」
「ああ、構わない」
「恋って、なに?」
「難しい質問だな」
重は肩を
「メイはどう思っている?」
「イメージでいい?」
メイの言葉に、重が無言で頷く。
「なんかね、男の子と女の子がね、いっしょに話してたらいつの間にかくっついちゃって結婚するって話」
「それは現実的とは言い難いな」
「そうなの?」
理由はよく分からないがものすごいショックだった。何か、今まで大切にしていた何かが壊された気がして、落ち着かなかった。
「現実として、恋が結婚への通過点やきっかけになることがないとはいえないが、それもすべからくという話ではない。現代でも仕方なく妥協してという話を聞くし、昔は貴族間で政略結婚という話もあった。恋が成就しての結婚もあるだろうが、そうでない結婚もこれからずっと存在し続けるだろう。だから憧れる、とも言えるが」
「じゃあ、おとーさんはやだったの? おかーさんとらぶらぶじゃないの?」
率直な質問だった。ある程度の空気を弁えた人間であれば「これはまずいな」と思って避ける質問である。しかし記憶がないせいか、どうもメイはそのあたりが
「らぶらぶだ。少なくともケンカをしたことはない」
「らぶらぶなんだー。よかった」
言葉通り、メイはその回答に心底安堵し、喜んだ。だからこそこのやりとりが楽しくなってしまい、矢継ぎ早に、
「どれくらいらぶらぶ?」
と、聞いていた。
「理想的なラブラブ度だ」
と、重も淀みなく回答する。
「理想的ってどんな感じ?」
「いずれ分かる」
まさか最低でも週に一回は情事を重ねている等とは口が裂けても言えないのか、重は表情を変えず、言葉を紡ぐ。
「僕たちの出会いについて聞きたければ、未恵に聞くと良い。もっとも、あいつも僕もそんなに誇れるような関係ではないがな」
「う、うん・・・・・・・」
当然メイも納得はいかなかったが、これ以上踏み込めないのは重の雰囲気で分かった。
仕方なく、話題を変えることにした。
内容は、天月双太のことだ。
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