三人Ⅱ

 浜田さん マジュツシ。

 天月くん とくになし。

 川上くん とくになし。


 五人一組の班活動において、初めてのテーマは何かを調べ、発表するというものだ。授業が始まると共に教師が課題を告げ、促されるまま机が固められ、それぞれの班全員で向き合う格好となる。話したくなかった一美は自ら書記に立候補し、携帯電話ハイブリツトフォンを操作して、立体映像に話し合いの内容を書き込んでいる。といっても、メモした通り、芽依以外はまともな意見すらなく、双太と守は二人して仏頂面で腕を組んでいる。


「かなぽんは!?」


 芽依も苛々いらいらした様子で、小島佳奈という長い黒髪の女の子に話を振った。一美は顔を上げず、耳だけを傾ける。


「えとね・・・・・・お菓子が、いいなって」


 意外だなと思いつつ「小島さん、おかし」と書き込む。


「おれ、好きじゃないな」

「ぼくもだ。たべものなんて、えいよーとれればいい」

「うるさーい!」


 正面で文句を言う野郎二人に対して、芽依がぷんぷんとしながらノートを丸めて頭を叩いていく。残り二人がこれだと、どうしても芽依がリーダー的な立場になる。

 両肩で息をしつつ、芽依が「かずみんは?」と隣に座っている一美に視線を向けてくる。唐突なニックネームに、自分が呼ばれていると理解するのに数秒を要した。


「・・・・・・ない」


 色々と調べてみたいことはあったが、一美はあえて冷たく返した。自分の疑問を解決するために、敵である魔術師を頼るなんてあり得ないと思った。


「・・・・・・・・・・・・ッ」


 芽依があからさまに不機嫌になったことが、顔を見ずとも伝わる。少しだけ胸が痛んだが、それでも顔は上げない。


「・・・・・・ふたつかー。いっぱいな方できめるー?」

「いいんじゃないか」

「いいぞ」

「わたしも、それで」


 芽依が魔術師を調べたいと言ったのだから、もう結果は見えているのにと内心首を傾げる。会話の流れからしても、芽依と双太と守で三票、佳奈で一票だ。例え一美がお菓子に一票入れたところで結果は変わらない。


「じゃあー、せーのでいお-!」


 だからその言葉も無視することを決めた。

 クラスは賑やかだ。一美以外の誰もが思い思いに意見し、個ではなく群としてのコミュニティを形成している。自分が日に日に浮いていること、孤立していることは分かっていたが、望むところだ。魔術師なんかと仲良くしないと決めているのだ。きっと父は褒めてくれるだろう。ありがとうと言ってくれるだろう。だから、間違っていない。


「せーのー!」


 そんな一美の思考を知るよしもなく、事態は進む。芽依が一際大きな声を上げ、次の一言を紡ぎだす。


「おかし!」

「おかし」

「マジュツシ」

「マジュツシ」


「おかし」と言ったのは女の声二つ、「マジュツシ」と言ったのは男の声二つだ。つまり、多数決は引き分けだ。何が起きたか分からず、一美の思考がフリーズする。


「・・・・・・芽依、おまえがいったんだろ?」


 呆れるような言葉は双太のもの。業腹だが、同じことを思った。


「だってー! たべたいって思ったら・・・・・・」

「よし」


 頭を掻きながら舌を出す芽依と、胸の前で両手をぎゅっと握る佳奈。対し、守は冷めた目のまま一美だけを見据え、一言言った。


「手をあげてない」

「・・・・・・わかってるよ。かずみん」


 名を呼ばれ、びくりと身体が震えるのを感じる。芽依が怒っているのが隣だからよく分かる。それでも顔は上げない。自分は間違っていないと言い聞かせる。


「どうして、手あげないの?」

「わ、わたし、は・・・・・・」


 声が震える。芽依の怒気も、これから言う言葉も、怖い。相手の態度も、自分がもたらす結果も怖い。


「ともだち、いらないから」

「でも、ボクはかずみんのことナカマだっておもってるよ。だからさ・・・・・」


 怒りながらもどこか寂しそうに、縋るように、芽依が吐き出す。


「カオ、あげて。かずみんと、はなしたいよ」

「いや・・・・・・」

「どうしてッ!」

「浜田さんが・・・・・・マジュツシ、だから」

「ッ!」


 瞬間、何が起きたか一美は分からなかった。

 椅子が倒れる音が聞こえたかと思えば猛烈な力で引っ張り上げられ、芽依の怒った顔が目の前にあった。


「芽依ッ!」


 制止する声が響くと共に、周囲がざわめき始める。よく見れば芽依の顔の後ろで拳が握られ、ぶるぶると震えていた。なんだ、やっぱり乱暴なんだなと一美は安心した。野蛮で、暴力的で、自分で話そうと言っても、思い通りにならなければ暴力で解決する。

 だから、「バケモノ」と言ってやるつもりだった。憎しみを込めて、悔しさを込めて、ささやかな復讐をしてやろうと思った。その後自分は殴られて怪我をするだろうが、構わない。少しでも傷つけられれば良い。


「――ッ」


 息を吸い込み、精一杯の気持ちで芽依を睨みつける。その表情は相変わらず、怒っていて、けれども瞳は涙で濡れていた。


「――え?」


 予想外の光景に、思わず声が漏れた。何故泣くのか理解できなかった。血も涙もないと思っていたのに、傷つける言葉すら言っていなかったのに、どうして傷ついているのだろうと、怒ると同時に、辛そうな表情を浮かべているのだろうと、頭がまたぐちゃぐちゃになる。何が正しいのか、何が間違っているのか、混乱していた思考はそのままオーバフローし、ただ呆然とするしかなくなった。

 少しして教師と生徒数人がかりで二人を引き離す。一美は教師に背中を支えられながら床に尻餅をつく。心配して声をかけられることだけは理解できたが、何も返せない。心が「何故?」、「どうして?」という問を無限に反芻はんすうしていた。

 

 ・・・

 

 家に戻った後、玄関で一美を出迎えた秀隆はひどく悲しそうな顔をしていた。その段になってようやく、自分が悪いことをしたんだと分かった。良い子でいたかったのに、父を裏切ってしまった。何故駄目なのか、何がいけなかったのか、理由は皆目見当がつかない。それでも「申し訳ない」、「悔しい」という気持ちは涙となって溢れだし、気づけばわんわんと喚きだし、父にすがりついていた。

 そのまま一美は、全部ぶちまけた。魔術師が怖かったこと、母を奪ったと思っていたこと、父を守りたかったこと、父さえいれば友だちなんていらなかったこと、そう決めたのに本当は一人が寂しくて、辛くて、どこかで求めていたこと。何より、それを認めたくなくて、無理をしていたことを告げた。


「はまださん・・・・・・ないてた」


 父の胸に抱かれながら、一美はしゃくれた声を上げる。顔は涙と鼻水でぐしゃしゃでみっともない。それでも秀隆は、愛おしげに一美の頭を撫で、「そうなんだな」と包み込むように答えた。その声音が心地よく、少しだけ救われた。


「わたし・・・・・・ひどいことっ、した・・・・・・かも」


 浜田芽依と接したのはたったの二回、一度目は入学式の時、二度目は今日の班活動、いずれも芽依は一美に危害を加えようとしていなかった。むしろ、彼女と接しようと、仲良くなろうとしていた。それを一美は踏みにじった。一度目は逃げ、二度目は徹底的に無視した後魔術師が嫌いだと告げ、「バケモノ」と呼ぼうとした。嫌いという言葉ですら、人を傷つけるには十分すぎた。あんなに辛そうな瞳を見たのは初めてだ。バケモノがどちらか、人でないのはどちらか、自分の行動を考えれば考えるほど身体は強ばり、心もすり切れていく。


「ぱぱ、おしえて」


 だから一美は泣きながら告げた。「助けてほしい」と我が儘を言った。初めて人を傷つけたことに対してどう向き合えば良いか分からず、親に甘え、縋るしかなかった。


 ・・・


 翌々日の日曜日、「勉強になるよ」と言いつつ秀隆に連れてこられたのは住宅地にある一軒家の一つだった。セミロングの髪を三つ編みにし、薄水色のワンピースを着込んだ一美は父と手を繋いだまま、「はて?」と首を傾げる。「勉強になる」と言われたのだから、図書館を連想していた。しかし、これはどう見ても普通の一軒家だ。一美の家よりも少し作りは大きいこと以外は、触れるようなこともない。


「良いから、な?」


 秀隆は笑みを浮かべ、一美の手を引く。そのまま門をくぐり、白いドアの横のタッチパネルに触れた。同時に小さい立体映像が頭上に現れ、ブラウスにジーンズを着込み、眼鏡をつけた細身の女性を映し出す。


「小林秀隆です」


『待ってました。今開けますね』


 この家の住人と思しき女性は笑みを浮かべ、同時に開錠を知らせる音声が響く。そのままゆっくりとドアが開けられ、立体映像と同じ姿をした女性が、等身大の大きさで現れる。


(・・・・・・・・・・・・)


 無言で、その女性をみつめる。綺麗な人だと思った。顔立ちは整っているし、柔和の笑みからは人柄の良さが感じられる。


(あ・・・・・・)


 何故こんな綺麗な人と父が知り合いなのだろうと考え、はたとある可能性に思い至る。最近呼んだマンガで、女の子が妻を亡くした年上の男性に惹かれていくというものがあった。もしや同じ状態なのではと考えつつ、二人の会話に耳を傾ける。


「こんにちは」

「こんにちは、小林さん昨日は遅かったみたいですけど、大丈夫でした?」

「ええ、お陰様でなんとか納品できそうです」


 やはり仲が良い。しかも、秀隆が一美と母親以外に対してここまで親密に接するのは初めてに思える。知らず知らず、一美は訳の分からない感情に縛られるまま彼の手を強く握りしめ、涙目で女性を睨みつける。


「あらら? 一美ちゃん、大丈夫なの?」

「一美?」


 怪訝な表情を浮かべる秀隆。


「新しいママ・・・・・・いらない」


 過程も推測もすっ飛ばして吐いた言葉が、「それ」である。まだ六歳の子どもで、母親を亡くしてから一年しか経っていない。当然といえば当然の反応に、秀隆は冷や汗を浮かべ、未恵は苦笑しながら、


「一美ちゃん、だいじょぶよ。私、結婚してるから」


 と告げ、歩み寄りながらしゃがみ込み、視線を合わせてから一美の頭を撫でる。。


「そう、なの?」

「うん。そうだよー。お父さんとは一緒にお仕事してるから仲良いのー。とったりしないよ」

「ほんと?」

「うん。ほんと」


 どっと肩の力が抜けるのを感じる。パパをとられずに済んで良かったと思いつつ、


「結局今日は何故ここに来たのだろう?」と再度小首を傾げる。

「すみません」


 隣では秀隆が未恵に平謝りだから、殊更訳が分からない。


「いえいえ」


 未恵の方も笑顔を浮かべながら二人を手招きし、家の中へと招待する。手を引かれるまま一美は歩き出し、家に入った。秀隆に指示されるまま玄関で靴を脱ぎ、並べ、スリッパに履き替える。デザインはシンプルだが、部屋が綺麗で、使われている感じもない。少なくとも自分の家よりは新しいものに見えた。そのままリビングに入り、先に席に着いていた一人に視線を向ける。癖毛の黒髪に、黒のTシャツ、カーゴの半ズボン。いつも芽依の近くにいる男の子とそっくりで――


「あ・・・・・・」


 思わず、声がもれた。そっくりではない。間違いなく本人だ。


「小林?」

「あ、えと・・・・・・」


 父から手を離し、その場で立ち止まる。何と返せばいいか分からない。まずあいさつをしなければと考えたが、相手の名前が思い浮かばないから、余計に混乱する。


「双太ちゃん、あいさつ!」


 見かねた未恵が、テーブル横のキッチンに入りつつ、息子に指示を出す。


「こ、こんにちわ・・・・・・」

「声小さいよ~」

「こんにちはッ!」

「よろしい」


 未恵が満面の笑みを浮かべる。秀隆も苦笑を浮かべながらしゃがみ込み、「ほら、一美も」と耳打ちしてくる。


「え、えと・・・・・・」


 挨拶が嫌だったわけではないが、この段になっても双太の名字が思い出せない。最初の一文字が「あ」で始まることだけは覚えている。さりとて今更聞くわけにもいかず、大きく息を吸い込み、やけっぱちで叫んだ。


「こんにちは、そーたさんッ!」


 結果、未恵は面白うそうにニヤニヤとした表情を浮かべ、秀隆はきょとんとした表情を浮かべ、双太はばつが悪そうに頬を赤らめ、当の一美も真っ赤になっていた。


「まあまあ、みんなで座りましょう」


 キッチンで準備を終えたらしい未恵が、トレイに湯飲みを四つ乗せてキッチンから出てくる。秀隆は「失礼します」と軽く会釈しながら一美の手を引く。一美も右足と右腕が同時にでるほど緊張していたが、かろうじてテーブルまで行くことが出来た。

 丁度4人がけのテーブルに全員で着く結果となり、皮肉も親は親同士、子どもは子ども同士で向き合う格好となる。


「それじゃあ、双太ちゃん。自己紹介しましょう」

「え?」


 唐突に告げられた言葉に、きょとんとする双太。


「あれ? もしかしてもう友だちだった?」

「いや・・・・・・ちがう、けど」

「そっかー。じゃあ一応しよっか」

「お、おう・・・・・・」


 渋々と言った形で頷く双太。少しだけ同情した。自分も同じように秀隆から言われたら断れず、同じ結果になることは容易に想像できた。


「おれは・・・・・・」


 躊躇いがちに、双太が口を開く。言葉も態度も硬く、緊張が伝わってくる。芽依とは大分打ち解けていたが、本質的には不器用な人間のようだ。不本意だが、少しだけ親近感が湧く。


「天月、双太・・・・・・。マジュツシだ」

「わ、わたしは・・・・・・」


「友だちになれたかも」と思いつつ、一美も口を開く。先に双太が名乗ってくれたおかげか、幾分か緊張が和らぎ、固さも抜けた。


「小林、一美。ニンゲン、です。えと・・・・・・」


 先に言葉を躊躇うも、隣から秀隆の笑顔が突き刺さる。背筋が震えるのを感じつつ、一美は叩きつけるように言葉を紡いだ。


「――よろしくッ!」

「あ、ああ・・・・・・」


 突然の大声に双太は引きつった笑みを浮かべ、未恵と秀隆は肩を震わせながら、必死に笑いをかみ殺している。一美も羞恥心で真っ赤になり、俯くしかなかった。


「・・・・・・なあ」


 そうしてしばしの沈黙の後、躊躇いがちに双太が口を開き、一美も俯いたまま頷く。


「お前、マジュツシがキライか?」

「え・・・・・・」


 予想外の言葉に顔を上げ、相手を凝視してしまう。 だって、一美のせいで友だちが傷ついたのだ。怒られることも、冷たく扱われることも理解できるが、その問を発した双太はどこか諦観のようなものを見せていて、仕方ないと割り切っているようにすら思える。


「・・・・・・おこってないの?」

「おこる? なんで?」


 おそるおそると聞き返すと、双太は心底不思議そうな表情を浮かべる。


「アタリマエだろ」

「おかしいよッ!」


 勢いよく立ち上がり、両手をテーブルに叩きつける。秀隆が驚くような表情を浮かべ、未恵は苦笑を浮かべる。双太は一美の剣幕に押されたか、表情を固くしつつ、椅子を少しだけ後ろに引いていた。


「わたし、わるいことしたッ!」


 双太が戸惑っていることも分かっていたが、構わず言葉を叩きつける。


「浜田さん、きずつけたっ、なかせた! わたしワルイ子! ひどいこ・・・・・・にんげん、じゃ・・・・・・ない」


 一美の言葉を受け、双太は少し思案する様子を見せ、大きなため息を吐き出す。そして、まるで当たり前だと言わんばかりに、


「おれは、おれのことニンゲンじゃないって思ってる」

「え・・・・・・?」


 思わず、間の抜けた言葉を発した。奇妙な話だ。数日前までは自分だってそう思っていたはずなのに、今ではひどく場違いな言葉に感じる。怒って、泣いて、そして傷つけてしまったことが理解できたから、一美は魔術師が人間かもしれないと思い始めた。しかし、当の魔術師が、それを真っ向から否定している。訳が分からない。


「エレウシスって、しってる?」


 問に対して首を横に振る。聞いたこともない。そもそも一美は、魔術組織の存在すらまともに知らない。


「マジュツのガッコーみたいなところにいて、みんなマジュツがつかえて、おれはおちこぼれだった。ずっと、コロシアイしてた」


 思わず息を飲んだ。普通の子どもと同じように、一美は「人を殺すこと」はいけないことだと教えられている。だからこそ、それが日常のように繰り返される場所があるということに、吐き気をのような嫌悪感がわき出てくる。


「おれも、コロしたかもしれない。でも、ワルいことしたって思わない。そうしなきゃおれが、コロされてたから。おかしいだろ?」


 ぎこちない笑みと言葉に対して、一美はおそるおそると頷く。双太の気持ちを、魔術師の気持ちを、一美は理解できない。「人殺し」が当たり前だと宣う存在はやはりバケモノで、同じ人間とは思えそうにない。

 けれどもと、同時に思う。笑みの中には悲しい感情しかない。悪いことをしたと思ってはいないのに、双太がそれを誇っていないことは、むしろ後ろめたく思っていることは、少しだけ感じ取れる。母を亡くした自分のように、彼もまた癒えない傷跡を抱えているのだろうか。


「・・・・・・浜田さんも?」

「芽依は、わかってない」


 必死に絞り出した言葉に、双太は頭を振る。


「みんなをまもるためにって、言ってる。おかしい」


 だからこそ、芽依を傷つけたことに対し、双太は一美を責めないのだろう。対極なのに、一美と全く同じ考えだったから。魔術師はバケモノで、人間とは違う存在でと思っているから。

 しかし、今度は一美が頭を振る。ぶんぶんと、強く双太の言葉を否定する。

「守りたい」と芽依は思っている。それは芽依の家族を指すのだろうし、友だちを指すのだろうし、双太を指すのだろうし、一美すら指すかもしれない。自分が願っていたように、大切なものを守りたいと思っているのだ。魔術師はバケモノかもしれない。自分とは相容れないかもしれない。それでも、何かを「守りたい」という気持ちだけは、否定したくなかった。

 だから一美は意を決して、言葉を紡ぐ。


「わたし、浜田さんにあやまりたい」

「小林・・・・・・でも」

「・・・・・・わたし、そーたさんのいってること、わかんない」


 双太も芽依も、魔術師だ。一美には分からない生き物だし、本当の意味で理解できる日は来ないだろう。それでも、「心」はある。一美と同じように泣いたり、悲しんだりすることができる。些細な言葉で、傷つくことがある。そう思えば思うほど、ふつふつと、双太に対して腹が立ってくる。


「浜田さんの言ってること、おかしくない」


 だから一美は真っ向から、その言葉を否定した。肯定してしまえば、芽依の涙も、芽依の思いも、自分の思いすら嘘になってしまう気がした。


「わたしもっ、パパまもりたいって思った。ママいなくなって、ひとりぼっちになって、でもパパまもろうって、がんばった」

「なんだよ、まもるって」


 すがるような、戸惑うような言葉に対して、一美は黙り込む。「守る」、「守る」と何度も思い続けていて来たが、その意味を考えるのは初めてだった。


「・・・・・・わかんない」


「守る」が何を意味するか、考えれば考えるほど分からず、「でも」と一美は口を動かす。つたなくて、幼稚で、けれども精一杯な思いを紡ぐ。


「パパが、ないているのやだ。くやしそうな顔、くるしそうな顔、やだっ。わらってるところみたい。えがお、ほしい。しあわせ、ほしい」


「だから」と、声を震わせながら、消えそうな声で絞り出す。


「それが・・・・・・わたしの、ねがい」

「ねがい・・・・・・か」


 双太が悲しそうな顔を浮かべ、一美も胸が締め付けられてるような気持ちになった。分かってしまった。双太には、一美の言っていることが分からないのだと。彼はそんな当たり前のことすら理解できない、バケモノなのだと。けれども怖くはない。彼は、分からなくとも理解しようとはした。自分ではなくても、他の誰かなら彼を救えると思った。


「わかんなくて、いいよ」


 顔を上げた視界に、透明な靄がかかる。絞り出す声が震え、水滴が頬を滴り落ちていく。悲しくないのに、怖くないのに、悔しいだけで泣いたのは初めてだ。一美は、負けた。今まで否定出来たのに、天月双太という歪なあり方に対して、負けた。彼を、否定できなかった。同じように、浜田芽依とも分かり合えないだろうと思うと、余計に悔しかった。分かり合えるかもと思った自分は情けない。


「――おねがいします」


 それでも、頭を下げた。

 無駄になるかもしれないが、それでも芽依にだけは謝っておきたかった。そうしなければ、前に進めないと思った。


 ・・・


 翌日の午前10時。双太に指示されて訪れたのは空き地だった。ろくに整備もされておらず、物もおかれていない。そのくせ面積は百メートル近くとやたら広く、何も建設してないことが不思議だった。

 スカートに長袖の格好で歩いていた一美は、入り口前で黒い戦闘服姿の二人を見かけ、重い足取りで近づく。


「あ、あの・・・・・・」


 躊躇いががちに紡いだ声はみっともなく震えていて、


「小林か」

「あれ? かずみん?」


 対し、二人の反応は平静そのもので、そのことが余計に一美を焦らせた。自分はまだ悩んでいるのに、負けた気がする。


「・・・・・・・・・・・・」


 それでも、これだけは言うのは決めたのだと、一美は一度深呼吸してから、


「ごめんなさい!」


 勢いよく頭を下げ、まくし立てる。


「浜田さんのおはなしっ、きかなくて! マジュツシのこと、ばかにして。きずつけて、ごめんなさい・・・・・・!」


 言い切ると同時、頭を下げたままぎゅっと目を瞑る。芽依がどんな人間か分からないが、今回に関しては少しくらい殴られたって良いと思った。それくらい、自分はひどいことをしたと思っている。。


「え? そんなこと?」


 しかし、芽依の反応はあっけからんとしたものだった。


「あたまあげて。なんでかずみんあやまるのか、わかんない」


「わかんない」のはこっちの方だと拳を握りしめ、肩を震わせる。何故平然としているのか、理解できない。


「あのね、ボクもわるかったよ」

「わるいのはわたしだよ・・・・・・ッ!」


 反射的に顔を上げ、芽依を見据える。彼女は一瞬困ったような顔を浮かべたかと思いきや、次の瞬間には「にやり」と意地の悪い笑みを浮かべ、


「じゃ、もんだいなし。けんかりょーせーばい」


 と予想外の方向に話を展開する。


「あのね、かずみん」


 芽依はあくまで屈託なく、太陽のように明るい笑みを浮かべながら、言葉を紡ぐ。


「かずみんのおかーさんのことせんせーからきいたよ。そりゃ、キライになっちゃうよ。だからごめん。もっと、ちゃんと、はなせばよかった」


 それは一美の返すべき言葉だ。芽依の気持ちを知らず、自分の思い込みだけ魔術師を嫌った。相手は何一つ悪くないのに、ただがんばっているだけなのに、一美はその気持ちを踏みにじった。芽依はこんな自分にすら笑ってくれるほどいい人なのに、それを悪人と決めつけていた。


「あ、あの・・・・・・」


 芽依が許してくれたこと、一美の気持ちを理解してくれたこと、その事実が胸に食い込んでくるたび、言葉はどんどん意味を失い、消え去っていく。自分の弱さに居たたまれなくなる。苦しい、悔しい。逃げ出したいと思った。


「だから、はじめよう」


 芽依が右手を一美に差し出してくる。初めて話した日と同じ右手だ。けれども何故かあの時より眩しく、大きく見えた。


「ボクと、かずみん――ううん、一美と、双太で、仲間カゾクになろう」

「なんで、おれまで」

「いいじゃん、いいじゃん」


 渋面を浮かべる双太に対して芽依が明るく笑いかけると、双太は渋々といった様子で芽依の手の上に、自身の手を重ねた。


「一美・・・・・・」


 本当に手を重ねていいのか、自分にそんな資格があるのかとぐるぐる考える一美に対して、芽依は少しだけ悲しそうな、今までにない笑みを浮かべ、


「ひとりぼっちは、こわいよね」


 と言った。

 その言葉を聞き、昨夜父から聞いた話が頭を過ぎった。芽依が孤児であること、自分と違い、誰が親かもわからないこと、そんな中でも、芽依は誰よりも明るく過ごしていること。絶対に、自分よりも何倍も辛いはずなのに、何故彼女はこうも眩しいのだろうと思う。一生叶わないと打ちのめされると同時に、少しだけ憧れる。芽依のようになれたらと思う。少しでも、近づきたい。そうすれば、傷つけるだけでなく癒すことも、幸せにすることも、守ることだってできると思った。


「――こわいよ」


 ゆっくりと、右手を双太の手の上に重ねる。初めての仲間と交わした言葉、温もり、そして思い出。

 小林一美は今日という日を、この約束を、一生忘れはしなかった。

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